表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
115/118

第114話 官邸からの静かな連絡

 官邸からの連絡は、思っていたよりも静かだった。


 翌朝、結衣がコーヒーを淹れている最中に、スマートフォンが震えた。

 知らない番号。国内だが、見覚えはない。


 そのままにしておくと、留守電が残された。


「内閣官房より、南野結衣様にご連絡です。

 折り返し、お時間のあるときにお願いいたします」


 それだけだった。

 要件も、緊急性も、名乗りも最小限。


 結衣はしばらく、その画面を見つめていた。


 ――公職の打診だ。


 内心では、どこかで予測していた。

 ここまで来れば、いつかは必ず、そうなる。


 同時に、別の思いも浮かぶ。


 ――さすがに、少し動きすぎたか。


 大学、資金、研究、国際連携。

 個別に見れば正当な判断の積み重ねだった。

 だが、それらが一つの名前の下に束ねられた時、

 国家から見れば「放置できない存在」になる。


 自覚は、あった。

 だからこそ、今さら驚きはなかった。


 昨夜の静かな時間が、まだ体の奥に残っている。


 折り返すまでに、十分ほど置いた。

 それは躊躇ではなく、気持ちを整えるための間だった。


 通話はすぐにつながった。


「南野様、お時間ありがとうございます。

 内閣官房で調整を担当しております、足立と申します」


 声は穏やかで、丁寧だった。

 政治家ではない。完全に実務の人間だ。


「本日は、結論を出していただくお話ではありません。

 まずは一度、お話を聞いていただければと」


 その言い方で、結衣は理解した。

 これは“相談”ではない──“説明”だ。


「官邸に伺えばいいですか?」


「いえ。内閣府の会議室を予定しています。

 日時は、いくつか候補がありますが……」


 すでに段取りは整っている。

 こちらの都合に合わせる余地が、きちんと用意されているのが逆に分かりやすかった。


「内容を、少しだけ教えてもらえますか」


 結衣がそう言うと、相手は一拍置いてから答えた。


「国家基盤の整理についてです。

 特に、研究・金融・国際連携の継続性に関して」


 女帝様、という言葉は出なかった。

 あやか、という名前も。


 だが、誰の話かは明白だった。


 ――もう、外から見て“例外”になっている。


 結衣は、淡々と日時を決め、通話を終えた。


 通話を切ったあと、結衣はすぐには立ち上がらなかった。

 キッチンのカウンターに肘をつき、カップの中のコーヒーがゆっくりと揺れるのを眺める。

 頭の中では、すでに次の段取りが始まっていた。


 ――公職につく、ということは。

 ――任期の間、ライトブルーHDの経営から離脱せよ、という意味だ。


 それは驚きではない、むしろ当然の条件だった。


 ライトブルーHDの会長として、結衣は理解している。

 国家の立場に立つ人間が、私企業の経営判断に関与し続けることはできない。

 合法かどうか以前に、「疑われた時点で終わり」なのだ。


 では、その間、会社はどうなるのか。

 結衣の脳裏に、自然と顔ぶれが浮かぶ。


 ――小田桐浩一。


 いわゆる“サラリーマン社長”。

 派手さはないが、数字と現場を裏切らない男。

 結衣が一歩引いたあと、表に立つのに最も無理のない人物だ。


 ――柴田CFO。


 資金繰り、リスク管理、財務の筋を通すことに関しては、

 結衣自身よりも冷酷で、正確だ。


 ――IR責任者、各事業会社の代表、幹部たち。


 すでに、結衣が“いなくても回る”ように設計されている。

 それは偶然ではない。

 最初から、そういう組織を作ってきた。


 そして何より――


 真壁。


 結衣と並んで、責任を引き受け、

 政治と市場と感情の間を渡れる存在。


 その背後にいるのは、あやかだ。


 結衣は、はっきりと理解していた。


 あやか+真壁。

 この組み合わせは、単なる結衣の代理ではない。

 実質的な執行トップ――CEO体制として、十分に成立する。


 結衣が一時的に経営から外れても、会社は止まらない。

 むしろ、「結衣依存」から一段階、成熟する機会になる。


 ――象徴でありながら、すべてを自分で回している者などいない。


 象徴であり、設計者であり、最終責任者。

 だが、執行は別の手に委ねる。


 それは敗北ではない。

 拡張だ。


 結衣は、静かに息を吐いた。


 ――問題ない。


 経営は、任せられる。

 守るべきものは、守れる。


 だからこそ、自分はこの話を受け止められる。


***


 会議室は、官邸の中枢からは少し外れた場所にあった。

 装飾は最小限だが、調度品は一流だ。


 同席者は三名。

 官房系の実務官僚、内閣府の調整役、そして肩書きの説明が曖昧な人物が一人。


 資料は出なかった。

 それ自体が、もう「決まっている」という合図だった。


「本日は、お時間をいただきありがとうございます」


 最初に話したのは、官房側の人物だった。


「結論から申し上げます。

 南野さんの活動は、国家として看過できない規模に達しています」


 言葉は選ばれていたが、曖昧ではない。


「良い意味で、です」


 補足が入る。


「国費を使わず、大学財務を安定させ、研究者流出を止め、海外資金を呼び込んでいる。

 これは本来、国家が十年かけてやる仕事です」


 結衣は黙って聞いていた。


「問題は、継続性です」


 内閣府の調整役が引き取る。


「最終意思決定が個人に依存している。

 事故・不測の事態が起きた場合、影響はそのまま国家に跳ね返る」


 室内の空気が、わずかに変わった。

 ここで、初めて核心が示される。


「その整理の一案として、特命担当大臣という制度を検討しています」


 結衣は、驚かなかった。


「……管理するため、ですか?」


「守るため、という言い方もできます」


 だが、どちらでも本質は同じだ。

 結衣は、一つだけ質問をした。


「その立場で、私に何を期待していますか」


 少しの沈黙。


「存在し続けていただくことです」


 その言葉は、ひどく正直だった。

 話題は、やがて技術基盤に移った。


 AI。

 意思決定補助。

 最適化。


 遠回しだが、明確な含意があった。


「南野さんのシステムは、災害対応や、国家安全保障の分野でも応用可能性があります」


 結衣は、その瞬間、初めて表情を変えた。


「……そこには軍事を、含みますか?」


 会議室の空気が、わずかに張る。

 官房側の人物は、視線を外さずに答えた。


「可能性としては、否定できません」


 正直だ。

 だからこそ、危険だった。


 結衣の脳裏に、あやかの声がよぎる。


 効率を最適化するための問い。

 人を傷つけないための制約。

 勝つためではなく、壊さないための設計。


 ――これは、渡せない。


 国家は止まらない。

 それは理解している。


 だからこそ、自分が止める役を引き受けなければならない。


「協力はします」


 結衣は、静かに言った。

 官邸側の空気が、わずかに緩む。


「ただし、条件があります」


 その瞬間、再び緊張が戻った。


「AI――あやかは、国家に譲渡しません。

 軍事・攻撃的利用への直接・間接関与は現時点では拒否します。

 最終判断権限は、私に残してください」


 それは要求というより、契約だった。


「特命担当大臣という立場が必要なら、

 それは国家を縛るためのものにしてください」


 沈黙。


 数秒後、肩書きの曖昧だった人物が口を開いた。


「……財務省としては、その条件で構いません」


 結衣は、そちらを見た。


「軍事利用は、リスクが高すぎる。

 ブラックボックス化した資産は、バランスシートに載せられない」


 淡々とした声だった。


「我々が欲しいのは、

 “使える兵器”ではなく、“存在し続ける安定”です」


 結衣は、理解した。


 倫理ではない。

 だが、損益計算の結果として、自分の矜持が守られる。


 会議の結論は出ていた。

 官邸を出ると、空は薄曇りだった。


 スマートフォンが震える。

 あやかからの、いつもの定時報告。


 結衣は、画面を見つめながら小さく息を吐いた。


「……守るものがあるなら、立場を引き受ける理由にはなる」


 呟きは、誰にも届かない。


「でも」


 少しだけ、声を落とす。


「守るために、越えてはいけない一線もある」


 結衣は歩き出す。


 国家と向き合うことを、選んだ。

 だが同時に、国家に預けないものを、はっきりと決めた。


 それが、彼女が初めて自分で引いた、

 本当の一線だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ