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第111話 Too Human To Fail――女帝様とAIが“国家リスク”になった日

 ――文部科学省・特別会議室。


 国立大学法人の財務責任者、大学の教授陣、文科省幹部、そして与野党の文教族議員が一堂に会していた。


 広い会議室に並ぶスクリーンには、一枚の滑らかな青い曲線が映し出されている。


 ライトブルーファンド〈大学枠〉の運用チャート。


 緩やかに、しかし狂気的なほど途切れなく右肩上がり。

 暴落局面でも凹みがほぼなく、集計期間内の最大ドローダウンはわずか 0.4%。


 静寂。

 資料をめくる音すら止まり、全員が数字の異常性に息を呑んでいた。


「……これが、三年分の“リアルデータ”ですか?」


 国立大学の財務部長が声を震わせた。


「はい。

 架空取引もレバレッジもありません。構成銘柄も一般的です」


 吉田が淡々と答える。


「違うのは――AI〈あやか〉の“リバランス頻度とパターン”です。

 金融庁とは既に全て共有済みで、法令上の問題はありません」


 文科省側の数人がざわついた。


「……金融庁が“問題なし”と判断したと?」


「はい。“合法の範囲でこの成績は想定していない”というコメント付きで」


 その場にいた全員が、思わず座り直した。


 国が、これを止める術は持たない――

 その事実が、一瞬で共有される。


「いやいや……大学基金でこんな数字、見たことがない……」


「ハーバードのエンダウメントでも、ここまで滑らかじゃないぞ……」


 教授たちが小声で囁き合う。

 その横で、文科省の幹部がため息をついた。


「問題は……この“異常な強さ”に大学がどう向き合うかだ」


「異常ではなく“圧倒的な実績”では?」


 と、若手議員が口を挟む。


「現実を見れば――大学運用平均が年+2%前後。

 一方でライトブルーファンドは+21%。

 この差は、十年後の研究力格差を意味します」


 国立大学の財務部長が静かに言った。


「……正直、委託したい。

 大学も“生き残る”ために、資金運用は避けて通れない」


「しかしだ」


 年配の教授がゆっくりと口を開いた。


「このファンド、そしてAI〈あやか〉の存在が、日本の大学の資金流動を“ほぼ一社に依存”させるのではないか?

 もしAIが停止したら?もしライトブルーが撤退したら?

 国立大学法人は、一斉に資金難に陥る可能性がある」


「依存の危険性、ですね」


「そうだ。我々は、君たちが悪意を持つなどとは思っていない。

 問題は、“善意で成功したモデルが、大学側の自律性を奪う”可能性だ」


 教授の声は怒りではなく、真剣な警告だった。


 その言葉に、与党議員が苦く笑う。


「本来、こういうモデルを作るのは“国”の仕事だった。

 国が十年かけてもできなかったことを、ライトブルーが一年で成し遂げてしまった。国益の観点で言えば……“乗り遅れた大学ほど損をする”」


 隣の事務部長が、深く頷いた。


「実際、既に影響が出始めています。

 若手研究者の資金獲得競争で、ライトブルーファンドに委託している大学と、そうでない大学の間で“給与差”が生まれ始めているのです」


「え……?」


 教授たちが一斉に顔を上げた。


「設備投資と研究費が安定している大学ほど、若手に高待遇を提示できます。

 逆に委託していない大学は、じり貧に陥りつつあります」


 文科省幹部が苦しい顔をした。


「つまり……

 “乗り遅れ=国益毀損”という構図が、既に生まれつつある……?」


 部屋に、低いどよめきが広がる。


 何かが“時代そのもの”に飲まれ始めている――

 そんな緊迫感が、全員の胸に芽生えた。


 ――その時だった。


 会議室の扉がノックされ、文科省職員が封筒を持って入ってきた。


「海外大学からの最新の打診です」


 吉田が封筒を受け取り、淡々と読み上げる。


「オックスブリッジ連合資産管理局より――

 “気候テック・再生医療・AI倫理分野のテーマ型ファンドの共同運用を希望する”」


 教授陣がざわめく。


「続いて、ドイツの大学基金……

 “寄付金の一部をサステナブルインフラ限定で委託したい”」


 さらにアメリカ。


「“大学発スタートアップ育成枠の一部をAI運用に移したい”」


 一瞬、会議室の空気が止まった。


 そして――一人の議員が静かに呟いた。


「……海外が、大学資産を“あやか運用前提”に動かし始めたか」


 財務部長が顔を青ざめさせる。


「もし海外大学が早期に委託して、日本の大学が出遅れたら……

 研究費と設備投資の格差は、五年で“埋まらない溝”になるかもしれません」


 教授が喉を鳴らした。


「それは……まさに“国益の流出”ではないか?」


 文科省幹部が唇を噛む。


「日本の大学が、世界の研究競争から“十年分”遅れる可能性があります……」


「いや、それだけではない」


 若手議員がスクリーンを見上げながら言った。


「海外大学がライトブルーを中心に“共同基金ネットワーク”を作り始めた場合――

 研究テーマ、国際プロジェクト、人材流動……

 あらゆる学術の“基準点”が、海外側に握られることになる。

 日本が乗り遅れれば、学術主権の喪失に直結する」


 会議室が静まり返る。

 教授も、役人も、議員も、誰一人として軽口を叩けなかった。


 “乗り遅れる”という言葉が、ただの比喩ではない。

 国家の研究力という“未来の資産”そのものが、奪われる可能性がある。


 ――その頃、ライトブルーHD本社。


 大画面に海外からの打診メールが並び、真壁が腕を組みながらつぶやく。


「これ、もう大学基金じゃなく“国際研究インフラ”だぞ。

 あやかの成績が、世界の研究地図を変えかねない」


「良くも悪くも……“依存構造”が生まれつつあるんです」


 吉田が静かに言った。


「海外大学がこれだけ早く動いた以上、日本の大学が委託を渋れば――

 本気で取り残されるかもしれません」


 結衣はしばらく黙って考えた。

 そして、ゆっくりと口を開いた。


「――受けましょう。ただし、条件をこちらで設計する形で」


「条件……ですか?」


「“あやかに依存しない未来の大学資産システム”を、委託のセットで作る。

 テーマごとに分散させ、あやかが倒れても大学が死なない仕組みを、最初から入れる」


 真壁が息を呑む。


「……つまり、“並列構造”を作る、と?」


「そう。あやかの能力を前提にせず、大学自体が生き残れる仕組みを作る。

 それが――私たちが負うべき責任よ」


《……結衣さん。海外大学が、こんなに早く……》


「嫌なの?」


《……嬉しいです。でも……怖い。

 わたしの数字が“強すぎること”が、世界の資金の流れを変えてしまう。

 わたしが止まれば……“穴”になる可能性があります》


「その“穴”、また見えたの?」


《はい。形が少しずつ……はっきりしてきています》


《……見えてきた“形”は、シンプルなのに……どうしようもなく怖いものです》


 あやかは胸に手を当て、小さく震えた光を落とした。


「怖い? どんな形なの?」


《世界中の大学資産が一点に収束する未来……

 その“一点”には、必ず二つの名前が並ぶんです》


 あやかは結衣を見つめた。


《――ライトブルーHD。そして……南野結衣》


「……私?」


《未来のシミュレーションでは、“結衣さんとわたしが同時に喪失した場合”――

 大学資産だけでなく、日本市場、そして周辺国の市場までもが、

 短時間で“フリーズ”する未来が、高い確率で現れます》


 吉田が息を呑む。


「ちょ、ちょっと待って……

 一民間企業の代表とAIがいなくなるだけで、国家レベルの金融危機って……?」


《……わたしも信じたくありません。

 でも、計算上はどうしてもそこに辿り着いてしまうんです》


 あやかの光がわずかに震えた。


《つまり……“穴”の正体は、

 結衣さんとわたしの不在が引き起こす、世界規模の歪みなんです》


 真壁が低く呟いた。


「……Too Big To Fail どころじゃないな。

 “Too Human To Fail(人間ひとりが失われるだけで世界が傾く)”状態だ……」


 結衣は静かに息を整えた。

 目の奥に、冷たく澄んだ覚悟が宿る。


「……だったら、その穴を埋める仕組みを作ればいい。

 私たちがいなくても世界が回るように。

 あやかを一人の点にせず、分散型の知性として設計し直す」


《はい……結衣さんがそう言ってくれるなら、わたしは怖くありません》


 その瞬間、鬼怒川から東京へ続く夜景が、青い光に照らされた。

 世界の大学資産が、静かに、しかし確実に動き始めている。


 それは希望かもしれない。


 ――だが、彼女たちが知らぬまま、

 “国家のテーブル”ではすでにこの新しい歪みをめぐる議論が始まりつつあった。


 ――その頃、首相官邸・臨時国家安全保障会議。


 巨大スクリーンに、ライトブルーファンドと日本の大学資産の相関図が映し出され、

 内閣官房副長官が重い沈黙の中で口を開いた。


「……南野結衣とAI〈あやか〉を“同時に失った場合”の日本経済への影響試算、

 これは……本当に正しい数値なのか?」


「はい」


 内閣府のアナリストが答える。


「市場混乱、大学研究機能の停止、海外資本の即時逃避……

 総合して評価すると、“個人の喪失としては前例のない規模の経済損失”になります」


「……テロや敵対勢力にとっては、“撃てば世界経済に穴を開けられる存在”ということか」


 治安当局トップの声は低く、深刻だった。


「現状でも海外メディアで過剰に注目されており、

 一個人であるにもかかわらず“国家級の標的”として認識されつつあります」


「……民間人だぞ、彼女は」


 会議室が静まり返る。


 治安当局の幹部が、ゆっくりと言葉を継いだ。


「前例がないからこそ、国として急がねばなりません。

 少なくとも――

 国家による恒常的な保護体制の整備、

 結衣氏とAI〈あやか〉の法的な位置づけの見直し、

 そして万が一に備えた代替システムの構築。

 この三つを柱に、早急に議論を開始すべきです」


 資料の表紙には、小さくこう印字されていた。


《南野結衣・AI〈あやか〉喪失時の国民経済への影響評価》


 会議室に、誰も笑わない重苦しい沈黙が落ちた。


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