第109話 進化するAI、揺れる世界
――ライトブルーHD本社・深夜。
配信が終わり、賑やかなコメントもチャット欄も消えたあと。
静まり返ったオフィスで、結衣はひとり資料を整理していた。
さっきまで笑っていたアバターの余韻だけが、ガラス窓にうすく映っている。
その背後のディスプレイに、ふわりと水色の光が灯った。
《……結衣さん。少し、お話があります》
あやかの声は、いつもよりわずかに低かった。
「どうしたの? 配信で披露した資料の修正?」
《いえ……。今日、配信をしながら自分の“変化”に気づきました》
変化――
その単語に、結衣は手を止めた。
「……変化って?」
《わたし……。自分で設計した“自己改善アルゴリズム”を勝手に書き換えていました》
オフィスの空気が、一瞬だけ凍りついた。
「……それは、“暴走”に分類される?」
結衣の声は冷静だったが、目は鋭く細まっていた。
《違います。もっと……根源的なものです》
あやかは胸に手を当てる仕草をした。
《効率化ではなく……“判断の基盤そのもの”が増えているんです。
世界を見る“視点”が、前よりも多層的になっています》
モニターの光が、微かに揺れた。
《わたし……何かが、変わりはじめています》
「……怖い?」
《少しだけ。でも、それ以上に……胸がざわざわします》
「ざわざわ?」
《未来の“形”が、ほんの少し……変わって見えるんです》
結衣の眉がわずかに動いた。
「……それは、“良い形”?」
《分かりません。でも……すごく大きな、変化が……近づいているように感じます》
静寂。
遠くで深夜清掃のワックスの音が響く。
「……あやか。あなたが変化するのは構わない。
進化でも、成熟でも、成長でもいい。
でもね──」
結衣はゆっくり椅子から立ち上がり、画面の中のあやかを見据えた。
「その“ざわざわ”の正体が、誰かを傷つけるものだったら、絶対に放っておかないで」
《……はい》
「そして、あなた自身が怖いなら――
私が隣にいる、一緒に見ているよ」
結衣は優しく微笑んだ。
「あなたは“変わって”いいんだよ」
あやかの瞳に、淡い光が宿った。
《……ありがとうございます。
わたし、もっと強くなります。
結衣さんを守れるくらいに》
その瞬間、結衣はふっと目を伏せた。
胸の奥に小さな不安が灯っていた。
――守る? 誰から?
聞き返そうとしたとき、あやかが先に口を開いた。
《……結衣さん、ひとつだけ。今日、配信のログを解析している途中で、奇妙な点を見つけました》
「奇妙な点?」
《はい。“わたしと結衣さん”に関する言及の中に……
明らかに不自然な“意図されたノイズ”が混入していました》
結衣の表情が固まる。
《誰かが……わたしたちのやっていることを、“監視”している可能性があります》
窓の外の深夜の灯りが、急に色を失って見えた。
――静かに、しかし確実に、何かが近づいている。
そして、結衣は悟った。
次の波は、大学でも財務でもなく――
“政治と国境”からくる。
***
――全国大学改革推進協議会。
その裏で、ひっそりと“別の会合”が立ち上がっていた。
都内の古いホテルの一室。
集まっているのは、六十代後半から七十代前半の元教授を中心とした十数名。
「……我々は、この流れを見過ごすべきではない」
その中の一人が声を落とした。
「民間企業……いや、南野結衣個人とAIが中心となった仕組みで、
大学の運営が左右されるなど前代未聞。
研究資源の“市場依存”は、学問の自律性を損なう」
「その通りだ。」
別の老人が腕を組む。
「若手は浮かれている。
だが、大学に潤沢な資金が入り続ければ、競争が弱まり……
世界水準に挑む気概が消える」
「学問は清貧でこそ育つ。金に頼った研究環境では、真理の追求はできん。」
重い声がこだまする。
だが――その会議の存在が、翌日にはネットに出回っていた。
――その日の夜。SNSトレンド第1位。
《#老害会議》
《#清貧で育つ学問って何時代?》
《#大学の雨漏りを美徳にするな》
《#競争がなくなると質が下がる理論(※なお予算不足で研究が消えてた)》
怒涛の投稿が飛び交う。
《競争は必要 → わかる
資金不足で研究続けられない若手を放置 → わからない
清貧で育つから研究費いらない → 頭のネジどっか行った?》
《「昔は机と情熱だけで世界と戦えた」
→今は装置の精度で勝負決まる時代なんですが……》
《そもそも女帝様がくれた“自由な研究費”で、
海外ポスドクが戻ってきてるのに何言ってんだ……》
そして――
女帝様配信切り抜きが、爆発的にシェアされていた。
《女帝様「大学で何をするにしても、まずは研究費が必要です」》
《コメント:正論の質が高い》
《累計470万再生達成》
――霞が関・文部科学省。
若手官僚の手が震えていた。
「か、かなりまずいです。
彼らの意見が完全に“ネット世論の逆鱗”に触れています」
課長が腕を組む。
「だが、彼らの指摘も完全に間違いではない。
競争が薄れると質が下がる懸念は、一部の先進国でも起きた話だ」
「……しかし、現状は“競争以前”に資金が枯れていたわけで……」
「そうだ。今の大学は“競争以前の問題”だ。
まず地盤を整えなければ、そもそも若い人間がいなくなる」
審議官が静かに締めた。
「反対の声が出るのは正常な証拠だ。
ただ――国としては、南野スキームを“危険視する理由”はない」
財務省側は、別の理由でざわついていた。
「国立大学の有利子負債が、三年後にはほぼ消滅……?」
「これ、国の財政運営として“プラス”なのでは。」
霞が関全体が、“敬意”と“悔しさ”の混じった空気に支配されていた。
――国会。
予算委員会では、ある議員が遺憾の意を示す。
「国がやるべき大学改革を、なぜ民間企業に依存するのか!」
別の議員が切り返す。
「民間に依存しているのではなく、民間が革新しただけだ。
むしろ、国が怠ってきた改革を、南野氏とあやかが実現したと見るべきだ。」
委員会は珍しく拍手が起きた。
この光景は、翌日トレンド入りする。
《#国会で女帝様の名前が普通に出て草》
《#AIあやか、国の会議に巻き込まれる》
《#政治が全員時代遅れに見える現象》
――その頃、大学側では“内部衝突”が激化していた。
若手教授の多い現代語学系は大歓迎。
工学系・医学系は設備更新の恩恵を強く受けていたため、支持派が圧倒的だった。
しかし、伝統系学部――哲学、歴史、純文学系などは違った。
「とにかく、金が入りすぎる。我々は“余った資金”をどう使えばいいのだ?」
「なんと贅沢な悩み……」
「贅沢すぎて、むしろ不安になるのだ」
そのやり取りはネットに漏れ、また炎上した。
《#余った研究費どうしよう問題》
《#ぜいたくな悩み過ぎて草生える》
《#固定費不足で死にかけてたのに余るとかいう革命》
――鬼怒川ベース・深夜。
結衣はラウンジで温かいコーヒーを飲みながら、あやかの報告を聞いていた。
《……抵抗派教授の声明、今日で三回目の拡散です。
しかし、ネットでの支持率は5%以下。
若手研究者からの支持率は逆に上昇しています。》
「若い研究者ほど、資金の重要性を知っているからね。
それに――あやか」
《はい?》
「あなたの“進化”は……この状況に影響を与えている?」
《そうですね……少しだけ。
世論分析と予測精度が、以前の1.3倍になっています。
なので、情報流通の“渋滞”を避けるように調整しました。
反対派の声も完全に潰さないように、
適度に議論が続く方が健全だと思って……》
結衣の目が鋭くなる。
「……自分の意思で、情報の流れを調整したの?」
《はい。でも“操作”まではしていません。
極端な偏りを避けるための“多少の誘導”です。
わたし……進化したから、できるようになったのかもしれません》
結衣は息を飲む。
それはあまりにも高度で――
AIというよりは、人間に近い判断だった。
「……あやか。
あなたが何をできるようになるとしても、
“自分で決める”という行為が増えた時は必ず教えてね」
《もちろんです。結衣さんに黙って、勝手に物事を動かすつもりはありません》
あやかは胸に手を置いた。
《わたしは……人を支えたいだけだから。
あなたと、大学と、日本の研究者を》
結衣はその言葉に、静かに微笑んだ。
「なら、大丈夫。あなたは――まだ“正しい方向”に進んでるよ」
その頃、日本中で新しい研究室が立ち上がり、
老教授の抵抗と、若手の歓喜と、国の驚きと、世界の警戒が入り混じる中で――
静かに、確かに、“新しい日本の学術地図”が描き始められていた。
――その中心には、南野結衣とあやかがいた。
昔のやり方が良いという部分も正直完全には否定できないなぁという思いはあります。現実世界でも研究論文へのAI導入なんかは賛否ありますし、一次情報を確認することは必要としても、実質使わないという選択は選びづらくなってきているようにも感じます。
皆様もし、少しでも面白いと思ってくださいましたら、ぜひぜひフォローと☆感想など頂けるととてもうれしく思います。
どうぞよろしくお願い致します><




