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第105話 世界市場へ送り出すものたち

――鬼怒川ベース会議室。


 研究棟最上階に設えられた会議室は、秋の柔らかな光と、壁面スクリーンの青い光に満たされていた。

 今日ここに座るのは、“日本の主要研究分野を率いる教授たち”。材料、熱工学、化学、情報、国際税務まで、各大学が誇るトップ層。

 全員が既に――大学の知財部、文科省、経産省、総務省、そして財務省との折衝を済ませ、この場に集まっていた。


 それでも、彼らの表情には、いまだ理解が追いつかない“スケール”への戸惑いが残っていた。


 巨大スクリーンには、小型ORCユニットの海外導入候補地が世界地図に青色で表示されている。北欧、カナダ、ニュージーランド、韓国、アイスランド。

 教授たちは数十年研究してきたが、この光景――「研究が世界に直接届く瞬間」を目の当たりにした経験がほとんどなかった。


「……これ、全部が“問い合わせ”ですか?」


 呆然とした声が、静かな会議室に落ちる。


《はい。先日の北欧電力会社を皮切りに、各国の公共電力会社から“共同実証”と“ユニット発注”の打診が届いています。

 年間ロイヤリティ見込みは――》


 あやかの声と共に、スクリーンには新たな数字が浮かぶ。


《初年度:最大62億円

 3年後:140〜180億円

 5年後:300億円規模を推定》


 会議室の空気が、一瞬止まった。


「……我々の知財で、こんな数字が?」


 東都工業大学の教授が、信じられないというように声を震わせる。

 結衣は、穏やかに頷いた。


「“大学の知財”だからこそです。

 ここにいる研究者の皆さんが積み重ねてきた知が、ようやく企業標準のレベルで世界市場に出られるようになっただけ。

 私たちは、出口を作ったにすぎません」


 その言葉で、教授の一人――熱工学の世界的権威である名誉教授が、ごくりと喉を鳴らした。

 机の端を握りしめる指が、わずかに震えている。


「しかし……ロイヤリティの管理……この規模になると、大学では到底……」


 その懸念は、既に知財部でも、文科省の担当課でも議論され尽くしたポイントだった。それでも、自分の口から確認せずにはいられなかった。


「そこで――」


 結衣は端末を軽くタップした。

 スクリーンの中央に、新たなロゴが浮かび上がる。


《Blue Intellectual Holdings Pte. Ltd.

 International IP Management & Royalty Flow Center》


「国際ロイヤリティは、すべてこの“Blue Intellectual Holdings”に集約します。

 大学名義の権利は守ったまま、契約、徴収、為替処理、税制最適化。

 全部ここで担います」


 教授たちの間に、驚きと安堵が同時に広がる。

 文科省と経産省から「国際IP管理法人の必要性」について太鼓判を押されたこと、さらには財務省の国際課が協力を表明したこと――

 それらを知っていても、こうして“形”を見ると別次元の現実味があった。


「すると……大学には“純粋な研究資金”として還流される?」


「その通りです。

 ですが――ここからが、本当の勝負です」


 結衣がスワイプすると、スクリーンが切り替わり、新たな図が表示される。


《ロイヤリティの流れ

 大学 → IPホールディング → 再委託ファンド → 研究者》


 教授たちが前のめりになり、一斉に息を呑んだ。


「再委託……ファンド?」


「ええ」


 結衣の声はよく通った。


「Blue Intellectual Holdingsは、受け取ったロイヤリティの“運用”を――

 ライトブルーファンドに再委託します」


 会議室がざわめきに揺れた。

 大学の研究成果がここまで“資本”として扱われる世界を、誰も想像していなかった。


「運用……して増やす?

 本当にそんなことが……?」


 困惑と期待が入り混じった声が漏れる。

 その前で、あやかが静かに補足する。


《大学側が希望しない場合は、“運用せず送金”も選べます。

 ただし、運用を選ぶ場合――》


 スクリーンに青いラインが伸び、新たなデータが表示される。


《年利想定:12〜15%

 対象:

・世界のグリーンボンド

・インフラETF

・再エネ特化ファンド

・国際債券

・AI最適化ポートフォリオ》


 教授たちは呆然とした。


「……12〜15%なんて、普通は……」

「いや、大学資金を民間ファンドが運用していいのか……?」


 結衣は首を横に振る。


「“大学資金”ではありません。

 “大学の特許が生んだ利益”です。

 大学会計に入る前の段階であり、“色のない資金”。

 だからこそ、国際専用のIP管理法人が扱える」


 文科省との協議で何度も確認した内容だった。

 教授たちはその説明にようやく膝を打つような表情を見せ始める。


「さらに――」


 スクリーンには新しい数字が現れる。


《ファンド規模予測

 3年後:1200億

5年後:2500億

10年後:6000億》


「……桁がおかしくないですか?」


「この一部が研究費として使える?」


「そうです」


 結衣の微笑みは自信に満ちていた。


「大学が“研究費不足”で悩む時代は終わります。

 これから悩むのは――“どこまで研究者に投資するか”。

 幸せな贅沢です」


 材料工学の教授が、苦笑しながらも目を潤ませた。


「……私は二十年、科研費の書類を書き続けてきたが……

 こんな“悩み”を持ってみたかった」


「学生に『研究室にお金がありません』と言わなくていい日が来るのか……」


 会議室全体に、未来を見据える熱がゆっくりと広がっていった。

 だが、現場を預かる教授たちは、なおも慎重だった。


 その中の一人が、静かに手を挙げる。


「……南野さん。

 ライトブルーHD側が深く関与しすぎると、“囲い込み”と批判されませんか?」


 それは、どの大学も胸の奥に抱えていた“最後の不安”。

 しかし、結衣は一切迷わなかった。


「言われると思います。これは必ず」


 場がピンと張りつめる。


「だからこそ、“透明な構造”にしました。

 私たちが奪うのは“権利”ではなく“手間”。

 握るのは“運用手数料”です」


 教授たちがわずかに息を呑んだ。


「大学は発明者。

 私たちは、市場への橋渡し、資金流動、国際展開。

 入り口から出口までを“支援する”だけ。

 これは囲い込みではなく――“伴走”です」


 結衣の声は静かだったが、強い信念がにじんでいた。


 ――その時だ。


《……結衣さん。》


 控えめな電子音とともに、あやかが発話した。

 アバターの瞳が、わずかに揺れている。


《再委託ファンドの規模が、想定より急速に拡大する可能性があります。

 処理の分岐が多すぎて、私だけでは判断が追いつかない局面が出るかも……

 その……少し、不安で……》


 芽衣が思わず口元を緩める。

 計算機のはずなのに、まるで人間の若手職員のように肩をすぼめて見えるのだ。


 結衣はそっと視線をあやかへ向けた。


「大丈夫。当面は私も前に出るよ」


《……ほんとうですか?》


「ええ。あなたが安心して計算に集中できるように。

 私が全部、体を張って支えるから」


 瞬間、あやかの表情はぱっと花開くように明るくなった。


《……よかった。なら、もっと頑張れます!》


 会議室の隅から、思わず小さな笑い声がこぼれた。

 重苦しい議論の最中に差し込んだ、あまりにも“人間らしい”やり取りだった。


 結衣はそこで気を引き締め、教授たちの方へ身体を向ける。


「――皆さん。これは慈善ではありません」


 空気が再び引き締まる。


「手数料はきっちりいただきます。

 規模が拡大すれば、私たちも莫大な利益を得ることになる。

 だからこそ、この仕組みは“続けられる”んです」


 教授の一人が深くうなずく。


「……確かに。善意だけで構築した仕組みは、脆い」


「大学と企業が、“利益”で結ばれる。

 その方が、はるかに強いんです」


 結衣は続ける。


「研究者が成果を出すほど大学が潤い、

 大学が潤うほどファンドが成長し、

 ファンドが成長するほど研究は加速する。

 ――この循環を、私は日本で初めて作りたい」


 静寂が満ちる。

 やがて一人の老教授が立ち上がった。


「……南野さん。

 私は四十年間大学で研究してきましたが……」


 彼は深く頭を下げた。


「こんな未来を見たのは初めてです。

 日本の研究は、本当に変わるかもしれない」


 芽衣は思わず胸が熱くなった。

 隣で真壁も静かに息を呑んでいる。


 結衣は、小さな微笑を浮かべた。


「共に変えましょう。

 ここから始まる未来を――大学と、私たちで」


 ――その瞬間。


 スクリーンに新たな通知が現れた。


《New Inquiry:South American Geothermal Tech Alliance

 Subject:ORC Small Unit – Large-scale Joint Demonstration Proposal》


 世界地図の南半球に、新しい青い光が灯る。


 芽衣がぽつりとつぶやく。


「……また、増えた……」


 結衣はゆっくりと立ち上がる。


「――世界が、動き始めたね」


 鬼怒川ベースの外では、ORCユニットが静かに蒸気を上げる。


 その音はまるで、“新しい時代の胎動”そのものだった。


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