表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
105/118

第104話 独立という選択

 ――鬼怒川、秋。

 

 共同研究棟の会議室で、財務担当の吉田は分厚い報告書をそっと閉じた。


「これで、十五社すべて黒字ですね」


 隣席の真壁が、つかえていた息を大きく吐き出した。


「思ったよりも早かったな」


「半年で利益を出すベンチャーなんて、普通ありえないんじゃないか?」


「でも、実現しちゃってますからね」


 吉田は疲労の滲む目元に、満足の笑みを浮かべる。発電所の排熱ライン、ファブ棟、共同購買システム――鬼怒川で積み上げた“共通土台”が、すべての数字を静かに押し上げていた。そこに、あやかの微細な最適化が数%ずつ効いてくる。気づけば、山は越えていた。


《全企業の平均営業利益率、12.4%。

 年度末時点で純利益合計38億円を見込んでいます》


 会議室に、あやかの声が静かに響く。


「……これ、もう大学ベンチャーの規模じゃないですよね」


「うん。完全に“競争力のある企業”だ」


 二人の声に、手元のコーヒーがほのかに揺れた。


 同時刻、ライトブルーHD公式チャンネル生配信。

 “女帝様”――南野結衣のアバターが画面に現れると、チャット欄が一気に色づいた。


《#なんか独立する企業出るんだって?》

《#オンドゥルルラギッタンディスカー》


 結衣は軽く微笑んだ。


『こんばんは、皆さん。

 ――今日は少し、現実的な話をしましょう。』


 その声は穏やかで、けれど芯があった。


『鬼怒川ベースで育ったベンチャーのうち、すでに数社が利益を出し始めました。

 みんな本当に、よく頑張ってくれています』


 拍手の絵文字が流れ、各社の学生起業家たちが“ありがとうございます”と短い感謝を重ねていく。


「そして、次の段階がきています。“独立するか、グループに残るか”。――どちらを選んでも構いません。どちらも正しいから」


《え、独立って公認なの?》

《女帝様、マジで自由主義》


 結衣は静かに頷いた。


「うちのグループの一員でいることの利点は、たくさんあります。

 研究施設、製造ライン、AI支援、販売網――ライトブルーHDの全リソースを“常識的な範囲内”で必要経費だけで使える。技術開発の初期段階で、法務や契約に縛られず動けるのは大きな力です。……でも、それが自由を奪う理由になってはいけない」


 短い沈黙。カメラの奥で、視線が結ばれる。


「経営が安定して、自分たちの力で世界を回せると思ったら――どうぞ、独立してください。ただし、その瞬間から“世間の経済”のルールに乗ります。特許使用料、インフラ利用料、データ共有コスト。全部、自分たちで考えていく必要があります」


 コメント欄が一瞬ざわついた。


「グループに残れば、同じ理念と基盤を持つ仲間がいます。独立すれば、自分の旗を立てられる。どちらも、いい。――“自由に選べること”こそが一番大事なんです」


***


 配信から数日後。鬼怒川のラウンジには十五社の代表が集まっていた。

 院生社長、高専上がりの若者、助教出身の技術者。場違いに見える新品のスーツが、どこか誇らしげでもある。


「……で、どうする?」


「うちはグループ残留だな。まだ製造ラインの恩恵が大きい」


「僕らは独立でいく。海外展開を見据えてるから、自立は早いほうがいい」


 議論の中心にいたのは、院生CEOの高瀬。ReHeat社は黒字転換を果たし、来期は量産フェーズに入る。


「グループに残るのが悪いわけじゃない。……でも、俺たちは一回、自分の足で立ってみたい」


 彼の言葉に、周囲が頷いた。

 “残る者”も、“出る者”も、もう対立していない。

 そこにいるのは、同じ熱量を持った仲間達だった。


 ――そのとき、壁面スクリーンに小さな通知が灯る。

 差出人は、北欧の電力会社。件名は「技術提携に関する書簡(覚書草案)」。


「……海外から、直接?」


 高瀬が思わず声を漏らすと、あやかが要点をまとめてモニターに表示した。


《内容要旨:寒冷地向け中小規模ORC導入の共同実証、初年度二十基の予備発注。法規制適合のためのデータ要件、別紙三種》


 ラウンジの空気が一段階、熱を帯びる。

 彼らの舞台が、“国内”から“世界”に変わる音がした。


 東京市場では、鬼怒川関連銘柄が軒並み上昇。

 地熱・AI・再エネベンチャーが“女帝系”として一大セクターを形成し、ニュースのテロップが動くたび、温泉街の電光掲示板に小さな歓声が生まれた。


 夜。発電所の見晴らしデッキ。

 芽衣は柵越しに、山の稜線と湯けむりに滲む夜景を見下ろしていた。その隣で、結衣が静かに微笑む。


「……本当に、巣立っていくんですね」


 芽衣の声はどこか誇らしく、そして少しだけ寂しげだった。


「育てた花が、綺麗に咲いて、外の世界に希望を持ってくれたんだろうね」


「でも、寂しそうにも聞こえます」


 結衣は短く笑い、夜空を仰いだ。


「ふふ、少しだけ。……でも、私は母鳥じゃない。

 羽ばたけるなら飛んでいっていい。――ただ、いつでも戻ってこられる場所は作っておくの」


 結衣が顎で示した先に、夜霧に浮かぶ複合棟。

 〈湯けむりコモンズ〉と刻まれた看板の下で、若い研究者たちがノートPCを開き、笑い合っている。


「戻ってきたくなったら、また共同研究でいい。“知識”を分かち合う限り、ここは彼らの居場所であり続ける」


 その言葉に芽衣は小さく頷いた。

 蒸気の立ち上る音が、まるで拍手のように響く。


 その夜遅く。あやかが結衣に静かに報告する。


《グループ残留10社、独立5社。

 初期投資回収見込み、1年3か月後。》


「あれ?想定より早いね」


《はい。社会的にも好意的な反応です。

 ただし――出資構造について、皆が気にしているようです》


 結衣は椅子の背にもたれ、目を細めた。


「当然ね。出資を受けるということは、自由を失う可能性があるもの」


《彼らへの説明資料を更新しますか?》


「ええ。“出資比率を上げすぎない”と明記して。

 私たちは、支配しない。あくまで伴走者。

 株式を握ることで経営を奪う気はない――その点は、約束として残しておきたい」


 あやかが短く応える。


《承知しました。

 ただし、もし彼らの経営が失敗した場合、私たちが引き取る可能性も――》


「あるわね」


 結衣は静かに目を閉じた。

 その横顔には、冷静さと少しの痛みが混じっていた。


「でも、それもまた現実。

 自由を与えるということは、失敗する自由も含めて背負うということ。

 成功しか許さない制度は、結局、自由じゃない」


 一方その頃。


 鬼怒川ラウンジでは、五つの独立企業の代表たちが、最後の確認をしていた。

 カップの底に映る灯りが、揺れている。


「……本当に、このまま行くのか」


 高瀬が低く呟く。

 院生時代に立ち上げたReHeat社の社長であり、独立組の中心人物だ。


 その隣で、同じく若手のエンジニア・白川が拳を握った。


「行くしかないですよ。結衣さんが“自由を選べ”って言ってくれた。

 誰かの資本で守られるだけじゃ、きっと後悔する」


「でも、怖くはないか?」


 静まり返った空間。

 やがて、高瀬は苦笑した。


「怖いさ。でもな……あの人が“全部は守れない”って言ってくれたのが救いでもあるんだ。本当に信じてくれてるって、わかったから」


 仲間たちが頷く。

 全員が同じ気持ちだった。

 成功も失敗も、自分たちの手で選びたい――その覚悟を、結衣が本気で認めてくれたのだ。


 翌朝。


 結衣はデッキに立ち、霧に包まれた発電所を見下ろしていた。

 足元には、出資契約書のファイルが一冊。

 出資比率――最大でも45%。それ以上は、どんな企業でも握らないと決めていた。


 芽衣がコーヒーを差し出す。


「……ほんとに、任せちゃうんですね。支配権、取れちゃうのに」


「うん。あの子たちの未来は、あの子たちのものだから。

 支配のために出資したら、それはもう“育成”じゃない。

 私がやってるのは――“信じる投資”よ」


 芽衣は微笑み、カップの縁を見つめた。


「……でも、それってすごく勇気のいることですね」


「ええ。でも、信じられなければ、最初から一緒にやってない。

 もし転んでも、その経験が彼らの財産になる。

 それを受け止められる場所を、ここに残しておけばいい」


 視線の先――霧の向こうで、小型ORCユニットが静かに稼働を始めていた。

 世界へ羽ばたく準備は、もう整っている。


「……芽衣ちゃん」


「はい?」


「“出資しても支配しない”――そんな時代が来てほしいよね」


 その声は穏やかで、どこか未来を見ていた。


 湯けむりの向こう、秋の空が少しだけ明るくなる。

 鬼怒川のベースから、世界へ。

 新しい資本と自由のかたちが、今まさに生まれようとしていた。


 ――そして翌朝。


 鬼怒川のゲートに、一台のバンが止まった。

 降り立ったのは、諸外国の電力会社のエンジニアたち。胸に付いたパスには、見慣れないロゴ。


「はじめまして。早速で申し訳ありませんが実機、見せていただけますか?」


 芽衣と真壁が目を見合わせる。

 結衣は一歩前に出て、穏やかに手を差し出した。


「ようこそ、鬼怒川ベースへ。――案内します」


 世界の扉が、音を立てて開き始めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ