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友達に差をつけたらいけないの?

 人に差をつけてはいけない、という言葉は、たぶんきれいだ。

 菜根タンも、そう思う。

 露骨にえこひいきするのは感じが悪いし、同じ場にいる誰かが、最初から雑に扱われるのは見ていて苦しい。

 だから「分け隔てなく」は、たしかに大事なのだろう。

 けれど、人との距離にほんとうに差がないことなんて、あるのだろうか。

 好きな子と、まだあまり話したことのない子。

 気心の知れた友達と、同じクラスの子。

 心配になる相手と、そこまで深くは踏み込まない相手。

 そういう違いまで全部なくして、「みんな同じ」が正しいのだとしたら、それはどこか不自然な気もした。

 その日の昼休み、菜根タンは教室の前の廊下で立ち止まっていた。

 少し離れたところで、クラスの女子が二人、気まずそうに話している。

「だって、菜根タンちゃんは手伝ってくれたのに、わたしの時はごめん、今日は無理だったじゃん」

 言われていたのは、菜根タンの友達の子だった。

「それは……その日ほんとに無理だったし」

「でも、あの子の時は手伝ったんでしょ?」

「それって、ちょっと差つけてない?」

 その言葉に、菜根タンは少しだけ胸がざわついた。

 言われた子の顔には、困ったような、疲れたような色が浮いていた。

 責める方も、ただ意地悪を言っているようには見えない。

 自分だけ断られた、その小さな痛みがそのまま言葉になってしまったような感じだった。

 けれど、聞いていると息が詰まる。

 差をつけてはいけない。

 でも、誰にでも同じだけの時間も気力も渡せるわけではない。

 それに、やっぱり近い相手には手を伸ばしやすいということもある。

 それは、悪いことなのだろうか。

「難しい顔してるね」

 声をかけられて振り向くと、孟子ちゃんがいた。

 菜根タンがさっきのやりとりを話すと、孟子ちゃんはすぐに眉を寄せた。

「うーん……」

 その反応が少し珍しくて、菜根タンは逆に少し安心した。

 孟子ちゃんでも、即答しにくい話なのだ。

「差をつけるのが絶対だめ、って言われると違う気がする」と、孟子ちゃんは言った。

「だって、近い人をまず大事にしたくなるのって、すごく自然だもん」

 菜根タンはうなずく。

「うん。わたしもそう思う」

「でも、自然って言葉だけで済ませると、今度は雑になる気もする」

「そうなんだよね」

 孟子ちゃんは腕を組んだ。

「身近な人を大事にするのは、たぶん悪いことじゃない」

「でも、それで他の人を傷つけていいかっていうと、そこは違うし」

 そこで、少し低めの、落ち着いた声が入った。

「自然だけで済ませるから、だいたい揉めるのよ」

 墨子ちゃんだった。

 大きな声ではないのに、言葉に無駄がなくて、聞いた瞬間に「あ、この話の組み立て役が来た」と思わせる。

「墨子ちゃんだ」と、孟子ちゃんが言う。

「墨子でいいわよ」と、本人はいつものようにさらっと返した。

 菜根タンが事情を話すと、墨子ちゃんは少しだけ考えてから言った。

「友達に差をつけるな、って言葉そのものは、たぶん乱暴ね」

「差は出るもの。人間だもの」

「だよね?」と孟子ちゃん。

「でも」と、墨子ちゃんは続ける。

「差が出るのは自然と、だからそのままでいいは別よ」

 菜根タンはその言い方を頭の中で繰り返した。

 差が出るのは自然。

 だからそのままでいい、とは限らない。

 その少しの違いが、話の芯のように思えた。

「墨子ちゃんは、どう思うの?」

 菜根タンが尋ねると、墨子ちゃんは答えた。

「私は、近い人を大事にしたい気持ちは否定しない」

「でも、それをそのまま人間関係のルールにすると、弱い人から取りこぼれると思ってる」

 その言い方は、墨子ちゃんらしかった。

 感情の美しさより、そこで誰が困るかを見る。

「たとえば、仲のいい子だけ助けて、そうでもない子にはごめんねで済ませる」

「それをみんながやったら、最後にしんどいのは、いつもあまり好かれてない側でしょ」

 孟子ちゃんが少し黙った。

「……それは、そうかも」

「でしょ」

「だから私は、差が出るのは仕方ないをそのまま正義にはしない」

「気持ちに差があるのと、行動まで露骨に差をつけるのは、別問題」

 菜根タンはその言葉に、廊下でのやりとりを思い返した。

 たぶん、責めていた子が痛かったのは、断られたことそのものだけではない。

 「わたしにはその程度なんだ」と、見えてしまったことが痛かったのだ。

「でも」と、孟子ちゃんが言った。

「やっぱり近い人をまず助けたいって気持ちは、私は大事にしたいな」

「誰にでも同じ顔するのって、きれいだけど、ちょっと嘘っぽくなる時もある」

 墨子ちゃんはうなずいた。

「そこは私も分かる」

「兼愛って、別に好き嫌いを消せって話じゃないと思ってるし」

「ただ、好きな人にだけ全部渡すと、全体が崩れるの」

 菜根タンは少し意外だった。

「兼愛って、もっとこう……ほんとにみんな同じに愛しなさい、みたいな感じかと思ってた」

「雑に言えばそうなるけど、私はそこまで空想的じゃない」

 墨子ちゃんは淡々としている。

「人には近い遠いがある。気持ちに濃淡があるのも自然」

「でも、だからこそ自分の気持ちの自然さだけに任せると偏る」

「偏ると、困る人が出る。だったら意識して均す必要がある」

「そういう話よ」

 なるほど、と思った。

 ただの綺麗事ではない。

 感情に差があること自体を否定しているのではなく、その差がそのまま行動の露骨な偏りになることを問題にしているのだ。

「……難しいね」

 菜根タンがそう言うと、墨子ちゃんは少しだけ笑った。

「難しいわよ」

「でも、こういうのって好きだからしょうがないで済ませると、だいたい同じ人が損するの」

 その時、少し離れたところで、さっきの二人の話し声がまた聞こえた。

「べつに責めたいわけじゃないんだけど」

「……でも、そう見えたならごめん」

 ぎこちないけれど、言葉を交わそうとしている感じがあった。

 菜根タンは、その様子を見ながら思った。

 差をつけるな、というのは、たぶん無理だ。

 人の心には濃淡がある。

 近い人と、そうでない人がいる。

 それ自体は消せない。

 でも、その濃淡をそのまま他人に見せつけるのは、きっと少し雑なのだ。

「……わたし」

 菜根タンはゆっくり口を開いた。

「友達に差があること自体は、たぶん悪くない」

「でも、その差をだから当然でしょって顔で出すと、痛いんだね」

 孟子ちゃんがうなずく。

「うん。近い人を大事にするのは自然だよ」

「でも、それで遠い人を雑にしていいわけじゃないと思う」

 墨子ちゃんも続ける。

「そういうこと」

「気持ちに差があるのと、扱いに露骨な段差をつけるのは別よ」

 菜根タンはノートを開いた。

 新しいページに、少し迷ってから書く。

 人の気持ちに濃淡があるのは、たぶん自然。

 その下に、もう一行。

 でも、その濃淡をそのまま人にぶつけると、たいてい誰かが痛む。

 書いてから、その文字を見つめる。

 均等に好きにはなれない。

 でも、不均等だからといって、雑でいいわけでもない。

 人間の自然さと、そこから一歩手前で止まる理性。

 たぶん必要なのは、その両方なのだろう。

「……差をなくすんじゃなくて」

「差があっても、雑にしないことの方が大事なのかも」

 菜根タンがそう言うと、墨子ちゃんは静かにうなずいた。

「いいと思う」

「感情そのものより、その感情をどう扱うかの方が、たぶん大事」

 孟子ちゃんは少しだけ笑う。

「なんか、墨子ちゃんっぽいまとめだね」

「あなたの自然でしょよりは役に立つわ」

「えーっ、感じ悪い!」

 そのやりとりに、菜根タンは少しだけ笑った。

 人に差をつけてはいけない。

 その言葉はきれいだけれど、そのままだと少し固い。

 ほんとうはたぶん、差があることより、

 差があるのを言い訳にして人を雑にすることの方が、ずっと痛いのだ。

 ノートの下へ、さらに一行書き足す。

 好きな人を大事にするのは自然。

 でも、そうじゃない人まで軽くしていい理由にはならない。

 書き終えたところで、風が廊下を抜けた。

 廊下の向こうでは、さっきの二人がまだ少しぎこちなく話している。

 きれいに解決したわけではない。

 でも、少なくとも黙って終わるよりは、少しだけましな形に向かっているように見えた。

 菜根タンはノートを閉じた。

 人の心に差があることを、なくすことはできない。

 でも、その差をそのまま正義みたいに振りかざさないことなら、たぶんできる。

 それは少し地味で、でも人と一緒にいるためには、たぶんとても必要なことだった。

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