中立でいるのって、ほんとうに賢いの?
争いごとは、できれば避けたい。
菜根タンは、たぶんそういう方だと思う。
どちらかに強く肩入れすると、反対側とは気まずくなる。
はっきり味方をすれば、別の誰かには嫌な顔をされる。
だったら、少し離れて見ていた方が、無難なのかもしれない。
そう思うことは、たぶん珍しくない。
でも時々、その“どちらにも立たない”が、賢さではなく、ただの曖昧さに見えることもある。
その日の昼休みも、菜根タンは少しもやもやしていた。
クラスで意見が分かれた。
文化祭の展示について、かなり真面目に準備したい派と、どうせなら楽な方でいい派に割れたのだ。
菜根タンは、正直に言えば前者の気持ちの方が分かった。
でも、そこでそちらに立つと、楽な方でいいと言っている子たちとは空気が悪くなる気がした。
だから、はっきりは言わなかった。
どっちにも強くうなずかず、曖昧に笑って、その場をやりすごした。
結果として、話は声の大きい方へ流れた。
準備をちゃんとしたかった子たちは少し不満そうで、
楽な方でいいと言っていた子たちは、なんとなく菜根タンも自分たち側だと思ったらしい。
でも、菜根タンの中には、どこにも立っていないような、妙な居心地の悪さだけが残った。
「……あれって、賢かったのかな」
放課後、菜根タンは部室でぽつりと言った。
「何が?」と論子ちゃん。
「はっきりどっちかにつかなかったこと」
「争いたくなかったし、空気悪くしたくなかったから」
「でも、なんか……終わったあと、すごく半端な感じがして」
論子ちゃんは少しだけ考えた。
「中立でいたかったんだね」
「うん」
菜根タンは素直にうなずく。
「どっちも嫌いってわけじゃないし」
「むしろ、ちゃんとしたい子の気持ちも分かるし、揉めたくない気持ちも分かるし」
孟子ちゃんが、すぐに言った。
「でも、それって逃げじゃない?」
かなり真っすぐだった。
菜根タンは少しだけ肩をすくめる。
「そう言われると、ちょっと痛い」
「だって、正しいと思う方があるなら、ちゃんと言った方がよくない?」
「どっちにもいい顔してたら、結局なにも守れないじゃん」
その言い方はきつい。
でも、少し図星でもあった。
「ただね」と論子ちゃんがやわらかく入る。
「中立でいたい気持ちが、全部悪いわけでもないと思うんだ」
「すぐに敵味方で切るより、少し距離をとって見る方がいい時もあるし」
その言葉に、菜根タンは少し救われた。
そうだ。
中立って、必ずしも逃げだけじゃない。
落ち着いて見るための位置でもあるはずだ。
「そうね」と、上品な声がした。
マキャベリちゃんだった。
今日もやわらかい声で、でも答えはあまりやわらかくなさそうな顔をしている。
「中立それ自体が愚かだとは言わないわ」
「でも、“中立だから賢い”と思うのは、少し危ないの」
菜根タンは顔を上げた。
「危ない?」
「ええ」
マキャベリちゃんは静かに椅子へ腰かけた。
「どちらにも立たないことは、一見すると安全そうに見えるわ」
「でも実際には、どちらからも深く信用されない位置に落ちることがあるの」
その言葉は、妙に胸に残った。
たしかに今日、菜根タンはどちらの側にも立たなかった。
でもその結果、ちゃんとしたい子たちから見れば頼りなく、楽な方に流れたい子たちから見れば都合よく扱える存在になっていた気もする。
「誰にも嫌われたくなくて曖昧に立つ人間は、だいたい誰からも深く信じられないの」
マキャベリちゃんは続ける。
「中立って、時には立場を保つ知恵になる」
「でも時には、“責任を引き受けません”という宣言にも見えるのよ」
その言い方は、かなり痛かった。
「でもさ」と菜根タン。
「すぐどっちかにつくのも、なんか乱暴な気がするんだよね」
「ほんとはまだ決めきれない時もあるし」
「それはその通りよ」と論子ちゃん。
「考える時間が必要な時もあるし、軽々しく味方を決めない方がいいこともある」
「だから、“すぐ立場を決めない”と“いつまでも立場を取らない”は分けた方がいいかもね」
「うん、それ」と菜根タン。
「今日のわたし、考えるために止まってたんじゃなくて、嫌な空気を避けたくて止まってた感じがする」
「なら、それは知恵というより保身ね」
マキャベリちゃんがさらりと言った。
「うっ……」
「でも、大事なのはそこを見分けることよ」
「何を守るための中立なのか。
ただ無難でいたいだけなのか。
それとも、本当に判断を急ぐべきでない場面なのか」
「そこを曖昧にすると、中立はすぐに小ささへ落ちるわ」
その時、管子ちゃん先輩が静かに言った。
「中立が賢いかどうかは、その後に何を守れたかで決まるわね」
その一言で、話が少し“運営”の方へ寄る。
「どっちにも立たなかったことで、場が落ち着いたのか」
「それとも、声の大きい方に流れただけなのか」
「まじめな側が損をしていないか」
「そこを見れば、中立が賢かったかどうかは分かるわ」
菜根タンは、はっとした。
そうだ。
中立でいたこと自体より、その結果どうなったかを見るべきなのだ。
今日の中立は、場を整えなかった。
むしろ、ちゃんとやりたかった子たちの不満を黙らせて、流れやすい方へ流しただけだった。
「……それって、賢くないね」
「少なくとも、上手くはいってないわね」と管子ちゃん先輩。
「立場を決めないことで、結局いちばん押し返しにくい側が押し切られるなら、それは中立ではなく放置よ」
孟子ちゃんが勢いよく言う。
「だから、ちゃんと立たなきゃだめなんだよ!」
「立つべき時は、ね」と論子ちゃん。
「でも、何でもかんでも“すぐ白黒”にすると、それはそれで乱暴になるよ」
菜根タンは、その間で少し考えた。
中立は悪。
そう言い切るのも違う。
でも、中立がいつでも賢い、も違う。
「じゃあ」
菜根タンはゆっくり言う。
「中立って、“責任を持って保つもの”なら賢いけど」
「“嫌な思いをしたくないから逃げる場所”になると、だめなのかな」
マキャベリちゃんが小さく笑った。
「かなりいいところまで来たわね」
「そう。中立は、覚悟のある保留なら価値がある」
「でも、嫌われたくない気持ちに寄りかかっただけの中立は、たいてい誰かを見捨てるの」
その言葉は、かなり鋭かった。
でも、今日の自分には必要だった気もした。
菜根タンはノートを開く。
白いページに、少し迷ってから書いた。
中立でいることが、いつでも賢いわけじゃない。
さらに一行。
何を守るための中立なのか。
それを自分で分かっていないなら、ただの曖昧さかもしれない。
文字を見つめながら、胸の中のもやもやが少しずつ整理されていく。
争いたくない。
それは本当。
でも、争いたくないから何も言わないことで、別の誰かが損をするなら、それは少し違う。
「立場を取るって、怖いね」と菜根タン。
「怖いわよ」とマキャベリちゃん。
「でも、上に立つ人間も、何かを守りたい人間も、その怖さをずっと避けてはいられないの」
「理想だけじゃなくて、現実も見る」
「でも現実だけ見て、何も引き受けないのも違う」
論子ちゃんが静かに言う。
「中立って、その間にある難しい場所なのかもね」
管子ちゃん先輩も最後に言った。
「立場を決めないことが有利な時もあるわ」
「でも、それで場が回らないなら意味がない」
「賢さって、無難でいることじゃなくて、より損の少ない形を見抜くことでしょう?」
その言い方は、すごく管子ちゃん先輩らしかった。
菜根タンは、ノートの下に最後の一行を書き足した。
中立でいることより、
何を守るためにそこへ立つのかを、自分で分かっている方が大事なのかもしれない。
窓の外は、夕方の光で少しやわらかくなっていた。
中立でいるのって、ほんとうに賢いのだろうか。
たぶん、そういう時もある。
でも、それだけで賢いとは言えない。
嫌な思いを避けたいだけなのか。
まだ決めるべきでないから止まっているのか。
何かを守るために、あえて急がないのか。
そこを見分けずに“中立だから賢い”と思った瞬間、
たぶんそれは、少しだけ自分に都合のいい言い訳になる。
だから大事なのは、
立つか、立たないか、その形そのものよりも、
何を守るためにそこを選んでいるのか、なのかもしれなかった。




