みんなに嫌われたくない人は、上に立たない方がいいの?
嫌われたくない、という気持ちはたぶん普通です。
むしろ、誰に何を思われても平気な人の方が少し怖いかもしれません。
でも、上に立つとなると、誰かに嫌な顔をされる判断を引き受けなければいけない時もある。
その時に、嫌われたくない気持ちだけで線を引けなくなると、場は少しずつ壊れていくのかもしれません。
今回はマキャベリちゃんが少し厳しく、管子ちゃん先輩が少し現実的に切り込みます。
嫌われたくない、という気持ちは、たぶんそんなに悪いものじゃない。
菜根タンはそう思う。
できれば、感じよくいたい。
できれば、怒られたくないし、怒らせたくない。
できれば、苦手な人を作りたくない。
できれば、できるだけ穏やかにやっていきたい。
それは、別に卑怯な願いではないと思っていた。
でも時々、その“嫌われたくない”が、少しずつ場を壊していくことがある。
その日の放課後、菜根タンは部室に入るなり、ため息をついた。
「なんか、今日は疲れた……」
「珍しいね」と論子ちゃん。
「かなり顔に出てるよ」
菜根タンは椅子に座りながら、昼休みのことを思い返した。
クラスで、提出物の確認をする係がいた。
その子は感じがよくて、誰に対してもやわらかかった。
でも、遅れている人に強く言えない。
忘れている人に催促しきれない。
理由をつけて逃げる人にも、苦笑いで終わらせてしまう。
その結果、ちゃんとしている人たちが先に動いて、最後はそのへんを菜根タンみたいな“気づいた人”が埋めることになる。
「その子、悪い子じゃないんだよ」
菜根タンは少し迷いながら言う。
「むしろ、感じはいいし、ちゃんとしようとはしてると思う」
「でも、誰にも嫌なことを言えないから、結局まじめな人ばっかりしんどくなる感じで」
孟子ちゃんがすぐに顔をしかめた。
「それ、だめじゃん!」
「うん、だめなんだけど……」
菜根タンは机の上で指を組んだ。
「でも、その子もたぶん、嫌われたくないだけなんだよね」
「そう思うと、責めきれないっていうか」
「責めるかどうかと、向いてるかどうかは別だよね」
論子ちゃんは静かに言った。
その言葉に、菜根タンは少し顔を上げた。
責めるかどうか。
向いてるかどうか。
たしかに、それは別かもしれない。
「上に立つなら、嫌な役もあるものね」と論子ちゃんは続ける。
「やわらかく言う工夫はできても、言わなきゃいけない時はあるし」
孟子ちゃんは腕を組んで、むっとしたまま言う。
「でも、嫌われたくない気持ちって普通じゃん」
「そんなので“向いてない”って言われたら、ちょっとかわいそう」
「普通よ」
やわらかい声が、そこへ入った。
マキャベリちゃんだった。
今日も笑顔はきれいなのに、言葉だけが最初から芯を刺してくる。
「嫌われたくないなんて、当たり前の感情だわ」
「むしろ、それがない人間の方が少し危ないかもしれないわね」
「じゃあ、別にいいじゃん!」と孟子ちゃん。
「いいえ」とマキャベリちゃん。
「そこから先が問題なの」
部室の空気が少し静かになる。
「嫌われたくない。
それは自然よ」
「でも、上に立つ人間は時々、嫌われるかもしれない判断を引き受けなきゃいけないの」
「そこから逃げ続けるなら、上に立つ資格は少し怪しいわね」
その言い方は冷たい。
でも、菜根タンには思い当たるところがあった。
誰にも嫌なことを言わない。
誰も不快にさせない。
それは一見やさしい。
でも、その“やさしさ”の代金を、別の誰かが払っているならどうなのだろう。
「……じゃあ」
菜根タンはゆっくり言う。
「みんなに嫌われたくない人は、上に立たない方がいいの?」
その問いに、マキャベリちゃんは少しだけ考えてから答えた。
「そこまで単純じゃないわ」
「嫌われたくない気持ちがあること自体は問題じゃないの」
「問題は、その気持ちのせいで、必要な線引きまで捨てることよ」
論子ちゃんがうなずく。
「うん。
やさしくありたい、感じよくいたい、って気持ちは大事だと思う」
「でも、誰かに嫌な思いをさせないことばかり考えて、結果として別の誰かにずっと我慢させるなら、やっぱり変だよね」
その時、管子ちゃん先輩が静かに口を開いた。
「上に立つ人がまず考えるべきなのは、好かれることじゃないわ」
その一言で、部室の空気がすっと変わる。
“気持ち”の話から、“運営”の話へ移る感じがあった。
「まず考えるべきなのは、回ることよ」
「誰が何を抱えているか。
負担が偏っていないか。
曖昧さのせいで、いつも同じ人が埋めていないか」
「そこを整えるのが上の役目なの」
「でも、それって、嫌われることもあるよね」と菜根タン。
「あるわ」と管子ちゃん先輩ははっきり言った。
「でも、だからといって避けていたら、結局いちばん誠実な人から潰れるのよ」
その言葉は、かなり真っすぐ胸に入った。
嫌われるのが怖い。
だから何も言わない。
だから空気に流す。
だからまじめな人が埋める。
そう考えると、“嫌われたくない”は、ただのやさしさではなくなる。
孟子ちゃんが少し不服そうに言う。
「でも、怖いリーダーはいやだよ」
「みんながビクビクしてるの、ぜんぜん良くないじゃん」
「ええ、怖いだけの人間は三流ね」
マキャベリちゃんはあっさり言った。
「本音が消えるもの」
「表では従っても、下では腐るわ」
「じゃあ、どうすればいいの」と菜根タン。
マキャベリちゃんは静かに言った。
「慕われることは理想よ」
「でも、慕われたいばかりで判断を鈍らせるのは危ういの」
「少なくとも、“押せば引く人間ではない”と思わせる線は要るわ」
論子ちゃんも続ける。
「やさしいことと、曖昧なことは違うんだよね」
「ちゃんと聞くことは大事。
でも、最後に決める時は決めないといけない」
菜根タンは、その言葉を胸の中で繰り返した。
やさしいことと、曖昧なことは違う。
嫌われたくないことと、礼を尽くすことも違うのかもしれない。
「……なんか」
菜根タンは少しだけ苦笑した。
「嫌われたくないって、やさしい気持ちみたいに見えるけど」
「場合によっては、責任から逃げる理由にもなるんだね」
「そうね」とマキャベリちゃん。
「しかも厄介なのは、本人が“やさしい自分”だと思っていることよ」
「でも、必要な時に嫌な役を引き受けない人間は、上に立つなら少し危ういわ」
「上に立つって、得することじゃなくて、嫌な役も引き受けることなんだね」
菜根タンはぽつりと言った。
「その通りよ」と管子ちゃん先輩。
「上の人間は、好かれることより先に、場が壊れない責任を持つの」
「そのために、時には不満を買うこともある」
「でも、それを避け続けるなら、役目の半分を捨てているのと同じだわ」
孟子ちゃんは、少し考え込んでから言った。
「……じゃあ、嫌われたくない気持ちがある人でも」
「ちゃんと必要な時に言えるなら、大丈夫なのかな」
「ええ」と論子ちゃん。
「むしろ、その方が自然だと思う」
「嫌だな、怖いな、って思いながらも、それでも言うべきことを言う」
「その方が、人としてはちゃんとしてるかも」
マキャベリちゃんも珍しくやわらかく言った。
「嫌われることを平気で楽しむ人間は、あまり信用しない方がいいわ」
「でも、嫌われるのが怖いからって、何も決められない人間も危ういの」
「要するに、怖さごと引き受けられるかどうかよ」
その言葉は、かなり腑に落ちた。
嫌われたくない。
それは普通。
でも、上に立つなら、その普通の感情を抱えたままでも、決める時は決めなきゃいけない。
ノートを開く。
白いページに、少し迷ってから書く。
嫌われたくない気持ちがあること自体は、悪くない。
その下に、もう一行。
でも、その気持ちのせいで必要な線引きまで捨てるなら、
上に立つには少し危ういのかもしれない。
文字を見つめながら、昼休みの先輩の顔を思い出す。
あの人に足りなかったのは、やさしさではなかった。
やさしさを支える覚悟だったのかもしれない。
「……上に立つって、ちょっと損だね」
菜根タンは思わず言った。
「損よ」と管子ちゃん先輩は即答した。
「でも、そういう損を引き受ける代わりに、場を整える力が与えられるの」
「きれいなだけの役じゃないの」とマキャベリちゃん。
「倒れないことも、壊さないことも、責任だもの」
菜根タンは、ノートの下に最後の一行を書き足した。
上に立つ人は、好かれることより先に、
嫌な役を引き受ける覚悟がいるのかもしれない。
窓の外は、もう夕方の色をしていた。
みんなに嫌われたくない人は、上に立たない方がいいのだろうか。
たぶん、そこまで単純ではない。
嫌われたくない気持ちは、きっと誰にでもある。
でも、上に立つなら、
その気持ちを持ったままでも、必要な時に線を引くこと。
誰かに嫌な顔をされても、場が壊れない方を選ぶこと。
それを逃げずに引き受けること。
そういう覚悟がないなら、
やさしいだけでは、たぶん足りないのだろう。
嫌われたくない、という気持ちは悪いものではないと思います。
ただ、その気持ちのせいで必要な判断まで避けてしまうと、結局いちばんまじめな人から疲れていくこともあります。
上に立つというのは、きれいなだけの役ではない。
そんな少し苦い話になっていたらうれしいです。




