誠実でいるだけでは足りないの?
誠実であることは、たぶん大事です。
約束を守ること、ごまかさないこと、相手をだまさないこと。
そういうものは、やっぱり人としてきれいに見えます。
でも、相手が不誠実な時まで、こちらだけ誠実でいればいいのか。
そのままでは、自分ばかりが削れてしまうこともあるのかもしれません。
今回はマキャベリちゃんが少し厳しく、管子ちゃん先輩が少し実務的に切り込みます。
誠実であることは、大事だと思う。
菜根タンは、そう思っている。
約束を守ること。
ごまかさないこと。
思ってもいないことを言わないこと。
相手をだまさないこと。
そういうのは、人としてちゃんとしている感じがする。
少なくとも、菜根タンはそういう人でいたいと思っていた。
でも時々、その“ちゃんとしていたい”が、そのまま弱さになることもある。
言わなくていいことまで正直に言ってしまう。
相手がごまかしているのに、自分だけ律儀に守ってしまう。
約束を破らないようにして、自分ばかりしんどくなる。
そういう時、誠実って何だろう、と思ってしまう。
その日の放課後も、菜根タンは少し苦い顔をしていた。
クラスで分担していた作業があった。
本当は、ある子も自分の担当をやるはずだった。
でもその子は、直前になって曖昧な言い方で逃げた。
「ごめん、ちょっと立て込んでて」
「また今度ちゃんとやるから」
その“また今度”が、たぶん来ないことも菜根タンには分かっていた。
でも、分かっていても強くは言えなかった。
代わりに動けば、その場は回る。
約束を守らない人に腹は立つ。
でも、ここで自分まで投げたら、もっとぐちゃぐちゃになる気もした。
結局、菜根タンがやった。
終わったあと、その子は笑って言った。
「菜根タンってほんと真面目だよね。助かった」
褒められているようで、少し違う気もした。
助かったのは、たぶん向こうだけだ。
部室に入って、その話をすると、孟子ちゃんがすぐ言った。
「それ、ひどいじゃん!」
いつも通り反応が早い。
「うん、ひどいとは思うんだけど……」
菜根タンは少し迷いながら言う。
「でも、じゃあ自分もやらない、ってしたら、結局困る人が増えるし」
「誠実でいたいって思うと、投げきれないんだよね」
論子ちゃんは静かにうなずいた。
「分かるよ。
ちゃんとしたい人ほど、そういうので抱え込みやすいんだよね」
「でも、それって相手の思うつぼじゃん!」と孟子ちゃん。
「誠実って、損するためにあるんじゃないよ!」
その言葉は熱かった。
でも、菜根タンにはまだ少し整理がつかなかった。
誠実でいたい。
でも、誠実でいるほど損をする。
だったら、誠実って何のためにあるのだろう。
「誠実は美しいわ」
やわらかい声が入った。
マキャベリちゃんだった。
今日も上品で、落ち着いていて、でも言葉の先端だけが冷たい。
「まずそこは否定しないの」
「誠実でありたいと思うのは、美しいことよ」
菜根タンは少しだけほっとした。
この子は、きれいごとを笑うだけの人じゃない。
そこが、怖いのにちゃんと聞いてしまう理由でもあった。
「でも」とマキャベリちゃんは続ける。
「誠実でいるだけで足りるかと聞かれたら、足りないこともあるわ」
部室が少し静かになる。
「相手が誠実であることを前提にした誠実さは、美しいけれど脆いの」
「相手が平気で曖昧にし、平気で逃げ、平気でこちらの善意を使うなら、こちらだけ律儀でいるのは、少し無防備すぎるわね」
菜根タンは、その“無防備”という言葉に引っかかった。
誠実。
真面目。
ちゃんとしている。
そう思っていたものが、無防備。
それは少し苦い言い換えだった。
「じゃあ、誠実って意味ないの?」と孟子ちゃんが食い気味に聞く。
「そうは言ってないわ」
マキャベリちゃんは落ち着いて返した。
「誠実を捨てろとは言わないの。
誠実の守り方を考えろ、って言ってるのよ」
「守り方?」
菜根タンが聞き返すと、マキャベリちゃんは指を軽く組んだ。
「たとえば、全部を一人で背負わないこと」
「たとえば、曖昧な約束のまま引き受けないこと」
「たとえば、“今回はやるけど次は別”と線を引くこと」
「誠実って、自分を差し出し続けることじゃないの」
その言葉は、かなりしっくり来た。
菜根タンは、誠実であることを、どこか“自分が我慢すること”と結びつけていたかもしれない。
でも本当は違うのかもしれない。
誠実であることと、境界線を持たないことは、同じではない。
その時、管子ちゃん先輩が静かに言った。
「善意も誠実も、それだけで回してはいけないのよ」
その一言で、話の角度がまた少し変わる。
「一人の真面目さに寄りかかる形って、見た目はきれいでも、組み方としてはよくないわ」
「だって、その人が疲れた途端に全部止まるでしょう?」
「それは美徳じゃなくて、仕組みの怠慢よ」
菜根タンは小さく息をのんだ。
仕組みの怠慢。
たしかにそうかもしれない。
“菜根タンがやってくれるから”で回っているなら、それはもう誠実の問題ではなく、場の作りの問題だ。
「うん」と論子ちゃんも続ける。
「誠実って、本当は関係をちゃんと保つためのものでもあると思うんだ」
「片方だけがずっと守って、もう片方だけがずっと甘えてるなら、それはもう関係として歪んでるよね」
孟子ちゃんはまだ少し怒っていた。
「だったら、ちゃんと怒っていいじゃん!」
「ええ、怒っていいのよ」とマキャベリちゃん。
「むしろ、怒るべき時に怒らず、黙って支えることで相手の不誠実を育てることもあるわ」
「それ、ちょっと痛いね……」と菜根タン。
「痛いでしょうね」
マキャベリちゃんは微笑む。
「でも、誠実な人ほどそこを見誤りやすいの」
「自分が守ることで場を助けているつもりでも、結果として“不誠実でも何とかなる形”を作ってしまうことがあるから」
その言葉は、かなり刺さった。
助けているつもり。
でも、同時に悪い流れを温存している。
それは、あまり認めたくない話だった。
でも、思い当たるところがないわけでもなかった。
「じゃあ、どうすればいいのかな」
菜根タンがそう言うと、管子ちゃん先輩がはっきり答える。
「まず、曖昧にしないことよ」
「誰が何をやるのか、どこまでが自分の役目かを見える形にする」
「次に、無理を一人で埋めないこと」
「そして、“助ける”と“背負い続ける”を分けることね」
かなり実務的だった。
でも、それが今の菜根タンにはありがたかった。
孟子ちゃんも、少し考えてから言う。
「……誠実って、何でも許すことじゃないんだね」
「そうだね」と論子ちゃん。
「むしろ、ちゃんとした関係を続けるために、曖昧にしないことも誠実かもしれない」
菜根タンは、その言葉にゆっくりうなずいた。
誠実でいる。
でも、全部を抱えない。
相手を信じたい。
でも、信じることと無制限に受け入れることは違う。
ノートを開く。
少し迷ってから書く。
誠実であることは大事。
でも、誠実であるだけでは、守れないものもある。
その下に、さらに一行。
誠実は、自分を差し出し続けることじゃない。
関係が壊れないように、線を引くことも誠実なのかもしれない。
その文字を見ながら、菜根タンは少しだけ肩の力が抜けた。
誠実でいたい。
その気持ちは、たぶん捨てなくていい。
でも、それで自分ばかりが削れていくなら、たぶんやり方を見直した方がいい。
誠実を守るためにも、守り方がいる。
「菜根タン」
マキャベリちゃんが静かに言う。
「誠実でいたいなら、誠実が利用される形を放っておかないことね」
「それは誠実を捨てることじゃなくて、誠実を安売りしないってことよ」
その言葉は、かなり好きだった。
冷たいのに、なぜかすごく筋が通っていた。
菜根タンは、ノートの最後にもう一行書き足した。
誠実は大事。
だからこそ、雑に使わせてはいけないのかもしれない。
窓の外は、夕方の光が少しずつやわらかくなっていた。
誠実でいるだけでは足りないのだろうか。
たぶん、足りないこともある。
でも、それは誠実が無意味だということではない。
誠実でいたいなら、
誠実を食いものにされない形を考えること。
自分ばかりが削れないようにすること。
曖昧さのまま抱え込まないこと。
そうやって初めて、誠実はただ苦しいだけのものじゃなく、
ほんとうに守りたいものを守る力になるのかもしれなかった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
誠実であることは、やっぱり大切だと思います。
ただ、その誠実さが利用される形を放っておくと、きれいごとでは済まなくなることもあります。
誠実を捨てるのではなく、誠実を安売りしない。
そんな少し苦い見方が残る回になっていたらうれしいです。




