正直って、なんでも言えばいいの?
正直でいることは、たぶんいいことだ。
菜根タンは、そう思っている。
嘘を重ねるより、本当のことを言う方がいい。
ごまかして取りつくろうより、きちんと気持ちを出した方がましな時も多い。
少なくとも、正直という言葉は、いつも少しだけ明るい顔をしている。
でも時々、その明るさがそのまま人を刺すこともある。
その日の放課後、教室では文化祭のポスター案を見せ合っていた。
色づかいのうまい子、字の綺麗な子、勢いだけはある子。
いくつか並んだ案の中に、一枚だけ、少しだけ不器用な絵が混じっていた。
悪くはない。
でも、上手いとも言いにくい。
たぶん本人も、それをどこかで分かっている。
「どうかな?」
描いた本人がそう聞いた時、場に少しだけ間ができた。
そのあと、別の子が言った。
「正直に言うね。ちょっとださいかも」
空気が、ほんの少しだけ固くなった。
言われた子は一瞬だけ笑った。
でもその笑顔が、うまく顔に乗り切っていないのを、菜根タンは見てしまった。
「あー、やっぱり?」
「うーん、まあ、そうだよね」
口では軽く返していたけれど、声の奥が少しだけ沈んでいた。
正直に言うね。
その前置きがあれば、刺さることを言ってもいいのだろうか。
それとも、言いにくいことを隠さない方が、結局はやさしいのだろうか。
菜根タンには、すぐに分からなかった。
帰り道になっても、その場面がなんとなく残っていた。
嘘をつくのも違う。
でも、正直ならなんでもいいとも思えない。
そのあいだのどこかに、たぶん難しい線がある。
「今日は、言葉に引っかかった顔してるね」
声がして顔を上げると、論子ちゃんがいた。
菜根タンは少しだけ苦笑した。
「そんなに顔に出る?」
「今日はわりと出てる」
論子ちゃんはベンチの隣に腰を下ろす。
菜根タンは、さっき教室であったことを話した。
ポスターのこと。
正直に言うねの前置き。
言われた子の笑い方が少しだけ無理をしていたこと。
「……正直って、いいことのはずなのに」
「なんか、ああいうの見ると少し分からなくなる」
論子ちゃんは、すぐには答えなかった。
少しだけ考えてから、ゆっくり言う。
「正直って、たしかに大事だと思うよ」
「でも、本当のことを言ったとちゃんと伝えたは、同じじゃないんだと思う」
菜根タンはその言葉を繰り返す。
「同じじゃない」
「うん」
「正直って、自分の中にあるものをそのまま投げることじゃなくて」
「相手に届く形まで考えることも、たぶん含まれてる」
その言い方は、論子ちゃんらしかった。
ただ本音を隠せと言うのではなく、礼の中で本音をどう置くかを考える。
「じゃあ、ださいかもって思ったとしても、言わない方がいいのかな」
菜根タンがそう聞くと、論子ちゃんは首を横に振った。
「そういう単純な話でもないと思う」
「相手が本当に感想を聞いているなら、全部いいねで済ませるのも不親切だよね」
「うん」
「ただ、それを言って相手がどう受け取るかをまるごと無視して、私は正直だからって顔をするのは、少し違うかな」
その時、気だるい声が入った。
「でも、思ってもいないこと言う方が感じ悪い時もあるわよ」
楊子ちゃんだった。
菜根タンが事情を話すと、楊子ちゃんはすぐに肩をすくめた。
「正直に言うねの前置きは、たしかにだいぶ雑だけど」
「だからって、毎回いいねかわいいねで薄く塗るのも、私は好きじゃない」
論子ちゃんは少しだけ笑う。
「そこは分かるよ」
「でしょ」
「本音があるのに、相手を傷つけたくないからって、全部飲み込んでると、今度は変な顔で褒めることになるし」
菜根タンは、その言い方に少しだけ納得した。
たしかに、心にもないことを何枚も重ねた言葉は、別の意味で人を軽く扱う感じがある。
「じゃあ、やっぱり正直に言った方がいいのかな」
「正直でいいわよ」と楊子ちゃん。
「ただ、私は正直だからを免罪符にして、言い方を考えないのはただの雑」
その言い方は、楊子ちゃんにしてはかなり真ん中だった。
「本音って、言えばいいわけじゃないの」
「どこまで言うか、どう言うか、それを考えずにだって本当だしで済ませるのが、一番子どもっぽい」
そこへ、ぱたぱたと足音が近づいてきた。
「なに話してるの?」
孟子ちゃんだった。
菜根タンが事情を話すと、孟子ちゃんはすぐに顔をしかめる。
「ださいかもは、ちょっとそのまますぎるかも」
「正直なのはいいけど、もっと言い方あるよね」
「たとえば?」と楊子ちゃん。
「えっと……」
孟子ちゃんは少し考える。
「色は好きだけど、もう少し目立つ感じの方が文化祭っぽいかもとか?」
「そのまま切るより、どこを直したらいいか言った方がいいと思う」
論子ちゃんがやわらかくうなずく。
「うん、それはいいかも」
「正直であることと、相手をただ傷つけることは、同じじゃないから」
菜根タンはその言葉を聞きながら、少しずつ整理されていくのを感じた。
正直であることは大事だ。
でも、その正直が、自分の言いたいことをそのまま投げるだけなら、たぶん半分足りない。
相手が聞いていること。
相手が受け取れる形。
言ったあとに、何が残るか。
そこまで考えて、ようやくちゃんとした正直さになるのかもしれない。
「……正直って」
菜根タンはゆっくり言った。
「ただ本当のことを言うだけじゃなくて」
「本当のことを、相手の中に届く形で置くことなのかも」
論子ちゃんが少し目を細める。
「うん。私はそう思う」
楊子ちゃんも腕を組んだまま言う。
「少なくとも、正直だから傷ついてもしょうがないって顔するよりはずっとましね」
孟子ちゃんは勢いよくうなずく。
「正直って、雑でいい理由じゃないもんね!」
その言葉が、菜根タンにはかなりしっくりきた。
ノートを開く。
白いページに、しばらく考えてから書く。
正直は、なんでもそのまま言うことじゃない。
その下に、もう一行。
本当のことを、届く形に整えるところまでが、
たぶん言葉の責任なんだと思う。
書いた文字を見つめていると、さっき教室で引っかかったものの形が少しだけ分かる。
ださいかもが悪かったというより、
それをただ置いて、相手の中に何が残るかを見なかったことが、たぶん苦かったのだ。
「……わたしも」
菜根タンは少しだけ苦笑した。
「本当のこと言っただけで済ませたくなる時、あるかも」
「あるよね」と孟子ちゃん。
「だって、その方が楽だもん」
「楽よ」と楊子ちゃん。
「でも、楽だからって毎回それやってると、だいたい信頼が削れるの」
論子ちゃんはやわらかく続ける。
「本音を隠しすぎるのも苦しいし、むき出しにしすぎるのも痛い」
「そのあいだを考えるのが、たぶん人といるってことなんだと思う」
風が吹いた。
ページの端が少しだけ揺れる。
菜根タンは、ノートの下へさらに一行書き足した。
本音だからは、
言葉を乱暴にしていい理由にはならない。
書きながら、胸の中が少しだけ静かになる。
正直であることは、たぶんやっぱり大事だ。
でも、それは無加工でぶつけることではない。
削りすぎず、飾りすぎず、
それでも相手の中へ届く形を探すこと。
その面倒くささまで含めて、正直なのかもしれなかった。




