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ほんとのことなら、傷つけてもいいの?

 ほんとのことを言っただけ。

 その言葉は、ときどきずいぶん強い顔をしている。

 菜根タンは、そう思う。

 嘘ではない。

 ごまかしてもいない。

 思ってもいないことを言ったわけでもない。

 だから正しい。

 だから責められない。

 そういう理屈の形をして、言葉のあとに残る痛みまで、まるごと押し切ってしまう時がある。

 その日の昼休み、教室では係の作業の分担について少し揉めていた。

「それ、時間かけてるわりに全然まとまってないよね」

 そう言ったのは、べつに意地悪な子ではなかった。

 むしろ普段は、思ったことをはっきり言うタイプとして見られている子だった。

 言われた側の子は、手を止めた。

「……そうかもしれないけど」

 声が少しだけ小さくなる。

 まわりの空気も、なんとなく止まる。

 言った方の子は、その空気に少しだけ不満そうな顔をした。

「いや、ほんとのことでしょ?」

「別に悪く言いたいわけじゃなくて、事実じゃん」

 その事実じゃんが、菜根タンの胸にひっかかった。

 たしかに、まとまっていなかったのかもしれない。

 時間のかけ方も悪かったのかもしれない。

 でも、その言葉が出たあとに残ったものは、作業を前へ進める感じより、ただ誰かが少しだけ小さくなる感じだった。

 ほんとのことなら、傷つけてもいいのだろうか。

 そんなはずはないと思う。

 でも、ほんとのことである以上、完全に悪いとも言い切れない気もする。

 その曖昧さが、菜根タンには少し苦しかった。

 放課後、いつもの中庭のベンチに座って、菜根タンはノートを開いたまま、なかなかペンを持てずにいた。

 正直でいることは大事だ。

 でも、正直であることと、相手を小さくすることは、ほんとうに同じではないはずだ。

 どこが違うのだろう。

 何が足りないのだろう。

「今日は、言葉の棘で引っかいたあとの顔してるね」

 顔を上げると、論子ちゃんがいた。

「その例え、ちょっといたい」

「今日は、そういう日でしょ」

 論子ちゃんは菜根タンの隣に座る。

 菜根タンは、教室でのやりとりを話した。

 まとまってないよね。

 ほんとのことでしょ。

 その場の空気が少しだけしぼんだこと。

「……たしかに、間違ってはいないのかもしれないの」

「でも、なんか」

「ほんとのことだからいいでしょって顔されると、苦しい」

 論子ちゃんは少しだけ考えてから言った。

「本当のこと、って強いからね」

 その声は静かだった。

「だからこそ、雑に使うとかなり痛いんだと思う」

「雑に使う……」

「うん」

「本当のことって、相手が逃げにくいでしょ」

「嘘じゃないから、言われた方も反論しにくい」

「だから、言う側はそこに少し気をつけないと、ただ正しさで押す形になりやすい」

 菜根タンは、その言葉に少しだけ救われた気がした。

 そうだ。

 苦しかったのは、真実そのものより、真実が一方的な形で置かれたことだったのかもしれない。

「でも、痛いことでも言わなきゃだめな時ってあるよね」

 菜根タンがそう言うと、論子ちゃんはうなずいた。

「あるね」

「だから、傷つけるかもしれないから何も言わないも、たぶん違う」

 その言葉は大事だった。

 やさしさの話になると、ときどきじゃあ黙るのが一番になりそうになる。

 でも、それもまた違うのだ。

 その時、気だるい声が入った。

「痛いことを避けすぎると、今度は腐るのよね」

 楊子ちゃんだった。

 今日も相変わらず、感じのよくない正論の入り方をする。

「また聞いてたの?」と菜根タン。

「聞こえるところで悩んでる方が悪いんじゃない」と楊子ちゃん。

 論子ちゃんが小さく笑った。

「それで、楊子ちゃんはどう思う?」

「本当のことなら何してもいい、は雑」

「でも、傷つくかもしれないから言わないで全部黙ってるのも、私は嫌い」

 その言い方は、かなり楊子ちゃんらしかった。

「だって、痛いって理由だけで避けてたら、結局だれも本気のこと言わなくなるじゃない」

「それはそれで気持ち悪いわよ」

 菜根タンは、その言葉にも少しうなずいてしまう。

 たしかに、みんながやさしい顔で嘘ばかりつくのも、また別の苦しさがある。

「じゃあ、どう違うのかな」

 菜根タンが聞くと、楊子ちゃんは即座に答えた。

「相手を前に進ませたいのか、相手を小さくしたいのか」

「まずそこ」

 その一言が、かなり鋭く胸に入った。

 前に進ませたい。

 小さくしたい。

 教室でのあの言葉は、どちらだったのだろう。

「まとまってないよねって言う時に」

 楊子ちゃんは続ける。

「どうしたらまとまるかまであるなら、まだ前者」

「でも、ほらだめでしょで終わるなら、だいたい後者よ」

 論子ちゃんもうなずく。

「うん。それは大きいかも」

「本当のことを言うにしても、相手が立ち直れる置き方と、ただ落とす置き方がある」

「置き方……」

「そう」

「たとえば、まとまってないだけじゃなくて、ここを揃えると見やすくなるかもまで言えたら、残るものが違うよね」

 菜根タンは、さっきの場面を思い返した。

 時間のかけ方。

 まとまりの悪さ。

 その問題自体は、たしかにあったのかもしれない。

 でも、もしあの場で

ここを先に決めたらやりやすいかも

と続いていたら、空気はもう少し違ったはずだ。

「……ほんとのことって」

 菜根タンはゆっくり言った。

「言うこと自体より、そのあとに何を残すかの方が大事なのかも」

「そうだと思う」と論子ちゃん。

「言ったあとに、相手の中にもうだめだだけが残るのか」

「じゃあ次はこうしようが残るのか」

「それって、かなり違うから」

 そこへ、元気な足音が近づく。

「また難しい話してる!」

 孟子ちゃんだった。

 菜根タンが事情を話すと、孟子ちゃんはすぐに顔をしかめた。

「ほんとのことだからって言えばいいわけじゃないよ」

「だって、ほんとのことでも、ただ殴るみたいに言うのは違うもん」

 楊子ちゃんが少しだけ口元をゆるめる。

「今日は珍しく話が早いわね」

「珍しくってなに!」

 孟子ちゃんはむっとしたが、そのまま菜根タンの方を見る。

「本当のことを言うのって、勇気いる時もあるじゃん」

「だから大事だと思う」

「でも、それって勇気ある自分で終わっちゃだめで、相手に届いて初めて意味があるんじゃないかな」

 その言葉は、孟子ちゃんらしいまっすぐさと、前より少しだけ深くなったやわらかさが混じっていた。

 菜根タンは、胸の中で少しだけ整理が進むのを感じた。

 ほんとのことを言う。

 それは必要な時もある。

 でも、本当という強い言葉に乗って、相手を切って終わるだけなら、それは少し違う。

 必要なのはたぶん、

相手の現実に触れることと、

相手の足場まで奪わないこと

その両方なのだ。

 ノートを開く。

 白いページに、少しだけ迷ってから書く。

 ほんとのことでも、

 ただ傷だけ残す言い方なら、たぶん少し違う。

 そこまで書いて、手を止める。

 それから、もう一行。

 本当のことを言うなら、

 そのあと相手が立てる場所まで考えたい。

 文字を見つめていると、さっきまでの引っかかりが少しだけほどける。

「……わたし」

 菜根タンは小さく息を吐いた。

「本当のことを言うって、強い側に立つ感じがする時あるんだよね」

「でも、強いままで終わるんじゃなくて」

「言ったあとに、相手がどうなるかまで見るのがたぶん大事なんだ」

「うん」と論子ちゃん。

「そこまで見て、やっと言葉の責任なのかも」

「私は正直だからで終わる人、だいたい責任だけ置いて帰るのよね」と楊子ちゃん。

「言い方は悪いけど、ちょっと分かる」と菜根タンが言うと、楊子ちゃんは少しだけ眉を上げた。

「ちょっとじゃなくて、もっと分かりなさいよ」

「そこでまた刺すんだ」と孟子ちゃん。

 菜根タンは、少しだけ笑った。

 ほんとのことなら、傷つけてもいいわけじゃない。

 でも、傷つくかもしれないからといって、何も言わない方がいいわけでもない。

 そのあいだにある、少し面倒で、でもたぶん大事な言葉の置き方。

 人と話すというのは、結局そこを毎回探すことなのかもしれなかった。

 ノートの下へ、さらに一行書き足す。

 本当だからは免罪符じゃない。

 言葉のあとに何が残るかまで、自分の分だ。

 風が吹く。

 木の葉が揺れて、光がまだらに落ちる。

 孟子ちゃんが「やっぱり本音って大事だけど、雑はだめだね」と言い、論子ちゃんが「うん、本音と乱暴は同じじゃないから」と返し、楊子ちゃんが「やっと追いついてきたわね」と言う。

 そのやりとりを聞きながら、菜根タンはノートを閉じた。

 正直でいること。

 本当のことを言うこと。

 そのどちらも、たぶん簡単に美徳では終わらない。

 だからこそ、言葉にする前に少しだけ考える。

 その面倒くささを引き受けることまで含めて、ほんとうの意味で誠実なのかもしれなかった。

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