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第十話3

 翌日は身体測定と施設案内。

 身体測定はすぐに終わった。身長、体重、視力、聴力。それから魔力測定。国立の一年の基準値と比較して、陽一の数値は低かった。測定担当の教官は数字を見て一瞬眉を動かしたが、何も言わずに次の生徒に移った。

 残りの時間で教官に連れられて校舎内を回った。教室棟、模擬戦アリーナ、図書館、装備庫、保健室。それから校舎裏の山裾—学校のダンジョンの入口を遠目に見た。養成学校のダンジョンはC級で、こちらの入口からは教員と見習い探索者登録済みの生徒のみが入れる。校舎外にもう一つ入口があり、そちらから外部の冒険者、探索者も入れるようになっている。もちろん他のダンジョンと同じように入浴施設やギルドによる素材の買取所が併設されている。学校側の入口は岩肌に穿たれた四角い穴で、鉄格子の扉が閉まっていた。朝夕に教官が開閉するが、今は閉まっている。

 校舎の裏手は森になっていて、春でも日差しが届きにくい。苔が岩に這っている。ダンジョンの入口の近くは魔力濃度が少し高く、普通の植物が育ちにくい。苔が優勢になる。子供の頃に孝三郎が「ダンジョンの近くの森は静かだ」と言っていた意味が、今わかる。鳥の声が少ない。


「お待たせ」

 椛川とは、学校から離れた駅前で待ち合わせた。

 下手に学校から二人で行動すると目立ってしまう。

「ああ、じゃあ行こう」

 そう言って歩いた先は駅前の商業ビルの三階にあるカラオケ店だった。学校から徒歩十五分。制服姿の高校生が放課後に寄る店だ。

「カラオケ? ご飯も食べてないんだけど」

「個室で話せる場所はここくらいだ。一応食べるものもあるだろ」

 受付でフリータイムを取り、個室に入った。受付の店員はフリータイムを申告する高校生を一日に何十組と見ている。制服姿の男女二人が入室しても、顔も上げない。

 椛川がドアを閉めながら言った。

「いきなり個室とは、積極的だね」

 陽一はソファに座って、椛川を見た。反応しなかった。

「・・・冗談だって。そんな顔しないでよ」

 椛川がため息をつきながら向かいのソファに座った。テーブルの上にはドリンクバーで入れたお茶が二つ。カラオケのリモコン。モニター。蛍光灯に照らされた狭い空間。二年間のダンジョンとは正反対の、安っぽい日常の箱。壁に防音材のタイルが貼ってあり、歌を歌うと外に漏れない。会話も漏れない。

 だがここなら、誰にも聞かれない。

 沈黙が落ちた。モニターは消したがスピーカーからは小さく有線放送が流れている。アイドルのヒット曲。四月の有線放送で一番流れているバラード。

「で、こんなとこで何が訊きたいわけ?」

 椛川が先に口を開いた。さっきまでの軽い口調が消えている。

 こっちの出方を伺っているのか、分かりきったことを訪ねてきた。

「『煌華のフローレス』・・・」

 ゲームタイトルを口に出すと、椛川の肩が少し動いた。薄いジャケットの肩が数ミリ上下した。緊張の伝染。言葉の重さ。現実の世界でゲームタイトルを口にすることの異常さ。今まで誰にも言えなかった音が、カラオケの個室の空気に放出された。

「お前はどういう立場だ? プレーヤーか?」

 椛川は見定めるような眼をこちらに向けてきたが、陽一は構わずに続けた。

「掲示板の前で見城がいないと言っていたな。あいつはどこにいる?」

 椛川はまだ答えない。天井を見上げると「ふうっ」と息を吐きだした。カラオケの天井は低い。二メートル半くらい。その低い天井を見上げて、椛川が何秒か黙った。

「・・・一つ目。私はプレーヤーだったわ」

 プレーヤー。わかっていたが、陽一はこの世界がゲームだということを改めて実感させられた。自分ひとりの頭の中の仮説だったものが、相手の口から確認された。仮説と事実の境目が、今、越えられた。

「二つ目。私にもわからない。学校に来れば当たり前にいるものだと思ってたもの」

 その言葉に陽一は肩を落とした。自分だけならともかく、この世界を知っている人間との答え合わせだ。見城は国立探索者養成学校東京校にはいない。

「じゃあ、次はわたしからね。あなたもプレーヤー?」

「俺はプレーヤーではない。だが、この世界のことはわかっている。中一の冬に熱を出したときに知識が流入した」

「流入・・・」

 椛川が呟いた。何かを考えている顔。記憶を検索している目だった。

「私は違う。中三の夏に上書きされたって感じかな。元の椛川来葉に」

 陽一は黙って聞いた。

「元の来葉が何を考えてたか、何を感じてたか、ほとんどわからない。記憶はある。学校の友達の名前とか、家族との会話とか。でもそれは私の記憶じゃない。データとして入ってるだけ」

 椛川の声が少し低くなった。さっきの教室での明るい声とは別人のようだった。

「まぁ、過去の私の記憶は逆にほとんどないんだけどね。だけど違う人間だってことはわかる。照川くんは? 人格はそのまま?」

「そのまま。照川陽一として生まれて、照川陽一として育った。ある日突然、知らない人間がゲームをプレイしていた記憶が頭に入ってきた」

「・・・それ、混乱しなかった?」

「した。三日間、高熱で寝込んだ後だし」

「私の場合は、起きたら別人だった。昨日まで普通の中三だった女の子が消えて、代わりに私がいた」

 椛川は笑った。だが目が笑っていなかった。笑みの形だけを作って、目はそのまま。相手の前で隠す必要がなくなった顔だった。

「まあ、その話は今いいよ。本題は見城大河だ」

 名前を出した瞬間、空気が変わった。カラオケの安っぽい個室が、作戦会議の場になった。有線放送のアイドル曲が、背景音楽から邪魔な雑音に変わった。

「名簿に名前がなかったね」

「ああ」

「ゲームでは東京校に入学する。それ以外のルートはない」

「じゃあなんでいないの?」

 椛川が身を乗り出した。

「・・・正直、わからない」

「まぁ、そうよね」

「ゲームでは東京校に入学する。それしかないはずだった。なのにいない。理由がわからない」

 椛川が黙った。陽一も黙った。二人とも答えを持っていない。

「一つだけ思いつくのは俺がこの二年間、ゲームには存在しない行動を取り続けたこと。モブが本来やらないはずの動きをした。それが何かを歪めた可能性はある」

「・・・バタフライエフェクト的な?」

「仮説だ。確証はない。他に理由があるのかもしれない。だがどっちにしろ、大河は東京校にいない。それだけは事実だ」

「存在はしてるよ。ネットで調べた。見城大河。全中水泳に福岡代表で出てる。この世界にいないわけじゃない。東京校にいないだけ」

「調べたのか」

「昨日の夜にね。名簿に名前がなくて、まず存在を確認したくて」

 椛川は背もたれに体を預けた。お茶の紙コップを両手で包んでいる。手の指が紙コップの輪郭をなぞっている。落ち着かない時の癖。指先を何かに触れさせていないと思考が整理できないタイプ。

「福岡。全中水泳に福岡代表」

「ゲームだと、親の転勤で東京に来て東京校に入る。福岡代表ってことは転勤がなかった—東京に来てないんだ」

「ああ。転勤が起きなかったか、時期がズレたか。どっちにしろ東京校にはいない」

 椛川がお茶を一口飲んで、紙コップをテーブルに戻した。

「・・・じゃあ、何を信じればいいの。ゲームの情報で」

「世界の骨格は変わってない。ダンジョンの構造、魔物の弱点、華族の勢力図—こっちは有効だと思う。学校がここにある。橘も澄も扇もいる。ヒロインも揃ってる。世界そのものは同じだ」

「変わったのは人の配置」

「配置と、タイムライン。いつ誰がどこにいるかは、ゲーム通りじゃない」

 椛川が天井を見上げた。カラオケの個室の白い天井に、吸音タイルが正方形に並んでいる。一枚だけ少しずれていて、そこから蛍光灯の光が漏れていた。椛川の目はそのずれを見ている。

「何が起きるかはわかる。でもいつ起きるかと、誰がそこにいるかはわからない」

「そういうことだ」

 しばらく二人とも黙った。液晶モニターでランキング番組の映像が流れている。音量は小さい。アーティストの顔が切り替わる。誰のプロモーション映像かは陽一にはわからない。二年間、流行の音楽を追いかける余裕がなかった。

 椛川が先に口を開いた。

「問題は二つあるよね。一つは、東京校でイベントが起きても解決する人間がいないこと」

「ああ」

「もう一つ。大河が東京校のイベントをこなせないってことはゲーム通りに成長できない可能性がある」

 陽一は黙った。椛川が続けた。

「ゲームでは東京校で起きるイベントを大河が全部処理して、その経験で強くなっていく。福岡にいたらその機会がない。終盤の敵に対して、大河が本来の強さに届かないかもしれない」

「・・・ああ」

「つまり東京校も困るし、大河本人も困る」

 会話が途切れた。

 液晶のアーティストインタビューが切り替わって、ランキング番組の映像が流れ始める。蛍光灯の白い光が、テーブルの上の紙コップ二つを照らしていた。

 椛川がお茶を飲んだ。一口。それから陽一を見た。

 さっきまでの目とは違っていた。ゲームの情報を突き合わせる目ではない。陽一という人間を見ようとしている目だった。

「照川くん。あなた、この二年間何してたの」

 声のトーンが変わっていた。さっきまでは議論だった。今は聞いている。個人的なこととして。

 陽一は少し考えた。どこまで話すか。だがここで隠しても意味がない。椛川は味方にするか敵にするかの二択で、味方にする以外の選択肢はない。敵にしたところで椛川は既に名簿と自分の顔を把握している。情報の非対称はもう作れない。

「泥をやってた」

「泥?」

「遺物回収業者。ソロでダンジョンに潜って、魔物を狩って、素材を納入してた。中一の冬から二年間」

 椛川の目が大きくなった。

「中一の冬って—ゲームの記憶が入ってすぐ?」

「覚醒してから二ヶ月後に登録した」

「中一で? ソロで? ダンジョンに?」

「ああ」

 椛川が黙った。テーブルの上のドリンクメニューを見つめている。だが読んでいない。文字が目に入っていない。情報の処理が追いついていない顔。

「その魔力で?」

「E判定だ。質はずっと変わらない」

「それで二年間、生き延びた」

「自己再生がある。ソロプレイでは必須だったろ。あの通りに裏市で魔法書を手に入れた。それからは体を壊して治す、を繰り返すしか方法がなかった」

 椛川はしばらく動かなかった。カラオケの個室の液晶には新曲を出したアーティストのインタビューが流れている。

「・・・私は九ヶ月だった」

 椛川が静かに言った。

「中三の夏に目覚めて、ゲームの知識で術式理論を予習した。体力作りもした。魔力操作の基礎訓練も。でも、それだけ。魔法はまだ撃てない。実戦経験もゼロ。知識だけは頭に入ってるけど、体がついてきてない」

 椛川は自嘲するように笑った。

「九ヶ月かけて、やったのは準備だけ。あなたの二年間とは—比べものにならない」

「比べる話じゃない」

「比べるよ。比べなきゃいけない」

 椛川の声が震えていた。

「私は準備しただけだ。教科書を読んで、走り込んで、入試に受かった。それだけ。あなたは何もないところから、体を壊して、自分で戦える体を作った」

 陽一は答えなかった。

 椛川がテーブルの上に両手を置いた。指先が白い。力が入っている。

「体を壊して治す」

 椛川が繰り返した。さっき陽一が言った言葉を。

「ゲームだとボタン一つだった。HP回復。それだけ。でも現実で体を壊すって——」

「そのままの意味だ。骨を折る。筋を断つ。再生で繋がる。治っても痛みは残る」

「・・・あぁ、自己再生するとアジリティが下がるのってそういうことなんだ」

 ゲームでは自己再生を使うと一定時間、敏捷性にデバフがかかった。プレイヤーの間では「回復のペナルティ」と呼ばれていて、タイミングを見て使う程度の戦術要素でしかなかった。ボタンを押す。HPが戻る。代わりに少しの間動きが鈍くなる。それだけ。

 現実では、骨を折って繋いだ直後の体がまともに動くわけがない。痛みで体が強張る。再生した筋肉がすぐには馴染まない。ゲームの数値が下がるのと、現実の体が悲鳴を上げるのは、同じ現象を全く別の解像度で見ていただけだった。

 椛川の顔から表情が消えた。ゲームの画面の向こうにあったものが、目の前の人間の体験として置き換わった瞬間の顔だった。プレイヤーとしての記憶と、現実の目の前にいる人間の言葉が、同じ現象の別の側面だと理解した顔。

「・・・毎日?」

「ダンジョンに潜っているときは、な。だが、慣れない。痛みには慣れない」

「慣れないのに、二年間」

「方法を覚えただけだ。痛みと付き合う方法を」

 椛川が息を吐いた。長い息。肺の底から絞り出すような。

「—頑張ったんだね」

 短い言葉。

 陽一の体が、一瞬止まった。

 孝三郎に「よくやった」と言われた。茉莉が泣いて喜んだ。陽菜が「おめでと」と呟いた。全部、嬉しかった。家族の言葉は、確かに届いた。

 だが違う。

 家族はゲームの世界のことを知らない。自分がモブであることを知らない。この世界がいつ誰の都合で動くかわからない物語の中にいることを知らない。陽一が何に怯え、何から逃げ、何のために体を壊し続けたのか—その根本を、家族は知らない。

 椛川だけが知っている。

 同じ世界の構造を知っている。同じ恐怖を知っている。自分がモブであること、主人公がいないこと、シナリオが予測不能であること。

 視界が歪んだ。

 え、と思った。何が起きているのか、一瞬わからなかった。

 涙だった。

 目の奥が熱くなり、視界が水に沈んで、頬を何かが伝い落ちた。涙だ。自分が泣いている。カラオケの個室で。十五歳の男が。

 止められなかった。

 止めようとした。恐怖をねじ伏せる手順なら知っている。震えが来る。胃が縮む。深呼吸。左手で右手首を掴む。三つ数える。—自己再生の前に踏む手順。何百回もやった。だが今、体が従わない。

 二年分の何かが、蓋を開けて溢れ出していた。

 中一の冬。熱の中で目覚めた朝。自分がモブだと知った瞬間の恐怖。死にたくないと思った夜。裏庭で鉄パイプを振り続けた夕暮れ。カッターで腕を切って自己再生を試した夜。激痛。何百回繰り返しても慣れない痛み。大穴鼠に噛まれた最初の日。甲鎧鼠に肋骨を折られた日。ポーションの苦い味。孝三郎の「よくやった」。陽菜に「なれない」と言った夜。

 全部が一度に押し寄せてきた。

 誰にも言えなかった。言う相手がいなかった。家族には本当の理由を話せない。学校には誰もいない。ダンジョンには魔物しかいない。二年間、ずっと一人だった。

 椛川が何かを言っている。聞こえない。

 両手で顔を覆った。指の間から涙が漏れる。声は出さない。声だけは出さなかった。泥の底で覚えた、声を殺す技術。自己再生の激痛に耐える時と同じだ。呻きを喉の奥で押し殺す。音を出さない習慣が日常にまで滲んでいた。

 だがこれは痛みではない。痛みなら耐え方を知っている。これは、何だ。

 二年間抱えてきた孤独が、たった一言で溶けた。溶けた瞬間に、その孤独がどれだけ重かったかを思い知らされた。重さに気づかないまま背負い続けていたものが、一気に肩から落ちた。その衝撃。

 椛川は黙っていた。

 何も言わなかった。慰めも、驚きも、気まずさも—何も示さなかった。ただ向かいのソファに座って、待っていた。液晶テレビではアーティストが新曲に込めたメッセージを熱く語っている。日常の箱の中で、陽一は泣いていた。



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― 新着の感想 ―
この話は胸に来るなぁ。そうだよな、家族は寄り添ってはくれるけど陽一が感じてる心の重さを本当に理解してくれる訳ではないし、理解してもらうという選択肢もない。 そういう中で2年間耐えて積み重ねてきた所に主…
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