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第八話4

 国立東京探索者養成学校。

 正門をくぐると、保護者は別行動になった。案内に従い、校舎の方に向かうと五階建てのコンクリートの建物が見えてきた。屋上に校旗。敷地は広い。校舎の奥にグラウンドとさらに立派な校舎。特別クラスは建物自体が違うと聞いていたがあれがそうなのだろう。面接の際には特に気にしてはいなかったが、この国の国力を上げるためには特別な対応も必要なのだろう。その先に模擬戦用のアリーナと思しき屋根が見えた。ゲームでは模擬戦やランク戦といったいかにもなイベントが用意されていたが、現実世界ではどうなのだろうか。

 入学式は九時から。まだ三十分ある。

 教室棟の一階に掲示板があった。全新入生の名簿が貼り出されている。特別クラスと一般クラス全組。クラス分けと座席番号。新入生が群がって自分の名前を探している。

 陽一は人の切れ目を待って掲示板の前に立った。特別クラスの名簿を上から順に目で追った。特別クラス。ゲームのシナリオ通り。順当にネームドキャラがいる。

 ふぅ、と一息ついてこれからのシナリオに少しばかり思いを馳せた。

 頭の中にあるイベント、必要なレベル。必要なステータス。この現実では数値は具現化されない。それでも生き残るための準備、経験は積んできたはずだ。

 次は一般クラス。

 一組。二組。三組。自分のクラスを確認する—一般三組。だが本当に探しているのは別の名前だ。

大河はどこだ・・・ゲームでは一組だったはず。

 —いない。


 はぁ?


 見城大河の名前が、どこにもない。

 陽一は両手を叩きつけるような格好で掲示板を凝視した。その姿を怪訝そうに数人の同級生が見ているが気になどしていられない。特別クラスの名簿に指を戻す。あ行から順に。一人ずつ。見城。見城大河。—ない。


 嘘だろ。


 特別クラス。一組。二組。三組。

 ない。どこにもない。

 よろよろと後ずさるように掲示板から離れた。

 指先が冷たくなって、足は震えていた。四月の朝なのに、指先だけが氷のように冷えている。

 はぁっ、はっ。

 呼吸が浅くなってうまく息を吸えない。

 —いない。

 見城大河が、いない。

 掲示板の白い紙の上に、あるべき名前がない。あるはずの名前が。ゲームの中では東京校の新入生として間違いなく存在していた名前が。

 頭の中が白くなった。

 思考が止まる。ダンジョンで甲鎧鼠に肋骨を折られた時ですら止まらなかった思考が、名簿の前で止まった。骨が折れる痛みなら対処法がある。自己再生を使えばいい。ポーションを飲めばいい。だがこれは—治せない。

 二年間の計画の前提が紙切れ一枚の前に崩れた。

 大河がシナリオを回す。自分はその影に隠れる。大河が仲間を集め、ダンジョンを攻略し、華族の陰謀に立ち向かう。その物語の背景で、モブとして状況に対処して生き延びる。二年間、泥の底を這いながら、その一点だけを頼りにしてきた。

 その大河が、いない。いないはずがないだろ。

 背骨に冷水を流し込まれたような感覚。足元がぐらつく。実際には立っている。だが体の内側の何かが、傾いている。

 なぜ。

 どこに行った。

 何が起きた。

 答えが出ない。ゲームの記憶を引っ張る。大河の入学イベント。東京校の講堂。校長の演説。その場に大河がいた。間違いない。何度も見たシーンだ。大河は東京校に入学する。そのはずだった。

 —はずだったのに。

 出ない。答えが出ない。頭の中をどれだけ引っ掻き回しても、「大河が東京校に来ない」パターンのゲーム記憶は存在しない。こんなことは起きないはずだった。

 周囲では新入生たちが掲示板の前で自分の名前を探し、クラスを確認している。緊張した顔。期待に強張った顔。新しい場所に足を踏み入れた人間の、落ち着かない空気。それが遠い。水の底から地上の声を聞いているようだった。

 陽一は掲示板から一歩下がった。足が重い。千メートル潜った後のような疲労が、一瞬で体に降りてきた。

 その時—隣に、人の気配があった。

 女子生徒が一人、陽一の横を通り過ぎて掲示板の前に立った。黒い一般枠の制服。髪を肩の上で切り揃えている。

 名簿を指でなぞっていた。特別クラスの名簿を。一般クラスの名簿を。一人ずつ、確認するように。

 陽一と同じことをしている。

 女子の指が止まった。全クラスの名簿を見終わったのだろう。唇が微かに動いた。声にならない声。だがはっきりと聞こえた。

「・・・なんで・・・なんで見城大河がいないのよ・・・」

 体が動いた。考えるより先に。

 ガッと陽一は女子の肩を掴んだ。

「見城大河を知っているのか」

 自分でも驚くほど切迫した声だった。女子が目を丸くしてこちらを見ている。周囲の新入生が何人か振り返った。

 構わなかった。

「見城大河。どこにいる。どこで会った」

 女子の目が—変わった。

 丸くなった目が、一瞬で鋭くなった。驚きの奥に、別の感情が走っている。恐怖ではない。衝撃だ。陽一が見城大河の名前を知っていること自体が、この女にとって想定外の事態だったのだろう。

「あなた—」

 女子の声が掠れた。さっきの呟きとは違う。こちらに向けた、意思のある声。

「あなた、なんで—」

 その名前を知っている。

 言いかけた言葉の先が、二人の間に浮かんだ。陽一にも、女子にも、見えていた。

 —お前も、ゲームを知っているのか。

 その問いを口にする前に教室への入場を促すアナウンスが流れてきた。

 最悪のタイミング。二人とも動けなかった。掲示板の前で、互いの顔を見つめたまま。

 周囲の新入生が校舎に向かって歩き始めている。人の流れが二人の横を通り過ぎていく。

「—くそっ」

 陽一が先に動いた。手を離した。

「・・・悪い。いきなり掴んで」

 女子は肩をさすっていた。だが怖がっている様子はない。動揺しているのは同じだが、目が据わっている。。

「俺は照川陽一。三組」

「・・・椛川来葉。私も三組」

 女子—椛川の声は低かった。手が微かに震えていた。

「来葉ちゃーん、早く行こー?」

 校舎の入り口付近から友人を呼ぶ声が飛んできた。

「すぐ行くー」

 陽一の前にいる女はその呼びかけに反応すると、表情を変えた。

 こいつはいったい何者だろうか。すぐに問い正したい気持ちが抑えられないが、じっくり対応を考える時間も欲しい。

 陽一は逡巡したが、この場を切り上げることに決めた。

「近いうちに時間を作ってくれ」

 二人は同時に講堂に向かって歩き出した。並んでではない。少し距離を置いて。周囲に「知り合い」だと思われないように。だが二人の間には、名簿の上になかった名前が—見城大河という文字が、見えない糸のように張り詰めていた。

 頭の中が煮えている。

 見城大河がいない。計画の前提が崩れた。大河がシナリオを回す。自分はその影に隠れる。それが計画だった。

 —大河がいない。

 なら、誰がシナリオを回す?

 俺のやってきたことは正解だったのか?

 これまでやってきた準備は正しかったのか?

 答えのない自問が続く。

 新入生たちが下駄箱に殺到している。陽一はその流れに紛れた。黒い制服の波の中に溶け込む。いつもの透明。いつものモブ。

 だが胸の内側では、二年間積み上げてきた計画が音を立てて軋んでいた。

 そして—見城大河の名前を知っている女が、同じクラスにいる。

 入学式が始まる。

 照川陽一の高校生活が、始まる。



 プロローグ~了~


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