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第七話4

 二月の第一土曜日。

 朝六時。照川家の玄関。

 陽一は中学の制服を着ていた。泥としてダンジョンに潜り続けた二年間、この制服を着た回数は数えるほどだ。袖が短い。二年前と比べて腕が伸びた。丈も合っていない。成長した体に、制服が追いついていない。

 茉莉が玄関で待っていた。息子の制服の襟を直し、肩についたほこりを払った。

「朝ごはん、ちゃんと食べれた?」

「食べたよ」

 茉莉は息子の顔を見上げた。いつの間にか、見上げるようになっていた。中一の頃は同じ目線だったのに。

「・・・気をつけてね」

 ダンジョンに送り出す時と同じ言葉。茉莉にとって、息子を未知の場所に送り出すことに変わりはないのだろう。

 孝三郎が車を出した。養成学校のある地区まで一時間。

「陽一」

「うん」

「面接では、泥のことを聞かれるだろう」

「わかってる」

「言い方を考えろ。事実だけを言え。盛るな。卑下もするな」

「うん」

「・・・あと、短剣は持っていくなよ」

 冗談のつもりなのか、本気なのか。孝三郎の横顔からは読めなかった。


 国立東京探索者養成学校。

 正門の前に立った時、陽一が最初に感じたのは圧、だった。

 門の両側に立つ石柱。校舎の屋根に翻る校旗。敷地の広さ。すべてが「国家機関」の威圧感を放っている。だがそれ以上に、門をくぐる受験生たちの纏う空気が違った。

 魔力のオーラ。

 受験生たちは例外なく魔力の質が高い。体の外に滲み出す力の密度が一般人とは根本的に異なる。歩いているだけで空気が揺れる者。視線を向けただけで周囲の温度が変わる者。十五歳にしてすでに、覚醒した力を制御し、意識せずとも外に漏らしている。

 その中を、陽一は歩いた。

 何も漏れない。何も揺れない。外から見れば、この場に最も不似合いな人間。

 すれ違う受験生の何人かが、陽一を一瞥した。興味ではない。確認。「こいつは脅威ではない」という確認。一瞬で視線が外れる。その程度の存在。

 それでいい。


 受付で名前を告げると、まず基礎魔力測定に案内された。

 個室ブース。カーテンで仕切られた狭い空間に、測定機器が一台。水晶を模した測定球に手を当て、魔力を流す。適性—魔力の瞬間出力を測定する。

 測定球に右手を当てた。魔力を流す。

 球が薄くぼんやりと灰色に光った。

 測定員が端末に結果を打ち込み、小さな紙片を渡してきた。「適性E」。それと面接会場の番号。

 E判定。最低ランク。

 紙片をポケットにしまってブースを出た。廊下を歩く受験生たちの纏う魔力のオーラが厚い。歩いているだけで空気が揺れる者。すれ違うだけで肌がぴりぴりする者。陽一には何もない。何も漏れない。何も揺れない。

 面接会場の前の廊下で椅子に座って待つ。誰も陽一に話しかけなかった。


 「照川陽一さん、お入りください」

 最後に名前を呼ばれた。

 教室に入る。長テーブルの向こうに三人の面接官が並んでいた。

 左端。四十代くらいの女性。スーツ。眼鏡。書類を几帳面に揃えている。

 中央。恰幅がいい中年の男性。穏やかな表情。学校の管理職か。

 右端。

 陽一の足が、一瞬だけ止まった。

 白髪交じりの短髪。日焼けした肌。椅子に座っているのに、体幹の安定感が異常。呼吸が深い。目が据わっている。机の上に書類を置いているが、読んでいない。陽一が入室した瞬間から、その目は陽一だけを見ていた。

 この人間は、戦う人間だ。

 ダンジョンで何百匹もの魔物と向き合ってきた体が、瞬時に判断した。椅子に座ったまま殺気を完全に消しているが、体の作りが違う。肩の筋肉の付き方、首の太さ、手の甲の傷跡。現役か、引退して間もない実戦派の教官。

「座ってください」

 中央の男性が穏やかに言った。陽一は椅子に座った。

 左端の女性が書類に目を落としたまま口を開いた。書類の中身は頭に入っている。確認のために見ているのではなく、陽一を見たくないかのように。

「照川さん。書類は拝見しました。納入記録、ギルド支部への照会、ボディカメラの映像、すべて確認済みです。その上でお聞きします」

 女性が視線を上げた。冷たい目。

「なぜ、遺物回収業者なのですか」

 率直な問い。書類には「照川商事の実地研修」と書いてある。だがこの女性はその建前を信じていない。

「家業が冒険者向けの装備商社です。現場を知るために、自分でダンジョンに入る必要がありました」

「現場を知るためなら、冒険者として登録する選択肢もあったはずです。遺物回収業者はギルドの最低位の資格です。なぜわざわざ泥を選んだのか」

 泥。面接官の口から、その言葉が出た。正式名称を使わなかった。意図的に。

「冒険者として登録するには実績とパーティが要ります。十三歳の自分にはどちらもなかった。一人で始められるのが遺物回収業者だけだった」

「つまり、他に選択肢がなかった」

「はい」

 女性は黙った。それ以上追及する気はないらしい。ただ、陽一の答えを記録する手が、微かに速い。

 中央の男性が口を開いた。

「書類審査の段階で議論になったのは、正直に言えば、この数字の異常さです。映像も確認しました。十五歳の少年がソロでこの稼働量をこなしている。身体強化の出力は低いが、動きに無駄がない」

 男性は陽一を見た。穏やかだが、目の奥は冷静に観察している。

「先ほどの魔力測定で適性E判定が出ました。正直、映像で見た動きとE判定が結びつかない。この矛盾について、何か説明はありますか」

「魔力の質は低いです。それは事実です。ですが、質が低い分を持続力で補ってきました」

「持続力?」

「一撃の威力は出ません。その代わり、長時間の戦闘を続けられる体力と回復力を磨きました」

「回復力というのは?」

「自分の体の回復に限定した能力があります」

 中央の男性は少し考え込むような顔をした。それから左右を見た。「他に何かありますか」

 女性は首を横に振った。

 右端の教官が—初めて口を開いた。

「一つだけ」

 低い声。だが響く。教室の空気が一瞬で変わった。

「映像を見た。お前、深層にも入ってるな」

「・・・はい」

「鉱石蜥蜴を短剣で倒してた。関節の隙間を突いて。あれは知識がなきゃできない。誰に教わった」

「独学です」

「独学?」

 教官は鼻で笑った。だが目は笑っていない。

「その程度の魔力で深層に入って、独学で鉱石蜥蜴を倒す方法を編み出した —お前、何回死にかけた?」

 陽一は答えなかった。数えたことがない。数えても意味がない。

 教官は椅子の背もたれに体重を預けた。腕を組む。陽一を観察する目。品定めする目。これは—「査定」だ。

「・・・面白い。もういい」

 教官はそれだけ言って、目を閉じた。

 面接が終わった。

「照川さん。結果はウェブサイトで発表します。本日はお疲れ様でした」

 中央の男性が定型の挨拶を述べた。陽一は立ち上がり、一礼して教室を出た。


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