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第七話3

 マジックバッグを手に入れてから、生活の密度が変わった。

 これまで素材の運搬に費やしていた時間が丸ごと戦闘時間に変わった。放課後に廃坑に入り、日没まで潜る。休日は朝から。坑道の入り口で茉莉の握り飯を食べる十五分以外はひたすら狩り、素材を回収する。

 深層の鉱石蜥蜴にも慣れた。五月の終わりには一匹を十分で倒せるようになった。六月には二匹同時でも死なない程度の余裕が生まれた。

 自己再生の発動回数は増え続けている。魔力を使い切り、回復し、また使い切る。そのサイクルが一日に何十回と繰り返される。

 だが「質」は変わらない。

 魔力の瞬間出力は凡庸なまま。一撃の威力は低い。派手な術式は使えない。使えるのは身体強化と自己再生だけ。その二つをずっと切らさずに使い続ける。朝から晩まで。毎日。

 夏休みに入ると潜行時間がさらに延びた。朝七時に家を出て、夕方六時に帰宅する。

 茉莉が握り飯を六つに増やした。水筒も二本になった。

 八月の半ばには、いつもの廃坑を離れた。廃坑の深層を周回できるようになった以上、同じ場所で同じ相手を狩っていても成長が鈍る。別のダンジョン、別の魔物、別の地形。未知の環境に体を晒さなければ、先に進めない。

 孝三郎が照川商事のルートで中規模ダンジョンの入坑許可を取りつけてくれた。泥の資格でも入れるダンジョンは限られるが、ゼロではない。電車で一時間半。ダンジョンの出入口付近には冒険者向けの浴場がある。血と泥にまみれた体で公共交通機関には乗れない。浴場で汗と汚れを落とし、着替えてから帰る。浴場代は一回五百円。必要経費だ。


 夏の終わり。

 ギルド支部で素材を納入した日。受付の奥にある解体場で、職員が陽一の納入記録を端末で確認しているのが見えた。

 職員は画面を見つめたまましばらく動かなかった。隣の職員が覗き込み、同じように固まった。二人が顔を見合わせた。

 陽一は気づかないふりをして、受付で伝票を受け取った。


 十月。秋が深まっていく。

 陽一の日常は変わらない。学校。ダンジョン。夜の術式理論。

 だが水面下で時間は着実に減っていた。

 入試まで三ヶ月。

 机の上に願書の用紙が置いてある。国立東京探索者養成学校。一般枠。

 記入欄を見つめる。学歴。部活動。課外活動。特記事項。

 部活動の欄は空白。全国レベルのスポーツ実績はない。中一の秋に不登校になり、中二で復帰したが部活には行っていない。普通の一般枠受験生なら、ここに格闘技や陸上の全国大会の成績が並ぶ。

 陽一にはそれがない。

 代わりにあるのは—特記事項の欄に書ける異常な数字。

 照川商事の跡取りとして二年間の実地研修を行った。対象は低級ダンジョン。期間は中学一年の二月から中学三年の十月まで。稼働日数、潜行時間、素材納入量。

 ギルド支部の田嶋から正式な納入記録の写しをもらっている。A4用紙三枚分の数字の羅列。プロの冒険者でもこの密度でダンジョンに通う者は少ない。まして未成年の泥なら。

 陽一はペンを取り、特記事項の欄に書き始めた。


 十一月。願書を郵送した。

 郵便局の窓口で封筒を渡した。A4の茶封筒。中に入っているのは願書と、ギルドの納入記録の写し。二年間のダンジョン通いが紙の束になっている。

 窓口の女性が「簡易書留でよろしいですか」と聞いた。「はい」と答えて、金を払った。封筒が窓口の向こうに消えた。

 郵便局を出ると、十一月の風が冷たかった。自転車で家に帰って、制服を脱いで、ダンジョンに行った。いつもと同じ日だった。


 十二月。冬。

 学校では周囲が高校受験の追い込みに入っていた。放課後に残って勉強する生徒が増えた。陽一は放課後に残らない。帰ってダンジョンに潜る。それだけが違う。

 クラスメイトに進路を聞かれることはほとんどなかった。陽一はクラスの中で透明だった。仲の良い人間はいない。聞いてくる人間もいない。

 進路は夏の三者面談で伝えてあった。孝三郎が同席し、「養成学校の一般枠を受けます。学校の推薦は不要です」と言い切った。担任は困惑していた。養成学校の一般枠はスポーツ実績が前提だ。全中レベルの格闘技か陸上がなければ、まず書類で落ちる。陽一にはそれがない。

 孝三郎が「別ルートで対応します」と返して、面談は終わった。担任はそれ以上踏み込まなかった。

 ダンジョンでは深層をさらに奥に進めていた。鉱石蜥蜴を狩り続け、その先—深層の中程にいる鉄殻蟹の領域に足を踏み入れた。両腕の鋏で通路を塞ぐ巨大な甲殻類型。短剣では甲殻に傷もつかない。鋏の間合いの外から腹節を狙うしかないが、腹節を露出させるには突進をかわして背後に回り込む必要がある。三回目の挑戦で仕留めた。自己再生を三回使った。


 年が明けた。

 正月。照川家は静かだった。茉莉がおせちを作り、孝三郎がテレビをつけて、陽菜がみかんを食べていた。陽一も居間にいた。すぐにダンジョンに潜るつもりだったが、元日だけは家にいた。

 陽菜が隣に座って、テレビを見ているふりをしながら聞いてきた。

「お兄ちゃん、養成学校受かるの?」

「わからない」

「受かんなかったらどうするの」

「ダンジョンに潜る。今と同じだ」

 陽菜は黙った。みかんの皮を細かく千切っている。何か言いたそうだったが、言わなかった。


 一月の第二週。

 夕食の時、孝三郎がさりげなく言った。

「田嶋さんから電話があった。養成学校の書類審査の機関から、ギルド支部に照会が来たそうだ」

 陽一の箸が止まった。

「お前の納入記録の真偽確認だ。本当にこの数字が正しいのか。十五歳の少年が単独で納入した実績なのか」

「・・・田嶋さんはなんて?」

「事実の通りだと。記録は正確であり、すべて照川陽一個人の実績だと」

 孝三郎は味噌汁を飲んだ。

「照会が来るということは、書類を読んでいるということだ。数字が嘘だと思ったなら、照会せずに落とす」

 茉莉が陽一の茶碗にご飯をよそった。陽一は何も言わずに受け取った。


 いつもの日常を繰り返しているうちに、書類審査通過の通知が届いた。面接試験の日程—二月の第一土曜日。

 孝三郎は通知書を見て、一言だけ言った。

「面接まで行けたか」

 それ以上は何も言わなかった。だが夕食の時、茉莉が陽一の皿に肉を多めによそっていた。


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