レオンという男
「攻めずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」
ーー孫子ーー
「人主は臣の情を見ること、臣の主を見るが如くにして、然る後に善悪を知る」
ーー韓非子ーー
戦わずして敵を屈服させるのが最善だ。
君主が臣下の本心を見抜くには、臣下が君主を観察するほどの目が必要だ。
心を開いた者の言葉には、剣より鋭いものが宿る。
翌日も、俺はレオンの部屋に来た。
フリッツが外で待っていた。
入る前に一言言った。「15分です」
俺は頷いた。
レオンは昨夜と同じ壁に背を当てて座っていた。
縄は外していた。廃屋の中で、外は水に囲まれている。
俺が座ると、レオンが言った。
「……また来たか。」
「はい。」
「今日は何を聞く?」
「昨日の続きを。反王権派の構造を、聞かせてください。」
レオンが、少し目を細めた。
「……構造、か。大きく出たな…」
「聞けるだけ聞きたいのです。」
レオンが、天井を見た。
しばらく黙っていた…
それから、静かに話し始めた。
「……連中は、思想で動いているわけではない。「王権を倒す」という旗はある。しかしそれは、表向きの旗だ…」
「では実際は?」
「金だ。利権だ…。王が変われば、今の権力構造が崩れる。そこに食い込める者たちが、裏から動いている。」
思想ではなく、利権。
反王権派の旗の裏に、金の計算がある。
「貴族がいます。王城に出入りする貴族が…」
俺が言うと、レオンが少し目を動かした。
「……昨日の話を、覚えているか?」
「全部…」
レオンが、少し笑った。
「……そうか。なら話が早い。その貴族は1人ではない。」
…1人ではない。
「何人ですか?」
「俺が直接確認できたのは3人だ。但し、氷山の一角だと思っている。連中の動きを見ていると、情報が複数の経路から流れてくる。1人の貴族だけでは、説明がつかない量だ。」
「どういう貴族ですか。家格は?」
「様々だ。大きい家もある。小さい家もある。共通しているのは全員、陛下の前では完璧な忠臣を演じていることだ。宴席では王家を称える。議会では王権を支持する…。しかし、
夜になると、金が動く…」
夜になると、金が動く…
この国の内側に、俺が知らない回路がある…
「商人は?」
レオンが、少し止まった…
「……商人の話をするか?!」
「できる範囲で…」
レオンが考えた。それから続けた。
「王都に、大きな商会がある。表向きは穀物と織物を扱っている。王家とも取引があるから、怪しまれない。しかし、その商会の荷馬車が、時々、別の荷を運ぶ。」
「別の荷、とは?」
「武器だ。それから食料の横流し。反王権派の拠点に、定期的に物資が届いていた。俺がいた拠点にも、その商会の荷が来ていた…」
「商会の名前は?」
レオンが、少し間を置いた。
「……今は言えない。」
「昨日も、そう言いました。」
「あぁ…。今も、同じ答えだ。」
俺は少し考えた。
「……なぜですか。言えない理由は何ですか?」
レオンが俺を見た。
少しの間、黙っていた。
それから、静かに言った…
「……お前が動けば、連中に伝わる。お前はまだ8歳だ。今の状態で動いても潰される。連中の根は、お前が思うより深い。名前を教えるのは、お前に力がついてからでいい。」
俺に力がついてから。
この男は、俺を生かす気で話している。
処断されるかもしれない立場で、俺の先を考えている。
「……その「力」とは、何だと思いますか?」
レオンが── 少し考えた。
「……剣だけじゃない。法だ。金だ。人だ…。連中が動かしているのは、全部そこだ。剣だけで勝てる相手ではない。」
ーー剣だけじゃない。
ーー法と、金と、人。
ーーこの男は 俺に、必要なものを教えている。
「時間です…」
フリッツの声が扉の外から聞こえた。
俺は立ち上がった。
「……また来ます。」
「あぁ…来るなら、茶の一杯でも持ってこい。」
俺は少し止まった。
「……茶は出せませんが、水なら…」
「水か?今は腹いっぱいだ…」
外の水音を聞きながら、レオンが小さく笑った。
俺も少しだけ、笑った…
部屋を出た後、フリッツが静かに歩き出した。
俺はその背中に言った。
「フリッツ。この国の内側には、思ったより深い穴がある様だな…。」
フリッツが── 振り返らずに答えた。
「……殿下。それが、わたくしがノートを燃やした理由でございます…」
そうだ。
漏れることが、最大の悪。
深い穴は、見えないところにある。
父王の返答は、まだ来なかった。




