密命の地図
「謀攻は上、城を攻むるは其の下なり」
ーー孫子ーー
敵の謀を攻めるのが最上策。城を直接攻めるのは最下策だ。戦わずして勝つ、それが水計の本質だった。
フリッツから地図が渡されたのは、学院に戻った夜のことだった。
「殿下。これが現在わかっている情報の全てです。」
机の上に広げられたのは、王都北部の山間地帯の詳細な地図だった。
いくつかの印が打たれていた。
赤が、拠点。青が、補給路。黄が、見張りの位置。
「潜伏地は、ここです。」
フリッツが指を置いたのは、山の中腹にある廃村だった。
街道から外れた場所。三方を山に囲まれ、正面の一本道だけが外につながっている。
正面から攻めれば、必ず見つかる。
しかし、正面しか出口がないなら、正面を塞げばいい。
「護衛の規模は?」
「確認できているだけで30名。ただし、潜伏を手引きした反王権派の地方組織が周辺に散っています。総数は50から70と見ています。」
「補給は?」
「近くの村落から食料を買い付けています。村人は反王権派の者だとは知らない。ただの旅の一行として扱われています。」
俺は地図を見た。
火は使えない。
山の中で火を使えば、周囲の村に伝わる。秘匿任務が表に出る。
ーー水だ。
「フリッツ。前回は火でした。」
「はい…」
「今回は水でいきます。」
フリッツが少し目を細めた。
「……水、とは?」
「孤立させる、ということです。補給を断つ。連絡路を塞ぐ。逃走路を埋める。火のように騒がしくなく、水のように、静かに満ちる。気づいた時には、もう逃げ場がない」
フリッツが、少し間を置いた。
「……いつ気づかれますか?」
「最後の一手まで、気づかれない。それが水計です。」
地図の上で、俺は包囲の設計を始めた。
まず、補給路。
村落への街道には宿場がある。
宿場の主人は反王権派ではない。
そこにヴィクターを使って「旅の商人が道を封鎖している」という噂を流す。
村人が道を避ければ、補給が細る。
次に連絡路。
反王権派は伝令を使っている。山道を行く人間を1人ずつ、こちらの者が「迷子の旅人」として引き止める。
暴力は使わない。時間だけを奪う。
最後に逃走路。
廃村の正面道路を、深夜に「工事中」として封鎖する。
どこかの貴族の邸宅への道を整備している、という名目で。
正面を塞がれれば、残るは山越えだけだ。
山越えは、こちらが先回りする。
「兵力はどれほど使えますか?」
フリッツが答えた。
「わたくしが動かせるのは、15名です。王剣騎士団の現役が3名、元構成員が12名」
「学院の者は使えますか?」
「……秘匿任務です。正確には…」
「使います。エドと、あと3名。外縁の押さえだけを頼みます。中に入れるのは、フリッツとわたくしだけでいい。」
フリッツが静かに言った。
「……殿下が、直接動くのですか?」
「はい。」
「……理由をお聞かせ願えますか?」
俺は少し考えた。
「偽物の王子を、処断する任務です。しかし、俺はまだ、その男のことを何も知らない。盤の上の駒として処理する前に、直接、見たいです。」
フリッツが、何も言わなかった。
しかし否定もしなかった…
「……承知しました。では…」
フリッツが地図の一点を指した。
「この岩陰が、最後の詰めに使えます。私が殿下を守りながら、最短経路でここまで入ります。」
地図の上に、水が満ちていく図が見えた。
その夜、フリッツが一枚の紙を差し出した。
「殿下。対象の情報です…」
俺は受け取った。
名前 レオン・ファルク。23歳。
出身 王都西部、下級騎士の家系。三男。
特記 顔立ちおよび体格が第2王子オスカー殿下に酷似。
経歴 20歳の時、王城の側近ヴォルフ卿より密命を受け、
第2王子の影武者を引き受ける。以降、王家の極秘
事項として管理されていたが、反王権派に存在を嗅
ぎつけられ、旗印として担ぎ上げられる。
……20歳。
……王家のために、と言われた。
……しかし、その「密命」の根拠は顔が似ていた。
ただ、それだけだった。
「レオン・ファルク」
声に出して、名前を呼んだ。
この名前を、忘れない。
処断する相手にも、名前がある…
フリッツが静かに立っていた。
何も言わなかった。
ただ、その沈黙は、否定ではなかった。




