龍の飛翔、それぞれの役目
「形兵の極は、無形に至る」
ーー孫子ーー
「君臣の利は異なり。君は臣を蓄え、臣は君に仕える。利を共にする者は長く続き、利を相反する者は必ず崩れる」
ーー韓非子ーー
最高の陣形は形なき陣形だ。
君主と臣下の利が一致する時、国は長く続く。
駒がそれぞれの役目を知る時、盤は最も強くなる。
金の封書を開けたのは、最後だった。
父王の私室で、俺と父王と侯爵とフリッツの4人。
金の封蝋を割ると、中に長い文書が入っていた。俺は声に出して読んだ。
「第1王子アルベルト・フォン・ヴァルトハウゼンおよび第4王子シオン・フォン・ヴァルトハウゼンは、北部最前線において王家の旗印として領土防衛および拡張に従事せよ。
第3王子ジュリアン・フォン・ヴァルトハウゼンは、東部において商業振興および防衛順守に従事せよ。
西部の守りは近衛兵団を中心とし、ハイルベルク侯爵がこれを統括する。
第5王子ルーク・フォン・ヴァルトハウゼンには、別途命ずる。」
俺は文書を置いた。
「……別途命ずる、とは?」
「それが、最後の話だ」
父王が立ち上がった。部屋の奥の棚から、もう1通の封書を取り出した。
封蝋はなかった。ただの…紙だった。
「これは書状ではない。ただの俺の言葉だ…」
父王が俺の前に座った。距離が、いつもより近かった。
「ルーク。お前に頼みたいことがある。」
「はい。」
「……、……、国を、変えてくれ。」
室内が静まった。侯爵もフリッツも、何も言わなかった。
「国内法の改変。新たな軍法制の設立。新武器の開発。
この3つを、お前に命ずる。王令として、だ…」
俺はしばらく、父王を見た。
「……俺はまだ八歳です。」
「知っている。」
「国法を改変するのは、通常は成人した王族か、大臣が行うことです。」
「知っている。」
「それでも私に命ずるのですか?」
父王が、静かに言った。
「お前にしかできない。それだけだ…」
……お前にしかできない。
俺は少しの間、考えた。
アルベルト兄上は北部最前線に立つ。
人を引きつける力で、兵の心を掴む。
シオン兄上も北部に入る。
盤を読む目で、戦略を組む。
ジュリアン兄上は東部で商業と防衛を担う。
知識で国を支える。
侯爵は西部で近衛を率いる。
王剣騎士団の残存組織で、陰の守りを固める。
そして俺は、国の内側を変える。
外を守る者たちがいる。内を変える者が必要だった…
「……わかりました。受けます。」
父王が頷いた。
「王剣騎士団での修行を終えた後、動き始めろ。急かさない。但し、手を抜くな。」
「はい」
「一つだけ聞く。どこから手をつける?」
俺は即答した。
「軍法制です。法が変わらなければ、武器も戦略も意味をなしません。法が土台です。土台から変えます。」
父王が笑った。
「……やはりお前は、面白い!!」
侯爵が静かに言った。
「殿下。1つ宜しいですか?」
「どうぞ…」
「国内法の改変は、多くの貴族の利権に触れます。必ず抵抗が出ます。その時、どうされますか?」
俺は少し考えた。
「法は公開して議論させます。しかし、実際にどう動かすかは、見せません。抵抗する者には、法の内側で対処します。」
侯爵が少し目を細めた。
「……承知しました。必要な時は力を貸します。」
フリッツが一礼した。言葉はなかった。
しかし、その礼が、全ての答えだった。
王都を発つ前の夜、ミア姉様と中庭を歩いた。
「全部、決まったのですね…」
「はい。」
「……大変なことを引き受けましたね…」
「そうですか?」
ミア姉様が少し笑った。
「そうですよ。国法の改変なんて普通は10年かかることです…」
「10年でやるつもりはありません…」
「……何年でやるつもりですか?」
俺は少し考えた。「3年、いや4年。土台を作るまでは…」
ミア姉様が立ち止まった。俺を見た。
「……ルーク。あなたは、本当に、怖くないのですか?」
俺は少し止まった。
「…正直に言うと、怖いかどうかより、やるべきことが見えている時の方が多いです。やるべきことが見えていれば、怖さより、やり方を考える方が先になります。」
「……それが、ルークらしさですね。」
「そうですか?」
「そうですよ。私は、ルークの傍にいます。必要な時は言ってください。」
「はい。それと、ミア姉様…」
ミア姉様が首を傾けた。
「なんですか?」
「修行に、参加してもらいます…」
ミア姉様が少し目を瞬いた。
「……修行、ですか?」
「王剣騎士団の修行です。秘匿なので、他には言わないでください。」
ミア姉様がしばらく黙った。
それから、少し笑った。
「……行きます。」
「即答ですか…」
「ルークが声をかけてくれたんですから、行かない理由がないでしょう!」
やはり、そうだった…
「厳しい修行になります。」
「大丈夫です。参謀が弱くては…、「党首」殿に申し訳が立ちません!」
ミア姉様が、少し真剣な目をした。
その目は、いつもの柔らかい目とは、少し違った。
ミア姉様は、本当は強い人だ…
柔らかさの内側に、芯がある…
「……ありがとうございます、ミア姉様…」
「えへへ、可愛い弟に頼まれたら、断れないですよ!」
夜の中庭に、静かな風が流れた。
龍が、それぞれの空へ飛び立つ夜だった。




