第四王子、盤の再構築
「勝兵は先ず勝ちてしかる後に戦いを求む」
ーー孫子ーー
「明主は法を慎み、功に任じて賞す」
ーー韓非子ーー
勝つ者はまず勝てる状況を作る。
賢明な主君は法を重んじ、功績に応じて正しく報いる。
シオン兄上が俺の部屋に来たのは、夜だった…
ノックはなかった。
扉が開いて、シオン兄上が立っていた。
いつも通りの無表情…
いつも通りの温度のない目…
でも今夜は何かが違った…
後ろに、トーマスが控えていた。
トーマス・フォン・ブラウン
シオン兄上の側近筆頭。
細身で眼鏡をかけた、20歳の男だ。
普段は書類仕事を黙々とこなしている。
しかし今日は、書類を持っていなかった。
両手を前で組み、静かに立っていた。
……この二人が、夜にそろって来た。
…… 何かが起きる。
「入っていいか?」
「どうぞ…」
シオン兄上が部屋に入った。
椅子には座らなかった。
窓の外を一度見て、それから俺を見た。
トーマスが後ろで扉を閉め、壁際に立った。
「俺は来月、学院を卒業する…」
シオン兄上は今年で五年目だ。
卒業の条件は満たしている。
しかしそれを俺に直接告げに来た、という事実が重かった。
「どうされたのですか?」
「第1王子の下に行く…」
「アルベルト兄上の下に入られるのですか?」
「しばらく側近として従事する…」
シオン兄上が、俺を見た。
その目が、わずかに動いた。
何かを測るような動きだった。
そして、 シオン兄上は、何も言わなかった。
代わりに、トーマスが前に出た。
「ルーク殿下。シオン殿下よりご説明を申し上げます。」
トーマスの声は、いつも通り淡々としていた。
感情がなかった。あるいは感情を完全に消していた。
「殿下がご卒業に際し、学院の派閥運営を引き継いでいただける方を探しておられました。検討の結果、ルーク殿下以外に適任がいないという結論に至りました…」
検討の結果、か…
誰が検討したのか。シオン兄上が一人で決めたのだろう…
「引き継ぎの内容は以下の通りです」
トーマスが1枚の紙を取り出した。
読み上げた。
一、玄狼衆の指揮権をルーク殿下に移譲する。
二、現在シオン殿下が管理している学院情報網を引き渡す。
三、学院の派閥を二大勢力に再編し、秩序を維持すること。
四、そのやり方は問わない。
「以上が、シオン殿下の最後の命令となります。」
最後の命令、という言葉が、妙に重かった。
これは依頼ではない。命令だ。
その命令を、シオン兄上は自分の口では言わなかった。
「……断ることは、できますか?」
俺はトーマスに聞いた。
本当はシオン兄上に聞くべきだったかもしれない。
しかし、トーマスが前に出ている以上、窓口はトーマスだ…
トーマスが少し間を置いた。
「……お断りになることは、もちろん可能です。ただ、その場合には玄狼衆の指揮権は宙に浮きます。情報網も閉鎖されます。学院内の派閥均衡は、誰も管理しない状態になります。」
「それは…困ることですか?」
「学院が、次の混乱を引き起こす可能性が高まります。封鎖戦ほどの規模にはならないかもしれません。しかし、誰かが傷つくことは、避けられないと思われます。」
断れば混乱が起きる。
受ければ俺が動かなければならない。
どちらを選んでも、俺は学院に縛られる。
よくできた構造だった…
シオン兄上は最初から、俺が断れない状況を作った上でここに来ていた。
自分の口では一言も「頼む」と言わずに…
トーマスの言葉と、状況の圧力だけで…
……これが、シオン兄上のやり方だ。
俺はシオン兄上を見た。
シオン兄上は、窓の外を見ていた。
俺の視線に気づいていないわけがない。
ただ、見なかった…
「……承知しました。引き受けます。」
トーマスが頷いた。
「ありがとうございます」
シオン兄上が、初めて俺を見た。
「……わかったか。」
それだけだった…
わかったか?!
何を?!
断れない状況の作り方を?!
それとも、俺がそれを見抜いていることを、確かめたのか…
シオン兄上が扉に向かった。
トーマスが後に続いた。
扉が閉まる直前、シオン兄上が振り返った。
しかし、冷たい視線を向けて出て行かれた。
足音が廊下に消えた。
俺は部屋に一人残った。
窓の外を見た。夜の学院が広がっていた。
わかったか…
ああ、わかった…
シオン兄上が「頼む」と言えないのではない…
言わない…
それが、あの人のやり方だ。
そして、俺はそのやり方で動かされた。
俺はノートを開いた。
シオン兄上 来月卒業
派閥継承 俺へ
手法
状況による包囲
自分の口では一言も頼まなかった
最後の命令
学院を二大派閥に再編せよ
ーーやり方は問わない、との言葉あり。
ーーやり方は、俺が決める。
ーー但し、今回の件は覚えておく。
ーーシオン兄上は、人を動かす時、自分の手を汚さない。
ーーそれが強さか。それとも、孤独か…
ペンを置いた。
盤が、また動き始めた…




