二日間の猶予と、7歳の軍師(後)
「兵者、詭道なり」
ーー孫子ーー
兵とは、騙しの道である。強くとも弱く見せ、近くとも遠く見せる。相手の目を欺くことが、戦の本質だ。
翌朝から、学院が変わった。
表向きは何も変わっていない。
廊下に生徒が歩いている。食堂から食事の匂いがする。
しかし、その中で俺たちは静かに動いていた。
まず、広場の下見をした。
学院の中央広場は、東西に長い石畳の空間だ。
四方を校舎の壁に囲まれている。
夜に全ての松明を消せば、完全な暗闇になる。
出入り口は正面の大門と、南北の小門の3箇所。
「大門から誘導して、南北の小門を閉じます。300が広場に入った時点で、大門も閉じる。その瞬間に松明を消す。弓組は壁の上から射る。」
エドが広場を歩きながら言った。
「……壁の上に上がる経路は?」
「東棟の外階段と、西棟の倉庫の屋根から登れる。事前に確認しておいてくれ。」
「わかった。」
ヴィクターが言った。
「弓の射程と、壁の高さから考えると、有効な射角は東側と西側の壁上に限られる。南側は角度が悪い。」
「では東西に弓組を集中させよう。南壁は見張りだけでいい。」
ラウルが地図を広げた。
「……三百人が広場に全員入るか? 狭くないか?」
「入らせる。少し密集しますが、むしろそれがいい。密集しているほど、矢は当たりやすい。」
ラウルが少し顔をしかめた。
「……物騒だな。」
「戦争です。でも、こちらに被害は出せない。」
「……そうだな」
目隠し訓練が始まった。
弓組の7名が、昼から布で目を塞いだ。
最初の1時間は、廊下を歩くだけで壁にぶつかっていた。
しかし5時間が経つと、手探りで階段を降りられるようになっていた。
クルトが夕食の時間に叫んだ。
「スープの熱さで位置が…後、臭いでわかるようになってきた!」
「それは訓練の成果ではなく、スープが熱いだけだ。」
「でもすごくない!?」
エリカは静かだった。
目隠しをしたまま、壁に背を当てて座り、ただ耳を澄ませていた。
翌朝には、廊下を歩く人間の数を音だけで言い当てていた。
ヴィクターは夜の間も目隠しを外さなかった。
「暗順応を最大にする。2日間で極限まで上げる」
それだけ言って、目隠しのまま弓の素振りを始めた。
槍組は別の訓練をしていた。
屋根の上から、広場に向けて木の棒を投げ下ろす。
弓のような精度は要らない。
ただ、手を離すタイミングと角度を体に覚えさせる。
一年生の1人が、最初は地面に刺さらず転がった。
「もっと角度をつけろ。真下に落とすイメージだ」
教師陣の1人がそう言うと、次の投擲で槍が石畳に刺さった。
その音が広場に響いた。
いい音だった。
暗闇の中で聞いたら、恐怖になる音だった…
夜になって、フリッツの部下の一人が俺のところに来た。
小さな木箱を持っていた。
蓋を開けると、暗い色の油状のものが、平たい石皿に盛られていた。
「毒の塗布の準備が整いました。矢と槍、全ての先端に塗布いたします。効果は刺さってから半刻ほどで全身に回ります。即死性ではございません。ただし…助かる者は出ません」
俺は木箱を見て、それから頷いた。
「お願いします」
フリッツの部下が礼をして、静かに去った。
その夜のうちに、弓組の矢束と槍組の槍の全てに、毒が塗られた。
作業は無言で行われた。
一年生のカイが、その様子を遠くから一度だけ見た。
それから目を逸らした。
俺はその背中を見ていた。
見せたくはなかった。
しかし、見ておくことも必要だと思った。
これが戦争の、表から見えない部分だ。
トーマスが俺の横に来た。
「……殿下。毒の使用について、1つ確認を…」
「なんですか?」
「道義的な問題として、後で問題になりませんか。毒を使った戦闘は、正規軍の戦法としては認められていない場合があります。」
俺は少し考えた。
「正規軍の戦法の話をするなら、6000の軍が7歳の子供のいる学院を囲んでいること自体、正規の戦争ではありません。俺たちは正規軍でもない。学院の生徒です。生き残るために、使える手を全て使います。」
トーマスが静かに言った。
「……承知しました。記録には残しません。」
「いいえ」
俺はトーマスを見た。
「記録に残してください。俺がこれを決めた。その責任は俺が持ちます。後で誰かが問うなら、俺が答えます。」
トーマスが、少しの間俺を見た。
それから深く頷いた。
「……殿下。」
「なんですか」
「……何でもありません。」
俺はノートを開いた。
弓組・槍組、目隠し訓練
異常なし
矢・槍への毒塗布
完了
広場の確認
完了 東西壁上が有効射点
大門・南北小門の施錠タイミング
調整中
サレナへの偽情報投入
明日の夜に実施予定
先発隊到達まで
あと1日と半。
この作戦の全ての決定は、俺が行った
ペンを置いた。
トーマスが隣に来た。
「……殿下。一つ確認してもよいですか?」
「なんですか?」
「先発隊との交渉、白旗を上げる時…、殿下が正面に立たれるおつもりですか?」
俺は少し考えた。
「俺が出ます。」
「……七歳の殿下が。」
「それが一番効果的です。7歳の子供が白旗を持って出てきた場合、相手は警戒を緩めます。まさかそれが罠だとは、普通は思わない。」
トーマスがしばらく黙った。
「……殿下は、ご自身を囮にするおつもりですか?」
「囮ではありません。正確には、7歳であることを武器にするだけです。」
トーマスがため息をついた。
「……承知しました。但し、背後には必ずエドをつけさせてください。何かあった時のために…」
「わかりました」
エドが扉の外から言った。
「聞こえていた。引き受ける。」
「……盗み聞きか?」
「廊下にいただけだ」
トーマスが苦笑した。
「……玄狼衆というのは、本当に個性的ですね。」
「慣れます。」
その夜、俺はサレナに動いてもらった。
ヴィクターが接触した。直接ではなく、サレナの行動パターンを読んで、サレナが必ず見る場所に「情報」を置いた。
内容は、「学院守備隊、六名に減少。指揮系統に混乱あり」というものだった。
翌朝、サレナが北門方向に向かうのをエドが確認した。
報告が、相手に届いた。
俺はノートに書いた。
誤情報、投入完了
先発隊は6名の守備隊だと思って来る
準備は整った
その夜は、珍しく早く眠った。
明日の夜、先発隊が来る。




