静かな秋と、派閥という名の生き物(後)
「明主の道は、能に任じて用ふ。多言を貴ばず、功を以て賞す」
ーー韓非子ーー
賢明な君主の道は、能力に応じて仕事を与えることだ。多くを語るより、功績で報いよ。
十月に入った週、エドが俺の部屋に来た。
珍しかった。エドから俺の部屋に来ることは、あまりない。
扉をノックして、入ってきて、椅子に座った。
それだけで5分間、何も言わなかった。
俺は書類を読みながら、待った。
「……旧蒼穹会の中に、動きのおかしい奴がいる」
俺はペンを置いた…
「詳しく…」
「フォン・ブロッカーではない。その下の男だ。サレナという名前。毎日夜に、学院の西門付近をうろついている。
誰かと会っているのか、あるいは待っているのかはわからない。もう3日間、同じ行動をしている…」
「どうやって気づいた?」
「訓練の帰り道が、そこを通る…」
エドが淡々と言った。
3日間、同じ場所で同じ人間を見た。それだけで気になった。この男の観察眼は、止まっていない。戦場以外でも動いている。
「ヴィクターに伝えてくれ。サレナの行動を一週間追ってもらう。」
「わかった」
エドが立ち上がった。
俺は声をかけた。
「……よく気づいた」
エドが振り返った。
その目が止まった。
何も言わずに、部屋を出た。
その夜、俺はノートに書いた。
「エドを、もっと使え」
翌週、ヴィクターから報告が来た。
「サレナは、学院の外部と接触していた。相手は商人を名乗っているが、商人ではない。立ち方、目の動き方、手の位置…情報を扱う人間のそれだ」
「敵か?」
「敵か、あるいは様子を見ている者か。まだわからない…ただ、サレナが渡したものがある。紙だ。中身は確認できていない」
俺は少し考えた…
「サレナを今すぐ動かすな。泳がせておく。相手が何を求めているのかがわかるまで、こちらからは何もしない。但し、次に接触があったら、俺にすぐ知らせてくれ…」
「わかった。」
ヴィクターが部屋を出た。
「なんか面白いことが起きてる?」
扉が閉まった瞬間、隣の椅子からミア様の声がした。
いつの間にか座っていた。
「いつから聞いていた?」
「最初から! ヴィクターが来る前から部屋にいたよ?」
「……気づかなかった」
「ふふ。気づかれなかった」
ミア様が少し表情を変えた。
「ルーク、私も気になってること、あるんだよね…」
「言ってくれ!!」
「最近、学院の北側の商人街で、顔を見たことのない行商人が増えてる。私の使用人が市場に行くたびに報告してくれてるんだけど、同じ人間が別の格好で出てきてる、って言うの…」
俺はその言葉を、頭の中に入れた。
サレナの接触相手。学院外部からの行商人の増加。
別々の情報が、同じ方向を向いている気がした。
「ミア様。使用人に、その行商人の動きを継続して報告させてくれ。顔の特徴、来る時間帯、どこで何を売っているか。全部…」
「わかった! あ、でも一つ聞いていい?」
「何だ?」
「これ、何かまずいことになりそう?」
俺は少し考えた。
「……まだわからない。」
ミア様が頷いた。笑顔ではなかった。
その夜、俺はノートに一行追加した。
「学院の外に、目がある…」
「道は天下の貴なり。聖人は道を体して以て動く」
ーー韓非子ーー
道は天下の最も尊いものだ。賢者はその道を体現して動く。しかし…、道の外から火はつけられる。
10月の末、学院内の派閥序列に動きがあった。
四大派閥のうち、蒼穹会はすでに玄狼衆の傘下だ。
残る三派、蒼穹会に次ぐ規模の「鉄環会」、中立を保つ「白鷺派」、新興の「暁明社」。
それぞれが、玄狼衆の動向を測るような動きを見せ始めていた。
鉄環会の代表、フォン・ハウザーが接触を求めてきた。
「会談を、と言っている。内容は先に示せないとのことだ」
ラウルが報告してきた。
「どうする?」
「会う。ただし場所は俺が指定する。玄狼衆の集会室だ。絶対に相手のホームでは会わない」
2日後、フォン・ハウザーが玄狼衆の集会室に来た。
16歳。
父が軍部に太いパイプを持つ伯爵家の次男。
堂々とした体格だが、目が鋭い。
単純な力押しの人間ではない。
「率直に聞く…」
フォン・ハウザーが俺を見た。
「玄狼衆は、鉄環会に何を求めるつもりだ?」
俺は少し考えた。
「今は何も求めない…」
フォン・ハウザーが少し眉を動かした。
「…それが答えか?」
「それが答えだ。傘下に入れと言うつもりはない。ただ、1つだけ提案がある。お互いの情報を、月に1度交換しないか?
学院の中で起きていることを…二つの組織で共有する。それだけでいい…」
フォン・ハウザーが少し黙った。
「…対等な関係として、か?」
「今は、そうだ…」
「『今は』というのが引っかかる…」
「正直に言っただけだ。未来のことは俺にも読めない。ただ今この時点では、俺はお前たちを傘下にしたいとは思っていない…」
フォン・ハウザーがしばらく俺を見ていた。
7歳の子供を、値踏みしていた。
それから、少し笑った。
「……面白い奴だな、第五王子は」
「よく言われる。」
「言われるのか?」
「主にラウルに…」
フォン・ハウザーが笑い声を上げた。室内の空気が少し緩んだ。
「情報交換、のむ。ただし条件がある。うちから出す情報の質と、そちらから出す情報の質が釣り合わない場合は、交渉を打ち切る!」
「合意だ…」
フォン・ハウザーが帰った後、ラウルが俺に言った。
「……上手くいったな。」
「まだわからない。しかし悪くはない…」
組織は静かに広がっていた。
俺のノートに書かれた名前が、少しずつ増えていた。
しかし、その夜…
ヴィクターから、短い報告が届いた。
「サレナの接触相手が変わった。今夜来たのは、商人ではない。軍人の体格をした男だ。武器を持っていないが、歩き方サレナは、その男に書状を渡した」
俺は報告書を読んだ。
もう1度読んだ…
軍人。書状…
学院の外に目がある。
その目が、今夜初めて、輪郭を見せた。
しかし、その輪郭の先が、どこへ続いているのか…
俺にはまだ、見えていなかった。




