ルークの知らない夜 二人が動いた理由
俺が北の討伐を進めていた間、俺の知らないところで、別の動きがあった。
それを、俺はずっと後になるまで知らなかった。
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ミア様とエドが最初に話したのは、討伐の準備が始まって三日目の夜だという。
場所は学院の西棟の廊下。
人の気配がない時間を選んだ、意図的な接触だった。
先に声をかけたのは、ミア様だった。
「エド君…」
夜の廊下に2人きり。
ミア様は笑顔だった。
しかしその笑顔の奥に、あの目があった。
天然の令嬢ではない。近衛最高位の娘の目だった。
エドは止まった。振り返った。
「……なんだ、ミア様?」
「ルークのこと、好き?」
エドが止まった。
「……唐突だな。」
「答えて…」
エドがミア様を見た。その目を見た。
笑顔の奥にある目を、ちゃんと見た。
「……嫌いじゃない。」
ミア様が頷いた。
「そうだよね。エド君はそういう人だと思った…」
「何が言いたい?」
「ルークのお仕事、うまくいくといいよね…討伐が終わったら、次は四大派閥の壊滅に動くと思う。あの子は絶対そうする…」
「……そうだろうな。」
ミア様が少し首を傾けた。
「蒼穹会のエルンスト・フォン・ヴァイスベルクが、一番狙い目だと思う。知ってる?」
「知っている。最大派閥の代表だ…」
「そう。でもね、蒼穹会って、エルンスト一人に権限が集中しすぎてるんだよ。エルンストが抜けたら、残りは方向を失う。そこにルークが入れば、一気に取り込める…」
「……正しい分析だ。」
「でしょ!」
ミア様が、廊下の暗がりをしばらく見た。
その横顔が、いつもの笑顔の令嬢とは別の顔だった。
「エルンスト、最近馬の扱いが荒いんだって…馬術の練習場で、よく一人で遅い時間に練習してるって聞いてる。管理人は、その時間帯に離れていることが多いらしい…」
エドは、何も言わなかった。
ただ、その目が一瞬だけ動いた。
計算していた。
ミア様が何を言おうとしているのかを、確認していた。
「続けてくれ…」
ミア様が静かに言った。
「ルークは、私たちが動いたことを知らなくていい…あの子は自分の力で全部やり遂げたと思っていい。それが、ルークにとって一番いいことだから…」
エドが、しばらく沈黙した。
廊下に、何も聞こえなかった。
「……なぜ俺に声をかけた?」
エドが言った。
「他にやりようはあったはずだ。なぜ俺だ?」
ミア様が、少し考えるように間を置いた。
「エド君、施設出身なんでしょう?」
エドが止まった。
「……なぜそれを?」
「兄様から…ちゃんと調べてある。施設で育った人は、誰かの命令でも誰かの感情でも動かない。自分が決めた理由でしか動かない…。だから聞いたの、ルークのこと、好きかって…」
エドが黙った。
ミア様が続けた。
「好きな理由は関係ない。嫌いじゃないなら、それで十分…エド君が動くなら、絶対にやり遂げると思った。中途半端な人間を巻き込む気はなかったから…」
長い沈黙があった。
「……あんたは?」
エドが口を開いた。
「ルークのために動いている。本気で…」
ミア様が笑った。今度は、天然の笑顔だった。
「当たり前じゃない。大事な弟みたいなものだもん。小さい頃から知ってる。ずっと可愛かった。今も可愛い…あの子が誰かに潰されるのは、絶対に嫌だ…」
最後の一言だけ、声が少し低くなった。
笑顔のまま、しかし眼の温度だけが変わった。
エドはその目を、少しの間見ていた。
「……わかった。」
それだけだった。
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北の討伐が終わって二週間後…
蒼穹会の代表、エルンスト・フォン・ヴァイスベルクが、馬術の練習中に落馬した。
夜の練習場だった。
いつも通りの1人練習で、管理人はその時間帯に場を離れていた…
馬が突然暴れた、と翌朝の報告書に書かれた。
目撃者は…いなかった。
エルンストは怪我こそしたが、命に別状はなかった。
しかし…全治一ヶ月以上という診断が出た。
その間、蒼穹会の指揮を執ることはできない。
蒼穹会は、代表不在の状態になった…
その報告を、俺は翌朝に聞いた。
代表不在の蒼穹会。
43名の派閥団員が、方向を失っている。
今なら、入れる…
俺は即座に動いた。
まずヴィクターを呼んだ。
「蒼穹会の内部を洗ってくれ。エルンストに不満を持っている人間を特定する。代表代行が誰になるかも調べてくれ…」
「一日もらえるか…」
翌朝、ヴィクターが名前の書かれた紙を持ってきた。
不満を持つ者が7名。代表代行の候補が2名。
ラウルを呼んだ。
「この7名に接触できる人間を、蒼穹会の中から見つけてくれ。直接ではなく、人間関係を辿って繋いでくれ。俺の名前はまだ出すな…」
「わかった。二日もらえるか?」
「わかった、宜しく頼む…」
三日目、ラウルが代表代行と接触できる人間を見つけてきた。
蒼穹会の中で財務省系の仕事を担っていた男だった。
エルンストのやり方に不満を持ち、変化を望んでいた。
その男を経由して、俺は代表代行に会った。
相手は20代の男だった。
エルンストの側近上がりで、実務はできる。
しかし方向を示す力がなかった。
それが俺の読みだった…
「蒼穹会の持つ財務省・外交府との連携ルートは、そのまま活かせる。玄狼衆の傘下に入っても、実務は変わらない。ただし窓口は一本化する。あなたの立場は保証する。やっていることは今と同じだ。」
代表代行が俺を見た。
7歳の子供を見る目だった。
しかしすぐに、その目が変わった。
「……第5王子殿下が、直接ですか?」
「直接来た。それだけの話だ…」
代表代行は三日間考えた。
四日目に、承認した。
43名のうち37名が、玄狼衆の影響下に入った。
残り6名は去った。…
それでいい。無理に引き留める必要はない。
シオン兄上への報告をしに行った。俺はそれを自分の仕事の成果として報告した。
シオン兄上は何も言わなかった。
書類をめくる手が、一瞬だけ止まった。
それだけだった…
俺は部屋を出た。
廊下を歩きながら、頭の中に引っかかりがあった。
エルンストの落馬。タイミングが良すぎた。
暗い練習場。
目撃者なし。
管理人の不在。
俺が蒼穹会に動こうとしていた、ちょうどその前夜…
誰かが、動いていたのかもしれない…
しかし俺には証拠がなかった。
問う理由も…
なかった。
俺は廊下を歩き続けた。




