大会という名の罠 賢き者② 篩にかける
「では…、これから戦争を始めます」
その言葉の後、94名が控え室に案内される。何も説明されない。試験内容も、時間も、何も教えられない。ただ…、番号が書かれた紙を渡されて、呼ばれるまで待てと言われる。
控え室の中は、ざわついている…
「何をやらされるんだ?」と誰かが言う。
「さぁ…、入ってみないとわからない…」と別の誰かが答える。
話しかける者もいる…
黙って目を閉じている者もいる…
盤上の本を取り出して何かを確認している者もいる…
緊張のほぐし方は人それぞれだ。
「入室の順番は番号順です。2名ずつ、2会場に同時に入っていただきます」とハルトの部下が告げる、それだけだった。
1組目が呼ばれ、4名の者が立ち上がり、長い廊下を渡って2つの試験会場へ向かっていく。その背中が扉の向こうに消えると、控え室が、ぴたりと静まり返る。
2つの大広間の様子は全く伺えない。声も、物音も、何も聞こえてこない。廊下を挟んでいるからだ。待機場所には…、静寂だけが残されている。
2組目が呼ばれる。また4名が立ち上がって廊下を渡っていく。扉が閉まる。また静寂だ…
3組目が向かっていく。しかし、誰も戻ってこない。
4組目も向かっていくが、同じく誰も戻ってこない…。
合格したのか不合格になったのか、控え室にいる者には全くわからない。ただ…、人数だけが減っていく。呼ばれた者が廊下を渡っていく。扉が閉まる、それだけだ…。
誰一人、戻ってこない。その事実が、控え室の空気をさらに重くしていく。
「……何をやらされるんだ」と誰かが小声で言う。今度は誰も答えない…。
5組目が向かった時点で、20名が会場に向かったことになる。しかし、控え室に残った者たちには、何も情報が入ってこない…。
合格者がいるのかいないのか…
どんな試験なのか…
全くわからないまま、自分の番を待つしかない。控え室の空気が変わっている。
最初のざわめきは消えている。全員が黙っていて、自分の番が近づいてくるにつれて、言葉を持つ余裕がなくなっていく。
試験会場では、各グループが入室する前に、誘導してきた従者が必ず同じ言葉を告げている。
「最も重要なルールをお話します。試験中、あなた方は多くの兵士を任される軍師であります。軍師として、参謀として…、 怒りや諦めのような感情を表に出す行為や言動はなさらないでください…。それはいかなる場合や場面においても、当試験では失格となります。くれぐれも心に留め置いてください。では、試験を始めさせていただきます」
しかし、その言葉を聞いてもなお、感情が動く者が出る。
「これは理不尽だ!!」
会場が静まり返る。
「退場して下さい…」とレーンが言う。
淡々と…。
「なぜだ!! 答えはまだ出していない!!」
「お読みします…」とレーンが言う。王命書を取り出す。
「戦場において冷静さは最も必要な資質である。いかなる状況においても感情に流された判断は、兵を死に至らしめる。よって、これを王命として定める」
男が「そんなことは…」と言いかける。
「戦場の理です。怒りのまま判断した将が、どれだけの兵を無駄死にさせてきたか…。殿下はそれを定めておられます…」
男が完全に黙る。
そして、立ち上がって、出ていく。
「今日これで4人目です」とレーンがハルトに小声で言う。
「予想より少ないですね…」とハルトが言う。
「この会場の参加者は、我慢強い。それ自体が参加した者達の資質です」
「では、6組目を呼んで下さい…」
次の4名が廊下へ向かっていく。
扉が閉まった直後、レーンの元に部下が近づく。
「レーン様…」と小声で言う。
「別会場より報告です。先程、1人目の合格者が出ました…」
「何者ですか?」とレーンが言う。
「女性です。名前はメルと名乗っています。出身や参加経緯は明かしていませんが、答えを示す速度が他の参加者と全く違ったそうです。採点官全員がほぼ満点に近い点数をつけています」
「……そうですか」とレーンが言う。少し間を置く。「記録して下さい。決勝で会いましょう」
部下が下がる。控え室では、その報告が行われたことすら、誰も知らない。試験官たちだけが知っている。静寂の中で、各自が黙って自分の番を待っている。
ハルトが「殿下の設計通りですね」と小声で言う。
「えぇ、その通りですね…」とレーンが言う。「性別・年齢・階級を問わない。その言葉の意味するところが、本物だったということです」
「7組目の方、どうぞ…」
会場の扉が開く。入ってきた2人を見て、レーンの目が止まる…。
1人目。腕に刀傷がある。顔にも走っている。体のいたるころに古傷の痕がある。文官の格好をしているが…、どう見ても戦場を生き抜いてきた者の体だ。名はアーク。
2人目。背が低く、白髪だ。杖をついてゆっくり歩いている。しかし、その目だけが、全く老いておらず、非常に鋭い。長年何かを見て、追い続けてきた者の目だ。名はヨーク。
2人が席に着こうとした時、ヨークが口を開く。
「一つ確認したい…」
「どうぞ…」とレーンが言う。
「改めて聞くが、年齢による制限は本当にないのだな?」
「王印での宣誓書をお読みします…」とレーンが言う。
「本試験においては、性別・階級・年齢・出身国を問わず、能力ある者を等しく評価する。これは王印をもって誓う…」
ヨークが「よいよい、そうか…」と言う。そして、静かに席に着く。その所作が…、静かなのに非常に熱をおび、重い…。
「ハルト…」とレーンが小声で言う。
「はい…」
「あの老人、どこかの国で相当な立場にいた人間であろうな…。資料で見る限り、年齢で罷免されたと書いてありますが、 あの目や所作を見てください…、あれはただ者ではない」
「……わかります」とハルトが言う。
「面白くなってきました…」
従者が2人に向かって例の言葉を告げる。アークが頷く。表情は変わらない。ヨークが「一歳、承知した…」と言う。静かに。
盤上が広げられる。赤軍と黒軍の配置が示される。縦横に広がる戦場の地形、山と谷、川と道、兵の数と配置、補給線の位置、本陣の場所。見つめる2人の動向に会場が静まり返る。
数字と駒で表された戦場だが、それを読める者には違って見える。そこに風が吹いて兵の声がして馬の足音がして、戦場の臭いがする…
レーンが口を開く。
「では、第1問。赤軍の兵力は約25,000。対して黒軍はおよそ2000から3000。10倍以上の兵力差がある。兵力差に黒軍は攻めてこないと判断した赤軍は慢心している。この状況で赤軍が黒軍に完全勝利する方法を示せ…」
沈黙が落ちる…
アークが盤上を見ている。目が細くなっている。戦場を見る目だ。文官の格好をしていても、あの目は文官の目ではない。ヨークが盤上を見ている。動かない。杖を両手で握ったまま、じっと見ている。
しばらくして…、アークが口を開く。
「まず軍を引き締める。それが最初だ。完全勝利の前に、慢心した軍では話にならない。俺は戦場で何度もそれを見てきた。慢心した軍は小さな隙から崩れる。例え10倍の兵力があっても意味がない…」
「どう引き締めますか?」とレーンが言う。
「まず総大将が全部隊長を一堂に集める。そこで、最も慢心が激しい部隊長を1人、その場で切り捨てる…」
採点官の一人が「それは極端ではないですか?軍の士気が下がる恐れがあります…」と言う。
「逆だ!」とアークが言う。「見せしめではなく、覚悟を示すんだ。総大将が本気だとわかった瞬間、残りの部隊長は全員引き締まる。生半可な言葉より一つの行動の方が軍は動く。俺は実際にそれで何度も軍を立て直してきた…」
「しかし、人を切るのは最終手段では?」と採点官が言う。
「最終手段を先に使う。なぜなら今は最終局面だからだ…。慢心が深く、時間がない。じわじわ変えていく余裕なんてものはない。一撃で全員の意識を変える必要がある」とアークが言う。
ヨークが「まぁそれでよし、続きを言え」
「部隊長を引き締めた後、今度は総大将を動かす。宴席を即刻止め、酒を持ち込む者、持ち込もうとする者、酒樽は全て叩き割る。その上で総大将自ら前線の視察に出て、兵の間を歩かせる。将が動けば兵は変わる。そして勝利の後に王より褒賞と酒を受けよと言い渡す。今飲む酒より、勝利の後の酒の方がうまいと示すんだ。それで指揮を上げる」
採点官が「総大将に前線視察をさせるということは、総大将を危険に晒すことになりませんか?」と言う。
「総大将が後ろに引っ込んでいるから慢心が生まれる。前に出れば、兵は守ろうとする。守ろうとする軍は強い」とアークが言う。
「次は?」とレーンが言う。
「偵察を倍に出す。黒軍が動かないと思っているから慢心が生まれる。常時動きを把握すれば、慢心する隙がなくなる」
採点官が「そこで一つ伺います」と言う。口調が少し変わっている。「慢心した軍の斥候が、きちんと機能すると思いますか?慢心しているのは兵だけでなく斥候も同じではないですか?機能しない斥候を倍に出しても、意味がないのではないですか?」
会場が少し静まる。鋭い質問だ。アークが「……」と少し止まる。
「その通りじゃ」とヨークが言う。静かに、しかし確かに。「慢心した斥候など使い物にならぬ。だからこそ、斥候を選び直すのじゃ。全斥候を一度戻して、新たに選抜する。選抜の基準は一つ…。この戦の本質を理解しておる者かどうかじゃ。10倍の兵力があっても油断すれば負けると、腹の底から理解しておる者だけを出す…」
「選抜の時間がなければ?」と採点官が言う。
「時間がなければ斥候長を変えればよい」とヨークが言う。「斥候の質は斥候長で決まるものじゃ。長が引き締まれば下は自然と変わる。これも同じ理じゃよ…」
アークが静かに頷く。
「続けて下さい」とレーンが言う。
「引き締めた軍と正確な情報、その先は包囲じゃな…」とヨークが言う。「黒軍に逃げ場を与えてはならぬ。退路を全て塞いだ上で詰める。完全勝利とは殲滅ではなく、相手が戦えない状況を作ることじゃ。十倍の兵力があるなら、それを包囲に使えばよい。正面からぶつかる必要などない。包み込めばよいのじゃ…」
「包囲の前に黒軍が動いたら?」と採点官が言う。
「だからこそ斥候を常時動かすのじゃ」とヨークが言う。「黒軍が動いた瞬間に本陣へ報告が届く体制を整えておく。情報が一瞬でも遅れた時、完全勝利は幻となる。そして黒軍の補給線を先に断つ。食料も武器も兵も補充できなくなれば黒軍は自ら崩れる。そこへ詰めればよいのじゃよ…」
「そして最後に…」とヨークが続ける。
「赤軍の総大将に、この戦と戦後の未来を語らせることじゃ。兵は今だけを見ておる。将もそうじゃ、しかし総大将が戦後の未来を語れば、兵は前しか向かなくなる。慢心とは過去の勝利を見るから生まれるものじゃ。未来を見た軍は、慢心せぬ…」
長い沈黙が落ちる。レーンが採点官を見る。10名全員が静かにメモを取っていて、その手が明らかに速くなっている。
「レーン様…」とハルトが小声で言う。
「わかっています」とレーンが言う。同じく小声で。
盤上の上で、戦場が完全に動き始めている。




