火計乱舞
夜明けの山は静かだ。鳥の声だけが聞こえている。
しかし谷の両側の斜面では、夜明け前から人が動いている。乾いた藁の束、枯れ草、折れた木の枝。それを斜面の上から谷の底へ投げ込んでいく。一束、また一束。谷の底が藁と枯れ草で埋まっていく。
ランドが斜面の上から確認する。「もう一束だ。隙間を埋めろ」
仲間たちが黙って動く。
ルークも一緒に藁を運んでいる。護衛が「殿下、それは私が」と言いかける。「いいです。全員で動いた方が早い」
「左の隙間だけ空けておいてください」とルークがランドに言う。「逃げ道です」
「わかってる」
谷の底に藁が積み上がっていく。乾いている。よく燃える。あとは火矢を一本放てばいい。
準備が整った頃、ガルが斥候から戻ってくる。
「来てるぞ!! 150はいる!! 馬もいる!!」
「何分くらいで来ますか?」
「早足で10分ってとこだ」
「わかりました。位置についてください」
全員が動く。ランドが斜面の高台へ。仲間たちが岩陰へ。護衛が火矢の準備をする。
ガルだけが、谷の入り口の方へ歩いていく。
「ガル」とランドが言う。
「わかってるよ兄者。連弩は壊さない。約束通り走る。それだけだろ」
「頼む…」
「任せろ!!」
ガルが走っていく。静かになる。風が吹く。谷の底の藁が少し揺れる。
10分後。遠くからガルの声が響く。
「おい!! お前らの仲間が昨日泣きながら逃げていくの見たぞ!! 可哀想に、ちびってたやつもいたんじゃないか!?」
野盗たちの怒号が上がる。
「コロス!!」
「うるさい!! 聞こえてるか!? お前らの大将、昨日俺に蹴られて吹っ飛んだぞ!! 一撃で泣いてたぞ!! 男か!? お前!!」
「殺せぇ!!」「逃がすな!!」
「来い来い来い!! 昨日みたいに途中で諦めるなよ!! ほら来い!!」
野盗たちが雪崩のように走り始める。ガルが全力で逃げる。笑いながら。
怒声が山に響く。矢が飛ぶ。ガルの耳の横を矢がかすめていく。後ろから剣が煌めく。
「あっぶな!!」
それでも笑いながら走っている。足が速い。しかし先頭の馬が速い。騎馬の野盗が猛スピードで距離を縮めてくる。剣を振りかぶって、もう届きそうな距離まで来ている。
ガルが走りながら振り返る。連弩を構えて、放つ。
ドスッ!!
先頭の馬の前足に連弩が刺さる。馬が前のめりに転ぶ。騎手が吹き飛ぶ。後ろの6人が巻き込まれて将棋倒しになる。砂埃が上がる。悲鳴が上がる。
一気に距離が開く。
「よっしゃ!!」
ガルがそのまま谷へ駆け込む。野盗たちが追う。怒りで前しか見えていない。50人、70人、100人と谷の中に流れ込んでいく。
その瞬間。
谷の入り口にランドの仲間3人が横一列に立ちふさがる。槍を構えて。
「入り口を塞げ!!」
後続の野盗たちが「なっ!?」と止まる。しかし前から押されている。身動きが取れない。
谷の奥では、ガルが出口に抜けた瞬間に仲間2人が飛び出す。大きな丸太を横に構えて出口を封鎖する。
「出口も塞いだ!!」とガルが叫ぶ。
谷の中が密集する。前に出られない。後ろにも戻れない。横は崖だ。
「なんだ!?」「挟まれてるぞ!!」
高台からランドが見ている。谷の中に150人が詰め込まれている。身動きが取れなくなっている。
ルークが斜面の上に立っている。谷の中を見ている。数を数えている。密度を確認している。
「では」とルークが言う。振り返らずに言う。
「私の得意分野をご披露します」
右手を上げる。
両側の斜面から火矢が一斉に放たれる。
ゴォッ!!
谷の底の藁に火が付く。乾いた藁が一瞬で燃え上がる。枯れ草に燃え広がる。木の枝が爆ぜる。炎が藁から藁へ、枯れ草から枯れ草へ、谷の底を舐めるように広がっていく。左、右、前、どこを見ても炎だ。煙が谷の中を満たしていく。一瞬で視界が消える。
「火だ!!」「逃げろ!!」「出られない!!」
谷の中が阿鼻叫喚になる。炎が足元に迫ってくる。逃げようとしても入り口は槍で塞がれている。出口は丸太で封鎖されている。横は崖だ。上は煙だ。煙が濃くなる。息ができない。咳き込む声が重なる。怒鳴り声が悲鳴に変わっていく。膝をつく者が出始める。
炎が迫ってくる。熱い。息が苦しい。逃げ場がない。
そこへランドが高台から叫ぶ。
「逃げたいなら左の隙間から出ろ!! そこだけ開ける!!」
入り口の仲間が一瞬だけ左に動く。隙間ができる。
野盗たちが左を見る。我先にそこへ走る。押し合いながら、次々逃げていく。その隙間は山の外へ繋がっている。ルークが最初から計算して、わざと藁を積まなかった場所だ。
逃げ道を作る。追い詰めた獣に出口を与える。そうしなければ噛みついてくる。それが戦わずして勝つということだ。
谷から野盗が消えていく。残ったのは煙と燃え残った藁だけだ。
ガルが谷から戻ってくる。全身に煤が付いていて、息を切らしている。しかし顔が笑っている。片手に連弩を持ち上げて叫ぶ。
「壊れてないぞ!!」
「確認ありがとうございます」とルークが言う。
「俺褒められてる!?」
「もちろんです」
「やった!!」
ランドが無言でルークの隣に立つ。谷を見ている。煙がゆっくり晴れていく。
「死者ゼロか?」
「はい。約束通りです…」
「逃げ道を作っておいたのも最初からか?」
「はい」
「藁の量、火がどこまで広がるか、全部計算した上で?」
「はい、そうなります。」
「ガルの連弩のタイミングまで読んで?」
「……、大体は」
「大体…、か…」とランドが言う。少し笑う。「その大体が当たったからこうなってるんだろうが…」
「運もあります。しかし、運を引き寄せる準備はしていました…」
ランドがルークを見る。しばらく黙っている。
「改めてよろしくお願いします、ランドさん、ガルさん…」とルークが言う。
「俺はとっくに決まってるぞ!!」とガルが叫ぶ。煤だらけの顔で笑っている。
ランドが谷を見たまま言う。「変な王子だ…」
「褒めてますか?」
「…、褒めてない」
しかし、その口元が少し緩んでいる。朝の光が差し込んでくる。谷の煙が風に流れていく。
「行くか?」とランドが言う。
「はい」とルークが言う。
「飯にしよう!! 腹減った!!」とガルが叫ぶ。
その声が山に響く。




