未来の治世
謁見の準備中だった…
正装に着替えていた。側近が帯を締めてくれている。父上に呼ばれていた。9国の現状について、直接報告を求められていた。
その途中だった…
目の前が、暗くなる。
床が消える…
声が消える…
側近が何かを叫んでいる…
声が、綿の向こうから聞こえる…
それきりだった。
気がつくと、どこでもない場所にいた。
床もない…
壁もない…
ただ暗い…
しかし俺は立っている…
「ほう…」
声がした。
振り返ると、老人がいた。痩せているが背筋が伸びている。目が鋭い。しかし怖くない。悠々として、凛として、その目の奥に、長い年月を見てきた深さがある、
「韓非子、と申す」と老人が言う。
「……韓非子殿」
「知っているか?」
「知っています。何度も引用させていただいています」
「引用か…」と韓非子が言う。少し笑いながら、「使い方は悪くなかったと存じます。しかし…、まだわかっていないことがあるかと思いまして…」
「何ですか、それは?」
「治世のことでございます…」
いつの間にか、俺たちは歩いていた。
どこかわからない。ただ歩いている。韓非子が前を歩き、俺がついていく。
「国とは何だと思いますか?」
「民が暮らす場所です…」
「それだけでございましょうか?」
「……王が治める場所です」
「王がいなければ国ではない、とお思いですか?」
俺が黙る。
「国とは……、仕組み、と申せましょうか…」と韓非子が言う。「王がいなくても回る仕組み。民が安んじて暮らせる仕組み。その仕組みを丁寧に作っていくことが、治世の本質ではないかと思うのでございます…」
「仕組み、とは?」
「法、と申しましょうか…」と韓非子が言う。「感情ではございません。情でもない。法が正しく機能すれば、王が凡庸であっても国は動きます。しかし法が歪めば、王がいかに賢くとも国は腐っていくものでございます…」
「法を作るべきですか?」
「作っていただきたいと思います。しかし…、法はあくまで道具に過ぎませぬ。道具を正しく使うには、目的が必要でございます…」
「目的?」
「そなたの国の目的は何でしょうか?」
俺が止まる…
「民を守るために、動きます…」
「それだけですか?」
「……足りませんか?」
「少し足りないかもしれませぬ…」と韓非子が言う。厳しくはない。道を示すように言う…
「民を守ることは、手段でございましょう。目的ではない…。民を守って、その先に何があるのかを、考えていただけますか…」
「民が豊かに暮らせる国です…」
「では、そのためには?」
「富国強兵が必要です。税を整え、農業を立て直し、商業を育て、軍を強くする…」
「そのためには?」とまた韓非子が言う。穏やかに…
「……時間が必要です」と俺が言う。「9国との戦うには盤石にする時間が必要です。2.3の国を取れても意味がない。全部を飲み込む為の準備期間が…」
「左様でございます…」と韓非子が言う。「お前様はすでにおわかりになっている。でも、頭でわかっているだけでは足りませぬ。なぜ時間が必要なのかを、心で理解していただけますでしょうか?」
「心で、とは?」
「焦らずにいていただけますか?」と韓非子が言う。「10歳の王子が、9国を前にして焦っておられる。その焦りが、お前様を焦らせ倒しにかかってきたのでございます」
「……そうかもしれません」
「急いで作った法は歪みます。急いで固めた軍は崩れます。急いで結んだ同盟は裏切られます」と韓非子が言う。「しかし、時間をかけて丁寧に作ったものは、必ず残るものでございます…」
「治世の極意を教えてくださいますか?」
「極意などというものは、わたくしにもわかりませぬ…」と韓非子が言う。「ただ一つだけ申し上げられることがございます…」
「何ですか?」
「民の声を聞いていただきたい…」と韓非子が言う。「法を作る前に、軍を動かす前に、外交をする前に、まず、民の声を聞いてください。王は民のために存在するものでございます。民のない王は、ただの男に過ぎませぬ…」
「……銅貨の首飾り」と俺が呟く。
「何でしょう?」
「俺は銅貨の首飾りを持っています。金貨は王から…、銀貨は王妃から。そして銅貨は── 街の民から」
「ほう…」と韓非子が言って目が細くなる。「ということは、あなたはすでにご存じだったのですね。その銅貨が全ての根本であると…」
「しかし忘れかけていました…。北伐で、謀反で、9国の擁立で…」
「どうか忘れないでいただきたい…」と韓非子が言う。「何があっても。銅貨を忘れた王は民を忘れた王でございます。そして民を忘れた王には、国は守れませぬ…」
韓非子が、少し遠くを見る…
「もう一人、あなたのところに来る…」
「誰ですか?」
「あなたに…、別のことを教える者です。私が教えられるのは治世と法についてまで…その先は…あの方の領分です」
「あの方、とは…」
韓非子が答えない。ただ前を向く。
「もう一度だけ言います。覚えておいていただけますか?」と言う。「民の声を聞くこと。銅貨の事を忘れないこと。そして、焦らないこと…」
その言葉が暗闇の中に響く。
「……はい」と俺が言う。
韓非子の姿が遠くなる。暗闇が深くなる。
そして俺は次を待った…
お読みいただき、ありがとうございます。
新章「富国強兵編」、始まりました。
北伐の前章が47話という長い旅になりまして、正直なところ作者自身が「やっと終わった…」とへたり込んでいました。
ちょっと更新もなかなかうまくいかず、へたり込んでいる間もルークは動いていたようです。
今回は謁見の準備中に倒れてしまいました。
倒れている間に、ルークの言葉で語られる章になります。
戦い好きの方には、もしかするとあまり刺さらないかもしれません。
「富国強兵」、内から国を作る話になります。
そして夢の中に、韓非子が登場しました。
悠々として凛として、丁寧に道を示す老人として書きました。「焦らずにいていただけますか?」「どうか忘れないでいただきたい…」
この口調が気に入っています。北伐で何度も引用させていただいた韓非子が、こういう形で登場してくれるとは、ありがたい次第です。
次話では、予想通り孫武が登場します!
韓非子が治世を語るなら、孫武は軍略を語る。2人がルークに何を語るのか、作者も楽しみながら書いています。
新章は9カ国とどの様に戦うかの前の場面…
話が進むと、ランブルグという新キャラが登場します。30代、劇場型の強者。イーレン公国の代表として、ルークと言葉で戦います。
10歳のルーク対30代の強者。どちらが言葉で場を制するか…
続きをお楽しみに。
感想・評価・ブックマーク、いただけると作者が、1人でガッツポーズします。
また次話でお会いしましょう!
ひょっとこ、とことこ でした。




