黎明、遠く
「始めは処女の如く、敵人戸を開かば、後は脱兎の如し……」
ーー孫子ーー
最初は処女のように静かに。
敵が隙を見せた瞬間、脱兎のように動く。
ルークは王都に帰ってきた。
でも帰ってきたのは、休む為ではなかった。
翌朝…
俺は、早く起きた…
机に向かい、地図を広げた…。9国の配置を確認した。昨夜見たものと同じ地図であったが…、朝の光の中で見ると、違って見えた。
夜に見た時には、脅威に見えた…
朝は…、可能性が、見えた…
筆を取り、書き始めた。
レギナルド王国が生き残るために…
今すぐやるべきこと…
今は動かず…
しかし動ける準備をすべきこと…
絶対に動いてはいけないこと…
書きながら、頭が動いていた。
ヴィクターが来た。
「殿下、起きていたのですか?」
「眠れなかった…」
「休んで下さい。昨日帰ったばかりですよ…」
「休む前に、やることがあったんだ…」とルークが言った。
「ヴィクター、アルベルト兄上の暗殺調査…、今どこまでわかっている?」
ヴィクターが、「はい…、16名のリストから、3名まで絞り込めては、います。」と言った。「しかし、まだ確証がありません。」
「誰だ?」
ヴィクターが3つの名前を言った…
「引き続き頼む…」
「証拠を掴んでくれ。動くのはその後だ、頼む…」
「承知しました」とヴィクターが言った。
「では、1つだけ、ご忠告があります……」
「何だ?」
「殿下、少し休んでください。本当に…」とヴィクターが言った。
「俺が調べます。殿下は、少しお休みになられた方が良いです。顔色も良くありません。そして、今すぐ動く必要もありません。」
「……わかった。心配をかけた。少し休む…」
「少しではなく…、ちゃんと休んでください」
「わかった…」
ヴィクターが「信じていいですか?」と言った。
「信じていい…」と言って少し笑った。
その日の昼。
俺は、街に出た。
1人で、供を連れずに…
黒い甲冑も外して、ただの10歳の子供として、街を歩いた。
北伐に出る前と、同じ街だった…
しかし見え方が違った…
食堂の前を通ったが、凄くいい匂いがしたので、思わず入った。
普通に美味かった…
武器屋の前を通った。そういえばと、十文字槍のことを思い出した。あの槍は、エドが持っていて、修行の旅に持っていった。
「うまく使いこなしているか、エド…」
八百屋の前を通った。果物が並んでいた。銅貨を出して、1つ買った。
銅貨を見た。
3連の首飾りの銅貨と同じ色だった。
街の広場で、子供たちが遊んでいた。
1人の子供が俺を見た。「あっ」と言った。「昨日、城門で手を振ってくれた人だ!」
「そうだったのか…」
「殿下?お兄さんは殿下なの?」と子供が言った。
「そうだよ」
「えっ、すごい!!」と子供が言った。
「ねえねえ、じゃあ、北伐ってどうだった? 強い人いた?」
「そうだな、いたよ」と言った。
「すごく強い人が、いた…」
「どんな人?」
「そうだな…、眼帯をした、おじいさんだ」
「そして双剣を使う…、70歳を超えているのに、戦場にいる誰よりも強かったよ!」
「かっこいい!!」と子供が言った。
「ああ、かっこいい、おじいさんだ!」
子供たちが「もっと聞かせて!!」と集まってきた。
久々に心より笑った。
果物を食べながら、子供たちに北伐の話をした。バロックの話を…、エドの話を…、ラウルの話を…、ヴェンツェルたちの話を…
誰も死なない話だけを選んだ。
子供に聞かせる話を選んだ。
しかし、ルーク自身が、その話が好きだった。
夕方、部屋に戻った。
窓から王都を見た。夕暮れの光の中に、街が広がっていた。
「街の民が、銅貨を渡してくれた」
「王が、金貨を渡してくれた」
「王妃が、銀貨を渡してくれた」
3連の首飾りを触った…
「足りないものは、何だろう」
バロックの言葉が蘇る…
「大切なものを守ること。自分以外の者のために力に変えること。発動の条件は、自分が何者かになること…」
街を見た。
子供たちが遊んでいた。夕飯の匂いがしていて、灯りが点き始めていた。
この街を、国を守りたい、と思った。
ただそれだけだった。策でも計算でもなく、ただこの国を、街を、この人たちを、守りたいと思った。
その気持ちが、胸の中で静かに燃えていた。
「自分の中で、見つかった、かもしれない…」とルークが呟いた。
確信ではなかった。しかし、何かが動いていた様に思った胸の中で…
何かが、わかりかけていた。
ルークが窓を閉じた。
机に向かい、筆を取った。
宛先は、バロックだった…
「おじじ殿へ。王都に帰りました。街を歩きました。子供たちと話しました。果物を食べました。銅貨の首飾りを見ました。その時に…少し、わかった気がしました。足りないものが何かが…、ですが、まだ確信ではありません。自分の中で動いている気がします。おじじ殿が戻ってきた時に、答えを出せているように、俺は前に進みます。 ルーク」
手紙に仕立てて、次官に渡した。
届くかどうかわからなかった。そもそもバロックが今どこにいるかわからなかったのだ。
書いたことで、何かが決まった気がした。
夜、王都が静かになった。
ルークが、もう一度窓を開けた。
夜空に、星があった。
「9国が動いている、シオン兄様が動いている。ブレストが動いている。第3王子が動いている。全員が、何者かになろうとしている…」
3連の首飾りを握った。
「俺も動くよ…」
静かに言った。怒りでも焦りでもなかった。ただの決意だった。
夜風が吹いた。銅貨の首飾りが揺れた。
王都の夜景が広がっていた。
夜明けまで、まだ遠い…
しかし、空の端が少しだけ、白んでいた。
「黎明は、必ず来る。来ない夜明けは…、ない…」
北伐 龍は北へ向かう編・了




