街が動く
「水は方円の器に随う」
ーー孫子ーー
水は器の形に従って変わる。
組織もまた、頂点が変われば、形が変わる。
翌朝、ドラクが縛られて椅子に座っていた。
アジトの奥の部屋だった。
赤牙の幹部三名も壁際に座らされていた。
全員、昨夜制圧された男たちだった。
扉が 開いた。
ミア姉様が、入ってきた。
白いシャツに、借り物の濃紺の外套。髪を上げていた。
いつもより少し、大人っぽく見えた。
ミア姉様が、悪役令嬢を演じようとしている。
頑張れ、とは言えなかった。
ミア姉様が、深呼吸した。
それから低い声を出そうとした。
「……お前たちの運命は、わたちっ××…」
舌噛んだ。
「…………もう一回いいですか?」
ドラクが、目を細めた。幹部三名が顔を見合わせた。
部屋の外でラウルが壁に額を当てていた。
クルトが天井を見ていた。
笑いをこらえる音が、かすかに聞こえた。
あのフリッツが、廊下の奥で後ろを向いていた。
肩が、わずかに震えていた…
ミア姉様が咳払いをした。
もう一度、深呼吸した。
「お前たちの運命は、私が決める!」
今度は…、噛まなかった。
しかし声が、少し上ずった。
ドラクがじっとミア姉様を見た。
「……お嬢さん。玄狼衆の者か?」
「はい!」
返事が元気すぎた…
ドラクが少し間を置いた。
「……この組織を、どうするつもりだ?」
ミア姉様が、少し考えた…
それから…、いつもの顔になった…
「帳簿を全部見せてください。取引先のリストと、上納金の一覧も。街の人たちから取ってる分は、今日から止めます。商人からの手数料は残します。ただし率は下げますね。」
ドラクが「……率を下げたら、収益が落ちる」と言った。
「落ちません。今は怖いから払ってるだけです。怖くなくなれば、喜んで払う人が増えます。長い目で見れば、今より増えます。」
ドラクが、黙った…
幹部の一人が小声で言った。
「……この人、本当にボスか?」
「本当にボスだ」とヴィクターが無表情で答えた。
ミア姉様が「怖くない?」といった。
「今更、怖くなくていい」と俺は言った。
ドラクが静かに言った。
「……帳簿を出せ。」
ドラクが、従った。
悪役令嬢の演技ではなく、値切り交渉スタイルで落とした。
ミア姉様らしかった…
広場では、末端の20名が座らされていた。
ミア姉様が中央に立った。
「……残るか、去るか、選んでください。
残る方には新しい仕事をお願いします。去る方はお好きにどうぞ。」
二十名が、顔を見合わせた。
一人が手を挙げた。「去ったら、どうなるって?」
ミア姉様が、 にっこりした…
「……何も起きません。ですからお好きに自由に生きてください。」
男が少し考えた。
「本当か?」
「本当です!」
……全員が残った。
……1人も去らなかった。
ラウルが俺に小声で言った。
「……「去れ」って言えばよかったんじゃないか?」
「なぜ?」
「いや全員残ったぞ…」
「……それでいい。」
「いや、管理が大変じゃないか?」
「ミア姉様が帳簿を読める。問題ない。」
ラウルが「……まあそうか」と言った。
ラウルはわかっていない……
20名全員が残ったのは、「自由です」と言った時のミア姉様の顔のせいだ…
あの顔を見たら。去れなくなる…
俺も、毎回そうなっている…
昼過ぎ、帳簿が三冊出てきた。
ミア姉様が食い入るように見始めた。
「……この取引先、利益率が低い。変えた方がいい…」
「……この上納金、多すぎる。半分でいいです。」
「……この宿、実は赤字じゃない。なぜ上納してるんだ?」
ドラクが「……よく読めるな」と言った。
「帳簿は得意です!」
ミア姉様が満面の笑みになった。
ドラクが、何かに負けた顔をした…
幹部の一人が隣に小声で言った。
「……なんか、怖くないのに逆らえないな。」
「わかる…」
「なんでだ?」
「大ボスの目が…」
「大ボス?」
「ボスが従ってる人だ。あの方が…怖い…」
俺が怖いのか…?
なぜ?
知らなかった…
ドラクがミア姉様の隣に座って帳簿を一緒に見ていた。
「……ここの数字、実は去年から誤魔化されてる。」
「誰が?」
「……末端の1人だ。気づかなかった?」
「じゃあ後で話を聞きましょう。クビにするかは話してから決めます。」
ドラクが少し止まった。
「……クビにしないのか?」
「理由があるかもしれないから。話してからです!」
ドラクが、じっとミア姉様を見た。
それから、小さく頷いた…
「はい、ボス。」と呼んだ。
「ボス!この帳簿、もう一冊あります!!」
「あるの!? 持ってきて!!」
ドラクが立ち上がった。
嬉しそうだった。
元傭兵の男が。帳簿を追加で持ってくることを、嬉しそうにしていた。
その後、ミア姉様が「ドラクに修行の話を少ししてしまった」と言った。
「……何を話したのですか?」
「フリッツのこと! すごく厳しいって! ルークがこの一年、待つ修行で三日連続失敗したこととか。」
俺は、少し止まった。
「……それは余計な話です、姉様…」
「でもドラクが聞いてきたんだもん!「ボスが仕える方はどんな方々なんですか?」って!」
「それにしても三日連続失敗の話は不要です。」
「でも面白いでしょ!」
「面白くありません…」
ドラクが俺を見た。
「……三日連続で失敗されたのですか?」
「……違います。二日です…」
「ボスは三日とおっしゃっていましたが…」
「二日です…」
「……は、はあ」
ドラクが妙な顔をした。
「三日が二日になった。てかそんな違いはないが…」と思っている顔だった。
違う、本当に二日だ…
ラウルが廊下で「……ぶふっ」と言った。
クルトが「お前笑うな」と小声で言った。
ニコラスが「でも笑える」と小声で言った。
マルティンが「俺も笑ってる」と言った。
全員笑っていた。
フリッツが、また後ろを向いた。
今度は肩だけでなく、背中全体が震えていた。
「……フリッツ殿!」
「……はい。」
「笑っていますか?」
「いいえ…」
「声が出ていました…」
「……失礼しました。」
失礼しました、と言いながら、まだ肩が震えていた。
こういう方だったのか、フリッツ殿は…
鉄仮面のフリッツは、どこに行ったんだ…
夕方、グレーヴェ卿の屋敷に向かった。
グレーヴェ卿は50がらみの痩せた男だった。
「……赤牙が制圧されたと聞いた」
「はい。グレーヴェ卿には引き続き領主として治めていただきます。ただし実務の補佐を一名置かせてください。」
「……誰を置くつもりだね?」
俺は、ラウルを見た。
ラウルが、固まった。「……えっ何?俺?!」
「お前だ…」
「……領主補佐官って何をするんだ?」
「交渉と調整だ。得意だろ?」
「服は?って、違う、いややるなら服装からかなって…」
「借ります」とヴィクターが動いた。
「お前、こういう時は、速いな!!」
1時間後、ラウルが借り物の上着を着て、グレーヴェ卿の隣に立っていた。
上着が…… 少し、ちょっと大きかった…
グレーヴェ卿の執事が、「本当にこの者でよいのか」という顔をした。
ラウルが執事に向かって満面の笑みを向けた。
「……よろしくお願いします!」
執事が── 何かを諦めた顔をした…
クルトが廊下で声を殺して笑っていた。
ニコラスが「かわいそうに…」と言っていた。
マルティンが「でも絵になってる」と言っていた。
絵には……、全くなっていなかった…
夜、全員が宿に集まった。
ミア姉様が疲れた顔をしていた。
「……帳簿、全部見た…。四冊で七時間かかった…」
「お疲れ様です。」
「でも、面白かった!」
ドラクが部屋の端に座っていた。
ミア姉様が「ドラク、今日ありがとう」と言った。
ドラクが「はい!」と嬉しそうに言った。
本当に元気な「はい!」だった。
昨朝、「帳簿を出せ」と言われて渋々従った男が…
あんなに元気よく「はい!」と言っていた…
ラウルが「……補佐官、向いてないと思う」と言った。
みんなが「向いてる」といった…
「なんでだ?」
「執事が最終的に笑ってたから…」
「笑われてたんじゃないのか?」
「笑ってた。それでいいじゃないか?」
ラウルが「……まあ、やってみる」と言った。
満更でもなさそうだが…
ミア姉様が小声で俺に言った。
「……ねえ、ルーク。私、本当にボスでいいの?」
「いいです…」
「……悪役令嬢じゃなくていいの?」
「もう結果良いのでは、悪役令嬢って感じでは姉様なかったですよ…」
「……そうだよね。なんか向いてなかった!」
向いていなかった。しかし、誰よりも、適任だった。
あの奴らの忠犬ブリをみたら…
翌朝、フリッツが全員を集めた。
「赤牙、制圧完了。ドラクは服従、組織は玄狼衆の管理下へ。テッセン街の収益、月に銀貨八十枚が、玄狼衆の外部収益になります。領主補佐官はラウルが就任。裏組織管理ミアお嬢様が担当。10人全員……合格です。」
ラウルが「よっしゃ」と言った。
クルトが「当然だ」と言った。
ニコラスとマルティンが静かに拳を合わせた。
ヴォルフガングが右腕を静かに動かした。
もう、痛みはなさそうだ…
エリカが小さく息を吐いた。
ヴィクターが無表情のまま、しかし目が少し違った。
エドが俺を見た。俺もエドを見た。
鞘の根付が、光った。
合格。10人全員…
その夜、フリッツの部下が1名、王都に向かった。
父王たちへの報告のためだ。
しかし、その部下が王城に着いた時、少し困惑した顔をしていたらしい…。
後で聞いた話だ。
部下が謁見の間で、父王とハイルベルク侯爵に報告した。
テッセン街の制圧、10人全員合格、外部収益の確保。
そこまでは、真面目な報告だった。
しかし、続きがあった…
「……その後、裏組織の管理をミア・ハイルベルク様が担当されることになりまして」
「……うむ」と父王が言った。
「悪役令嬢として組織に臨まれようとされたのですが、台詞を噛まれまして台無しに…」
父王が、少し止まった。
「……台詞を、噛んだ?」
「はい。「もう一回いいですか」とおっしゃいまして…」
父上が大声で笑った。
謁見の間に笑い声が響いた。
父上がこれほど笑うのを侍従たちが聞いたのが久しぶりだったらしい。
「……それで、どうなった?」
「値切り交渉の要領で、帳簿ごと組織を吸収されました。元頭目は今や「はい、ボス!!」と返事をしております。」
父王がまた笑った。
報告に来た部下も笑いをこらえながら、真面目に話していたらしい。
「ラウル・ベルクという者が領主補佐官に就任しました。」
「どんな男だ?」
「交渉は達者なのですが、上着が大きすぎて、執事に諦めた顔をされておりました。」
父王が、また笑った。今度はしばらく止まらなかった。
一方、ハイルベルク侯爵が、苦笑いをしていた。
「……うちの娘が、裏組織のボスに……」
「はい…」
「……帳簿を七時間読んで、「面白かった」と……」
「はい…」
「……相変わらずだな、我が娘は…」
侯爵が頭を抱えた。
しかし、顔は温かかった。
「……まぁ、楽しくやっているようで何よりだ。」
父としてそう言った。
父王が笑いを収めた。
それから真面目な顔になった。
「……楽しませてもらった。しかし、次の話をしなければならない。」
謁見の間が、静かになった。
「第一部の修行、10人全員合格。それは結構だ。しかし、ルーク、エド、ミアの三名については、次の段階がある。王都にて、別の修行を行うよう命じる。」
報告に来た部下が頷いた。
王命として、三名を王都へ。フリッツ、同行せよ
王命。
父上が動いた。
修行の次のステージが、「王都」で始まる。
「衆心を得る者は興り、衆心を失う者は亡ぶ」
ーー韓非子ーー
人の心を得た者が栄え、人の心を失った者が滅びる。
テッセンの街は、ミア姉様の天然によって、誰よりも早く心を開いた。
そして王命が、次の扉を開けた。
後書き
読んでいただきありがとうございました。
テッセンの街の制圧、いかがでしたか?
悪役令嬢を演じようとして噛んでしまうミア姉様、書きながら笑いをこらえていました。
「もう一回いいですか」のひと言で、なぜかドラクが緊張し始める。
あの場面は、私も好きな場面です。
フリッツ殿が後ろを向いて肩を震わせているのも、書いていて楽しかったです。
あの方が笑いをこらえる、というのは、修行中には絶対に見せない顔です。
玄狼衆の面々が、そういう顔を引き出せるようになったということでもあります。
父王とハイルベルク侯爵への報告場面。
あの2人の「父としての顔」も、ぜひ楽しんでいただけたら嬉しいです。
困惑しながらも温かい、というのが、 私の中では大事な場面でした。
さて、次回からは王都にて空気が変わります。
ルーク・エド・ミアの三人は王都へ向かいます。
フリッツが求めているものの正体が、少しずつ見えてくる。
ルークの「個」の修行の答えも、だんだん動き始める事だと思います。
引き続き、応援よろしくお願いします。
ブックマークや評価をいただけると、次を書く力になります。
ではまた、次回にお会いしましょう。
ひょっとこ、とことこ でした。




