救う者、救われる者
洞窟から出て馬で走ることしばし、馬に慣れぬマリーアンと馬が苦手なゲルハルトのため合間にかなりの休憩を取りながら進んだ一行が街に戻ってきたのはとっぷりと日が落ちてからだった。最初、レグラスと暮らすあの家に戻るのだと思っていたマリーアンは、ギデオンたちからグウェンリアンの屋敷に行くのだと聞いて驚いたが、どうもそうしなくてはならない理由があるらしい。
そのため目的地に着き最初にマリーアンを出迎えてくれたのは、グウェンリアンの従者であるトウマだった。
「ご無沙汰しております、マリーアン様。おつきの皆様も、どうぞこちらへ」
「いやいや、わしらはもうこれで……」
「主人が是非とも直接お礼をしたいとのことで、必ずお招きするようにと言われております」
北区の中でも王城から少々距離を取った場所にあるグウェンリアンの屋敷は、彼女の伴侶となる相手が買い与えた別荘なのだという。竜であるグウェンリアンの事情を知る伴侶は、彼女のドレスを仕立てられるのが世界で唯一レグラスだけだと知ると即座にレグラスの住むこの街に別荘を買うと宣言したのだそうだ。ドレスの仕立てを頼むたび、グウェンリアンがどこかの宿屋に泊まるなどして不便を感じてはいけない、という理由らしいが、やることのスケールがあまりに大きくてマリーアンは話を聞いたとき呆然としてしまった。一体、どんな立場の人間ならばそんな発想に至るのだろうか。
三人の老人たちは、屋敷の入り口でトウマにマリーアンを引き渡すと自分たちの役目は済んだとばかりに去って行こうとしたが、トウマが――引いては、グウェンリアンがそれを許さなかった。結果、彼らはまるで見知らぬ場所を警戒する子供のように固まって、キョロキョロしながらマリーアンのあとを着いてくる。先程までの勇猛果敢な雰囲気が霧散してしまい、マリーアンはひっそりと笑いをかみ殺した。
「お嬢様、マリーアン様とおつきの方をお連れしました」
「――ああ、マリーアン! 良かった! 入って頂戴!」
とある部屋の前でトウマが声を掛けると、こんな夜更けだというのに弾んだグウェンリアンの返答がある。彼は扉を開き、マリーアンを促した。無駄な装飾はほとんどないが家具のどれもが美しい黒檀で調えられた統一感のある部屋の中、薄青のドレスを身にまとったグウェンリアンがこちらに駆け寄ってくるところだった。
「マリー! マリーアン! ああ……ああなんてこと! 髪を切られたのね、かわいそうに! 他に怪我はない? 何もおかしなことはされていない? 男の方に言いづらいようなことも何もなかったかしら? 大丈夫?」
「ぐ、グウェン、大丈夫ですから、あの、離して」
「本当に大丈夫なのね? 良かったわ、もうわたくし、心配で心配で……何度伯爵とかいう男を蹴倒して踏み潰してやろうかと思ったくらいで」
マリーアンを抱きすくめ頬ずりしながら良かった良かったと言ってくるグウェンリアンに、マリーアンは慌てる。喜んでくれるのは嬉しいし、グウェンリアンに会えたことも嬉しいのだが、いかんせん今の自分はちょっと、いや、かなり、汚い。
「グウェンっ、あのっ、私っ、汚いのでっ、本当にっ」
グウェンリアンの美しい髪や肌、そしてドレスを汚すのがあまりに申し訳なくて懸命に声を上げれば、彼女は納得したように頷いてようやくマリーアンを解放してくれた。
「あっそうねまずはお風呂よね気になるわよね! 大丈夫ちゃんとお湯は準備してあるから! ケティル、ニーナ、マリーをお風呂へ案内してあげてちょうだい。……それからそちらの御三方、このたびは本当にありがとうございました。マリーアンは私にとって、妹のように可愛い子。助けていただいて、感謝の言葉もございません」
「いえいえ、滅相もない。ワシ……じゃない、我々は何も、たいしたことはしておりません。すべては、レグラス様のご指示あってこそです」
「我々は彼の方に命を救われた身。受けた大恩に多少なりとも報いられたのであれば幸いでございます」
「ええ、ええ、右に同じでございます」
「おんしそれは言うたらあかんと何度も……」
背筋をただしきちんとグウェンリアンに応じるギデオンとジェフリーとは異なり、茶目っ気たっぷりに述べられたゲルハルトの言葉がおかしくて、マリーアンはつい笑ってしまった。ゲルハルトはそんなマリーアンを見てにやりと笑う。
「うんうん、マリーちゃんは笑顔が一番かわええぞい。さあさ、今日はお姫さんのところでお風呂を借りて、おなかいっぱい食べさせてもらって、ゆっくり寝るんじゃぞ。これから先が、マリーちゃんの踏ん張りどころなんじゃからな」
「ふふ、はい、ゲルハルトおじいちゃん」
「何じゃお主、一人だけいいかっこしよってからに」
「ずるいぞ! わしだっていいかっこしたかった!」
「お主らはさっきまで十分ええかっこしとったじゃろ! 馬! 馬の恨みじゃ!」
「……マリーは、とてもいいお友達を持ったのね」
ぎゃいぎゃいと言い合う三人を見ていたグウェンリアンが、表情を緩める。柔らかいその言葉に、マリーアンは笑って頷いた。
三人と別れてからグウェンリアンに呼ばれた二人のメイドに手伝われつつ風呂に入り、軽い食事をもらった後にあてがわれた部屋へと向かう。急いでいたから最低限の準備しか出来なくてごめんなさい、などとグウェンリアンは言っていたが、通されたその部屋は清潔に整えられており美しい花まで活けられていた。疲れているだろうからゆっくり寝るようにと言われたものの、用意されたベッドがあまりにふかふかして落ち着かなかったので、こっそり掛け布団だけを使って絨毯の上で寝ていたら、翌朝入ってきたメイドに悲鳴を上げさせてしまったマリーアンである。事の顛末を聞いたグウェンリアンがテーブルを叩いて爆笑し、トウマに諫められていたのは笑ってしまった。そのあとトウマに二人まとめて諫められてしまったが。
「第三王子の婚約式は、確か明日よ。でもあれは国内の貴族を集めるだけの式だから、わたくしはそれのために来た訳じゃないの。あなたにお願いしていたストールの進捗を見せてもらおうと思って……本当に偶然、この国に来たところだったのよ。タイミングが合って良かったわ」
「そうだったんですか。それで……あの、先生は?」
「レグラス様は今、ミスティカちゃんと一緒にあなたのドレスを作っているわ。今日には完成品と一緒にここに来るはずよ」
トウマの忠言を聞き終えて、招かれたグウェンリアンの私室で朝食を一緒に食べながら自分の置かれている状況を確認しようとしたところ、彼女の口から予想だにしない言葉が出てきてマリーアンは食べかけのパンを取り落とした。
レグラスとミスティカが一緒にドレスを作ることはなんらおかしくない。おかしくないが、「あなたのドレス」とグウェンリアンは言った。つまりそれはマリーアンのドレスということで、しかしマリーアンがドレスを欲しがったことなど一度もないのだ。
混乱しているマリーアンに気づいたのだろう、グウェンリアンはくすりと笑うとハムとチーズを挟んだパンを取り上げる。
「これ以上は、わたくしの口から言ったらレグラス様に怒られてしまうわ。さあ、あの方が来る前に早く朝ご飯を食べて、その髪をどうにかしましょう」
持ち物が燃やされた以外何事もなく帰ってきた、と言いたいマリーアンであるが、唯一髪だけは短く切られてしまっていた。しかも束の状態で適当にナイフを当てられたため、肩にギリギリ掛かるかどうか、という辺りを中心に毛先の位置がバラバラで、ずいぶんいい加減な印象を与えるようになってしまっている。前のミスティカみたい、と鏡を見ながらマリーアンは思った。
グウェンリアンのメイドたちは、二人の朝食が終わるとその場をテキパキと片付け、次いでマリーアンの髪を切るための準備を始めた。大きな鏡が用意され、ケープのようなものを掛けられて髪を梳かされる。そして不揃いだった毛先を調えるように鋏が入れられるうち、マリーアンは鏡の中の自分が別人のように思えてきた。
この国では女性――特に貴族の女性は髪を長く伸ばしているのが一般的だ。曲がりなりにも貴族の家に生まれたマリーアンは、物心がついてから自身の髪が短くなったところを見たことがなかった。だから今、肩より少し上でさらさらと揺れている自分の髪を見ていると、まるで違う人間に生まれ変わったかのように感じてしまう。
「うん、いいわね! マリーは短い髪も似合ってるわ、とても素敵!」
「な、なんだか落ち着かないです……あの、その、おかしくないですか?」
「ちっとも! でも、もしもあなたが気に入らないのなら、また伸ばせば良いわ。大丈夫、髪の毛は伸びるものなんだから……ただわたくしの個人的な意見を言わせて貰うと、短い髪ってすごく良いわよ。洗うのも楽だし、乾かすのも楽だし。なにより頭が軽くなるもの!」
マリーアンの髪を撫でながら喜々として語る所から察するに、彼女も短髪であった時期があるのだろう。そう思って尋ねてみれば、グウェンリアンは何か懐かしい思い出を辿るように目を細めた。
「むしろね、わたくしが髪を伸ばしだしたのはつい最近……ここ十年くらいの話よ」
「えっ……じゃあ、それまではずっと短かったんですか? どうして急に、今みたいな髪型に?」
「ふふ、だって、シーフォリアでも貴族の女性は、髪を伸ばしているのが普通なんですもの」
己の住まう国の名を出して言ったグウェンリアンが、内緒話をするようにマリーアンの耳元に唇を寄せる。
「……聞いているかも知れないけれど、わたくしの旦那様になる方は、シーフォリアの王子なの。わたくしが王家に嫁ぎたくないのなら、自分が継承権を捨てるとまで言った……少し変わり者の、優しい殿方なのよ。だからわたくしも、あの方にふさわしくありたいの」
「わ、わわわ……!!」
最近はミスティカの母、ミュリエルに勧められて年頃の少女が読むような恋愛小説などを嗜んでいたマリーアンは、まるで物語の世界のようなグウェンリアンの告白に思わず顔を赤くした。竜の姫君と一国の王子との恋物語だなんて、きっと一冊の本になるに違いない。しかしグウェンリアンの方はそんなマリーアンに驚いたような、不思議そうな顔をして。
「どうしてあなたが照れるのよ、マリー。あなたの方がよっぽど、素敵な物語になるような恋をして――」
「――失礼致します、お嬢様。レグラス様がご到着です」
ノックとともに扉の向こうから掛かった声に、二人は顔を見合わせた。
メイドたちはすぐさま切った髪やそのための道具などを片付け、マリーアンは彼女たちに軽く衣装を直される。それらの支度が済んでから、グウェンリアンは入室の許可を出した。
扉が開き、まずは見慣れた鳶色の髪がのぞく。それから金色混じりの琥珀の瞳が、丸眼鏡の奥からマリーアンを見て、大きく広がった。
「……マリーアン、……その、髪は」
呆然とした様子で呼ばれる自身の名に、マリーアンは笑って首を傾げる。
「先生、ご迷惑をおかけしました。無事に戻って……来たんですが、その、髪の毛を切られてしまって。今、グウェンさんのメイドさんたちが、整えてくれたところで……」
「マリーアン……マリー!!」
部屋に駆け込んできたレグラスが自分を抱きしめる。雨上がりの森のような、いつもの優しい匂いがした。力強い腕がぎゅっと、けれど壊れ物を扱うように繊細に、マリーアンを広い胸へと抱き寄せてくれる。彼の体温を感じた途端、我慢できなくなってマリーアンは目を閉じた。瞼と瞼の間から、涙が止めどなく溢れていく。
「マリー、ああ、良かった……髪のことは残念だが、怪我なく帰ってきてくれて本当に良かった。よく頑張ったな」
「せ、んせい……っ、せんせ、私、わたしっ……、まもれな、っくて、えほん、おかあさま、が、せんせいと、リン、さんの」
「ああ……リンの絵本のことなら、爺さんたちから聞いてるよ。さぞかし辛かっただろう……だが、それでも折れずに立ち向かったんだな。偉いぞ、マリーは本当に強くなった。守れなかったと言うが、あの状況で君を責めるものなんていやしない。君はちゃんと守りたいもののために戦えたんだ、それだけでもう、胸を張っていいんだよ」
「う……うえ……うああああ……」
レグラスの腕に抱かれたまま、マリーアンは子供のように泣きじゃくった。恐怖と、悲しみと、怒りと、悔しさと、それから安堵とが渾然一体になって、涙の形を取り湧き出してきたかのように。声を上げて泣き続ける自分を、レグラスはずっと抱きしめて、大丈夫だ、頑張ったなと慰めてくれた。まるでかつて自分が彼の元へ来たばかりの頃、何もできないふがいなさに泣いた夜のように。
やがて涙が落ち着いてきて、軽くしゃくり上げるマリーアンをレグラスはそっと胸から離してくれた。グウェンリアンがすぐハンカチを差し出してくれる。汚してしまうのを申し訳なく思ったが、洗って返そうと心に決めて遠慮なく顔を拭った。泣きすぎたせいで顔面がぐしゃぐしゃなのだ。
「ご、めんなさい……もう、だいじょうぶ、です」
「無理はしなくていいのよ、マリー……辛いときは、いくらでも泣いていいの。でも、ひとまずみんな座りましょうか、立ったままじゃお茶も飲めないものね」
柔らかく笑ったグウェンリアンの声に応える形で、メイドたちがすぐさまお茶の用意を始める。先程まで二人で向かい合っていた小さめのテーブルではなく、三人掛けのソファが二つ向かい合った応接テーブルの方に彼女は向かった。片方のソファの中央にグウェンリアンが座り、もう片方にレグラスとマリーアンが並んで座る。甘い香りのするお茶が三人分テーブルに置かれ、グウェンリアンが最初に手を伸ばした。
「シーフォリアの特産で、花を使ったお茶なのよ。お口に合うかしら?」
勧められるまま、マリーアンもカップを手に取る。ふわりと漂う湯気が、泣きすぎて詰まり気味のマリーアンの鼻腔にまで甘い香りを届けてくれた。一口含むと、まるで果物のようなかすかな酸味と甘さが豊かに広がる。思わず一気に飲み干せば、すぐさまメイドがおかわりを入れてくれた。
「あ、ありがとうございます……ごめんなさい、すごく美味しくて、つい」
「まあ、良かったわ! いくらか持ってきているから、もらってくれる?」
「いいんですか!? 嬉しいです、ありがとうございます!」
きっとミスティカも好きな味だろう。この騒動が片付いたら、また彼女と一緒にお茶を飲みながらゆっくり刺繍をしたい。そんなことを考えてから、レグラスにまだきちんと礼を言っていなかったことに気づき、マリーアンは頭を下げた。
「先生、助けてくださって本当にありがとうございました。ご心配をおかけして、すみません。あの、ミスティカは……大丈夫でしたか?」
「ああ、彼女も事情は知ってる……というか、今回の件の最大の功労者かもしれんな。大丈夫、君が無事だと聞いたら安心して爆睡していたよ。目が覚めれば今夜か、明日の朝にはここに来るはずだ」
「良かったです。あと、おじいちゃんたちにも声を掛けてくれたみたいですけど……」
どういう状況なのかちょっとよくわからなかったが、とにかくミスティカも自分が無事だということは把握しているらしい。会ったらきちんと謝ろう、と思いつつギデオンたちのことについて尋ねれば、レグラスは苦笑して頭を掻いた。
「いや、それが……爺さんたちは自分から手伝いに来てくれたんだよ。マリーちゃんの窮地なら戦わねばならん! とか言って」
「でも、強力な助っ人で良かったですわね、レグラス様。あのお三方、『白の風見鶏』のメンバーでしょう? わたくしも現役の間に一度だけお目にかかりましたが、今でも仲が良いのは変わりませんのね」
グウェンリアンの言葉に頷いたレグラスが、懐かしいものをたどるように目を細める。
「昔、シーフォリアの山に大百足が出たことがあってな。そいつがかなり強い毒を持っていたせいで、森が枯れ、水が穢されて山が死にかけたことがあるんだ。それを討伐しに向かったのが、『白の風見鶏』と呼ばれた冒険者パーティーだったんだよ」
「おおむかで……どのくらい大きい百足なんですか?」
「そうだな、顎が大体こんな感じで」
言ってレグラスが両腕を横に伸ばし、手の先を軽く曲げる。まさしく百足の顎を連想するその動きに、マリーアンは全体図を想像するのをすぐにやめた。顎だけでその大きさなんて、恐ろしすぎて目眩がする。
(そういえば、おじいちゃんたちがいつも話してくれた冒険譚に、その話があった)
マリーアンが「踊る小熊」亭でよく聞いていた、彼ら三人の冒険譚。ペチカには眉唾物だと言われていたけれど、あれはきっとすべて真実だったのだ。だっていつも聞いていて、本当に目の前に魔物がいたり、宝箱があったりするかのような臨場感があった。だからこそマリーアンは彼らの話が大好きだったし、嘘ではないと信じていたのだ。
大百足退治はその中でもマリーアンが一番好きな話だった。強い生命力を持ち毒をまき散らす大百足に、とある国の王様から依頼を受けた冒険者たちが我こそはと挑みかかるが、皆破れて倒れていく。そんな中、唯一残ったギデオンたち一行は死力を尽くして戦い続けた。丁々発止の大立ち回りでギデオンが長大な身体を切り刻み、ゲルハルトが手足を焼き尽くす。弱った大百足の急所をジェフリーがスリングで打ち抜いて、彼らはついに大百足を打ち倒すが、最後に受けた毒が原因で三人とも下山中に意識を失うのだ。
そして生死の境をさまよう彼らを助けたのは、美しく巨大な黒竜であった――。
「俺はあの頃もうこの街に定住していたが、グウェンの要請を受けて森の様子を見に行ったところだった。討伐自体は国王から依頼された冒険者がやっているってことだったから、手を出す気はなかったし、実のところ行ってみたらもう大百足はバラバラになっていたんだが……どう見ても下山中に倒れたって感じの冒険者が三人いてな。まだ息があるのはわかったが、竜の秘薬は毒を消せないし……仕方がないから、三人咥えてシーフォリアの王城まで運んだんだよ」
「えっ……じゃあ、おじいちゃんたちが言ってた、命の恩人の竜って、先生のことだったんですか!?」
マリーアンは驚いて聞き返した。これまでレグラスはマリーアンがその話を聞いていても口を挟むこともなく、かといってペチカのように否定する訳でもなく、ただ苦笑しながら一緒に聞いてくれていたような気がする。しかしその竜が自分だったというのなら、なにか一言くらいギデオンたちにあっても良かったのではないだろうか。彼らは時折、死ぬ前にもう一度あのときの竜に会えたらいいと、縁起でもないことを言ったりしていたのだ。レグラスがそうだとわかれば、きっと喜んだに違いないのに。
「ああ、そうだよ。……俺は最初、ギデオンたちは忘れていると思っていたんだ。何せもう二十年以上も前のことだし、彼らのような凄腕の冒険者となれば命の危機は何度もくぐり抜けてきているはずだ。だから俺の方は覚えていても、向こうは忘れているんじゃないかと思っていたんだが……マリーが好きなあの冒険譚があるだろう? あれで初めて、彼らが俺を覚えていることを知ったんだ。それで今回俺が竜だと白状したら、なんだか芋づる式にそのときのことまで引っ張り出されてしまって……」
臣下の礼まで取られるから参ったよ、と苦笑したレグラスにほっとする。あの三人の素敵な老人たちは、命の恩人との再会を果たせたらしい。自分をここへ連れてきたとき、ジェフリーが大恩あると言っていたのはそのことだったのだ。なんだかいろいろな事がすっきり収まって、マリーアンは嬉しくなった。
「……さて、一段落したところで。明日の話にうつりましょうか」
「ああ、そうだな。グウェン、靴と宝飾品はどうだ?」
「わたくしがここで懇意にしている店に話はつけてありますわ。靴ばかりは履いてみないとわかりませんから、種類は豊富に用意しました。同型の色違いは店の方にあります。宝飾品の方は、いただいたデザインと見せていただいたお色でこちらも懇意の店に頼みました。もうじき来るはずです」
「すまない、助かった。じゃあそれまでに靴を選ぶか、マリー」
「はぇっ?」
一体二人が何の話をしているのかわからなくてきょとんとしていたマリーアンは、突然レグラスから名を呼ばれて素っ頓狂な返事をしてしまった。慌てて口を押さえるが、二人はにこにこしているばかりで別段呆れても、怒ってもいない。
「は、はい、あの、一体何の話を……?」
「いやだわ、マリー。先に言っておいたでしょう? レグラス様とミスティカちゃんが、あなたのドレスを作っているって」
「はい、それはその、聞きましたけど……それと靴とか宝飾品って、一体どういう関係が」
「俺とミスティカではドレスや髪飾りを用意するのが精一杯だからな。靴と宝飾品は専門店に頼むことにしたんだ。金のことなら気にしなくていいぞ、こういうときでないと使い道もないからぱーっと行こう」
「いえそうではなくて! そうではなくてですね、どうしてそんな物を買う必要があるのかっていう話を! 私は! 聞きたくて!」
どうにも二人と会話がかみ合わなくて、必死に訴えればレグラスとグウェンリアンが顔を見合わせる。これは二人の間では理解ができているパターンだと、マリーアンは身構えた。きっとなにか、また、自分の理解を超えるようなことを言われるに違いない。
「どうしてって、一応は国王陛下の前に出るんだ、それなりに見栄えがする方がいいだろう? 別に俺はマリーを貴族にしたい訳じゃないし、君は何を着ても可愛いし似合うと思うが、今回はその可愛さ美しさをこれでもかとあの連中に見せつけてやらなきゃならんからな、どうせなら徹底的にやってやろう」
「そうよ、マリー。あなたは竜王陛下の婚約者として大勢の前に立つんだもの。ドレスがいくら素晴らしくても、いえ、ドレスが素晴らしいのならなおのこと、それを引き立てる靴や宝飾品はなくてはならないものよ? 自称第三王子の婚約者なんてかすんで引き立て役にしかなれないほど、思い切り素敵な姿で参加してやりましょう」
二人はお互いの意見に賛同し合い力強くうなずき合っている。だが待って欲しい。ここに来てまた新たな情報が飛び出して来たことにマリーアンは困惑した。
確かにあの洞窟で聞いてはいた。ヴァレリアが嬉々として口にした言葉だった。そのときは大して気にもとめなかったし、誰に聞ける訳でもなかったのだが、今ここで改めて出てくるとなれば話は別だ。
「……あの、……もしかして、竜王陛下って……、……先生のこと、だったりします?」
恐る恐る投げたマリーアンの質問に、先に反応したのはグウェンリアンの方だった。ぎぎぎ、とまるで軋むような動きでレグラスの方へ顔を向けた彼女は、その麗しいかんばせに絶対零度の笑みを乗せて唇を開く。
「……レグラス様?」
「……いや、すまん、その、これには色々と事情が」
「あなたという方はっ!! わたくしがっ!! あれだけマリーに隠し事をするなと!! 言ったにもかかわらずっ!!」
「ちがっ、違うんだグウェン、話を聞いてくれ! ちょっ、マリー! 助けてくれ! マリー!」
「まあ、何かご用でしょうか、竜王陛下」
ソファに置かれていたクッションを手当たり次第レグラスに投げつけるグウェンリアン。そのグウェンリアンに周囲から集めてきたらしいクッションを差し出し続ける彼女の忠実なメイドたち。座ったまま見る間にクッションに埋もれていくレグラス。
攻撃が始まるのを察してティーカップとともに一足早くソファから退却していたマリーアンは、混沌としたその場の状況を眺めつんと唇をとがらせた。
「陛下はとても先生に似ていますが、私の先生は、竜の中でもちょっと力が強くてちょっと魔力が多いだけの、ただの竜のはずですので、多分別人ですね。あ、別竜でしょうか」
「すまん! ごめん! 俺が悪かったから! あ、あのときちゃんと言わなくて悪かった! そのっ、君が俺を受け入れてくれたのが嬉しくて……ただ、いきなり王だの何だの言われても信じがたいだろうし、俺は王らしくないとよく言われるし……う、嘘を吐いていると、思われたくなくて」
「もう、先生は私に、何度信じてるって言わせれば気が済むんですか! 私が先生の言うことを、嘘だと信じなかったことなんてこれまで一度でもありましたか!? 私は先生のことが誰より好きで、先生のことを誰より信じてるんですから、先生もそろそろ私のことを信じてください!!」
クッションをかき分けてレグラスの顔をのぞき込む。金色混じりの琥珀の瞳は、ただただ呆然とマリーアンを見つめていた。
彼の目を捉え、その頬に手を当てて、マリーアンは笑う。
「いいですか、私は先生の疑り深さに負けたりしませんからね。何度言っても駄目なら、そのたび何度だって繰り返し言えばいいんでしょう? 先生のことが誰より好きで、先生を誰より信じてるって、何度でも……千回でも一万回でも、先生が信じない限り言い続けますから、覚悟しておいて下さいね?」
短くなった髪を揺らして勝ち誇ったような笑みを見せるマリーアンと、その顔に呆けたように見とれているレグラスを見ながら、グウェンリアンは微笑んだ。
「――ほら、やっぱりあなたの方がよっぽど物語みたいな恋をしてるじゃない」
孤独に生き続けた竜王を救う、少女の愛の物語。
シーフォリアで流行らせてみようかしら、などと思いつつ、グウェンリアンは余ってしまったクッションを抱え込んだのだった。




