対決、そして
警備の騎士が扉に手をかけるのを、片手を上げて一度制する。
レグラスはそのまま、隣に立つ少女の髪をそっと撫でた。
小さな頭が動いて、濃藍の瞳が自分を見上げる。夜空を映したかのようなその目には、緊張と決意が星明かりのように瞬いていた。
「マリー……マリーアン。大丈夫だ、心配しなくていい。たとえこの国のすべてが君の敵に回っても、俺が必ず君を守るから」
彼女の細い肩に掛かる重責を少しでも減らしてやりたくて、レグラスは言葉を紡ぐ。これは嘘偽りのない本音だ。自分にとっての彼女はいまや、この国どころか世界のすべてを敵に回しても守りたい存在になっているのだから。
マリーアンは少しだけ考えるように小首をかしげた。短くなってしまった髪が、さらりと肩の上で揺れる。
「伯爵や、姉たちだけでなく……他の貴族の皆さんが、敵になってもですか?」
「もちろんだ。そのくらい造作もない、全員蹴散らしてやるさ」
「じゃあ、王様が敵になっても?」
「その場合は一発殴って正気に返らせよう、俺とアイツは友達だからな」
「もし、おばあさまやミスティカが敵になったら?」
「正直なところそれが一番困るが、天地がひっくり返ってもないと俺は思うぞ?」
レグラスにとって最大の弱点である名前を出してきたマリーアンにそう答えれば、彼女は小さく笑った。
「ふふ、私もです。ごめんなさい、先生。大分、気が紛れました」
「謝ることはないさ、気分転換になったのなら良かった。……さあ行こうか、俺たちの婚約を発表しに」
「はい、お供いたします」
先程までの緊張しきった面持ちとは違う、けれどいつもの温和な表情とも違う、凜としたマリーアンの顔つきにレグラスは満足すると、騎士に向かってうなずいた。
「りゅ、竜王陛下、ご到着です……!」
扉が開き、声を上げた騎士が部屋に入っていく。どよめく周囲をよそに、レグラスはただ正面を向いて玉座に座るダンクレストの前まで進んでいった。
第三王子ガインヴェストと伯爵家令嬢カサンドラとの婚約式とはいえ、呼ばれている貴族はさほど多くない。もとより今日はあくまでも「婚約式」であって、婚約披露のパーティーは別に行われることが決まっているのだ。そちらは国内外から多くの貴族を呼んで盛大に開くことが決まっているが、こちらはあくまでも式典のみ。王家を除けば呼ばれているのは当事者であるストラバル伯爵家と、侯爵以上の貴族の家長、そして式典を執り行う聖職者。
それから、この地に住まう竜の王――レグラスだけだった。
(よしよし、噂は良い感じに広まったようだな)
国に繁栄をもたらす存在である竜には、王家の慶弔時に招待状が出されることが多い。しかし、それは空振りに終わることがほとんどだ。多くの竜は王家やその権力といったものにまるで興味を示さないし、下手に権力者に近づけば利用されることもあると身をもって知るものが多いからである。
しかし今回レグラスはあえて自分がこの婚約式に来るかも知れないという噂を流してもらっていた。貴族たちは皆、何故竜王が第三王子の婚約式に来るのかと、その理由を気に掛けるだろう。婚約式に参加できなかった者たちは、参加した者たちに話を聞こうとするに違いない。そうすれば、これからここで起こることが何もせずとも噂として広まっていくだろうとダンクレストは言った。国内の貴族の不祥事故に積極的に喧伝するのは避けたいところだが、一体何が起きて、そしてその首謀者がどうなるのかということを知らしめる必要はあるだろう。レグラスからすれば、マリーアンという「花嫁」の存在を広めておくこともできる。
好奇や畏怖を持ってこちらを見てくる視線を感じつつ、レグラスはダンクレストの前に立った。彼が立ち上がり、己の前に膝をつく。おお、という声が口々に上がった。このあたりのことは事前に打ち合わせ済みだ。レグラスはそこまでしなくていいと言ったのだが、こうすることでレグラスの地位を明確にしておく方が人間――特に貴族の社会ではなにかと効果があるらしい。
「偉大なる竜の王、レグラス様。本日は我が息子、ガインヴェストの婚約式においでくださり、感謝の言葉もございません」
「顔を上げよ、ダンクレスト。我ら竜とそなたら人とは、この地に生きる友である。そなたも王であれば我も王、どちらが上でも下でもあるまいよ」
「寛大なお言葉、ありがたく。亡き父も喜びましょう」
(そうかな、俺とお前を同列に怒ったあの雷親父が俺たちのこの問答を聞いたら、笑いすぎて顎が外れるんじゃないか?)
こうした仰々しい口調も地位を明確にするというダンクレストの作戦の一環だし、今日のレグラスの外見もそのひとつだ。
竜は己の姿を他の生き物に変えることができるが、何にでもなれるというわけではない。大体ひとつかふたつ決まった姿があって、それに近しい形にはなれるがそこからあまりにずれたものになることはできない。幼いダンクレストにそんな話をしたときは「人間の魔術師ならいろんな姿に変われると聞いたのに、魔力の多い竜ができないのは変だ」と言われけれど、そういうものなのだから仕方がないとしか言い様がなかった。竜には確かに身からあふれるほどの魔力があるが、それを自在に操れるかどうかはまた別の話なのだ。正直そうした制御は人間の魔術師の方がよほど上手い。
レグラスが人間の姿を取るとき、最初に変わるのは今のこの姿だ。色黒な肌に長い黒髪、金色に琥珀が混じった瞳で背は高く身体は分厚い。元々竜の時の鱗が黒く、瞳が金であるところから色が引き継がれているのだろう。だがこの国では肌の色が黒い人間は珍しく、街中でとてつもなく浮いてしまうので、背格好はそのまま色合いだけをなんとか変えて作り上げたのが普段のレグラスとしての姿である。
昨日の予行演習でこの姿を披露したら、マリーアンとミスティカが驚きすぎて固まってしまったのは面白かった。自分としてはそんなにいつもの姿と変わったつもりはないのだが、なぜか顔を赤くしていた二人が言うにはかなりの違いらしい。この姿を取るときは竜王として振る舞うときだけと決めているから、魔力も抑えずだだ漏れにしているのだけれど、そのせいもあるのかマリーアンから近づきづらい感じだと言われたのは地味にショックだった。なので式典が終わったらすぐ元に戻ろうと決めている。
「この地に腰を据え季節を五十数えたが、そなたとそなたの父、ゼンファレスの治世は良きものであったな。これからもエルドリアに良き風が吹くことを願っている」
「それもレグラス様のご加護があればこそ。五十年の長きにわたり、この国と民すべてに加護をお与えくださったことに感謝いたします。……ときに、そちらの方は?」
ダンクレストの目が、マリーアンを見た。
レグラスはマリーアンの腰に手を回す。昨日の練習では恥ずかしがっていたマリーアンだが、今は平然とした顔をしていた。それはそれでいいのだが、あの真っ赤になった顔を見るのが楽しかったなぁ、などと思い返していると、マリーアンから軽くつつかれる。
「ああ、うん。……この地にて、良き伴侶を得たのだ。まだ正式な婚姻とは至らぬが、この娘を我が花嫁にしようと思ってな。聞けば娘はこの国の民だという、今日は、国王であるそなたに婚姻の許可を得るためにもここへ来た」
「なんと……! 我が国から、竜王の花嫁が生まれるとは!」
驚いたようなダンクレストの声に、こいつはなかなかの役者だったんだなとレグラスは感心した。しかし思い返せば子供の頃から迫真の演技で周囲をだまし、勉強をサボって遊びほうけていたから、その素質はあったのかもしれない。ちなみに、人はそれを仮病という。
「あの娘が竜の、竜王の花嫁……」
「なるほど、確かに美しい。髪が短いのには驚いたが」
「ぱっと見は地味な娘と思ったが、なに、よく見ると楚々とした可憐な顔立ちじゃ。美丈夫の竜王陛下と並ぶと、なんとも絵になる組み合わせよの」
「いや、それよりあのドレスはどこのものだ? 見たことのない生地だぞ、なんと美しい光沢だ!」
「面白い造りの服だな、しかし袖が長過ぎはしないか? デザインとしては良いのだろうが、手が出ていないと防犯上の問題が……」
「髪飾りの花は生花ではないな……まさか、あれは刺繍か!? 素晴らしい技術だ、一体どこの工房があんなものを!」
周囲から漏れ聞こえる評価に、レグラスは内心一人ずつの手を握りそうだろうそうだろうと同意して回りたい気分だった。
グウェンリアンのメイドたちが綺麗に整え直してくれた髪は、肩よりほんの少し上のあたりでさらさらと揺れている。この国では女性の――特に貴族の女性の髪は長いのが普通だから、居並ぶ貴族たちからすればマリーアンの髪型は奇異なものに映るのだろう。しかし丁寧に手を掛けられたつやのある濃藍の髪がそっと頬にかかることで、色白なマリーアンの肌はさらに白く見えるのだ。化粧は最低限で仕上げた方が並んだときに映えるでしょうと言われたとおり、どこかはかなげなで可憐なその容色は図体がでかい己の隣にあってより華奢で美しく見られている。それがまた、嬉しい。
ドレスはレグラスが、ロデリックに何度も修正されながら作ったもので、刺繍はミスティカとフランシェル縫製工房の針子たちが徹夜した産物。藍から青へ美しく移り変わる生地に、竜の翼を意匠化したものが銀糸で細密に描かれたレースが重ねられており、ちりばめられた竜の鱗のかけらが光の粒となって輝いている。全体に露出を極力抑えたデザインは年頃の娘としては珍しいものだが、それがまた慎み深く清楚な雰囲気を醸し出していた。ちょっとした出来心で、腕の部分は肩から肘までを同じ幅、そこから袖口までがフレアのように広がった作りにしてある。腕を下げてしまえば外から手はまったく見えない。彼女の手がすでに回復していることを知らぬあの一家があとで驚けばいいと思っての仕掛けだ。ちなみに、袖の中に隠してしまえば物は持ち放題である。確かに防犯上の問題はあるだろう。
髪飾りはミスティカ渾身の刺繍作品。実在の花を見本にしながらも、その色合いだけはマリーアンの髪に合うよう選び抜いた糸で刺した花びらには細い針金が仕込まれており、切り抜いて形を整えたそれをいくつも併せて本物の花のように仕立てたものである。そこにこちらも竜の鱗をチェーンで合わせ、動くたびに揺れる花の髪飾りを仕立て上げたのだ。これはレグラスも初めて見る物で、その美しさに舌を巻いた。一緒に見ていたグウェンリアンなど、その場で彼女に発注をかけたほどだ。それにあわせた靴や宝飾品はグウェンリアン御用達の店で手配した一級品で、これもまた見劣りしない美しさである。
(なあマリー、君は自分には過ぎたものだと言っていたが、こうして見ていると君以外の誰がこの服を着こなせるんだろうと思うほど、すべてが君によく似合っているぞ)
最初にこの衣装を見たときの騒動を思い出して、レグラスは頬を緩ませる。
マリーアンは最初、ドレスに手を触れることさえできずにすっかりおびえてカーテンの陰に隠れてしまったのだ。こんな素晴らしいものを着るには自分はあまりに貧相だと盛んに嫌がる彼女をその場の全員で説き伏せて着せつけて、それでもなおうつむき肩をすぼめてまさしく「衣装に着られている」状態だったマリーアンを一喝したのは、誰あろうミスティカであった。
――マリー、前を向いて、ちゃんと立って。キミがそんなんじゃ、ボクとオジサンの作った服が、可哀想だ。
その言葉に目を見開いたマリーアンは背筋を正し、まっすぐにミスティカの方を見た。するとミスティカは笑って、
――うん、それでいい。マリー、とっても綺麗だよ。ボクは明日、マリーのそばに、いられないけど……その刺繍に、その髪飾りに、キミを守りたいって気持ちを、いっぱいに……込めたからね。
だから胸を張って、何があってもボクはマリーの味方だよと続いた言葉にマリーアンは泣いていたけれど、それですべてが吹っ切れたらしい。ドレスや小物の調整を終え、グウェンリアンからドレスでの立ち居振る舞いを教わる頃には彼女から気後れした雰囲気は消えていて、今と同じく凜とした、己の意志を貫こうとする者の目がそこにあった。
「お初にお目にかかります、国王陛下。マリーアンと申します。礼儀作法も知らぬ不心得者故、ご無礼何卒ご容赦ください」
「いや、気にしないでくれ、マリーアン嬢。竜王の花嫁になるのであれば、むしろこちらが頭を垂れねばならぬ立場。そなたが花嫁に選ばれたこと、エルドリア国王としては願ってもない話であるが、そなたのご両親にはもう話してあるのだろうか?」
「いえ、私の母メルローズ・フランシェルは、私が物心つく前に空に迎えられましたもので……墓前には、レグラス様と二人で報告しましたが」
「なんと、そなたはメルローズの子か! あの稀代の刺繍職人を早くに喪ったことは大きな損失であったが、よもや娘がおったとは……して、父親は?」
「父は、そちらにおります」
「なに?」
一同の目が、マリーアンが示した方向へ集中する。
そこには、顔面蒼白になったストラバル伯爵と彼の妻、そして憎々しげにマリーアンを睨みつける三人の娘が立っていた。
「な……なぜ……お前がここに……!」
「お久しぶりです、お父様。……そういうわけですので、婚姻の許可をいただけますか?」
あくまでも冷静なマリーアンの声とは正反対に、伯爵の声は震えている。それはそうだろう、彼らからすればマリーアンは今あの薄暗い洞窟の中で出荷されるのを待っているだけの哀れな生き物だったのだ。彼女にしてきた仕打ちが万が一にも表沙汰になることがないようにと、念には念を入れて誘拐までしたというのに、その当人がよりにもよって婚約式の現場にやってきたのだから、顔色も悪くなろうというものだ。しかも、竜王の花嫁という彼らなど及びもつかないような地位を手に入れてである。
だらだらと流れる汗を拭いながらも、伯爵は腹をくくったらしい。どこか困ったような微笑を浮かべて口を開いた。
「マリーアン嬢、すまないが、誰かと勘違いしているのではないかね? どうも私は、君のように美しいお嬢さんに、父と呼ばれる心当たりがないのだが」
(ふむ、やはりそうきたか)
マリーアンが父親はストラバル伯爵だと宣言したあと、伯爵がどう出るか、レグラスたちは事前に何パターンかの流れを想定していた。その中でも、最も可能性が高いと思われていたのがこの「マリーアンのことなど知らないと言い張る」というパターンだ。
元々ストラバル伯爵はマリーアンを「メルローズの娘を騙る不審者」としてダンクレストやアンヌローザに触れ回っていた経緯があるから、その路線で押していけばいいだけの話である。マリーアンが何を告発したとしても、不審者の与太話として一笑に付すこともできるだろう。竜王の花嫁の父を名乗ることができないのは、権力を求める人間からすれば痛手だろうが、しかしカサンドラと第三王子との婚約がうまく成立すれば王家とのつながりはできるのだ。そこで手を打とうと考えるのが妥当なところだろう。
「ふむ、ストラバル伯爵よ。そなたはマリーアン嬢の父親ではないと言うのだな?」
「陛下、おそれながら……この者は、以前私が陛下にお伝えいたしました、『メルローズの娘を騙る不審者』でございます。当家にも押しかけて参りまして、金の無心などをされ大変困惑しておりました」
「シシリアが空に還り、仕える者を亡くしたメルローズはそなたの屋敷へ引き取られたのだと記憶しておるが」
「それは事実でございます。ですが、あくまでもメルローズ嬢の腕を見込み、専属の刺繍職人として当家で雇用しただけでございます。この通り我が家には娘が三人おりますので、刺繍や裁縫の手ほどきを頼もうと思っておりました」
接しているマリーアンの身体から、動揺が伝わってくる。これは怒りだ、とレグラスは理解した。シヤが語ってくれたかつてのメルローズとの暮らしぶりから、あの三姉妹――というか、年齢的にいって主に長女だ――がまともにメルローズからものを教わる気などなかったことは明らかだ。マリーアンのほうがよっぽど、叶うものなら母であるメルローズから直に手ほどきを受けたかっただろう。なのに教えを受けられる立場にいた人間が、むざむざそれを捨てた上に、こうしてしゃあしゃあと嘘を吐いている。彼女の悔しさはいかばかりだろうか。
「しかしメルローズ嬢は当家に来て数年で流行病に倒れてしまい……このことは、当時規則に則り陛下にもご報告差し上げたとおりでございますが、我々は泣く泣く彼女の遺品を集め、彼女の遺体共々教会の神父様に炎で清めていただいた次第でございます」
「確かに、その報告は聞いている。では、誓ってそなたはマリーアン嬢の父ではないと、そう言うのだな?」
「はい、偉大なる竜王の名にかけて」
これは取り調べや、嘘を吐いていないかという問答の際によく出てくる決まり文句ではあるのだが、いくら形骸化しているとはいえ目の前に竜王である自分がいるというのに平然と虚言を並べ立て誓われるのはなんだか複雑な気分だ。思わず、俺の名に変なものをかけるなよ、と小さくつぶやけば、隣に立つマリーアンが突然震えた。
「……どうした、マリー?」
「わ……、笑わせないでください、せん……いえ、レグラス様」
「ん!? 笑うところがあったか今!? どこだ!?」
「っ……く、ふふ……っ」
おかしくてしようがないらしい、うつむいて肩をふるわせているマリーアンに、レグラスは慌てる。しかしその間も伯爵は蕩々と自説を論じていたので、ピタリと密着し、小声で交わされた二人の会話は他の誰にも聞こえなかったようだ。ようやくマリーアンの笑いが収まったので、レグラスもほっとして前を向く。すると、ちょうど伯爵の演説が終わったところらしかった。
「……ようやく己のしでかした事態に気づいたか、この愚か者! 竜王陛下を騙し、国王陛下を騙し、我がストラバル伯爵家に泥を塗るような行いをした罪、貴様の首くらいでは償えんぞ!」
「おいおい、待て待て。なんでそんな話になってるんだ? すまんがもう一度最初から頼む、ちゃんと聞いてなかったもんでな」
「……は……?」
決め台詞とばかりに大声で叫びマリーアンを指さした伯爵に問いかければ、ぽかんとした表情が返ってくる。しまった、と思いつつダンクレストを見れば、玉座に座る初老の王は両手で顔を覆いうつむいて肩をふるわせている。そのそばに立っている今日の主役、第三王子のガインヴェストも懸命になにかをこらえた顔をしていた。というか、事情を知っている王家側全員が似たような状態である。全員笑ってるな、と瞬時に理解し、レグラスは一つ息を吐いた。わざわざ一芝居打ってくれた彼の計画を台無しにしてしまったのは申し訳ないが、まあ笑っているのなら問題あるまい。どうせ、ここまでもここからも、やることなんてひとつしかないのだし。
「――あー、すまんな。どうも俺は、堅苦しいのが苦手で……実のところ、こういうしゃべり方が地なんだ。だから、皆も気楽に聞いてほしい。構わんな、ダニー?」
「一気に砕けすぎだろう、レグ……それと人の話はちゃんと聞いておけ」
「いや、嫁が可愛くてそれどころじゃなかった」
「この状況でのろけるなよ……」
いまだくつくつと笑いをこぼしながら苦言を呈してきた友人と、脇腹をつついてきた愛しい花嫁にそれぞれ応え、レグラスはどよめく周囲をぐるりと見回してからストラバル伯爵に向き直る。
「さて……俺は回りくどい話も苦手でな、ストラバル伯爵。なので単刀直入に言うが、俺は未来永劫お前と、お前の娘たちを許す気はない。俺は今後もこの国の民すべてを加護の対象にするが、お前とお前の妻、娘たちだけは除外する。そのつもりでいるように」
「そ……それは、一体なぜ……?」
「なぜ、だと?」
思っていたよりも低い声が出たが、気にしないことにした。
「お前が、お前たちが、マリーアンにしたことを思い出せ。いや、メルローズにしたことからすべてだ。職人として雇ったメルローズを手籠めにしたことも、マリーアンを虐待し離れとは名ばかりのぼろ小屋に軟禁したことも、挙げ句彼女の指を潰したことも、俺はすべて彼女から聞いている」
「りゅ、竜王陛下! その娘の虚言に騙されてはなりません! その娘はメルローズの名を使い、貴方や国王陛下を騙そうと……」
「黙れ!!」
レグラスは募る苛立ちのまま声を荒らげた。ひえ、と情けない声を上げたストラバル伯爵がその場に尻餅をつく。隣に立っていた妻らしき女性は気を失ってしまったらしくふらりと倒れ込み、すぐさま飛んできた警備の騎士たちに別室へと運ばれていった。三姉妹は顔を青くして震えてはいたが、自分の足で立っている。直接レグラスの威圧を浴びた訳でないにせよ、膝を折ることもなかったのだから、存外肝が据わっているようだ。
「お、お言葉ですが、竜王陛下……その娘がメルローズの子だというのが事実として、本当に父とメルローズとの間の子であるという証拠はあるのですか? その娘はつい最近まで、離れに軟禁されていたとのことですが、当家の庭に離れなどございませんし……同じ敷地内で寝起きしていたはずの私たちは、その娘のことなど一度として見たことがございません。メイドたちに聞いてもらえば、すぐにわかるはずです。誰一人として、その娘など見たことはないと言うはずです」
「そうですわ、それに、父は娘である私たちが貴族社会に出て恥ずかしくないよう、こうして十分な教育を受けさせてくれました。女であっても好きなことをすれば良いと、私などは薬学まで学ばせてもらえたのです。ですが先程から見ていればそちらの方はあまりに無作法、満足な教育も受けられなかったご様子。同じ父を持つのであれば、彼女だけが虐げられ、教育を受けられなかった理由がわかりませんわ。メルローズの娘であることが事実だとしても、どこか別の……教育など不要な市井のどこかでお生まれになったようにお見受けしますが?」
「それにマリーアンの手のことは、一切私たちとは関係ありません! うちに来たときにはもうぐちゃぐちゃだったんです! きっと、お父様が言ったとおり、良くない暮らしで変な病気にでもなったんですよ! 竜王陛下はお優しい方だから気にしないようにしているのかも知れませんけど、触ったらうつるかもしれませんよ! すっごくぐちゃぐちゃで、骨まで見えてましたし!」
(……いっそ清々しいほどに言い逃れるな、こいつら。言っていて恥ずかしくならんのか?)
撃沈してしまった父に代わって口を開いたのは長女のカサンドラだ。続いて次女のパトリシア、三女のヴァレリアが口々に彼女を援護する。あまりの言い草に、レグラスは思わず呆れかえってしまった。すると、それまでじっと黙って彼女たちの言い分を聞いていたマリーアンが、半歩前に出る。ドレスの生地が動いて、竜の鱗がしゃらりと鳴った。
「国王陛下、よろしいでしょうか」
「うるさいな、アンタは黙ってなさいよ! この嘘つきの――」
「ヴァレリア・ストラバル。マリーアン嬢は私に許可を求めている、部外者の君は黙っていたまえ。……マリーアン嬢、何か言いたいことが?」
「はい。先程のストラバル伯爵の言をお借りすれば『偉大なる竜王の名にかけて』、陛下の御前である今だからこそお話ししたいことがございます」
「ふむ、君にはそれだけの覚悟があると?」
「私の発言が虚偽であった場合には――即刻この首を落としていただいて構いません。首で足りないのならば、胴でも、手足でも、この場で腑分けしていただいても構いません。それが竜王陛下の名をお借りするということの重さだと、私は思っておりますので」
背筋を伸ばし、まっすぐにダンクレストを見つめて言ったマリーアンの言葉は、さほど大きな声ではなかったが静まりかえった大広間ではよく響いた。己の命を賭けたというのに、まったく気後れした様子もなく凜としてその場に立っている彼女を、レグラスは愛おしく思う。
(ほらな、君はちっとも弱くなんかないぞ、マリー)
自分は弱いと言って泣いていたあの晩からまだ一月も経っていないのに、今の彼女はこんなにも強い。
人の一生は短く儚いが、だからこそこうして見せる驚くほどの成長を、レグラスは愛していた。
微かなざわめきが広がる中、ダンクレストはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「なるほど、良い覚悟だ。今や形骸化しているところもあるが、本来その宣誓にはそうした重さがあったはずであろうからな。では聞こう、マリーアン嬢。そなたがそうまでしてこの場で私に伝えたいこととは、一体何だ?」
形骸化、と言うところでちらりとストラバル伯爵を見たダンクレストに促され、マリーアンがひとつ、息を吸い込んだ。
「一つは、先程からお伝えしております通り、私の母がメルローズ、父がストラバル伯爵であること。もう一つは、竜王陛下が言った通り、私が伯爵家の離れで教育どころか最低限の衣食住のみを与えられ軟禁されていたこと。そして最後の一つは……半年前私の手を潰すよう下男に命じたのは、カサンドラ様だということです」
「なっ……!?」
思わず声を上げたのは、名指しで告発されたカサンドラだった。形の良い眉がぎっと上がり、紅をさした唇がわなないて、碧の瞳が怒りに燃える。鬼のような形相でマリーアンを睨みつけるその姿は、伯爵家の令嬢というよりも手負いの獣かなにかのようだ。こういったら獣に失礼かも知れないが。
「聞き捨てならないわね、無教養な平民の女は言っていいことと悪いことの区別もつかないのかしら!? 竜王陛下が隣にいるからって、調子に乗ってあることないこと言うのはやめてもらえる!?」
「ないことは一つも言っていませんよ、カサンドラ姉様。ご自分が一番よくおわかりのはずですが」
「アンタに姉様なんて呼ばれる筋合いはないわ! 大体、なんであたしがアンタの手を潰させなきゃならないわけ!? 理由がないじゃない、理由が!」
「ありますよ」
「はあ!?」
はらりと、マリーアンの足下にハンカチが落ちた。
極彩色のマントをまとった、竜の刺繍のハンカチ。
レグラスはそれを拾い、広げてみせる。
「大丈夫か、マリーアン」
「すみません、手が上手く動かなくて……。覚えてますか、カサンドラさん。あの晩、私が刺したこのハンカチを見て、あなたは怒り狂った。そして私の手を潰すよう、シヤとグレッグに命じたんです。その場には、他のお二人もいましたよね? これを見て、思い出せませんか?」
「……なんのことだか、さっぱりですわね」
「ちょっと、あたしにまで変な言いがかりつけるのやめてもらえる!?」
「というか、マリーアンさん……でしたっけ? そのハンカチが、一体何の証拠になると言うんです? 失礼ながらその……竜……のように見えなくもない、とても不格好な黒いなにかが、無駄に色数だけ多くて下品に過ぎる色合いのマントを身につけている、見たことも聞いたこともない子供じみた図案の刺繍が、わたくしたちがあなたを害したという証拠になると、あなたは本気で思っていらっしゃるの?」
話に巻き込まれることになった二人が不満を漏らす。パトリシアはあからさまに見下したような目をマリーアンに向けていた。マリーアンは涼しい顔でそれを受け流しているが、横で見ているレグラスの方が切れそうになる堪忍袋の緒を押さえるので必死だった。本当にこの一家は、一体どうしてここまで堂々と虚言を並べ立てることができるのか。それとも、貴族というものはえてしてそうなのだろうか。だとすれば、レグラスは永遠に彼らとわかり合えそうにない。
「少なくとも、私が伯爵家にいた証拠にはなるはずだったんですが……残念ながら、原本を燃やされてしまったんです」
「あら、ご愁傷様ですこと」
「そう思うなら燃やさないで欲しかったんですが。ご存知でしょうけれど、あれは大事な母の形見だったので」
「……わたくしがやったとおっしゃるの?」
「いえ、やった……というか、やるように言ったのはヴァレリアさんですが、パトリシアさんも近くにいましたよね。一昨日、私が誘拐されて閉じ込められていた石牢に、お二人でいらしたときのことですよ、これも思い出せませんか?」
「――いい加減にしてっ!!」
きんと耳障りな高音で叫んで、カサンドラがこちらに歩み寄ってくる。レグラスはマリーアンを守るべく前に出ようとしたが、当のマリーアンに視線で制された。
彼女は今、戦っているのだ。
かつて自分がなすすべもなく搾取されるしかなかった、過去の恐怖の象徴と。
「アンタもういい加減にしてよ!! 刺繍の原本をパティとヴィーが燃やしたって言うんなら、この子供の落書きみたいに不格好な、マントをまとった竜なんて馬鹿げた図案は元々メルローズが刺したものだって言うの!? 稀代の刺繍職人だ、糸に愛された女だってもてはやされたメルローズが、こんな意味のわからない図案を刺したって言うわけ!? あたしたちを馬鹿にするのも大概にしなさいよ、作り話にしたって下手くそにもほどがあるわ!!」
「馬鹿にしているのはどっちですか? というか、あれを刺したのは私の曾祖母です。母のために作られたあの絵本を、母は本当に大切にしていたんです。母の愛した竜の図案を馬鹿にするのはやめてください」
「だから、それを証明するものなんてどこにもないでしょ!? そもそもアンタ、メルローズの娘を名乗るくせに、こんな下手くそな刺繍を竜王陛下や国王陛下の前で見せて、恥ずかしくないわけ!? ……ああ、そうか、そのぐちゃぐちゃに潰された手じゃこんな子供のお遊びレベルの刺繍を刺すのにも半年かかったってこと? 可哀想ねぇ、本当ならもっと上手にできたんですって言うんでしょうけど、この手じゃあ……ねぇ?」
カサンドラが更に二歩近づいてきた。もう手が届く距離だ。レグラスは拳を強く握り、その動きを制止するのを懸命にこらえた。そのまま彼女はマリーアンの腕を掴み、高く差し上げる。花びらのように広がる袖口がはらりと垂れ下がり、そこから出てきたのは――マリーアンの、色白な繊手だった。
「な……っ!?」
「そんな、嘘でしょう……!?」
「なんでぇっ!? あ、あんなに叩き潰して――」
はっとしたようにヴァレリアが口元を押さえる。ぼろを出すなら長女か三女だろうと舌戦の始まりからずっと思っていたが、やはり決定的な一言を漏らしたのはその二人だったようだ。特に三女の方は、もう言い逃れができないレベルだ。マリーアンは何事もなかったかのようにカサンドラの手を退けると腕を下げた。そして、静かに口を開く。
「『あんなに叩き潰して』おいたはずの手が治っているのに驚かれましたか、皆さん? 私も、もう二度と自分の手は自由にならないと思っていました。でも……レグラス様が、治してくださったんです。竜の秘薬で」
「秘薬……嘘よ、あれは伝説上のもので、まさか、そんな……」
薬学をたしなんでいるというパトリシアが愕然としたようにつぶやく。知らぬ者もいるだろうと、レグラスは周囲の貴族たちに聞かせるように声を上げた。
「竜の秘薬は、二十四時間以内に負った損傷をすべて元の状態に復旧させることができる薬だ。竜の、と名前は付いているが、別に俺たち竜にしか作れないわけじゃない。ただ生成に百年近くはかかるから、お前たち人間には珍しいだろう。毒なんかは消せないが、怪我は使う時間さえ間違えなければなんでも治せる……だからマリーアンを見つけたとき、すぐに使おうと思ったよ。念のため聞いたら、数時間前に姉たちの怒りを買って潰されたとか恐ろしいことを言うしな。ただしリハビリは必要だから、元通りに動かすためには本人の努力が必要だが」
「そんな……、そんな貴重な物を、こんな女なんかに、どうして……」
「――その辺にしておこう、カサンドラ。いい加減、書記官が疲れてしまう」




