3218. 悲願の空~ ①戦歌・梯子上がり・龍族の懸念、龍族の責任、世界の思惑
嵐の空を渡る、銀の棘を鎧のように全身にまとう龍。びゅおっと吹き抜けた突風に、ガチャガチャ鳴る棘を震わせ、一対ずつの首と尾、二対の手足を大きく広げ、乾いた胴に風を透かし吼えた。
長く飛び出る棘は取れるようには見えないが、側へ来たサブパメントゥたちはこの龍に『梯子』を求める。
『ザハージャング。足場を作れ。お前の棘を抜け。空へ上がる踏み場を出せ』
あるサブパメントゥは感慨深げにそう言い、顔のない体を捻じらせ伸び上がる。ぎゅーっと真上へ伸びたサブパメントゥに銀色の奇獣が寄り、8本の手足を遊ぶように動かす。金属音を立ててぶつかる棘が、根元を残して下へ落ちる。折れる棘は大小様々だが、どれも落ちるなり浮かび、横に傾いた。
うんと過去に落とした棘が、既に宙で段を並べたところへ―――
新たに落ちた棘は、生き物のように動きながら上がる道を続ける。それはどんどんどんどん、高さを増し・・・
半身百足のような者が、『行くぞ』と崖の際へ進む。
雨粒交じりの暴風は、この場にいるサブパメントゥのほとんどをすり抜けるようで、群なす闇の者たちは実体もおぼつかない。だが、形は視覚化されていたし、地面と接するそこに影はある。その存在とあやふやさが両立する種族は、薄暗く垂れ込む重い雲を見上げて、段を作る棘を上がり始めた。
雲を抜けたら。
誰かが『龍を堕とす』と言った。他の者が『今こそ』と重ね、また『もうすぐだ』と続く意志。
崖上に広がっていたサブパメントゥを阻むものは何もない。今、闇の徒は銀色の棘を踏んで宙へ進み、ぞろぞろと列を作って雲へ向かう。
段が足りなくなると、棘が回され、道を敷く。
歌い続ける『呼び声』が、頭の中に響く音と、空中に響く音を同時に発生し、風に乗る戦歌が吹き荒ぶ。その声に、唸りを合わせる者もいれば、歌詞を知っていて声を重ねる者もあり、気づけばヨライデ北部の空は、不思議な音が蔓延していた。
染みついた因縁だけが、全ての真実。龍を見たことのないサブパメントゥもいる。そもそも、創世の時代に空を叩き落された生き残りはここにいない。いるのは皆、かつて空取りに馳せた者たちの子。
俺の城はサブパメントゥ
俺の門はサブパメントゥ
俺の道は井戸の内側
大地の下に巣食う蟻より深く
燃える岩の上より涼しい
空を奪った龍たちよ
世界を見下ろすその目を潰そう
お前の声は俺を焼く
お前の爪は俺を切る
龍の喉を切り裂いて
鱗を焚いて祝う日が来る
その時 俺は光も物ともせず
龍は山に突き刺さるだろう
戦歌の意味は、単純で単調な律。穿った穴に落とされた、大昔の声サブパメントゥたちには、これで充分、欲しいものも憎しみも詰まっていた。
この歌から生まれた『呼び声』だけが理解しているのは、恨みつらみと呪いを混ぜた誓いを託されたから。親が、全てのサブパメントゥへ遺した置き土産こそ、『呼び声』の存在。
暗闇を疎む始まり。ふんぞり返る龍の空は我らのものと訴え、龍を殺し祝う未来を、何度も何度も歌声が繰り返す。
ザハージャングは先頭にいて、下にいるサブパメントゥへ道を与える。棘は折れるたびに再生し、バラバラと落ちながら次が生えて、また落ちた。
長い棘の尾を振る、双頭龍。『呼び声』は龍の近くを上がっており、揺れて寄った銀の尾へ手を伸ばす。戦歌をやめずに触れた手は、銀の奇獣を振り向かせ、奇獣は吐き出す息の音で吼えた。
打ち鳴らす棘のやかましい金属音、大きくなる呪いの歌、猛る海と風は、闇しか見てこなかった輩を存分に煽る。
最後尾まで動かなかったコルステインも、気が進まない足取りで棘に踏み出す。頭の中に『来い』と呼びかけられた数回目で動いたが、心の内では正気が鎮座しており、蝕まれる一部と正気の想いが混じり続ける。
*****
「聞こえるもんだな」
「すぐ終わる」
イヌァエル・テレン――― 中間の地の空を知る男龍が、無表情で呟く。ニヌルタの隣にはシムがいて、シムの返事の続きは、離れた空に浮かぶビルガメスが引き取った。
「行くのは俺だけだ。お前たちはここに」
「イーアンはどうしてる?」
距離に関わらず届くビルガメスの声にニヌルタが尋ね、即答で戻った『後だ』の言葉に黙る。
大事件でも、大問題でもない、この『サブパメントゥ襲撃』だが。懸念があるとすれば、サブパメントゥではなくザハージャング。
ザハージャングの存在は込み入った事情もあり、女龍と関連するだけに、イーアンが囚われた状態にあるのは放っておけないはず。ビルガメスは彼女の解放を求めて出かけ、手ぶらで帰った。
この理由は聞かされていないので、ニヌルタはちょっと溜息を吐いて『イーアンに面倒が掛かるだろ』と、問題へ触れる。
「ザハージャングが、アスクンス・タイネレを出たのは、人間の戻りに直結してないか?この短期間、中間の地に残っていた人間も、別時空からまた出された後だ。これでザハージャングが扉を開けると、最初に出された人間たちは、再審判で引っ張り込まれそうだ。
それらがどうなるかは知らんが、ザハージャングとサブパメントゥ結託を、龍が止めて人間に影響が出ると、イーアンに全部降りかからないとも」
「ふむ。女龍の責任に、と言いたいか」
「可能性だ」
ニヌルタの意見は、ざっくり捉えた想像でしかない。そもそも人間がどうなるなど、大して関心もないが、下手な展開では女龍の存続が怪しい。イーアンの行為ではない、過去の女龍の行為が発端であれ、責任は女龍へ充てられるだろう。
ガドゥグ・ィッダンで読めたのは、奪われた龍・ザハージャングと、人間に結び付けられるサブパメントゥの行動、その責任の一部は女龍にあるような話。
龍王さえ誕生すれば、女龍失くして空の持続はないと掲げられるにせよ。
かといって、『女龍の存在が問われる時間』の免除はない。
「ビルガメス。イーアンを取り戻せ。あの精霊は」
心配するニヌルタがせっつき、側に来たタムズも同意する。ルガルバンダとファドゥは子供部屋にいるが、ビルガメスとの会話は回されるので聞こえている。一人、中間の地との境に浮かぶ龍王は、腕組みしながら静かに考え、やはり同じことを答えた。
「もう少し、後だ。ニヌルタ、心配するな」
「いや、心配だな」
「お前がそんなに気遣うか」
「イーアンは、この空の女龍だ。誰の手にも捕まっていいわけがない」
「彼女は、『捕まった』だけでも、ないかもしれん」
状況的には捕獲だが、ビルガメスは一先ずそこで答えを切る。
ニヌルタは重い息を吐き、少し苛立ち気味に『龍が捕らえられてる事態、放っておくもんじゃない』と繰り返した。
それでもビルガメスは、時を見計らう方を選ぶ。これまでの処置なら、ニヌルタに言われるまでもなく、問答無用で取り返す女龍だが、時は『統一』を前に、中間の地を絡めながら女龍の所在と世界の一転に、大きな設定を置いている。
そして『原初の悪』は、女龍がこの世界に定着するに、恐らく必要な立ち回り。
だから。もう少し待つ。イーアンを取り返すために一度降りて、すぐに感じ取った下準備を理解し、控える巨大な運命を受け入れる。
これは、龍王の俺が知っていれば良いこと。そう、ビルガメスは思う。もう一つ、余計な感情も理由にするなら、『イーアンを呼べば、コルステインを滅ぼす辛さ』を与える。それも、望まない。
龍王は、騒がしさ増す外の空に、輝く目を向けた。
「どれ。落としてくるか」
呟くなり、6翼を広げたビルガメスが飛ぶ。美しく清らかなイヌァエル・テレン、龍の世界を背後に、濁った中間の地の空を一掃すべく。
「これが女龍の責任なら、龍王が引き取るのが道理だろう。女龍は、空の母。今や、女龍を抱える龍王がいる以上、龍族の責任として俺が適任」
見えてきた低い空に呟く。これらサブパメントゥは、母が排除しようにもし切れなかった輩・・・人間に付随して、世界の敷居を跨いだ輩。
これらに空を狙う意味など、本来は全くないのも知った。単に、植え付けられたまま、存在を固定されただけ。
―――サブパメントゥは、この世界へ招かれるに限定された人間『馬車の民』の背負う、不運そのもの。その成れの果て。
『よそから持ち込まれた因縁』は、形を変えてこの世界でも継続した。これがサブパメントゥと人間と、羨みの標的にされた『龍』の関係。
龍族は見様によってはとばっちりだが、『龍を羨む対象に』したのが表向きで、母を失墜させる思惑が裏にあったなら、話は・・・何者の目的か見えてくる。
そして、そうとしか動かない者を巻き込み、動かし、この状態を定着させた世界の考えも。
世界は最初から混沌と柵を括りつけ、違う世界の不完全な写し鏡として開始せざるを得ない状態を認め、『統一』までの期間で、世界に合う『完全』を模索していたと言える―――
ビルガメスの視線は、奇獣の輪郭を寂しそうになぞり、下方で蠢く闇の住人・・・黒ずみ、騒がしい層を見た。
嵐の風が、龍王の登場で向きを変えた一秒、ザハージャング下のサブパメントゥ、初列が消え去る。
音の揺らぎで、異常に気付いた『呼び声』は危機一髪で攻撃を免れ、仲間を失った空中を凝視。すぐさま仰いで、見えない高みから注ぐ龍の威圧に怒りで吼えた。
『現れたか!降りろ、龍め。空は―― 』
虹色の輝きを放つ龍王は、半端な低空に塗された黒い粒を、右から左へ見渡す。一斉に騒いだ輩は、生き物に似る声で怒鳴るのもいるが、思考に飛び散る雑音が圧倒的。千切れて分かりにくい雑音に眉根を寄せ、『何を言ってるかもわからん』と呟く。
サブパメントゥと接触する機会など、これまでまずなかったビルガメスは、こうした感触を実際に体験するのは初めてで、『サブパメントゥ=曖昧な存在』と再確認した。実体があるようで脆く、虚ろな印象。輩は『声』を張り上げ、耳障りな歌を、がなる。
音の範囲ではあれ、イーアンが以前教えてくれた『歌』とは比べ物にならず、歪でしかないが。しかし、この音の揺れと変化、言葉らしさを持つ流れは、恐らくこの輩の『歌』なのだろう・・・
効果はあるようで、杜撰な『歌』を張り上げた直後に、サブパメントゥたちの戦闘意識が倍に膨れ、呆れたことにザハージャングも乾いた息を吐き出し、鬨の咆哮を真似る。
雄叫びに続いて、棘を駆ける異形の暴徒。様々な形態を模る種族は、嵐の空へ渡された空取りの梯子を掴み、蹴り、上空にいる『龍族』に気づいて猛り、怒りを漲らせた。
「信じられない愚かさだと、常々思っていたが。見せつけられると、笑う気にもなれない」
これらは妄信的に『龍に勝てる』と思い込む・・・光の塊のような髪を揺すった龍王は、身の程知らずの愚かしさへ、次の一撃を渡す。真っ向から受けたサブパメントゥは、全て消えた・・・と思ったら。
パッと弾けた紫電の一層が、龍の一撃を覆した。
お読みいただきありがとうございます。




