3217. 解かれた双頭龍・アウマンネルの予告・『原初の悪』より宣言・双頭龍到着
ザハージャングに意思があれば・・・ どう動くのだろう。
幻の大陸。三本柱が小さくなる。棘を飾る奇獣は二本の首と二つの体、それぞれの手足と尾を、落ち着かな気に振るわせて、地面を離れた。
それは、冬眠から目覚めた動物のようにも見えたし、はたまた、武者震いのように見えなくもない。
「ザハージャング」
口を滑り落ちた名前。イーアンは、双頭龍が浮上してしまった状況を一から十まで見届け、どう理解して良いか戸惑う。
望まぬ出生を経て、仕掛け側についてしまった哀れな龍。あの仔に意思が備わっていたら。龍の存在意義があったならと思わずにいられない。
その横で、やはり幻の大陸の状況を見つめていた『原初の悪』が、鼻で笑う。
『例えば』
小馬鹿にする、やや高い声。嫌味か危険なことを言うと察したイーアンは、眉をひそめた。予想通り、精霊はイーアンの腕を引き、無理やり振り向かせて薄ら笑いを浮かべた。
『これで、どこぞへ出された人間が戻るとなると・・・あの化け物がサブパメントゥと空を刺激する事態、人間たちは』
そこで止める。想像してみろと言わんばかりの止め方に、イーアンは顔を背けた。
どのタイミングで人間が戻るか分からない。ザハージャングが柱を離れたために生じる、副次的な可能性。
仮にすぐだったら、龍族とサブパメントゥの対決に、人間を巻き込む。それくらい分かる。この精霊が言いたいのは、直接の攻撃ではないにしろ人間が龍に殺される皮肉。
女龍の歪めた表情を執拗に覗き込み、青鈍色の顔が笑う。
『見て来てやろうか?あの化け物がどこへ行くか』
無視するイーアンをせせら笑い、『原初の悪』は女龍の腰に視線を落とす。そこに・・・遥か昔、常に苛立たされた女の『形見』がある。
『お前たち、女龍ときたら。今も昔も禄でもないことしかせんな』
その一言にジロッと睨んだイーアンを鼻で笑い、腰袋へ人差し指を向ける精霊。イーアンの腰袋に一瞬だけ火花が散り、すぐさま金色の帯がそれを消し切る。始祖の龍の鱗を攻撃したと気づき、『原初の悪』に振り返ったイーアンは、怒りかけて止まる。精霊は苦虫を噛み潰したような顔で、虚空の目を向けた。
『面白くない奴らめ。しぶとい』
毒づくや、群青色の僧衣のフードを荒っぽく掴んで頭に乗せ、嫌味を籠めた大振りの溜息を吐いた精霊の姿が消えた。すぐに続けて『見て来てやろう』と聞こえ、イーアンはまた取り残された。
「挨拶はするわけね」
出かける挨拶はするんだ、と揶揄いがちに呟いて、一人残された鼠色の空間でイーアンは顔を手で拭う。腰袋には傷もなく・・・カブセを上げて確認すると、始祖の龍の鱗は静かに光を含んでいた。先ほどの金の帯は、彼女の返しと理解する。
捕まってしまった今を申し訳なく思い、袋に入ったままの大きな鱗を指で撫で、心で謝る。鱗は温かく、イーアンを励ますようだった。
迂闊な行動は取れないが、始祖の龍の鱗のだんまりと併せて気になっていた、青い布も見てみる。海龍のクロークの隙間、美しい青い布に手を触れ、アウマンネルはこの状態をどう捉えているのだろう?と寂しく思う。布は静かで、イーアンの心の問は、答えを得ない。
始祖の龍の鱗が大人しいことも、精霊アウマンネルが黙していることも。尊重して、自分もその態度に倣うべきだと、分かるのだけど。イーアンは項垂れる。
逃げたい。今すぐ何が出来るか、分からなくても。
ザハージャングが動いたことで、サブパメントゥは勢いづく。ビルガメスが龍王になった以上、空の無事については、万が一も恐れることはないが、別の怖れはある。
先ほど、『原初の悪』が仄めかしたように、人間がこのタイミングで戻ってきたら悲劇で済まない。サブパメントゥを負かすため、空へ上がって来た輩以外も落とす気で、ビルガメスたちは地上を攻撃する。
サブパメントゥがヨライデから上がったとしても、ヨライデだけで済む保証はない。心配性の怖れは膨らんでゆく。
「どこまで・・・計画なのだろう」
ぼそりと呟く、不動の空間の内。私がここにいることも、計画の一つなのか。ザッカリアは未来視で『心臓を取った後、身動きが取れなくなる』と言い、然もありなんと思ったが。本当にそのまま起きた。
世界は、何をどのくらい計画しているのか。
ザハージャングは飛び立ち、幻の大陸はすぐそこに来た。
タンクラッドたちの戦闘状況は分からずじまい。
危険なザハージャングを止められたら。
タンクラッドたちの状況に参戦できたら。でもそれは、叶わないのかも知れない。
ドルドレンの状態も垣間見たが、『原初の悪』の覗き見を以てしても、すぐに遮断されてほんの少ししか見られなかった。彼は魔物の王と対峙しているはずが、なぜか別の魔物と戦っていた。
決戦なのに?そんなものなの? 魔物の王に挑んだのに、何が起きたのか気になるが、これも必要で生じている可能性。
ミレイオは。フォラヴは。ルオロフは。ファタス島の情報は皆無。『原初の悪』に読まれてはいけないと思考から外していたが、フォラヴはもう・・・この世にいないのだろうか?
バロタータが守る、レムネアクやザッカリア、ロゼール、馬車は大丈夫だと思うけれど。
コルステインは・・・ 今頃、どこに。コルステインは、タンクラッドたちの方に参戦したのかも知れない。だが、サブパメントゥの空取りが始まったら、影響は。その影響すら、世界が仕組んで―――
『イーアン』
不意に滑り込んだ、アウマンネルの穏やかな呼びかけ。ハッとして下を見る。
青い布は光っていないが、急いで周囲を見回した。『あの精霊』が来ないかと緊張した女龍に、アウマンネルは落ち着くよう言う。
『あの者はまだ戻らない。そしてこの場所に、私の声は残らない。落ち着いて聞きなさい』
『はい』
『あなたは、しばらく動けない。あの手を逃れるのは、ビルガメスが呼んでから』
『はい・・・それまで』
『動いてはいけない』
『あ、あの。ザハージャングが』
『イーアンは忘れたのか。グィードはあなたに何を教えた?』
はたと我に返るイーアン。古代サブパメントゥの回復場所として、グィードの海の側が許されていた話(※3080話参照)。あの日、知ってて放置されている、とショックを受けた。
数秒の間を置いて、アウマンネルが続けた。
ザハージャングが暴徒を空に渡すことを。その時、女龍はまだ動けないだろうが、ビルガメスが何かの形で呼ぶと、動けるようになる。しかしそれは、イヌァエル・テレンを守るための、サブパメントゥ追撃ではないことも。
『どういうことです』
『あなたの目で見送らないといけない責任。龍でありながら、創世の時代に敵に堕ちた龍の最後を、女龍イーアンは見届ける』
え、と小さく漏らした声に、アウマンネルは答えず、予告は終わった。光らずに話していた青い布は黙りこくり、イーアンは唾を飲みこんで考える。腰袋に収まる始祖の龍の鱗も、今の話を聞いていただろうかと、革の腰袋を見つめた。
ザハージャングは、世界の計画通り『空を襲い』『戦い』『最後を迎える』―――
一つの失態のように。あの仔が生まれたことが、女龍の失態みたいな表現は受け入れにくかった。ザハージャングは失態ではない。犠牲者でしかないんだとイーアンは悔しく思う。
そして、始祖の龍もまた、2度騙されても3度目を信じようと受け入れた相手に裏を搔かれただけで、失態なんかじゃない。
それにこれが全て計画だと言うなら、なぜザハージャングは数奇な末路に設定されたのか。なぜ、始祖の龍は罪作りの役を背負わされたのか。
不条理が。どうにもならない不条理が、抗うことすら許されずに悪役にされた双頭龍や、翻弄されて戦い続けた女龍の存在を歪める。悔しくてならない。誰のために、何のために。
『もう見えなくなったか』
急に飛び込んだあの精霊の声に、イーアンは頭を上げる。イーアンの前に映し出された地上の風景はアスクンス・タイネレで、そこは何もない。ザハージャングはとっくに枠外へ出ており、戻った『原初の悪』はその画面へ指先を数回動かす。
風景はくるくると方向を変え、映す色も目まぐるしく動き、ピタリと定まった位置に棘らだらけの奇獣、その背中が映った。奇獣の飛ぶ空は嵐に巻かれているが、雨は少なく、その先の陸地・・・崖の一画に蠢き犇めく大勢の影が見えた。
視界に入った、大勢の影。見た瞬間は分からなかったが、あれが古代サブパメントゥと気づいたイーアンは、周囲の明度へぐるっと目を向けて『始まった』と理解する。朝なのに?外なのに。サブパメントゥが地上にいる―― あんな数が、まだいたとは。
唖然と口を開けた女龍に、唇を噛んだ精霊は、一手間かけてやったことを囁く。
『もうすぐだ・・・ちょっと迷子になりかけていたんでなぁ。俺が道を教えてやったところだ』
「あなたは手出しを」
『口に気をつけろ、迂闊なやつめ。あの化け物の存在が紐づく相手に誘導したことを、手出しと愚弄するな』
遮ってぴしゃりと止めた『原初の悪』。青鈍色の皮膚に、喋ると出てくる火花が貼り付く。睨んだ女龍から白目のない目を逸らし、少々興味が失せた顔で呟いた。
『さてどうするかな。お前を放しても良いんだが、それで番狂わせになられても迷惑だ』
「何を」
『何かって・・・お前は俺の存在意義を知っているはずだ、イーアン』
混沌。混乱。ふと浮かんだこの二つに、精霊は反応を示し、大きく首を傾ける。群青のフードは傾けられた頭から後ろへずれて、黒い捻れた角が現れた。まるで、鏡に映った自分の悪のような、嫌な印象を受けるイーアン。フン、と鼻を鳴らした精霊は、女龍の腕を掴む。
『魔物の王も、俺から見たら駒だ。お前らを無駄に喜ばせる、茶番劇の駒。あっちもこっちも忙しいな、イーアン。だが、最後にこの世界に残れるのは、ちっぽけな信念で右往左往したお前らではなく、最初からこの世界を保ってきた、俺のような存在だけだ。
よそから来たお前らは、互いに足を引っ張り合って滑り落ちてゆくのだ。分かるか、招かれざる客、その末尾に立つ女龍』
喋り方が変わり、口調が重みと威圧を増した『原初の悪』に、イーアンは呼吸が浅くなる。最初に会った時に戻されたような、妙な威圧を心が嫌がる。
黒い精霊は掴んだ腕を引く。ここへ来てから何度もイーアンは腕を引っ張られては側へ寄せられ、間近で脅され、今も繰り返される。すり込むように、言い聞かせるように、イーアンの不安を掻き立てる手を止めないように、『原初の悪』は青鈍色の唇から、弾けて跳ぶ火花を近付け、虚空の目で女龍を捉えた。
『決めた。お前はまだ止めておこう。勇者は魔物の王を倒したと誤解する。魔物の王は茶番劇で倒れるのだ。その間に、人間は誰が救いの手を伸べることもなく、サブパメントゥの愚行の巻き添えになるだろう』
そう、魂を脅すような音で宣言されて。
あれ―――? イーアンの反応は、怯えではなく。世界の仕掛けが、ダブった。
*****
ダブった、それを気づかれては困るので、イーアンはすぐに思考を閉ざし、ザハージャングの映像へ目を逸らす。『原初の悪』は、思ったよりたじろがない女龍を少し怪訝そうに眺めたが、同じように映像へ視線を移した。
銀色の棘だらけの龍は、道案内をされた後も急ぐことなく空を泳ぎ、楽しんでいるようにも映り、間を見ているようにも映る。サブパメントゥたちの気配は感じているだろうが、ザハージャングはゆらゆらと一定の速度で進み、気まぐれのように咆哮を上げ、緩慢な速度で陸へ進んだ。
自分の考えも心も持たされなかった、傀儡の龍。
出し抜いた始祖の龍から、混沌の海へ落ちた卵。
龍は龍を殺せず、男龍と始祖の龍に倒されることなく、イヌァエル・テレンへ攻撃を仕掛け、時の剣を持つ男に制された過去。
その記憶さえ、ザハージャングに宿っていない。
あるのは、存在に染みつく、制した相手に服従する条件だけ。
サブパメントゥの武器でありながら、
かつて自分を叩きのめした『時の剣』に従う。
今は・・・ 呼びかけへ反応している。それが誰なのか、双頭龍は気にしない。本能というほど強くもない、単なる傀儡の条件で。空っぽの存在で。
ザハージャングは、彼を待っていた者たちの雄叫びに迎えられる。声のないサブパメントゥすら、振動として昂りを空へ放っていた。
お読みいただきありがとうございます。




