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『ブレイク・ネクサス』改訂版  作者: 嵗(sai)
第一部 フェイク・ファクター

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第十三章:荒野の対話と、絶望的な迎撃

13.1. 接触と絶望の場所:廃棄物処理場


Ⅰ. 鉄の墓標と沈黙の荒野


秋吉博子が指揮車のメインモニターに叩き出した、極めて不安定な熱源反応を示す座標。


そこは、かつてネバダの開拓精神が残した残骸が積み上げられた、忘れ去られた工業の終着駅――市街地の喧騒から数十キロメートル隔絶された、荒涼とした古い廃棄物処理場だった。


夜のとばりが降りたその場所は、月の冷たい光に照らされ、異様な静寂を湛えている。錆びついて赤茶けたコンテナ、幾何学的な形を失いねじ曲がった重機の残骸、剥き出しの配線が血管のように垂れ下がる制御盤。それら無数の「死んだ機械」たちが、砂漠の風に削られながら、巨大な墓標のように整然と、あるいは無秩序に立ち並んでいた。


その静寂を、一台のオフロードバイクの排気音が切り裂いた。


西野シホは、処理場の入口付近、月光に白く浮かび上がる唯一平坦な砂利の上に、愛車を滑り込ませた。サイドスタンドを立て、エンジンを切った瞬間、世界は再び、耳が痛くなるほどの静寂に包まれる。


シホは深く息を吸い込み、ゆっくりとヘルメットを脱いだ。


夜風が、汗ばんだ彼女のうなじを撫で、漆黒の長髪を不規則に揺らす。彼女の瞳は、月の光を反射して硬質な光を宿していた。


次に、彼女は迷うことなく左耳のインカムに指をかけた。


「……シホ、聞こえるか。ポイントに到達したな。状況を――」


通信の向こう側で、千姫の低く、理性の塊のような声が響く。男性の脳が導き出す「勝利への最短経路」を強いるその声を、シホは物理的な遮断によって拒絶した。


指先がスイッチを切り、デバイスを耳から引き剥がす。


(ごめんなさい、千姫さん……。今は、あなたの『合理性』を私の心に入れたくない)


それは、日本政府の特務工作員としての責務を捨て、ただの「西野シホ」という一人の人間として、傷ついた少年の魂と向き合うための、彼女なりの儀式だった。


Ⅱ. 砂利を踏む鼓動


シホは、腰のホルスターから銃を抜くこともしなかった。


ごつごつとした廃材の山が迷路のように入り組む中を、彼女は慎重に、だが確実な足取りで歩み始める。厚手のブーツが乾いた砂利と、腐食した鉄くずを踏みしめる音が、夜の静寂の中で異常なほど大きく、暴力的に響き渡った。


自分の心拍が速まっていくのが分かる。恐怖ではない。


これから出会う少年に、自分が何を突きつけようとしているのか。その「罪悪感」が、彼女の足を重くさせていた。


「……リクト君。そこにいるんでしょう?」


シホは、最も巨大な廃重機の影、深い闇が溜まっている場所に向かって、静かに呼びかけた。


返事はない。ただ、砂漠の乾燥した風が、錆びたトタンを叩く音が虚しく響くだけだった。


しかし、一瞬の沈黙を挟んで、「ガサリ」という乾いた音が、その闇の奥から漏れ聞こえた。


古い鉄くずが、何らかの質量によって押し潰される音。


逃げようと思えば、今のリクトの能力なら瞬時に姿を消せるはずだ。だが、彼はそこに留まっている。拒絶しながらも、誰かが自分を見つけ出してくれるのを待っているかのように。


シホは、胸の奥を鋭い針で刺されたような痛みを感じた。


彼女は、一歩、また一歩と闇に向かって歩みを進めながら、祈るような心地で言葉を紡ぎ出した。その声音には、情報を引き出すためのプロの技術などは微塵もなかった。ただ、一人の人間が、他者の孤独に触れようとする時の、不器用な温もりだけが宿っていた。


「やっと、見つけた……。ごめんなさい。……本当に、本当にごめんなさい」


シホが最初に選んだのは、交渉術としての譲歩ではなく、心の底から溢れ出した剥き出しの謝罪だった。それが、プロメテウス財団の地下で彼を見たあの日から、彼女の心を片時も離れなかった、偽りのない感情の正体だった。


Ⅲ. 暴かれる地獄と、差し伸べられた手


「私は、ずっとあなたを探していたの。……信じてくれないかもしれないけれど、私はCIAの人間でも、軍の刺客でもない。西野シホ。……元々は、日本の小さな新聞社の記者だった人間よ。今は、少しだけ複雑な事情で日本政府の機関に協力しているけれど、根っこはただの、お節介な書き屋なの」


彼女は、自身の仮面を一枚ずつ剥ぎ取るように、素性を明かしていった。


誠実さだけが、今のリクトに届く唯一のパスポートであることを、彼女は本能で理解していた。


「日本で、あなたのことを知ったわ。あなたの短い経歴書、長く苦しい闘病生活の記録。……そして、最新の手術を受けるために希望を抱いてこの国へ渡ったという、あの不自然なほど美しい美談の記事を読んだ。でも、記者としての私の勘が、その記事の裏にある『歪み』を教えてくれたの。だから、私は日本を飛び出して、あなたを追いかけてきた」


シホは語り続ける。


リクトが過ごした、消毒液の匂いしかしない無機質な病室の風景。


親の愛情を知らず、細い腕に点滴の針を刺し続けながら、それでも窓の外の空を見上げていた少年の孤独を。


「あなたが、あのプロメテウス財団とネオ・メディカルの地獄から命懸けで脱走したことも……。その原因が、あなたの身体を『部品』としてしか見ていなかった、非人道的な人体実験だったことも、私はすべて知っている。すべて、裏を取ったわ」


シホの声音が、激しい怒りと悲しみで僅かに震える。


「……あなたの気持ちを考えると、胸が張り裂けそうになる。完治を夢見て、ようやく掴んだはずの希望が、実はあなたを壊すための罠だったなんて。希望を抱いて渡った新天地で、地獄に突き落とされ、誰一人信じられないまま、孤独に絶望して……。そして今、全能に近い力を与えられながら、世界中から追われる身になっている」


シホはさらにもう一歩、踏み出した。


すぐ目の前には、リクトが潜む巨大なスクラップの山がある。


テロス・ギアが周囲の熱を奪っているのか、空気の温度が急激に下がり、彼女の吐く息が白く凍りついた。


「だから、私はあなたを助けたいと思った。今でも、その気持ちに嘘はないわ。……あなたを日本へ連れて帰りたい。そこで、利権や軍事目的とは一切関係のない、本当の治療を受けさせてあげたい。あなたが『一人の人間』として、平穏に眠れる場所を、私は心から作りたいと願っているの」


彼女は、自分自身の「本心」をすべて、血を流すような思いでさらけ出した。


その時、再び「ガサリ」と音がした。


リクトが、わずかに身を乗り出した気配がした。テロス・ギアが発する、凍てつくような「死の予感」を伴う冷気が、シホの肌に直接届く距離になった。


Ⅳ. 残酷なまでの「お願い」


「……でも、今は、すぐに動くことができないの」


シホの声が、沈痛な色を帯びて沈む。


「今、このアメリカの地では、アビス・ラという名の怪物が暴れている。……リクト君、あなたもその『感覚』で知っているでしょう? あの、空を凍らせ、すべてを無に帰す黒い竜のような、絶対的な絶望を」


「私は、あの怪物に対処するために、日本政府のメンバーと一緒に動いている。彼らは、決して善人ばかりではないかもしれない。……でも、彼らは、アビス・ラという災厄を止めるために、自分たちの命をチップにして戦っているわ」


シホは、千姫たちの存在、そして「玄武」が抱える危うい現状を、隠すことなく伝えた。


「アビス・ラの恐ろしさは、通常兵器が一切通用しないこと。軍が放つ最新鋭のミサイルも、戦車の砲弾も、奴に接触する前に分子レベルで凍結され、崩壊させられてしまう。私たちは今、この閉ざされた絶望的な状況を打開するための糸口を、血眼になって探している」


シホの瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。


それは、これから自分が口にする言葉の「卑劣さ」に対する、自責の涙だった。


「リクト君。私は、あなたを兵器として利用したいわけじゃない。あなたの『人間』としての尊厳を、何よりも、誰よりも守りたいと……そう思っている。だけど……!」


彼女は言葉を詰まらせた。喉の奥が熱く、胸が締め付けられる。


「だけど……今、この地球上で、あの絶望的なアビス・ラに対抗できる可能性を持っているのは……テロス・ギアと同調し、進化を遂げたリクト君、あなただけなの。……あなたにしか、できないことがあるの」


静寂が、処理場を支配した。


シホの涙が砂利の上に落ちる音が聞こえそうなほど、張り詰めた時間。


その時、闇の奥から、錆びた鉄が軋むような、低く機械的な合成音が響き渡った。


『…………色々、綺麗な言葉を並べているけれど。……結局は、僕を『利用』したいだけなんだろう?』


リクトの声だった。


それは、かつての少年の面影を残しながらも、テロス・ギアの出力によって人間離れした響きを帯びた、悲しみと諦観に満ちた言葉。


「違う……!」


シホは、反射的に叫んでいた。


涙で視界がぐしゃぐしゃになりながらも、彼女は闇の中の瞳を見据えた。


「違うの! 私は、あなたを助けたい。でも……私は、あなたの『命』だけを救って、世界を見捨てることはできない。……リクト君、あなたが、その恐ろしい力を使って、アビス・ラという絶望を止めることで……あなたが、自分自身の存在の価値を、自分自身で定義してほしい。……私たちが、命懸けであなたをサポートする。だから……」


シホは、膝をつくようにして、地面に手を突いた。


「お願い……。これは命令じゃない。あなたの自由意志に委ねる、私の……私たちの、最後で最低の『お願い』なの。……力を、貸してほしい」


彼女の願いは、国家の要請でも、正義の執行でもなかった。


一人の少年を、再び地獄へ引き戻すかもしれないという罪を背負った、命懸けの「懇願」だった。


リクトの潜む闇から、青白いテロス・ギアの発光が、脈動するように強まった。


それは、絶望を受け入れるための光か。それとも、新たな決意の産声か。


夜の荒野は、ただ無言のまま、二人の対話を見守っていた。


________________________________________


13.2. 覚醒の片鱗と、迫り来る脅威


Ⅰ. 全知への没入


廃棄物処理場の空気は、もはや「物理的な気体」としての役割を放棄していた。


シホの涙とリクトの沈黙が交錯する境界線。そこでは、テロス・ギアが放つ冷気が、周囲の空間を「演算領域」へと強制的に変換していた。


リクトの意識は、肉体という檻を突き抜け、光速のパルスとなって全米の光ファイバー網へと雪崩れ込んでいた。テロス・ギアが提供する無機質なインターフェースは、彼のニューロンをデジタル信号と直結させる。かつて病室の白い天井を見上げることしかできなかった少年の脳に、今、全地球規模の「現実」がダイレクトに投射される。


(――熱い。いや、これは『情報』だ)


数秒の間に、数百万、数千万のパケットが彼の意識を蹂躙する。常人なら発狂するか脳が焼き切れるほどの情報量。だが、テロス・ギアという「外付けの神」は、その激流を整理し、リクトの視覚と認識を拡張していく。


【視覚情報の同時並列処理:Case 01】


高高度偵察衛星が捉えた、アビス・ラの現在地。黒い霧を纏ったその「絶望」が、軍の戦車大隊を紙細工のように引き裂く映像。赤外線カメラが捉える、兵士たちの体温が瞬時に喪失し、分子レベルで「無」へと還っていく残酷な物理学的崩壊の細部。


【機密情報の深層アクセス:Case 02】


プロメテウス財団とネオ・メディカルの秘密サーバー。自分の脊髄に埋め込まれたこの「ギア」の製造コスト。彼らが自分を「個体番号:R-109」と呼び、実験の進捗を賭けの対象にしていたチャットログ。非人道的な人体実験の、克明な記録映像。


【通信傍受のリアルタイム復号:Case 03】


千姫――あの冷徹な女指揮官が、CIA長官と交わしている暗号通信。「リクトという資産を失うことは許されない。だが、それ以上にアビス・ラの進化を止めることを優先せよ」という、自分を一つの駒として扱う論理の響き。


【社会的動向の俯瞰:Case 04】


ホワイトハウスの地下会議室で、大統領が事態の完全隠蔽を命じる声。主要メディアに「異常気象による局所災害」と報じさせるための圧力。自分を「テロリスト」に仕立て上げるための捏造されたプロフィールのドラフト。


リクトは悟った。シホの言っていることは、事実だ。


だが、彼女の知っていることは、この地獄のような真実の、ほんの表層に過ぎない。


「……僕に、何をさせたいの?」


沈黙の果てに、リクトの唇が動いた。だが、そこから発せられたのは人間の少年の声ではなく、テロス・ギアの合成音声ユニットが生成した、無機質な、しかし震えるような哀しみを湛えた響きだった。


シホは、その「怪物」の喉から漏れた問いかけに、真っ直ぐな瞳で応じる。


「アビス・ラを『視て』欲しい。奴が何者なのか、その能力の本質はどこにあるのか。知性があるのか、それともただの破壊衝動なのか……。そして、弱点は。それ以上は、リクト君、あなた自身で判断して。私は、あなたを強制しない」


再び、沈黙が訪れた。


だが、その沈黙の質は先ほどとは根本的に異なっていた。それは、情報を「喰らい」尽くした「個の神」が、次の一手を導き出すための、膨大な演算の時間だった。


Ⅱ. 指揮車内の戦慄


場面は一転し、荒野の影に潜む移動指揮車コマンドポスト内。


秋吉博子の指先が、狂ったようにキーボードを叩き、マルチディスプレイに新たな警戒警報を点滅させる。


「っ! 指揮官、アビス・ラが動き始めました! 進路を東北へ変更。速度、時速140キロメートルに加速!」


千姫は、組んでいた足を解き、モニターに鋭い視線を向けた。


その瞳には、一人の女性としての優雅さなどは微塵もない。戦況を瞬時に飲み込み、最適解を吐き出すための、冷徹な「演算装置」としての輝きがある。


「……その先に、何がある」


千姫の声は低く、そして重い。


秋吉は、地図データのレイヤーを重ね合わせ、眉を深く顰めた。


「……60キロメートル先に、サマービル市があります。人口約20万人の地方都市です。このままの速度なら、30分足らずで到達します」


「20万の命か」


千姫は、逡巡することなく通信機を手に取った。


彼女が繋いだ先は、CIA本部のシチュエーション・ルーム。


「長官、聞こえるか。アビス・ラが移動を開始した。進路は東北、ターゲットはサマービルだ」


長官の、余裕を失った焦燥混じりの声がスピーカーから割れて響く。


『確認した! 地元の州兵と、近隣の空軍基地からF-35をスクランブルさせている! だが、迎撃ポイントをどこに設定すればいい! あの化け物をどうやって足止めしろと言うんだ!』


千姫は、隣に立つ朱雀に目配せをした。


朱雀は既に、周囲の地形データをミリ単位で精査し終えていた。彼は地図上の特定のポイントを指差し、叫ぶように声を上げる。


「さらに北、進路を僅かに逸らした先に荒野があります! ポイントN423! 標高1,200メートルの不毛地帯です! 距離は現在地から28キロメートル、広さは東西12キロメートル、南北8キロメートル。ここなら、市街地への被害を最小限に抑えつつ、地形を利用した誘い込みが可能です!」


千姫は、朱雀の言葉をそのまま長官の耳に叩きつけた。


「長官、聞いての通りだ。州兵と空軍を囮に使え。アビス・ラをポイントN423へ誘導しろ」


秋吉は、即座に暗号化された座標データをCIAの作戦ネットワークへ流し込む。


『分かった、誘導はさせる! だが、誘導したその先はどうするつもりだ! 軍の通常兵器では奴を傷つけることさえできないんだぞ!』


「……こちらで考える。貴様らは、一人の逃亡者も出さずに任務を全遂行しろ」


その冷徹なやり取りの最中、後方でホログラムを弄っていた白虎が、不敵な笑みを浮かべて口を開いた。


「ちょっといいですか、長官さん。……確か陸軍の非致死性兵器開発部門(JNLWD)で、広範囲を標的にする『高出力大型テーザー放射機』の試作機があると聞いたんですがね。……あれ、今すぐここに借りれますか?」


長官の声が困惑に揺れる。


『なに……? ああ、確かに暴徒鎮圧用の『アクティブ・ディナイアル・システム』の派生型がある。……だが、あれは対人間用だぞ? 有効射程も限られているし、あんな巨大な怪物に効くはずがない!』


白虎は鼻で笑った。


「効くか効かねぇかは、俺が決める。……どうせそっちじゃ、倉庫で埃を被ってるんだろ? 1時間以内に、大型輸送ヘリでこのポイントまで届けろ。いいな?」


『……分かった。手配する』


千姫が再びマイクを握る。


「長官、手配は1時間以内だ。そして、ポイントN423にアビス・ラが2時間後に到達するよう、軍を巧みに動かして誘導しろ。早すぎても遅すぎても、こちらの準備が間に合わない」


『2時間だと!? ふざけるな、それまで空軍と州兵がどれだけの犠牲を払うと思っている! 2時間も持たん!』


千姫は、冷酷な光を瞳に宿し、一言だけ告げた。


「……死力を尽くせ。ではよろしく」


千姫は、長官の抗議の声を待たずに、一方的に通信を断ち切った。


「秋吉、リクトとシホの状況は」


「……リクト君、動きました。彼、テロス・ギアを介して、ポイントN423の地形データを自身で解析し始めています。……千姫さん、彼、やる気です」


千姫は、壁に背を預け、誰にも見えないほどの微かな、しかし男としての獰猛な笑みを浮かべた。


「……よし。役者は揃ったな。……状況開始だ」


________________________________________


13.3. 命を賭した準備と、NCUの予測


Ⅰ. 鋼鉄のギャンブル:白虎の毒案


移動指揮車コマンドポストの内部は、ディーゼル発電機の微弱な振動と、電子機器が発する排熱の匂いに満ちていた。千姫が下した「ポイントN423への誘導」という決定は、もはや後戻りのできない最終宣告デッドラインだ。


その沈黙を切り裂いたのは、白虎の粗野な、しかし確信に満ちた声だった。


彼はコンソールに背を預け、玄武――このチームの屋台骨を支える寡黙な兵站のスペシャリストに視線を投げた。


「おい、玄武のおっさん。悪いが、今すぐ大容量のリチウムイオン・バッテリーユニットと、高耐圧の可変変圧器トランスを手配できねぇか? それも、潜水艦の予備電源か、基地局用のデカい奴だ」


朱雀が即座に反応した。眼鏡の奥の瞳が、剣のように白虎を射抜く。


「……貴様、何を考えている。非致死性兵器(Non-Lethal Weapons, NLW)――あの大型テーザー銃を使ってアビス・ラの動きを止めようというのか? 無意味だ。生物学的な電気ショックによる筋収縮を狙うには、対象の質量が大きすぎる。奴の巨体には、ただの不快な静電気で終わるだろう」


「だろうな。だから、電圧をブチ上げるのさ」


白虎は不敵に笑い、モニターに映るアビス・ラの構造解析図を指差した。


「定格なんてクソ喰らえだ。絶縁破壊(アーク放電)が起きる寸前まで電圧を昇圧し、超高圧電流を奴の表層に叩き込む。神経系を焼く必要はねぇ。電気伝導率を無視して、分子間の結合に物理的な負荷をかけるレベルまでやってやる。動きが鈍るか、細胞が炭化して止まるまでな」


「狂気の沙汰だ!」


朱雀の声が荒らげる。「奴が電気的エネルギーを吸収し、進化の糧にしたらどうする? あるいは、伝導経路を逆に辿ってこちらが焼き切られる可能性の方が高い!」


「やってみなきゃ分かんねぇだろ。もし止まらなかったら、それはそれで『電気耐性アリ』っていう貴重なデータが手に入る。命の値段に比べりゃ安い授業料だぜ」


朱雀は言葉を失い、千姫を見た。だが、千姫は表情一つ変えず、白虎の「狂気」を黙認していた。彼女にとって重要なのは、倫理的な正しさではなく、一パーセントでも勝利の確率を上げる手段があるか否か、それだけだ。


「……ということだ、玄武のおっさん。1時間以内だ。死んでも間に合わせろ」


玄武は、一切の不平も言わず、ただ一度だけ重々しく頷いた。彼は移動指揮車を降り、予備の重車両――装甲強化された4tトラックへと乗り込む。闇を切り裂くヘッドライトが遠ざかっていく。その背中には、最前線へ資材を届けるという、死地へ向かう者特有の静かな覚悟が滲んでいた。


Ⅱ. 荒野への加速:指揮官の平熱


玄武の離脱後、千姫は車内の状況を俯瞰した。


「さて……。この巨体を動かす運転手が必要だな。誰がやる」


白虎と、これまで沈黙を守っていた青龍が視線を交わした。


「……しゃぁねえな。俺が行きますよ。格闘戦の前に肩慣らしだ」


白虎が運転席のシートを調整し、エンジンを轟かせた。


移動指揮車が砂利を蹴り、荒野へと動き出す。舗装など存在しない砂漠の悪路。車両は激しく上下し、車内の機材が悲鳴を上げる。だが、千姫はその揺れに翻弄されることなく、磁石のように椅子に定着していた。彼女の視線は、常に次の局面だけを捉えている。


「秋吉、シホに連絡しろ」


千姫の声は、激しいエンジン音の中でも驚くほどクリアに響いた。女性の肉体から発せられるその声は、完全に「戦場の支配者」としての重圧を伴っている。


「アビス・ラは北東へ移動を開始した。2時間後にポイントN423――人影も遮蔽物もない、ただの無人の荒野に誘導するとな。……そこで、すべてを決着させる」


「わ、分かりました……っ!」


秋吉は、激しく揺れる車内でコンソールに必死にしがみつきながら、暗号通信のエンコードを開始した。


Ⅲ. 廃棄物処理場:神の演算と絶望の数値


場面は再び、ネバダの闇に沈む廃棄物処理場。


西野シホは、インカムから漏れるノイズ交じりの秋吉の声を聞き取ろうと、息を殺していた。


「……シホさん! 聞こえますか! 秋吉です!」


だが、インカムの音声が彼女の鼓膜を震わせるよりも早く、目の前の闇から、リクトの声が響いた。


「……アビス・ラを、荒野に誘導するつもりですね。ポイントN423へ」


シホは全身を氷で撫でられたような衝撃に襲われた。


「え……? な、何で分かるの? 今、秋吉さんから連絡が来たばかりなのに」


「……今の僕にとって、この国のネットワークに秘匿性は存在しません」


リクトの影が、ゆっくりと動く。その声には、もはや少年の幼さは微塵もなく、数億の情報を同時に咀嚼する「上位知性」特有の、冷徹な響きがあった。


「衛星の軌道修正、州兵の通信プロトコル、指揮車内のマイクが拾った千姫さんの独白……。すべてが、デジタル信号として僕の脳内に流れ込んでくる。アビス・ラの現在地も、あなたたちの作戦も……すべて、手のひらの上の出来事です」


「リクト君、あなた……」


シホは言葉を失った。テロス・ギアの進化は、肉体を強化するだけではない。世界そのものを「視る」目を彼に与えていた。


「……あの人たち、千姫さんでしたか。あのチームでは、アビス・ラを一時的に足止めすることすら叶わない。……十中八九、全滅します」


「! それが、分かるの!?」


シホの心臓が、喉元まで跳ね上がる。


「僕の中のNCUニューラル・コンピューティング・ユニットが弾き出した、現時点での最適解です。敵のエネルギー放射パターンと、あなたたちの装備、地形的条件。……すべてをシミュレートした結果、生存確率は限りなくゼロに近い」


シホの顔から血の気が引いた。彼女は、千姫たちの強さを知っている。それでもなお、この少年の「予言」は、絶対的な真理として彼女を押し潰そうとする。


「……それじゃあ、止めないと! 逃げるなり、別の作戦を考えないと!」


「それで止まるくらいなら、最初からあんな無謀な手は出していないでしょう?」


リクトは、感情を排した事実を、鋭い刃のように突き返した。


「彼らは死ぬことを前提に、その後の『何か』を狙っている。……愚かですね」


シホは、泣き笑いのような、歪んだ表情を浮かべた。


リクトの正論は正しい。あまりにも正しいからこそ、彼女の「人間」としての部分が激しく拒絶反応を起こしていた。


「……そうね。本当に、バカばっかり。……ねぇ、リクト君。シホさんはどうすればいいと思う? あなたなら、どうしたい?」


リクトは沈黙した。彼は、シホの目を見た。そこには恐怖があり、絶望があり、それでもなお消えない「正義」という名の、厄介な熱があった。


「私はね、逃げたいなぁって思ってる。でも、無理。……あのバカな彼らのところに行く。私は、最期まであの人たちの共犯者でいたいから」


シホの言葉は、使命感というよりは、もはや彼女の生存本能に近い「倫理」だった。


Ⅳ. 覚醒の流線形:生の熱


その時、リクトの全身を包んでいたテロス・ギアの冷気が、真空に吸い込まれるように一気に収束した。


廃棄物の影から、彼が姿を現す。


シホは、その姿に息を呑んだ。


以前の「着込まされたスーツ」のような不自然さは、そこにはない。テロス・ギアは、リクトの筋繊維と神経系に完全に同化し、流線形の極めて美しい、しかし暴力的なまでに研ぎ澄まされたフォルムへと変化していた。


その風貌は、人間という種を超越した「戦闘種族」の輝きを放っている。闇の中で青白く光る瞳は、もはや情報を追うためのものではなく、獲物を屠るための意志を宿していた。


そして、シホは気づいた。


テロス・ギアから発せられていた、あの「死の冷気」が消えている。代わりに、彼女の肌を焦がさんばかりの、生体的な「熱」が押し寄せてくる。


それは、病弱だった少年が、生涯で一度も持てなかった、強烈な「生存」へのエネルギー、すなわち「生」の熱だった。


「……あなたは、本当に理解に苦しむ人だ。……論理的じゃない」


リクトは、シホの瞳を真っ直ぐに射抜いた。その声には、初めて、機械を介さない「感情」の微かな震えが混じっていた。


「……行きましょう。荒野へ。僕の予測が間違っていることを、僕自身で証明しなきゃならない」


少年の、いや、人類の進化の先端に立つ「騎士」の第一歩が、ネバダの荒野を揺らした。


________________________________________


13.4. 荒野の対峙:玄武の決死隊


Ⅰ. 殺戮の舞台、ポイントN423


ネバダ州の広大な空白地帯、ポイントN423。


そこは、神が創造を途中で投げ出したかのような、不毛の極致だった。見渡す限り、月の冷たい光に照らされた赤茶けた岩と鋭い砂利、そして乾燥に耐えきれず骨のように白く枯れた潅木が点在するのみ。生命の気配は、熱風が砂を噛む音にかき消されていた。


荒野の中央。夜間迷彩を施された移動指揮車が、重厚な金属音と共に停車した。


ハッチが開くと同時に、白虎が飛び出す。その背後には、玄武がクレーンで吊り下げた「戦神の心臓」とも呼べる巨大な物体が鎮座していた。基地局用バックアップ電源を無理やり改造した、大容量リチウム・ポリマー・バッテリーユニット。そして、特注の超高耐圧可変変圧器だ。


「……っし、降ろせ! 玄武のおっさん、ドンピシャだ!」


白虎は、汗が目に入るのも構わず、改造を施した大型テーザー放射機――もはや元の形状を留めていない、放電極が異様に突き出した鋼鉄の筒――に、太い高圧ケーブルを叩き込んだ。


「この第一系統の配線を主変圧器へバイパスして、……三相交流を全波整流、直流パルスとして蓄電……よし、繋がった! 千姫、こっちはいつでもぶち放せるぜ!」


白虎の顔は、極度の緊張と高揚で赤らんでいた。掌に滲む汗を無造作に作業着で拭い、彼は千姫に親指を立てて見せる。


「試し撃ちは、しねぇのか?」


指揮車のステップに立ち、荒野の風に髪をなびかせながら千姫が問う。その声には、これから怪物を迎え撃つ者の動揺は一分も存在しなかった。男性の脳が導き出す「無駄の排除」という鉄の規律が、彼女を冷徹な彫像へと変えていた。


「んー、止めておきますわ。一発撃つだけで回路が焼き切れるかもしれねぇ『一撃必殺』の代物ですので。標的もいねぇのに、この荒野を焦がすのは勿体ねぇ。……玄武のおっさん、無茶な要求に応えてくれて助かったぜ」


玄武は、一切の言葉を返さなかった。ただ、深く被ったタクティカル・キャップの庇の下で、静かに一度だけ会釈をした。彼はすぐさま、脱出用に用意された最高出力のオフロードカーの点検に移行した。エンジンの油温、燃料の流量、パンクレスタイヤの状態。彼の指先は、もし作戦が失敗した際、コンマ一秒でも早く仲間をこの地獄から連れ去るための「命の導火線」を繋ぎ止めていた。


Ⅱ. 四方八卦、静寂の檻


「青龍」


千姫が呼ぶと、荒野の中央に独り立つ男が振り返った。


青龍の周囲には、いつの間にか幾何学的な図形を描くように数枚の符が配置され、その表面にはいにしえの知恵が記された複雑な術式が脈動していた。


「……はい。荒野の中央を基点に、四方八卦の陣を展開しました。方位学と電磁場、そして奴の持つ事象改竄能力を一時的に打ち消す『中和場』を形成します。……ですが、あの密度の絶望を閉じ込めるには、20分が限界でしょう」


「20分か。贅沢な時間だな」


千姫の唇が冷酷に歪む。「朱雀、秋吉。その20分が、人類が存続できるか否かの分水嶺だ。青龍が奴を拘束している間に、可能な限り奴の全波長、分子構造の揺らぎ、そして精神干渉の有無を分析しろ。弱点を見逃せば、次はない」


千姫は、青龍の背中に視線を移した。


タクティカル・ベストが主流のこの時代において、彼が背負っているのは、時代錯誤なまでに美しい一振りの太刀だった。古色を帯びた鞘には、数多の戦場を潜り抜けてきた男の歴史が刻まれている。


「青龍。……最後の頼みは、その背中の太刀だ。物理法則が通じぬ相手に対し、貴様の『意志』という刃がどこまで届くか。その時は……頼む」


青龍は、無言で深く頷いた。彼の瞳には、死を恐れる様子など微塵もなかった。


あるのは、己の命を「機能」として使い果たす、武人としての至高の覚悟。


彼にとって、この荒野は死に場所ではなく、己の魂を証明する祭壇であった。


Ⅲ. 誘導の断末魔と、冷徹な冗談


指揮車内から、秋吉博子の震える声が響いた。


「……アメリカ空軍、および州兵による誘導、成功しました! 第14、第17戦闘航空団はほぼ全滅……! 壊滅的な犠牲を出しながら、アビス・ラはこちらを認識しました! 座標ポイントN423に向かって直進しています!」


モニターには、砂漠の上を移動する巨大な「黒い空白」が映し出されていた。


アビス・ラが通過した場所は、生命の鼓動も、熱源反応も、通信記録もすべてが消滅している。まさに、歩くブラックホール。


「これで何もできずに終わったら、あのCIA長官に生きたまま皮を剥がされそうだな」


千姫がぼそりと呟いた言葉に、秋吉は息を呑んで彼女を二度見した。


(今の……冗談……? それとも、本気なの……?)


しかし、千姫の表情は、冬の氷のように冷たく、微動だにしなかった。彼女にとって、己の死や社会的破滅すらも、作戦を構成する一つのパラメーターに過ぎないのだ。


「……あと、12分ほどで到達します!」


秋吉の声が裏返る。コンテナ内の電圧計が、アビス・ラが放つ磁場干渉を感知して激しく振れ始めた。


「よし、状況開始ミッション・スタート


千姫の号令が、荒野に沈む重圧を弾けさせた。


四神――玄武の精鋭たちが、それぞれの持ち場に張り付く。


白虎は、改造テーザー銃の引き金に指をかけた。その指先は、超高電圧を放つ瞬間の衝撃に備え、鋼鉄のように固まっている。


青龍は陣の中心で目を閉じ、荒野の電磁場と自身の精神を同調させる。


玄武は、脱出車両のエンジンを極限まで低回転で回し、いつでも荒野を疾走できる準備を整えた。


そして指揮車内では、千姫、朱雀、秋吉が、押し寄せる情報の激流を迎え撃つべく、端末に指を滑らせる。


彼らは理解していた。


この迎撃戦は、華々しい勝利を掴むためのものではない。


数千、数万の同胞を見殺しにしながら稼いだ時間を、さらに数十分だけ引き延ばすための、卑屈で、絶望的な防衛戦だ。


そして。


今この瞬間、この荒野に差し込む月の光の下で。


人類の明日の運命が、たった一人の青年――テロス・ギアという異形の力を持ったリクトの、その「自由意志」と「判断」に委ねられていることを。


「来るぞ」


千姫が言った。


地平線の向こう側。


星を喰らい、夜を塗り潰す、真の暗闇が姿を現した。


[EOF]


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