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『ブレイク・ネクサス』改訂版  作者: 嵗(sai)
第一部 フェイク・ファクター

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第九章:敵を知り、状況を操る戦略

9.1. 移動司令部での共同解析


Ⅰ. 鉄の繭:高度情報解析センター


玄武げんぶがアメリカ現地で迅速に調達し、僅か数十分の猶予の中で「外事三課作戦仕様」へと恐るべき魔改造を施した4tコンバット・トラック。その武骨で殺風景なコンテナ内部は、外観の荒々しさからは到底想像もつかないほど、無機質で冷徹な、国家最高機密に属する『高度機密情報解析センター(移動司令部)』へと完璧な変貌を遂げていた。


時速100キロを超える激しい高速走行中であるにもかかわらず、車内の激しい振動は、玄武がミリ単位で電子調整を施したアクティブ・ハイドロ・サスペンションによって極限まで相殺され、不気味なほど水平な安定を保っている。室内を静かに支配するのは、壁面に隙間なく埋め込まれた軍用防爆モニター群が放つ淡い青白い燐光りんこうと、ブレードサーバーの冷却ファンが発する微細な高周波ノイズ、そして毎秒数テラバイトに及ぶ膨大なパケットデータが処理される際に生じる、独特の「電子の熱気」だけだった。この静まり返った密室の重苦しさこそが、今この瞬間も世界が未知の破滅へと確実に突き進んでいるという、猶予なき緊張感を正確に測る唯一の物理的な物差しであった。


秋吉博子は、一般の巨大IT企業や防衛産業であっても一生その実物を拝むことさえ叶わない、外務省ABエージェンシー・ブレイン直轄の最高機密『デルタ級』分散型スーパーコンピューター三台を仮想並列接続し、その驚異的な演算処理能力を文字通り限界まで絞り出していた。彼女のすぐ隣には、外事三課が誇る情報戦のエキスパート・朱雀すざくが座している。


朱雀の鏡のように澄んだ瞳は、毎秒数十万行の速度で滝のように流れ落ちるログデータを一文字も漏らさずに網膜へと映し出し、その白く細い指先は、まるで超絶技巧の鍵盤を叩く高名なピアニストのように精密、かつ目視不可能な速度で専用キーボードを過酷に叩きつけている。内調の天才解析官である博子の知性と、四神たる朱雀の先鋭化された戦術的演算。この二つの突出した「脳」が超高度なレベルでシンクロし、混沌を極める事態の裏側に隠された、雷門玄一の「真実」を一本の神経繊維に至るまで剥き出しにしようとしていた。


彼らの周囲では、玄武と白虎びゃっこが、既に数回目となる戦術重装備の最終メカニカルチェックを音もなく完了させ、微動だにせずその時を待っている。その傍らでは、和装の男・青龍せいりゅうが深く瞑目したまま、指先で奇妙な印を結び、古流の術理に基づいた「」を静かに立てていた。


ジャーナリストの西野シホは、この日常の法と倫理を完全に超越した異質な戦闘集団が放つ、特異な「プロフェッショナルの死の気配」に完全に圧倒され、声を出すことさえ忘れて、コンテナの端に設置されたスチール製の予備バケットシートに細い身を縮めて息を潜めていた。


Ⅱ. 死の町:スリー・フォークスの実態


秋吉博子は、IZANAGIによって解析された最新の複合情報レイヤーを朱雀の戦術端末へとリアルタイムで同期させながら、二つの災厄の衝突予想地点となる現地の詳細な状況を報告した。そのプロフェッショナルに徹した声の奥底には、隠しきれない疲労を遥かに越えた、冷たい戦慄が混じっている。


「スリー・フォークスの最新の人口動態データベースおよび衛星熱源データを取得、照合しました。……かつての激戦地であり、現在は完全に過疎化した古びた田舎町です。地図上に現存する建物は50軒ほど。ただし、その大半は前世紀の遺物と化した、朽ち果てるのを待つだけの完全な空き家です。現在の実質的な居住者はわずか2家族、合計12名のみ。彼らは町の中心部からさらに北方へ約3キロメートル離れた、私有牧場ランチの頑強な母屋に固まって生活しています。……つまり、町の中心市街地は、実質的に完全なゴーストタウン(無人地帯)です。恐るべき幸運ですが、民間人の巻き添え被害コラテラル・ダメージは、我々の戦術介入によって最小限、あるいはゼロに食い止められる可能性があります」


朱雀は、空間にホログラム投影されたスリー・フォークスの精緻な三次元立体地図を、冷徹極まる眼差しで見つめながら、その細い顎を引いて短く戦術的評価を下した。


「無人か。市街戦に突入したとしても、放置された木造やレンガ造りの建物自体が、アビス・ラやターゲットからの天然の遮蔽物(物理シールド)として利用できるな。……民間人の退避誘導もその距離なら容易だ。それで、ここからが本題だ、秋吉さん。肝心の二つの『災厄』の現在の動向は?」


博子は、IZANAGIの予測シミュレーション・モデルの画面をメインモニターの中央へと大きく拡大表示した。


「最新の移動速度、および衛星が感知した個体別の特異な移動軌道から逆算した、最も確率の高いタイムラインです。……西からのリクト君、そして東からの生体合成体アビス・ラ。両者が現在の巡航速度を完全に維持した場合、スリー・フォークスの外縁境界線(戦術ペリメーター)内に同時に到達するのは、今からおよそ5時間後。そして……」


博子の細い指先が、立体地図上の一点を不気味な赤色に点滅させた。三つの川と三つの道が交差する、あの擂鉢状の中心地だ。


「両者が物理的に接触し、正面から激突するのは、エリア到達からわずか数分から、長くて10数分後と予測されます。衝突時間は、極めて短い一瞬の出来事となるでしょう。……ですが、その破壊力は未知数です。『熱』と『冷』。完全に極限対比された二つの異次元エネルギーが狭い擂鉢の底で交差する、文字通りの『対極爆発ネクサス・カタストロフ』です」


朱雀は、光り輝くホログラムの進路予測図をその指先で冷酷に操作し、交差する二本の進路ベクトルを重ね合わせた。


「予想進路をさらに詳細に再確認する。……リクトのNCUノイズはこの国道3号線を正確に東進、アビス・ラは障害物を押し潰しながら最短距離の直線を維持して西進している。……それにしても奇妙だな。両者とも、あたかも目に見えない強力な超磁力に魂ごと引き寄せられるかのように、一切の迷いも、進路修正もなく、一直線にその交差点へ向かっている。まるで、最初からそこに惹かれ合うように設計されているかのように」


Ⅲ. 軍の影:第10特殊作戦群の介入


朱雀は次に、この極限の作戦盤面において、最もコントロールが困難な最大の不確定変数パラメータについて、その視線を博子へと戻して問いかけた。


「……現地における警察、およびアメリカ合衆国正規軍の動きはどうなっている? 彼らがこの異常事態に気づかないはずがない」


博子の情報端末画面に、米国の国家安全保障局(NSA)および連邦捜査局(FBI)の公的機関ネットワークから、IZANAGIの裏口バックドアを駆使して密かに「吸い出した」最新の米国内部部隊展開図が鮮やかに表示された。


「現地の警察機関は、アビス・ラが最後に目撃され、完全に凍結破壊された集落から西へ42キロメートル離れた中規模の街で、住民の安否確認と広域避難誘導に完全に追われています。彼らはまだ、自分たちが追っている怪物が、すでに警察の即席の包囲網をあざ笑うかのように内陸深くのデッドゾーンへ侵入し、スリー・フォークスを目指しているという正確な移動ベクトルに全く気づいていません。……問題は、連邦警察ではなく、軍です」


博子は、地図上に表示された青い軍用アイコンを大きくズームアップした。そのアイコンの横には、軍事組織に属する者なら誰もが畏怖する『10th SFG』の凶悪な文字が躍っていた。


「カリフォルニアの砂漠地帯でリクト君を追跡していた、国防総省ペンタゴン直轄の特殊部隊とは完全に別のコマンド系統です。アメリカ陸軍北方軍、その傘下にある『第10特殊作戦群グリーンベレー』の一部隊が、アビス・ラが遺した絶対零度の破壊痕跡を独自に軍事追跡し、その全移動ルートを完全に特定しました。現在、スリー・フォークスから西北に約38キロメートルの地点から……目標捕捉のために、急速に距離を詰めています」


朱雀の瞳が、一瞬にして猛禽類のように鋭く細められた。彼は即座に軍の強行進軍ルートと、アビス・ラの驚異的な移動ベクトルを立体ホログラム上で強制的に重ね合わせる。


「……見せてくれ。……チッ、これは……」


朱雀の端正な少年の表情が、わずかに、しかし確実に強張った。彼は感情の赴くままに立ち上がり、博子の肩越しにメインモニターを凝視する。


「秋吉さん、この接近しつつある特殊部隊の超高周波軍事戦術通信をリアルタイムで傍受できるか? 周波数ホッピングのパターンを逆算しろ」


「了解、やってみます……! 軍事最高レベルの256ビット次世代暗号化が施されていますが、IZANAGIによる超並列総当たり攻撃ブルートフォースと、朱雀さんの構築した戦術演算アルゴリズムをリアルタイムで併用すれば、一時的に防壁を突破できます。……よし、繋がりました!」


作戦車内の軍用スピーカーから、激しい無線ノイズ混じりの、しかし極限の緊張感に満ちたアメリカ軍兵士たちの緊迫した怒号のやり取りが漏れ聞こえてきた。朱雀はその英語の音声を脳内でリアルタイムに同時通訳・解析し、博子の進路報告と照合していく。


「……間違いありません。彼らはアビス・ラを『合衆国の安全保障を脅かす極めて危険な第一種未確認生物(UBO)』と断定し、完全なる殲滅・抹殺ルートを進んでいる。投入された兵力は三個精鋭小隊、約120名。重機関銃をマウントした装甲ハンヴィー数台を含む、完全に一国を相手にするレベルの重武装です。彼らもまた、スリー・フォークスに向けて全速力で進撃している」


博子は、地図上の両者のアイコンの距離関係と時系列を凝視し、ある恐るべき計算上の事実に直面して息を呑んだ。


「この現時点の位置、そして双方の速度差から計算すると……。もしかして、リクト君とアビス・ラが激突する約1時間前に、このアメリカ軍の精鋭部隊が、スリー・フォークスの手前でアビス・ラと最悪の物理的接触を起こしてしまう……?」


Ⅳ. 遭遇戦の予感:千姫の采配


朱雀は、その冷徹な戦術的結論を肯定するように深く頷いた。


「その通りだ。……そして、ここからが我々外事三課にとっての『最悪のシナリオ』だ。このまま何の手も打たなければ、今から約4時間後、スリー・フォークスの広大な外縁部で凄惨な遭遇戦が発生する。アビス・ラの本当の実力は、我々が持つ限定的なデータでも完全に未知数だ。いくら対ゲリラ戦のプロである米軍の精鋭部隊といえど、あの人知を超えた化け物相手に無傷で済むはずがない。……いや、下手をすれば、何のデータも持たない連中は、初撃の一瞬で肉体ごと凍結され、全滅させられる可能性すら極めて高い」


正規軍との不測の接触は、外事三課のこの極秘渡米作戦がアメリカ政府に完全に露呈することを意味し、同時に深刻な国際問題への発展を意味していた。


千姫せんひめは、先ほどまで行っていた玄武との細かな物理的戦術打ち合わせを静かに中断し、朱雀の方へとゆっくりと巨木のように向き直った。その悠然とした立ち姿は、女性の肉体という窮屈な器の存在を周囲に完全に忘れさせるほどの、重厚で圧倒的な戦場指揮官としてのカリスマ性を放っている。


「ふむ……。我々が盤面を支配する前に、米軍の傲慢な連中が先に我が獲物モンスターに触れるか。それは戦略的に甚だ面白くないな」


千姫は、端整な顎に美しくも硬い手を当て、その肉体の奥に潜む「男」の冷徹な合理的思考で状況を素早く咀嚼する。


「朱雀、お前のその効率的な脳細胞のことだ。この盤面をひっくり返す、一つ確実な提案があるはずだな?」


朱雀は、主の信頼に満ちた問いに対し、自らの端正な唇の端に、わずかに不敵で冷酷な笑みを浮かべて明快に答えた。


「はい。……米軍の勇敢な諸君には、我々の邪魔にならない別の遊びプレイグラウンドへ、速やかに移動してもらう必要があります。高度な情報の電子的攪乱と、物理的な罠による誘導。……秋吉さんのIZANAGIの権限と私のアルゴリズムが完全に協力すれば、十分に可能です」


千姫は、低く、鼓膜を震わせるような力強い声でその先を促した。


「朱雀、その詳細を聴こう。……この最悪の盤面を、我々外事三課の意のままに蹂躙し、操るための計略を」


深夜のハイウェイを強烈な速度で突き進むトラックの閉ざされたコンテナの中で、米軍の精鋭120名を完全に翻弄し、二つの巨大な災厄をコントロールするための、神をも恐れぬ不遜で非情な戦略ブリーフィングが、冷酷に開始された。


________________________________________


9.2. 敵を知り、状況を操る戦略の提案と実行


Ⅰ. 盤上の駒:冷徹なるブリーフィング


漆黒のミリタリー・トラックがアメリカの闇深きハイウェイを疾走する中、密閉されたコンテナ内部の空気は、物理的な酸素濃度さえも急激に低下したかのような、圧倒的な重苦しい沈黙に支配されていた。


朱雀すざくは、トラック中央に頑強に固定された折りたたみ式のタクティカル・テーブルのスイッチを入れ、最新の三次元立体ホログラム地図を空間に鮮やかに展開した。青白い電子の光が、車内に集う外事三課のエージェントたちの険しい顔つきを不気味に照らし出す。


「状況を、無駄を省いて最短で再整理します。……現在位置、ターゲット・リクト。西から東へ国道を直進中。個体名アビス・ラ、東から西へ最短距離を直進中。そして、我々の作戦を脅かすアメリカ陸軍第10特殊作戦群は、この北西方向からアビス・ラが遺した凍結破壊の痕跡を辿り、三個精鋭小隊の車列が強行進軍中です」


秋吉博子が、自らの最高機密端末『IZANAGI』とリアルタイムでリンクさせた軍事偵察衛星の推測進路データを指差した。その白く繊細な指先は、事態のあまりの大きさに微かに震えていた。


「このまま双方の巡航速度が完全に維持された場合、リクト君とアビス・ラが目的地のスリー・フォークスで衝突する、約一時間前のタイムラインにおいて、この米軍特殊部隊がアビス・ラと物理的に接触し、最悪の遭遇戦が発生します」


その時、これまで車内の圧倒的なプロの空気に気圧され、息を潜めていたシホが、まるで暗闇の中に唯一の倫理的救いを見つけたかのように、すがるような声を上げた。彼女の言葉は、まだ平和な「日常」の側にその両足を残している一般人特有の、純粋すぎる善意と倫理観に満ちていた。


「……だったら、分かったわ! アビス・ラの正確な位置情報と危険性のデータを、あらかじめ匿名で米軍の司令部に流してあげるのね! そうして恩を売っておけば、私たち外事三課が現場に介入しても文句は言われないし、むしろ米軍の圧倒的な物量と協力体制を強化して、化け物を安全に挟み撃ちにできる。……そうでしょ?」


だが、そのあまりに素人染みた提案を、傍らで白虎びゃっこが鼻でフッと冷酷に笑い飛ばした。彼は手元のサバイバルナイフを研ぐ砥石の動きを一切止めないまま、シホを視線だけで突き放す。


「あほか、お嬢ちゃん。……そんな正規軍に恩を売って一体どうする。わざわざ横からしゃしゃり出てきた連中に、俺たちの極上の獲物ターゲットをくれてやるなど、敵に塩を送る以上のマヌケな愚行だ。外事の任務をなんだと思っていやがる」


シホは混乱と屈辱が入り混じった表情で、「塩……? 命の危険がある人間を助けてあげるのが、どうして敵に塩を送ることに……」と口を噤んだ。彼女のこれまでの人生の辞書にあった「人道的な協力」という言葉は、この鉄の密室においては、一銭の価値もないガラクタの山に等しかった。


Ⅱ. 非情の論理:アビス・ラをぶつける理由


朱雀はシホの倫理的な困惑と言い訳を文字通り完璧に無視し、対面に座る白虎に向けて、その真意を試すような鋭い眼差しを送った。


「……白虎、お前ならこの電子的盤面を見て瞬時に理解できるか。俺が今から、この連中に何をさせようとしているのかを」


白虎と朱雀。外事三課の『牙(圧倒的武力)』と『脳(冷徹なる戦略)』をそれぞれ司る二人の怪物は、鏡合わせのような冷たい笑みをその唇に浮かべ、無言のまま極めて短いアイコンタクトを交わした。彼らの思考領域は、もはや凡庸な道徳や人道主義的な倫理が入り込む余地など微塵もない、国家間の冷徹なパワーゲームと、極限の戦術的非情さの頂点に達していた。


千姫せんひめは、その光景を見つめながら、己の肉体の奥深くに宿る「男」としての獰猛な本能が心地よく昂ぶるのを感じていた。彼女は、麗しい唇の端に浮かびかけた残忍な笑みを指揮官としての理性で押し殺す。


「朱雀、先を続けてくれ。情報の完全な共有は、現地での作戦行動における一分の齟齬そごもなくすために絶対的に必要だ」


朱雀は短く頷くと、立体ホログラム上の米軍部隊を示す青いアイコンを、アビス・ラの進行予測円のまさに中心部へと冷酷にスライドさせた。


「シホさんの生ぬるい提案とは、文字通り完全な真逆となりますが、我々外事三課がこの状況で取るべき唯一の『最善の戦術手段』。……それは、アビス・ラをこのアメリカ軍部隊へ正確に『正面からぶつける』ことです」


「っ……!?」シホが信じられないものを見たかのように激しく息を呑む音が、密閉された車内に小さく、しかし鮮明に響き渡った。


「目的は大きく分けて三つあります。……一つは、アメリカ軍および国防総省の関心をアビス・ラという未確認生物に完全に固定させ、別ルートから接近しつつある本命のリクトとの遭遇、およびその身柄確保の目を彼らから完全にそらすこと。……二つ目は、米軍の精鋭戦力をここで一度、アビス・ラの手によって物理的に粉砕、または戦闘継続が完全に不可能なレベルまで徹底的に損耗させ、この作戦海域一帯からの事実上の早期撤退を余儀なくさせることです」


シホの大きな瞳に、激しい動揺と恐怖の色彩が走る。


「軍を……わざとつぶす? 私たちの味方であるはずの、同じ人間の、アメリカの軍隊を……?」


千姫は、その朱雀の非情極まる戦略の裏に潜む、より高次元な国家レベルの政治的意図を明確にするべく、重厚な口を開いた。


「……米軍、およびその背後で糸を引いているCIAの傲慢な上層部に、『自分たちの手には到底負えない地獄だ』と骨の髄まで分からせるためだ。この事態が、彼らの誇る最新の通常戦力や特殊部隊の物量ごときでは到底対処不可能な、次元の異なる絶対的な脅威バグだと認識させる。……そうしてプライドを完膚なきまでに叩き潰すことで、あの鼻持ちならないアメリカ政府は必ず、外部のより特異な力――すなわち、現場のデータを握る我々の専門的な手を借りざるを得ない政治的状況に追い込まれることになる」


朱雀は、主たる千姫の深謀遠慮を完全に理解し、最後に最も冷酷で最も合理的な理由を、淡々とした声で付け加えた。


「そして、戦略上最も重要な三つ目の理由。……我々は未だ、生体合成体アビス・ラの本当の戦闘実力を知らない。これは戦術構築の上で、致命的な欠陥ブラインドです。『敵を知り』、その真の戦闘能力の限界値、および雷門の超古代文明技術が生物に与えた変異の応用限界を、安全な距離から完璧に把握する必要がある。……つまり、接近しつつある米軍の120名には、我々外事三課が直接戦闘を仕掛ける前の、極めて実用的で貴重な『観測用戦闘データ(モルモット)』になってもらう」


Ⅲ. 実行:情報戦の蹂躙


千姫は朱雀の完璧なプレゼンテーションに深く満足げに、重厚な笑みをその顔に浮かべた。


「『敵を知り、己を知れば百戦危うからず』か。孫子の兵法そのものだな。また、これはリクトとアビス・ラの最悪の合流を物理的に遅らせるための、時間稼ぎの戦術的罠としても完全に最善だ。……朱雀、即座に実行に移せ」


「了解」朱雀は即座に細い指先をデジタルの海へと躍らせ、米軍誘導のための超高度な戦術ハッキングシミュレーションを開始した。その電子的な作戦内容は、米軍の戦術データリンク網への完璧に偽装された暗号ハッキング、アビス・ラの進路に軍の車列を引き寄せるための「偽の超高熱源サーマル・デコイ」のデータ偽造設置、さらには現地上空をカバーする軍事偵察衛星の短時間の電子的ジャミングなど、緻密かつ極めて非人道的な計略のオンパレードであった。


「千姫。秋吉さんへ、これらの誘導ハッキング作業における具体的なパラメータ指示と、IZANAGIのバックドア権限の完全割譲を出す必要があります。……最終的に彼女の指先が、この欺瞞作戦の成否の鍵を握ります」


千姫は、端末の前で硬直している博子の細い肩に、女性の華奢な肉体からは到底想像もつかないほど重く、冷たい国家の「重圧」を容赦なく置いた。


「秋吉。朱雀の指示を、一文字、一ビットも漏らすことなく完全に実行しろ。我々には時間がない。一秒でも早く、傲慢なアメリカ軍を破滅の化け物の牙へと誘導させろ」


博子は、喉の奥から激しい嘔吐感に近い、倫理的な拒絶反応を覚えていた。自分が今から指先一つで行おうとしているのは、120名もの何の罪もない兵士たちを、生きたまま地獄の死地へと追いやる、国家レベルの恐るべき犯罪行為に他ならない。……だが、彼女の脳の片隅にある「一流の情報分析官としての冷徹なプロ意識」が、押し寄せる感情の波を強制的に遮断し、デジタルの演算を開始していた。


博子は慣れないミリタリー規格の作戦用重端末を操作しながら、朱雀が指示する膨大な量のデータ偽装操作を、寸分の狂いもなく正確に、そして恐ろしいほど冷酷に進めていく。


彼女の手は確かに震えていた。だが、モニターに映し出される情報の奔流、そして朱雀の機械のように正確な指示の音に没頭することで、彼女は「自分が今、大量の人殺しの手伝いをしている」という凄惨な自覚を、データの海へと深く沈めていった。


「……ハッキング、完全に完了。偽装された戦術戦況信号、米軍第10特殊作戦群の暗号化ネットワークへの侵入に成功。……彼らの端末上の目標アビス・ラの位置情報を、本来の座標から北西15マイルの地点で完全に固定、誤誘導を開始しました」


「よし。……上出来だ、秋吉さん。さあ、アメリカ軍の勇敢な諸君。地獄の開場時間だ。存分に楽しんでくれ」


朱雀の冷たい声と共に、立体ホログラム上の青い軍のアイコンが、ゆっくりと、しかし確実に、死の予言を纏う絶対零度の怪物アビス・ラの進行方向へと、吸い寄せられるようにその進路を変えていった。


________________________________________


9.3. 予期せぬ加速と作戦開始


Ⅰ. 加速する災厄:五感を超える警告音


高度情報解析センターと化した移動司令部トラックの密閉されたコンテナ内部に、人間の心臓を直接細い針で抉るような、不快で鋭い高周波の緊急警告音アラートが突如として鳴り響いた。端末に向き合っていた秋吉博子の指先が、IZANAGIのキーボード上で恐怖のあまりカチリと凍りつく。


「!?」「異常な動きを感知しました! 個体名『アビス・ラ』の移動ステータスに、予測不可能な劇的変化を確認!」


車内の全員の視線が、一斉に博子が管理するメインモニターへと電撃的に集束する。そこに大きく映し出されていたのは、これまでの物理法則や生物学的限界を完全に無視した「移動速度の爆発的な跳ね上がり」を示す、垂直の絶壁に近いグラフの推移であった。


「アビス・ラが、スリー・フォークスへ向かう移動速度をここに来て急激に上昇させています! これまでの我々の巡航予測速度を20%以上も上回る、大気圏内でのマッハに近い超音速加速……いえ、これは単なる肉体の疾走じゃない、空間そのものの抵抗を消失させて滑走しているような、異常な空間歪曲の動きです! 双方の予測衝突時間は、ここからさらに大幅に短縮されます!」


千姫せんひめの冷静沈着な、常に世界の数手先を計算し尽くされていた美しい瞳に、一瞬だけ鋭く苛烈な緊迫の色が走った。


「……遭遇のタイムラインがこちらの思惑を超えて早まりそうだな。雷門玄一の設計思想プログラムが、我々の計略を追い抜いて加速しているというわけか。玄武、急げ。もはや一秒の予断も許さない状況だ」


千姫は、もはや一瞬の迷いの猶予もないことを野生の直感で悟り、揃った四神たちに向けて即座に実戦の最終下令を下した。その麗しい喉から放たれているとは到底信じがたいほどに重厚で威厳に満ちた声は、聞く者すべての魂に絶対的な服従を強いる、本物の「王」の響きを帯びていた。


Ⅱ. 四神への最終下令:誘導と観測


「玄武、この車両のすべての安全リミッターを電子的に強制解除しろ。最大出力速度でスリー・フォークスの中心地へ向かえ。駆動系やタイヤを途中で焼き切ってでも、指定の予定時間に一秒でも遅れることは絶対に許さん」


「了解、千姫さん。……ハハッ、最高だ! こいつの心臓(特注エンジン)を現地に着くまでに完全に使い潰す覚悟で、床までアクセルを踏ませてもらうぜ!」


コンテナ隔壁の向こう側から、玄武の野太い野性の咆哮と共に、トラックの巨体が激しい悲鳴を上げるような強烈な前方向への加速Gが、車内の全員の身体に容赦なく伝わってきた。


「白虎、青龍。……予定通り、アビス・ラを先行するアメリカ軍特殊部隊へ完全に誘導させろ。連中の戦術ネットワークを朱雀がハックし、偽のデータで混乱している隙を突き、お前たちの実力で物理的な『追い込み』をかけるんだ。いいか、直接の致命的な近接戦闘は極力避けろ。あくまでもアビス・ラが放つ異常な戦闘能力の隠密観測と、予定の擂鉢地点への正確な誘導に徹するんだ。……生きた実戦データの取得こそが、我々の最終的な勝利の鍵だ」


千姫は、この危険極まる作戦の最終的なゴールを、全員の脳裏に深く焼き付けるように鋭い声で再確認させた。


「作戦の最大目標は、アビス・ラの確実な身柄確保、またはその能力の完全なる無力化。そして……ターゲット・リクトは、何があっても我が外事三課の手で保護リカバリーし、日本へと連れ帰る」


四神のメンバーは、一切の人間的感情を排した、しかし鋼鉄のように硬く冷たい肯定の音を返した。


「「了解プロトコル・アクセプト」」


白虎は、鈍色に怪しく光る自らの重金属装備を何度も再点検しながら、これから始まるであろう「怪物との血塗られたダンス」の予感に、狂気的にその胸を高鳴らせていた。


Ⅲ. シホの出撃:闇夜を駆けるスカウト


千姫は、最後にバケットシートで身を硬くしているシホへと、その燃えるような朱い視線を向けた。その瞳には、彼女を単なる保護対象の足手まといとしてではなく、一人の信頼すべき「戦力」として正式に認めるような、強い光が宿っていた。


「西野シホ、お前の時間だ。行っていいぞ。……玄武が完璧に用意した、ヘルメット連動型の軍用暗視カメラ(NVGマウント)を忘れるな。お前に与えた単車は完全なレーダーステルス仕様だ。部隊の誰よりも獲物に接近し、戦場の一次情報と戦闘のすべての詳細をその眼で記録しろ。……お前が持ち帰るその『真実の眼』のデータこそが、我々の事後処理と外交交渉を圧倒的に有利にする」


シホは、その言葉を聴いた瞬間、自らの唇の端をニヤリと不敵に歪めて笑った。


それは、死と隣り合わせの極限状態の戦場において、世界を揺るがす最高のスクープという名の巨大な獲物を眼前にした、一流のジャーナリストだけが持つ特有の「至高の狂気」の笑みであった。


「……待ってました! 見てなさいよ千姫さん、世界中の偉いお役人どもが腰を抜かしてひっくり返るような極上の映像、私がきっちり特等席で撮ってきてあげるから!」


シホは特殊な電子カメラ、そして防弾仕様の頑強な軍用ヘルメットを力強く手にすると、トラックの後部ハッチから勢いよく外へと飛び出した。


深夜のアメリカの凄まじい冷気が、彼女の興奮した頬を鋭く叩く。ヘルメットの顎紐を強く締め、漆黒のハイブリッド・戦術単車『黒曜』にその身体を深く跨がらせる。


一般的なセルモーターの始動音すらしない。内蔵された高出力電気モーターの無音の駆動音だけで静かに動き出したステルスバイクは、広大な車道に出た瞬間、内燃レシプロ機関を爆発的に稼働させ、闇夜のハイウェイを一条の漆黒の影となって、凄まじい速度で走り去っていった。


その直後、玄武が操る巨大な軍用トラックもまた、マフラーから猛烈な黒煙を夜空へと噴き上げて本格的に始動した。駐車場を後にした移動司令部は、一瞬にして時速100マイル(約160キロ)の領域を超え、情報の電子の海と現実のアメリカの原野を同時に切り裂きながら突き進む。


Ⅳ. 静かなる熱気:移動司令部の深淵


千姫はすべての戦闘指令を終えると、鋼鉄の座席に深くその身体を沈め、静かに目を閉じた。


だが、彼女の心はもはや、この電子音の唸る車内には残されていなかった。


外交という名の言葉の刃を用いた「言葉の剣」、凄惨な戦闘という名の圧倒的な物理暴力を用いた「物理の盾」、そして天才・雷門玄一という一人の男が世界に放った「狂気の毒」。それらすべての因果が複雑に交錯し、激突するであろう凄惨な戦場――スリー・フォークスの中心へと、彼女の魂は肉体を置いて先んじて飛んでいたのだ。


コンソール端末の前では、秋吉博子がその指先を血がにじむほどの速度で動かしてIZANAGIの演算を駆使し、その後ろからは朱雀が、まるで獲物を狙う猛禽類のような鋭く冷たい視線で大画面ディスプレイの推移を覗き込んでいる。


じりじり、と一秒の刻みが永遠のように長く感じられる、実戦前の特異な時間が経過していく。移動司令部の内部は、外気温の刺さるような冷たさとは完全に対極に、スーパーコンピュータの超高度な並列演算による熱気と、戦士たちの昂ぶる精神の波動が激しく衝突し、目に見えない静かな熱を帯びていった。


玄武の野太い声が、車内無線の激しいノイズを突き抜けてスピーカーから響いた。


「課長、先行部隊との指定の戦術会合場所ランデブー・ポイントには、ここから30分前後で確実に現着する予定です。……おい、そこのお嬢ちゃんたち、速度で舌を噛み切らねぇように奥歯をしっかり噛み締めてな!」


武器庫のラックで重火器の最終調整を行っていた白虎が、極限の状況であるにもかかわらず、完全にリラックスした様子で不敵な軽口を叩いた。


「了解だぜ、玄武のおっさん。……さて、俺の可愛いおもちゃ(武器)は、武器はと……ヒューッ! 揃いに揃ってるねー、さすがは事前にアメリカの米軍基地から『非公式に徴収』してきた最先端のブツだ。腕が鳴りすぎて震えが止まらねえぜ」


白虎はその大量の銃器の山の中から、人間の大腿骨など一撃で粉砕する12.7mm口径の超大型対物狙撃ライフル(アンチ・マテリアル・ライフル)を、まるで軽いおもちゃのように片手で軽々と担ぎ上げる。


巨大な金属製ボルトアクションを引いた際の滑らかな機械の感触、薬室に正確に送り込まれるタングステン芯弾の、ずっしりとした凶悪な重み。一連の簡単な動作チェックを終え、満足げに「ま、これだけあれば十分だな」と床に唾を吐き捨てると、次々に大口径の特注弾丸をマガジンへと装填していく。


和装の男・青龍は、車体のどんなに激しい揺れや強烈なGの中でもその背筋の姿勢を一切崩さず、静かに指先で複雑な印を結び続けていた。


「……東方より大いなる災厄、西方より逃れられぬ試練。……因果の卦は完全に動いた。主よ、これより先は我々『人』の矮小な知恵や科学の領域を、完全に超えた神話の領域なり」


彼は脳内での「卦」の最終的な術理検証を終え、その結ばれた指先には、うっすらと肉眼でも視認できるほどの、青白く禍々しい霊気の片鱗が陽炎のように漂っていた。


Ⅴ. 接触の予感:死の三叉路へ


それから暫くの沈黙が流れた後、はるか前方を作戦先行していたシホのヘルメットから、激しい電子ノイズの混じった無線音声が移動司令室へと飛び込んできた。


『――こちらシホ! 目的地のスリー・フォークス中心部まで残り18キロメートルの地点! 私の目の前、先行して誤誘導されている米軍の装甲ハンヴィーの車列を完全に視界クリアに捉えたわ、現在その後方をステルス追跡中! ……ねえ、それにしても玄武のおっさん! このバイク、マジで最高すぎるよ! ハイブリッドの消音性能が半端ないから全然気づかれないし、加速もハンドリングの扱いやすさも、日本の市販車とはマジで次元が違いすぎる! 千姫さん、これすべての任務が無事に終わったら、戦利品として日本に持って帰って私の愛車にしてもいい!?』


千姫は、作戦直前の緊張感など微塵も感じられない、しかし圧倒的な生命力と強欲さに溢れたシホの無線越しのアナウンスに、自らの端正な口元をわずかに緩めて微かに微笑んだ。


「ふっ……。まだ地獄の入り口、その門番の前にすら立っていないというのに、もう作戦が終わった後の『戦利品(分け前)』の交渉のことを考えているのか。……さすがは、この私が直々に外事の盤面へと引きずり込んだ女というべきだな。大物だよ」


シホ『えっ、何それダメだった!? お願い、ケチなこと言わないでよ課長! 命がけでカメラ回すんだからさ!』


千姫「……その前向きで貪欲な姿勢は、嫌いではないですよ。現地で素晴らしい映像を撮れたなら、前向きに考えておきましょう」


千姫のその確約とも取れる返答を聞いたシホの、狂喜乱舞した歓喜の声が無線越しに弾け、そのまま激しい電波ノイズの海の中に消えていった。


特殊車両は、もはや夜明けの光すら追いつけないほどの圧倒的な質量と速度で、アメリカの深い闇夜を獰猛に駆け抜ける。


血塗られた決戦の舞台となる、スリー・フォークスへ。


一人の天才マッドサイエンティスト・雷門玄一が描いた、世界の終末の設計図シナリオを、その圧倒的な暴力と情報戦で力ずくで書き換えるため。


外事三課が誇る最強の「牙」と「怪物」たちが、運命の交差点へと今、文字通り電撃的に突入する。


[EOF]


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