第八章:強行軍と交差する運命
8.1. 暁の脱出:鉄の守護獣と戦術移動
Ⅰ. モーテル脱出:深夜の静寂を切り裂く重低音
ニュージャージーの荒涼とした街道沿いに佇む安モーテル。夜明け前の濃紺の空が、東の地平線から徐々に白み始める「薄明」の時刻。
先ほど秋吉博子が告げた「46時間」という、世界の命運を左右する凄惨な死のカウントダウンは、室内の生ぬるい空気の温度を一気に氷点下まで引き下げたかのような、強烈な錯覚をその場にいる三人に与えていた。
「猶予はない。即座に全装備をまとめろ。残置物はすべて現場で化学焼却、あるいは磁気消去しろ。日本政府および我々の痕跡を、分子一つ、電子一個残すな」
千姫の短く、剃刀のように冷徹な号令が狭い室内に響き渡る。彼女……その麗しい女性の肉体に宿る「男」の鋼鉄の精神は、既に移動後の展開、および衝突地点における立体的な戦闘シミュレーションを脳内で開始していた。
その時だった。建物の外、ひび割れたアスファルトを巨大な質量で力強く掴み、周囲の建物を微細に震わせながら接近してくる重厚な駆動音が聞こえてきた。それは、一般の乗用車や商用トラックが放つ高周波なエンジン音とは明らかに一線を画していた。重機関を搭載した戦車や特殊装甲車を連想させる、極めて威圧的な大排気量ディーゼル・ターボの重低音の咆哮だ。
「玄武だ。来たか」
千姫が窓のブラインドを細く指先で開き、寂れた階下の駐車場を確認する。
そこには、モーテルの安っぽいピンク色のネオンサインを完全に遮るように、一台の漆黒の巨大な影が、まるで闇そのものが実体化したかのように鎮座していた。
それは、アメリカ国内の公道を平然と走るにはあまりに異質で、攻撃的な外観を持つ『戦術指令・情報解析車両(Tactical Command Vehicle)』。外事三課が誇る、いかなる電子防護網をも突破する移動要塞に他ならなかった。
Ⅱ. 玄武の登場:動力を統べる男
三人がモーテルの古びた裏階段を駆け下りると、漆黒の車両の運転席から一人の屈強な男が音もなく降りてきた。
その男、コードネーム『玄武』は、千姫に対して一切の無駄を省いた、軍人特有の完璧な敬礼を捧げた。
「お待たせしました、千姫さん。現地調達した重機動ミリタリー・トラックのシャーシをベースに、プラン・デルタ仕様(戦術移動モード)へ僅か20分で換装完了しました。燃料満タン、外部電子防護(EMPシールド)展開済み。いつでも出せます」
玄武の声は、精密に調整された機械のように無機質で、恐ろしいほどに安定していた。
彼の無骨な指先には、あらゆる機械油と火薬の匂いを吸い込んだかのような、独特の黒い染みが深く刻み込まれている。彼は単なるお抱えの運転手ではない。エンジンの微細な鼓動一つで車両のすべての健康状態を完全に把握し、物理的・機械的限界の120%を強引に引き出す、まさに「動力を統べる魔術師」であった。
千姫は小さく頷き、博子とシホを車両の後部油圧ハッチへと促す。
「玄武、ターゲットはバージニア州境のスリー・フォークス。予測到着時刻を割り出せ」
「ハイウェイの最短ルートを選択し、一切の速度制限を無視した強行突破で40時間。各都市の交通管制規制をこちらからハッキングして、すべて青信号で繋ぎますが、東海岸特有の突発的な混雑を計算に入れれば、42時間が実質的な限界かと」
「十分だ。46時間後に発生する『対極の激突』の前に、現地の地形を完全に我が手で掌握する。出せ」
Ⅲ. 移動要塞の内部:戦術演算のゆりかご
重厚な電磁ハッチが閉鎖され、車両の内部へと足を踏み入れた瞬間、そこが外観の武骨さからはおよそ想像もつかないほど、高度な電子機器の林と化していることに博子は息を呑んだ。
彼女が普段使い慣れている内調の最高機密端末『IZANAGI』の並列処理能力すら凌駕する、分散型スーパーコンピュータの端末群が左右の壁面にぎっしりと並び、中央のコンソールにはホログラムによる精緻な三次元戦術マップが青白く浮かび上がっている。
「これが……外事三課の移動作戦基地……」
博子は、迫る危機の驚愕を通り越して、一流の情報解析官として一種の法悦に近い至高の表情を浮かべた。これほどの圧倒的な計算リソースが現地で自由に使えるのであれば、リクトのNCUが放つ、因果律を歪める微弱な高周波ノイズを、より広域で、より高精度に捕捉・追跡することが可能になる。
一方、シホは車両の片隅に強固なマウントで固定されていた、一台の漆黒のバイクに完全に目を奪われていた。
「これが、私の……私に与えられるっていう『足』ね……」
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■ 現場投入用特殊単車:Rスピード社製『X991(外事三課タクティカル仕様)』
•ベース車両: 1000ccクラスの軍用多目的スカウト・バイク。
•特殊機能: 排気音および熱源を遮断するサイレント・ドライブ(超静音走行モード)、赤外線探知を無効化する熱源遮蔽サーマル・カバー、緊急回避用窒素噴射ブースト。
•シホ専用換装: ハンドルおよびフロントカウル部に、振動を完全に相殺する高感度4Kライブカメラおよび遠距離指向性マイクをマウント。
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「西野、目的地に到着するまでの間に、その単車の特殊な操作系をすべて脳内に叩き込め。玄武が作成した独自のシステムマニュアルを寸分違わず焼き付けるんだ。現地の実戦では、一瞬の判断ミスがお前の命を即座に刈り取ることになる」
千姫の冷徹極まる言葉が、シホの背筋を物理的にピンと伸ばさせる。
シホは無言のまま生唾を飲み込み、その漆黒のシートに深く跨がった。彼女の瞳には、先ほどまで彼女の心を支配していた死への恐怖ではなく、誰も足を踏み入れたことのない未知の「戦場」へと飛び込む、ジャーナリストとしての狂気的な好奇心と業が、再び青白い炎となって激しく燃え上がっていた。
Ⅳ. 決戦へのハイウェイ:静かなる嵐の前の加速
車両が強烈なGを伴って猛然と加速を開始する。玄武の神業としか言いようのないハンドル捌きにより、漆黒の移動要塞はニュージャージーの複雑怪奇なハイウェイ網を、あたかも無人の滑走路であるかのように滑らかに、そして恐るべき速度で滑り抜けていく。
完全に密閉された車内では、博子が早くも専用モニターに向き合い、指先を狂ったように走らせていた。
「千姫さん、最新の地形トポロジーとエネルギーシミュレーション結果が出ました。……スリー・フォークスというこの無名な田舎町、歴史データベースを遡って調べて分かったのですが、かつて南北戦争時代に『血の三叉路』と呼ばれた凄惨な激戦地だったそうです。地形的に、三つの川と三つの街道が一点に収束する、天然の『擂鉢』状の構造をしています」
博子の指先が、三次元ホログラムマップ上のスリー・フォークスの座標を大きく拡大する。
「もし、リクト君のNCUとアビス・ラの絶対零度の生体エネルギーが、この特異な地形で正面から衝突すれば……この擂鉢状の地形そのものが、放出されるエネルギーを一点に凝縮・増幅させる『共振器』として最悪の形で機能してしまう。……単なる町の消滅だけでは済みません。広域的な壊滅的地殻変動、あるいは大気圏の局所的崩壊を引き起こす、文字通りの『対極爆発』が起きる可能性があります」
千姫は、暗く沈む窓の外の、高速で流れる景色をじっと見つめながら、自らの拳を痛いほどに固く握りしめた。
あの雷門玄一という男は、この土地が持つ凄惨な歴史と地形的特性すらも、己の「実験」の風味付け(スパイス)として、あらかじめ計算ずくで選んだというのか。
「博子。朱雀、白虎、青龍との最終合流地点の座標を確認しろ」
「予定通り、スリー・フォークス北方5マイルに位置する、放棄された旧化学工場の廃墟です。彼らは既に、それぞれの隠密ルートで現地の包囲網を潜り抜け、潜入中。……まもなく、全ての『四神』が一点に揃います」
千姫は深く、重厚な溜息を吐き出した。
それは、女性の肉体という窮屈な器を一瞬だけ忘れさせるような、数々の死線を越えてきた本物の戦士の、苛烈な闘志に満ちた息吹であった。
「いいだろう。……人類が、科学と魔術のどちらを真の主とするべきか。雷門玄一。お前のその狂った問いに対し、我々外事三課が、存在しないはずの圧倒的な物理的暴力をもって回答を突きつけてやる」
時速118キロ。
漆黒の移動要塞は、夜明けの闇を冷酷に切り裂き、血塗られた曼荼羅の終着駅――スリー・フォークスへと、死神のような速度で突き進んでいった。
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8.2. 単車と四神の集合:影を纏う者たちの邂逅
Ⅰ. 漆黒の鉄馬:Rスピード・X991の実力
ニュージャージーの安モーテルを完璧に離脱し、夜明けの鋭い冷気がアスファルトの表面を黒く濡らす中、千姫の視線は既に数手先、スリー・フォークスにおける戦術展開を冷徹に見据えていた。外交戦という「静」の極限の衝突を終え、ここからは物理的な長距離移動と、超高度な情報の同時並行処理という「動」の戦術ドクトリンがすべてを支配する。
千姫は、移動作戦基地の緊急整備と偽装を瞬時に終えた玄武に対し、低く、重厚な声で問いかけた。
「で、例の単車の方はどうなっている?」
その話し方に、女性らしい柔らかい抑揚など微塵もない。部下の能力を完全に信頼しながらも、一分一秒の隙も決して許さない、最前線の戦場指揮官としての乾いた響きだ。
玄武はニヤリと鉄錆臭い笑みを浮かべると、特注トランスポーター(大型トラック)のコンテナ下部へと千姫たちを案内した。油圧式リフトが静かに、しかし力強い駆動音を立てて作動する中から、彼は一台の巨大な「漆黒の影」を、慎重に引きずり出してきた。
その車体は、周囲の街灯の貧弱な光さえも完全に吸い込み、いかなる景色も反射させない特殊な電波吸収・非反射塗装(レーダー・ステルス塗装)が全面的に施されていた。
「こいつでさぁ、課長。Rスピード社の『X991』――それも、防衛省の特殊作戦群向けに極秘裏に少数のみ納入されている、一般には存在しないはずの軍用プロトタイプです。排気量1000cc。内燃レシプロ機関と高出力インホイールモーターを高度に併用する、全地形巡航特化型のハイブリッドモンスターだ。非公式な敵地潜入、低視認性での高速隠密走行が必要な今回の任務には、これ以上の選択肢は地球上にねぇですよ」
玄武の言葉の端々には、自らが完璧に整備し、限界までチューニングを施した機械に対する、技術者としての絶対的な自負が滲み出ていた。
千姫は、「ん、ご苦労」と短い、しかし重みのある労いの言葉をかけ、その単車を無言のまま精緻に点検し始めた。フロントフォークの微細な歪み、高粘度タイヤの溝の減り、そして過酷な振動に耐えるエンジンマウントの増し締め状態。その一つ一つを確認する手つきは、単なる乗り手としてのそれではなく、死線を幾度も超えてきたプロフェッショナル工作員そのものであった。
Ⅱ. ジャーナリストの狂喜:軍用規格への羨望
シホは、眼前に現れた漆黒の怪物をその一目見た瞬間、全身の血液が激しく沸騰するような強烈な興奮を覚えた。先ほどまで彼女の精神を激しく磨り減らしていた、国家最高機密を知ってしまったことへの恐怖さえ、このマシンの圧倒的な機能美と機能性の前では、一時的に脳の片隅へと追いやられていた。
「うひゃあ……! ちょっとこれ、最高にすごすぎるよ! Rスピード社のX991……しかも、ミリタリー雑誌の噂や都市伝説でしか聞いたことがなかった、幻の軍用プロトタイプじゃない! 一般の市場には逆立ちしたって出回るような代物じゃないわよ、これ!」
シホは我慢できずに駆け寄り、まるで愛しい恋人を愛撫するかのように、冷たいカーボン製燃料タンクの滑らかな感触を何度も確かめた。Rスピード社。世界のバイク乗りの間では「公道を走ることを許された戦闘機」と畏怖を込めて称される最高峰のメーカーだ。その最高機密たる軍用モデルをこの目で拝み、あまつさえ自ら操ることができるなど、一介のジャーナリスト、いや一人の人間として一生に一度の奇跡と言っても過言ではなかった。
シホは、マシンの良さを完璧に理解している玄武に向かって、一気に親しみを込めて声をかけた。
「玄武のおっさん、めちゃくちゃ見る目あるじゃん~! 最高だよこれ、私のモチベーションも一気に限界突破だわ!」
「お、おっさん呼ばわりだと……? おいおい勘弁してくれ、千姫さん、一体どこから連れてきたんだ、この馴れ馴れしい上に口の悪い小娘はよぉ」
玄武は顔をしかめ、眉間に深い皺を刻んで不平を漏らした。だが、千姫がそれを鋭い紅い眼光の一瞥だけで冷酷に遮る。
「私の……いや、外事三課の絶対保護対象だ。余計な文句や愚痴は、この任務がすべて無事に終わってから言え。残りのメンバーがそろった、これより合流させる」
Ⅲ. 四神集結:異能の怪物たち
シホが夢中になって単車を撫でまわし、そのスペックを熱に浮かされたように確認していると、モーテルの薄暗い駐車場に、一台の地味な中型ワゴン車両が、エンジン音を極限まで殺した滑らかな滑走で静かに滑り込んできた。
そのワゴンは、玄武の大型トラックの横に、センチ単位の正確さで一寸のブレもなく停車する。
スライドドアが音もなく開き、中から三人の異質な影が駐車場へと降り立った。
彼らこそが、千姫が率いる「外事三課」のコアメンバーであり、神話の守護獣の名を冠する「四神」の残りの精鋭たち。日本の公的な「法」が及ばぬ海外において発生するあらゆる不測の事態を、圧倒的な武力と、時に現代科学を超越した術理で闇から闇へと解決してきた、国家最高峰のエージェントたちであった。
•白虎:
20代後半。岩のように頑強に鍛え抜かれた巨躯と筋肉質の体躯を、無造作なミリタリー調のタクティカル・ベストに包んでいる。その腰元には、光を反射しない刃渡り20cmを超える鈍色の特殊サバイバルナイフが不気味に仕込まれている。彼から発せられる濃密な、野生の獣のような殺気は、そこに佇んでいるだけで周囲の空気を物理的に重く歪ませるほどの威圧感を放っていた。
•青龍:
30代前半。細身ながらも、全身が強靭な鋼のバネのようにしなやかな肉体。何より異質なのはその風貌と装いだ。現代のアメリカ、ニュージャージーのモーテルという舞台において、あろうことか古流の狩衣をベースに崩したような漆黒の和装を纏い、その背中には黒漆塗りの鞘に収められた、禍々しいまでの呪術的存在感を放つ日本刀を携えている。その瞳は現実の風景ではなく、より深層の、世界の因果の澱みを見つめているようだった。
•朱雀:
10代後半。まだ少年と言っても差し支えないほどに華奢で細身の青年。だが、その鏡のように澄んだ瞳には、老練な軍師のような底知れぬ沈着冷静さが宿っている。その手にはブック型の特殊並列演算端末を片時も離さずに保持しており、車から降りてきた瞬間から、既に周囲の空間に飛び交う電磁波や暗号通信状況を解析する思考の深淵に没頭していた。
白虎が、三人を代表する形で千姫の前に一歩進み出た。
「ボス、白虎、青龍、朱雀。……指示通り、一秒の遅れもなく現着したぜ。それにしても、ニュージャージーの通勤渋滞は相変わらずクソだな」
「ボス呼ばわりはやめろと何度も言っているはずだ。……だが、到着は早かったな。評価する」
千姫の額に、わずかに細い青筋が浮かぶ。彼が、日頃からどれほどこの規格外のメンバーたちの「個性の強さ」とスタンドプレーに苦労しているかが如実に窺える一幕だった。
朱雀は、一切の人間的感情を排した冷静な声で、淡々と応えた。
「課長が動くときに事件あり。課長の赴くところ、常に私たちはその影として寸分違わず付き従います。それが外事三課の絶対的な運用規律ですから」
その時、さらに一歩後ろに控えていた和装の男――青龍が、音もなく千姫へと近づき、不気味な予言めいた言葉を低い、地響きのような声で口にした。
「……卦が出た。主、卜の結果は『大局 災いあり』。……この地には、すでに現世の理を超えた、おびただしい数の死の臭いが満ち満ちている。今宵、異国の月は血の赤に染まるであろう」
Ⅳ. 壊れる日常:戦慄する博子とシホ
シホは、あまりの光景に二の句が継げなかった。
剥き出しの狂気を放つサバイバルナイフの達人、現代アメリカに現れた日本刀と和装の陰陽師、そして冷徹極まる電子の天才少年。
「外事三課」という組織の正体が、自分がこれまで命がけで取材してきたどの広域暴力団や、国際的な犯罪シンジケートよりも、遥かに危険で、遥かに人間の倫理の「向こう側」に位置している存在であることを、その肌に刺さる空気から本能的に理解したのだ。
隣で頑丈な情報端末を操作していた秋吉博子も、合流した「四神」の異様な姿を視界に入れ、キーボードを叩く指先がわずかに、しかし明確に戦慄いた。
(……日本政府は、外務省の暗部は、一体その奥底でどんな『怪物ども』を飼い慣らしているというの?)
博子の心に、新たな、そして根源的な世界の崩壊に対する不安が押し寄せた。
超古代文明の演算魔術式、神の名を冠する国家公認の殺人術、そして世界の裏側を縛る陰陽の術理。
もはや、自分たちが今から向き合おうとしているのは、現代社会の公的な法律やルール、警察の力が通用するような生ぬるい事件ではないのだ。
千姫は、呆然と立ち尽くす二人を完全に無視し、揃った四神に向かって冷徹な軍事的号令を下した。
「挨拶と無駄話はそこまでだ。玄武、即座に車両を出せ。……目的地はアメリカ中西部、スリー・フォークス。これより、雷門玄一の描いた『世界破滅の予定地』へ向けて、全速力での強行軍を開始する」
漆黒の特注トラック、そしてステルス塗装の軍用単車が、夜明けの濃い雾の中に溶け込むように、静かに、しかし猛烈な牙を剥いてハイウェイへと走り出した。
大陸の東西から迫りくる二つの未曾有の災厄を歴史の闇に葬り去るため。
日本という国家が隠し持つ最強の「牙」が、今、アメリカの広大な原野を静かに駆け抜ける。
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8.3. メンバー紹介とブリーフィング開始
Ⅰ. 鉄の密室:移動司令部への乗艦
ニュージャージーの安モーテルを完全に離脱し、漆黒の戦術装甲車両は夜明け前の高速道路を猛然たる速度で滑り出した。
千姫は、玄武が完璧に整備・同調させた車両の駆動ステータスと、博子が最終確認を終えた電子端末のリンク状態を自らの網膜に投影された戦術HUDで瞬時に確認すると、重厚な電磁ロック式ハッチを完全に閉鎖した。
「よし、これで作戦要員は全員揃った。……我々には一分一秒の猶予もない。全員、各座席の4点式ハーネスに身体を固定しろ。これより、目的地へ移動しながら作戦の最終ブリーフィングを開始する」
その話し方には、女性らしい情緒や躊躇、甘えなどは一切ない。肉体という矮小な器を超越した、戦場そのものを冷徹に統べる「男」の精神が、低く乾いた響きとなって密閉された鉄の車内に響き渡る。
シホが戸惑いながらトラックのコンテナ内部、すなわち移動司令室へと足を踏み入れると、そこは彼女の一般的な常識を完全に凌駕する「異界」そのものであった。
「うわっ……ちょっと、想像以上に狭いんだけど! 何これ、人がまともに座るスペースなんてほとんど残ってないじゃない!」
シホが思わず上げた不満の声は、即座にコンテナ内に充満する大量の電子サーバーラックが放つ重低音の唸りと、壁面に施された重厚な防音材によって完全に吸収され、掻き消された。内部は、巨大なスーパーコンピュータのラック、ミリタリー規格の衛星通信用演算ユニット、そして四神それぞれの特注の戦術装備が整然と、しかし極限まで過密に配置されており、人間が動けるスペースは「通路」と呼ぶのも憚られるほどに制限されていた。
Ⅱ. 異能の紹介:外事三課の「牙」と「脳」
千姫は、シホの世俗的な不平を氷のような冷淡な眼光だけで完全に黙殺した。彼女は四人の部下――日本の「影」として世界の裏側で暗躍してきた最強の実働部隊の前に立ち、博子とシホを順に指し示した。
「玄武、朱雀、白虎、青龍。……これより紹介する。今回の『R事案』における事態収束のため、内閣情報調査局から一時的に我が外事三課の『資産』として委任された最高峰の情報解析官、秋吉博子だ。そして、そこにいるのは不可避のイレギュラーとして付随することとなったジャーナリストの西野シホ。……特に博子の持つ電子の知性は、我々の作戦成功率を数パーセント引き上げるための、極めて重要なパーツ(部品)となる」
続いて、千姫は未だ緊張に身を硬くしている博子とシホに向けて、外事三課の誇る四人の怪物たちを改めて冷酷に紹介した。
「秋吉、西野。彼らが我が外事三課が誇る特殊実働部隊――通称『四神』だ。極東の神獣の名をそのコードネームに冠し、それぞれの専門領域において『一騎当千』の力を超え、国家の意志として『一騎当万』を成し遂げることを絶対的に義務付けられた連中だ。以後、作戦行動中における余計な私語や馴れ合いは一切慎め」
玄武は、運転席から隔壁の隙間越しに「さっき俺をおっさん呼ばわりした、威勢のいいお嬢ちゃんか。……足は完璧に用意してやったぜ。死にたくなきゃ使いこなせよ」と野太い声で軽く笑い、白虎は無言のまま、鋼鉄のように鍛え上げられた筋肉をピクリと震わせて、視線だけで微かに会釈した。
朱雀は、既に博子のIZANAGIから転送されてきた膨大なデータログの解析に没頭しており、その鏡のように澄んだ瞳に無数の文字と数式の羅列を高速で反射させている。そして青龍だけは、車両の激しい揺れに心地よさそうに身を任せながら、相変わらず虚空の一点を見つめていた。その深い瞳には、物理的な車内の風景ではなく、これから向かう地に張り巡らされた不吉な運命の糸が見えているかのようだった。
シホは、この異様な集団――国家の法と常識の遥か外側に位置する者たちの一員としてこの鉄の密室に閉じ込められていることに、喉の奥が激しく震えるような圧倒的緊張と、それを遥かに凌駕するジャーナリストとしての抗いがたい興奮を同時に覚えていた。
Ⅲ. 戦術下命:多角的アプローチの開始
車両が高速道路に完全に乗り、玄武の制御によって超高速の巡航速度に達した瞬間、千姫の口から具体的な作戦指示が矢のように鋭く放たれた。ブリーフィングとは名ばかりの、冷徹極まるタスク・アサインメント(役割分担)の開始であった。
「秋吉。現状報告を行え。……特に、先ほど捕捉した最新の目撃情報、および46時間後の衝突予測地点における熱力学的・地政学的リスクの詳細を、四神全員に共有しろ。隠し事は一切なしだ」
博子は、極限の身体的・精神的疲労を一流のプロフェッショナリズムによって力ずくで押し殺し、ホログラム・ディスプレイをコンソールの中央に大きく展開した。
「了解。……現時点でのターゲットは二点。西海岸から猛烈な熱量を伴って移動する『リクト』、そして東海岸の集落を絶対零度で凍結させながら進む生体合成体『アビス・ラ』。現在、両者は目に見えない強力な磁石が引き合うように、バージニア州境のスリー・フォークスを目指して直進しています」
「朱雀。即座に秋吉の生データとリンクし、演算を補佐しろ。……なぜ雷門玄一は、戦略的価値のないこの無名な田舎町を激突の舞台に選んだ? その地政学的な意図、および衝突時に発生する超常的エネルギーの指向性を完全に分析しろ。……我々がとるべき第一案(最適解)、および全滅を最悪回避するための第二案(次善策)を含めた戦術パターンを、現地到着までに最低でも五パターンは構築しろ」
朱雀は瞬き一つせず、淡々と端末を叩きながら、「……三パターンで十分です、課長。それ以外の無駄な可能性は、私の演算で到着までにすべて消去します」と短く冷たく答えた。
「白虎、玄武。装備の最終調整および物理的なデプロイの準備に入れ。……対生体合成体用の高電圧徹甲弾、およびリクトのNCUを強制停止・磁場封印するための特注の磁場拘束具の点検だ。設備と回路に一分の狂いも残すな。……青龍。お前の卦の能力を見せてくれ。ここから衝突地点までの経路における、雷門が仕掛けたであろう魔術的なトラップ……認識阻害や空間歪曲の有無を、術理のレイヤーから事前に予測・確認しろ」
千姫の指示は、瞬時の的確な状況判断と、各員が持つ「異次元の専門能力」への絶対的な信頼に基づいていた。
高度な情報戦、冷徹なマクロ戦略、圧倒的な物理戦闘、そして現代科学を超越した神秘学。雷門玄一という規格外の怪物を確実に仕留めるために、外事三課はあらゆる階層から同時に攻勢をかけるのだ。
Ⅳ. 運命の胎動:スリー・フォークスへの強行軍
四人の部下と一人の解析官は、千姫の声が完全に止まるよりも速く、それぞれの担当タスクに向けて一斉に牙を剥くように動き出した。
玄武は、エンジンの微細な振動とタイヤの接地感からアメリカの路面状況を克明に読み取り、白虎は暗闇の中でサバイバルナイフの鈍い刃紋を指先で静かに確かめる。朱雀の指先は端末の上で光の尾を引くほどの速度で走り、青龍は静かに指を組み、古流の呪言を低く呟きながら自身の精神の海へと深く潜っていく。
鉄のコンテナ内部に、電子サーバーの駆動音と、鋼鉄の武具が触れ合う冷たい音、そして祈祷の囁きが不気味に混ざり合い、異様な戦術的共鳴音を奏でていく。
ブリーフィングが深化していくにつれ、作戦マップ上の「スリー・フォークス」という地名は、単なるアメリカの目的地から、世界が気づかぬうちに終わりを迎えるかもしれない最悪の「因果の特異点」へと、その破滅的な意味を急速に変えていった。
彼らに課せられた絶対的な使命は、一人の天才マッドサイエンティストが引き起こした「対極の暴走実験」を、世界がその危機に気づくことさえ防ぎながら、歴史の裏側で、音もなく物理的に粉砕すること。
夜明けのハイウェイを獰猛に突き進む漆黒の移動要塞の中で、人類の明日を賭けた、最も静かで最も苛烈な「作戦会議」が、今、本格的にその幕を上げたのである。
[EOF]




