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『ブレイク・ネクサス』改訂版  作者: 嵗(sai)
第一部 フェイク・ファクター

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第七章:最高外交官の布石と四神の編成

7.1. 千姫の指令:最高機密の外交戦


Ⅰ. 沈黙の指令室:外事三課の始動


ニュージャージーの片田舎に佇む、塗装のはげ落ちた安モーテルの一室。その内部はもはや、薄汚れた壁紙に似つかわしい単なる逃亡者の隠れ家ではなかった。


室内には、秋吉博子が軍事用バックボーン・ネットワークの監視に没頭する電子的な駆動音と、西野シホが未だ去らぬ死の恐怖に細く身を震わせる呼吸の音だけが満ちている。その張り詰めた停滞を破るように、千姫せんひめは静かに、しかし有無を言わせぬ絶対的な所作で、自前のポータブル衛星通信端末を起動した。


その端末は、市販の暗号化スマートフォンや、一般的な官公庁が予算内で支給する通信機器とは明らかに一線を画していた。外殻は電磁パルス(EMP)を完全に遮断する漆黒の特殊カーボン製筐体で覆われ、内部には量子もつれを利用した軍用規格の次世代量子暗号モジュールが組み込まれている。日本政府の最深部、それも一握りの最高権力者のみに使用が許された国家最高機密の特注品プロトタイプであった。


千姫の細い指先が、一切の躊躇なくキーボードを叩いていく。その迷いのない冷徹な指の動きは、彼女がこの数時間、現場の凄惨な混乱に物理的に身を置きながらも、その明晰な脳内では既に数手先、数十手先の国家間交渉ジオポリティカル・ゲームの盤面を冷徹に組み立てていたことを雄弁に物語っていた。


Ⅱ. 日本政府への通告:予算と全権の掌握


千姫が最初に回線を接続したのは、日本の外務省、その公的な組織図には決して名前が載ることのない暗部に位置する、外事部部長への直通専用ホットラインだった。


電子の海を渡り、三重の量子暗号障壁が解除されて接続が完了した瞬間、千姫の纏う空気が「現場の指揮官」から、国家そのものを背負う「冷徹な代弁者」へと完全に変貌した。


「外事三課、千姫です。……これより、現時点で判明した事態の概要を、外務省最高機密レベル(レベルA)として報告します」


千姫の声には、受話器の向こうにいる実質的な上官に対しても、微塵の媚びも、官僚特有の回りくどい言い訳も含まれていなかった。あるのは、ただ不都合な事実だけをナイフのように冷たく切り出す、絶対的な合理性だけだ。


「事態の主導者は、雷門玄一。かつて我が国が超法規的措置によって放逐した、あの『玄の魔術師』です。奴は魔術的ドクトリンと現代科学を融合させた超古代技術を応用し、本来ならば交わるはずのなかった二つの対極的な兵器体系――西海岸カリフォルニアの『テロス・ギア/NCU』と、東海岸の『生体合成体創世技術』を、意図的に国際組織の内部へと流出させました。……これは単なる事故でもテロでもない。文明の転換点パラダイムシフトを見据えた、同時進行の狂気的実験です」


千姫の言葉は、外務省のキャリア官僚たちが最も恐れる「国際的な力の均衡バランス・オブ・パワーの不可逆的な崩壊」という急所を、正確無比に突き刺した。


「この技術が第三国、あるいは制御不可能な非国家アクターやテロ組織の手に渡れば、既存の軍事・エネルギー体系は一晩で瓦解します。これは単なる一企業の技術流出ではなく、日本の科学史の暗部が生み出してしまった、国際的な災厄に他なりません」


千姫は、相手が反論の言葉を探すわずかな猶予さえ与えず、最終的な要求を冷酷に突きつけた。


「事態の解決には、外務省の正規の外交ルートを通さない、迅速かつ非公式な超法規的介入が不可欠です。……つきましては、外事三課に対し、本件に関するすべての事態解決の全権委任、および使途報告不要の無制限予算アンリミテッド・バジェットの即時承認を要請します」


スピーカーの向こうから、数十秒に及ぶ、死のような静寂が返ってくる。


外務省内部においてさえ、外事三課、そして「千姫」というコードネームを持つこの人物が、過去にどれほど血塗られた「汚れ仕事」を完遂し、表沙汰にならぬまま国家の崩壊を防いできたかは、一種の怪談じみた伝説として語り継がれている。


『……承知した。大臣の裁可は私が取る。すべての権限と無制限予算を、直ちに外事三課に委任する』


レシーバーから漏れた部長の声は、苦渋と諦念に満ちていたが、そこには拒絶の余地など最初から存在しなかった。


『ただし、いいか千姫。国際的な体面は我々が泥を被ってでも守る。……だが、決してこれを公式な国際問題に発展させるな。米国政府に対しても痕跡を残すな。日本政府が関与したという証拠を、分子一つ、電子一個残さず抹消しろ』


「了解しました。……元より、我々に『存在』を認めてもらうつもりはありません」


千姫は通信を容赦なく断つと、表情一つ変えずに、次のターゲットへと意識を切り替えた。


Ⅲ. 日米深層交渉:CIA長官とのチェス


休む間もなく、千姫はアメリカ合衆国CIA長官へと直接繋がる裏のホットラインを起動した。それは、通常の日米首脳間でさえ滅多に使用されることのない、真の意味での「最終外交兵器」たる暗号回線だった。


「……これは、日本政府からの非公式なコンタクトです。お久しぶりですね、長官」


千姫の放つ英語は、完璧なキングズ・イングリッシュのネイティブ発音の中に、相手の思考を物理的に威圧するような重厚な響きを帯びていた。


「単刀直入に伺います。現在、貴国内の西海岸で発生しているカリフォルニアの患者集団失踪事件、および東海岸を蹂躙しつつある未確認生物による破壊活動。……CIAが把握している情報は、今ニュースに流れているような『表面的な混乱』だけですか?」


受話器の向こう側、世界最強の情報機関の頂点に立つ男の声は、明らかな困惑と強い警戒、そして予期せぬ介入に対する苛立ちを隠せていなかった。


『……日本政府の人間が、なぜこのタイミングで介入してくる? 我々は現時点で、これらを単なる先進医療機器の重篤な不具合と、新型のバイオテロの可能性として別個に追っている。二つの事態の関連性は未だ不明だ。……そちらは、一体何を握っている?』


千姫は、アメリカの誇る最高峰の知性でさえ、未だ「雷門玄一」という絶対的な核心に辿り着けていないことを確信した。その口元に、冷徹な笑みが浮かぶ。それは、傍らで怯えるシホや博子がこれまでの人生で見たこともないような、弱者の喉元を正確に狙い定める捕食者プレデターの笑みだった。


「我々は、この二つの事態が、ある一人の日本人技術者が描いた一つの狂気的な設計思想から派生した、対極的な一対の実験であることを完全に把握しています。……長官、貴方たちには、この事態を根本から収束させるための『方程式』が決定的に欠けている」


千姫は、ここで交渉を決定づける最大の「餌」を冷酷に投げ込んだ。


「我が外事三課の専門官(秋吉博子)が独自に解析した、最高レベルの機密データ――NCUの物理構造、雷門玄一の技術理論、そして二つの事件が交差する最終地点の予測演算。これらをすべて、そちらのCIAに提供する用意があります。……交換条件として、我々外事三課の、アメリカ国内における制限なき自由な超法規的介入権を認めなさい」


再び、重苦しい沈黙が安モーテルの部屋を支配する。


情報機関の長にとって、現代科学の枠を超えた未知の兵器技術の詳細は、喉から手が出るほど欲しい禁断の果実だ。だが、いくら強固な同盟国とはいえ、他国の特殊工作機関を自国の領土内で合法的に暴れさせることは、国家主権の重大な侵害に他ならない。


『……よかろう。日本政府の介入を、公式記録に残らぬ極秘裏の『ブラック・プロジェクト』として承認する。ただし、活動範囲は最小限に留めろ。表向きのステータスは観察と支援だ。……我々は独自に動く。この約束を少しでも違えれば、即座に軍の力をもって排除する』


「賢明な判断です、長官。……共闘できることを、心から嬉しく思いますよ」


Ⅳ. 国家の重みと冷徹な勝利


通信を終えた千姫は、端末のディスプレイを閉じ、深く椅子に背を預けた。


国家間の最高機密そのものを外交のチップにして、異国の地における実力行使の許可という、物理的な武装を行う以上に困難な障壁を、彼はたった一人で、言葉の刃だけで粉砕してみせたのだ。


「……千姫さん、あなた、今、一体何をしたの?」


シホが、引き攣った声を喉の奥から絞り出した。彼女のような一般のジャーナリストの理解を遥かに超越した、巨大な国家権力と最高機密情報の冷徹な取引。


千姫は、驚愕に固まる博子とシホを交互に見やり、低く、しかし絶対的な確信に満ちた口調で告げた。


「舞台は整った。無制限の予算も、全権の委任も、そしてこの国における超法規的な活動許可も、すべて私の手の中に引き寄せた。……ここから先は、書類を弄ぶ日本の事務方や、手続きに縛られたアメリカの官僚たちの仕事ではない。俺たち、外事三課の戦いだ」


千姫の朱い瞳の中には、もはや女性の肉体という仮面は存在しなかった。


そこに剥き出しになっていたのは、冷徹な勝利の確信と、雷門玄一という巨悪を国家の威信にかけて屠ろうとする、一人の無慈悲な戦士の魂そのものであった。


博子は、千姫の背後に、日本という国家が持つ底知れぬ巨大な影が、冷酷な実体を持って立ち現れたような強烈な錯覚を覚えていた。


モーテルの一室は、今、世界を揺るがす「最高機密の外交戦」の、血塗られた前線司令塔へと、完全なる変貌を遂げたのである。


________________________________________


7.2. 四神:特殊実働部隊の招集


Ⅰ. 牙を剥く「外事三課」:漆黒の召集令状


日米の最高中枢を同時に相手取った外交戦を、僅か数分の通信で完全に制した千姫せんひめは、一息つく間もなく次の行動へと移った。その一連の所作には、一切の無駄も迷いもない。外交の布石が、これからの戦いのための「盤面」を整える作業だとするならば、ここからはその盤面の上で、敵を物理的・徹底的に粉砕するための「実戦の駒」を配置する段階であった。


千姫は、衛星通信端末の最高度暗号化チャンネルを、自身の直属部隊――外事三課の中でも、最も異端で、最も実戦的な破壊・工作能力を持つ特殊実働グループへと切り替えた。


まず、ケネディ国際空港の近傍にて、数日前から先行して潜伏・待機させていた部下、玄武げんぶの専用ラインに連絡を入れる。


「玄武。……聞いているな。直ちに『プラン・デルタ』に移行しろ。移動通信拠点兼、高度情報解析機器を積載したヘビー・デューティーな特殊装甲車両、および予備の通信端末と高速単車を現地で即座に調達、一般車両へと偽装しろ。30分以内に我々を回収ポイントで迎えに来るよう手配しろ。座標は暗号化して別送する。……一秒でも遅れるな」


千姫の口調は、先ほどまでの洗練された外交官のそれではない。それは部下を平然と死地へと送り込み、同時に絶対的な勝利のみを義務付ける、冷徹な軍事指揮官の鉄の意志そのものが宿ったものだった。


続いて、千姫はタッチパネルの上で素早く指先を滑らせ、他の三人の精鋭――朱雀すざく白虎びゃっこ青龍せいりゅうに対し、個別に、かつ最短の暗号文で緊急召集を指示した。集合地点はアメリカ東海岸、プロメテウス財団とノア・メディカルの闇の結節点となる、いかなる公式地図にも載らぬ隠密拠点セーフハウスである。


Ⅱ. 四神の正体:神話の名を冠する「部品」たち


その一連の、軍隊顔負けの冷徹極まる暗号通信を特等席で聞いていたシホは、驚愕のあまり大きく見開いた目を瞬かせることさえ忘れていた。


「あの……。さっきから通信で聞こえてくる、玄武とか朱雀とか、白虎、青龍って……一体誰のことなの? 日本の神話や陰陽道に出てくる、四方の守護獣みたいな名前だけど。まさか、そんな大仰なコードネームを持つ人たちが、現代の日本に本当にいるっていうの?」


千姫は端末の画面を閉じ、背筋を微塵も崩さないままシホの質問に向き合った。その切れ上がった瞳には、一切の人間的な感情が交じっておらず、ただ事実を事実として定義する、極めて男性的な合理性のみが漂っている。


「彼らは、私の部隊のコアメンバーだ。彼らは、極東の守護神獣の名をコードネームとして持つ。それぞれが、一つの専門分野において世界最高峰の技術を有し、国家の意志を物理的に執行するための『代替不可能な部品』だ」


千姫は、隣で未だ端末のキーボードを叩き続けている博子にも聞こえるように、彼ら「四神」の驚異的な能力を淡々と、しかし圧倒的な威圧感を持って説明し始めた。


玄武げんぶ


移動、輸送、および隠密拠設のエキスパート。大型の特殊装甲車両から、高速戦闘船舶、果ては最新鋭の軍用航空機に至るまで、地球上に存在するあらゆる動力を完璧に操縦し、物理的な限界を超えた機動力を部隊に提供する。今回の任務では、移動する戦術司令部(情報解析車両)の現地調達と、その隠蔽運用を担当する。


朱雀すざく


戦略立案、および広域電子通信のエキスパート。地政学的なマクロ戦略から、局地的な戦術タクティカル・プランまでを瞬時に構築する。通信機器のクラッキング操作と広域情報解析においては、博子に次ぐ、あるいは全く別のアプローチで同等の処理能力を発揮する、情報戦の申し子。


白虎びゃっこ


近接格闘、並びに重火器管制のエキスパート。あらゆる軍隊の徒手格闘術、ナイフ術、そして現存するすべての銃火器・爆発物の特性を熟知し、目標の完全制圧と味方の絶対防衛を主任務とする、人間の形をした歩く武器庫コンバット・ウエポン


青龍せいりゅう


近接剣士兼、隠密術のエキスパート。日本の古流剣術を極限まで極めると同時に、現代科学のロジックでは説明のつかない超自然的な事象への対処法……いわゆる陰陽術のプロフェッショナルでもある。雷門玄一のような「異端の力」を操る存在に対し、唯一、物理的な斬撃と精神的な封印術を持って対抗し得る、我が部隊の切り札。


Ⅲ. 外事三課の真実:外交の皮を被った「暴力装置」


シホは、その凄まじい説明を受けて、喉の奥がカラカラに乾くのを感じた。目の前にいるこの麗しい女性――いや、その肉体に宿る鋼鉄の精神を持つ人物は、一体どこまで「本気」で世界と戦おうとしているのか。


「あ、あなたは……。あなたたちは、一体、何者なの? 私がこれまでの取材で知っている、あの事なかれ主義の『日本の役人』とは、あまりにかけ離れすぎているわ」


シホの恐る恐るの問いかけに対し、千姫は初めて、相手の精神を刺すような鋭い威圧感を露わにして答えた。


「我々は日本国外務省・外事部・外事三課。……表向きは、海外における邦人の安全保護を担当する事務窓口だが、その実態は、日本国外で発生する日本人へのあらゆる暴力的・犯罪的行為、あるいは日本人が関与し、国家の絶対的利益を損なう国際的な不祥事に対し、直接的な『保護・救助・救援』、そして『防止・鎮圧・武力対処』を主任務とする、日本政府直属の非公式特殊実働部隊アセットだ」


千姫の言葉は、シホがこれまで一般常識として持っていた「平和憲法を掲げる日本の、弱腰な外交」という生ぬるいイメージを、木っ端微塵に粉砕した。


他国の主権を侵してでも、国家の影として獲物を確実に狩る。それが千姫たちの、そして「外事三課」という組織の血塗られた正体なのだ。


隣で必死に端末を操作していた秋吉博子も、その恐るべき内容を聞いて、ついに打鍵の手を完全に止めた。


(……これは、とんでもない事態になったわ)


博子の背中を、冷たい汗がとめどなく伝い落ちる。自分が巻き込まれたのは、単なる一企業のデータ不正暴きや、一介の天才ハッカーによるハッキング事件などではなかった。国家の最深部に隠された、血塗られた秘密工作の巨大な渦。その中心部へと、自分はもう、逃げ場のないほど深く引きずり込まれている。


(超古代文明の技術、狂気の魔術師、そしてそれに対抗する陰陽術を操るエージェント……。私は、本当にこの『実験』の恐ろしい果てを見届けて、無事に日本の、あの退屈で平凡な内調の解析室に帰れるのかしら)


博子の心に、得体の知れない終末的な不安が黒い霧のように押し寄せた。


しかし、そんな彼女の感傷を嘲笑うかのように、モーテルの外から、アスファルトを乱暴に切り裂くような、重厚なディーゼルエンジンの駆動音が急速に近づいてくる。


「玄武だ。来たぞ」


千姫が静かに立ち上がり、防弾仕様のトレンチコートの襟を立てた。


神話の名を冠する四人の牙が、今、ニュージャージーの安モーテルに集結しようとしていた。雷門玄一の描いた狂気の設計図を、力ずくで破り捨てるための、冷徹な暴力の化身たちが。


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7.3. 役割分担と新たな指令


Ⅰ. 礼徹なる采配:戦場への再定義


千姫せんひめの冷徹な眼差しは、情報の奔流に溺れかける博子の困惑と、死の恐怖に未だ身を震わせるシホの動揺を、一切の取りこぼしなく精緻に観察していた。だが、その冷徹な精神に、同情や慰めといった人間的な情緒が介在する余地など一光年も存在しない。


彼にとって、眼前の二人は守るべき「邦人」である以上に、この世界規模の狂気の実験を食い止めるために、もっとも効率よく使い倒されるべき「戦術的リソース」に他ならなかったからだ。


千姫は、軍用端末のホログラムディスプレイを乱暴に閉じると、二人の網膜を射抜くような鋭い視線で、最終的な直接指令を告げた。


「秋吉博子。西野シホ。……お前たち二人に、直接的な銃撃戦や物理的戦闘への介入は求めない。お前たちの肉体的な脆弱さは、私の作戦上の計算(変数)に既に入っている。お前たちの唯一の使命は、情報収集と、その深層解析だ」


千姫の声は、夜明け前のモーテルに漂う湿った空気を、物理的に切り裂くような重厚な響きを帯びていた。それは女性の喉から放たれているとは到底信じられぬ、戦場そのものを支配する「男」の意志そのものだった。


「秋吉博子。お前には引き続き、日米の国家最高ネットワークに対する非正規アクセスを維持させ、全情報のフィルタリング、および我が実働部隊――『四神』へのリアルタイム戦術支援タクティカル・サポートを任せる。リクトの生体情報番号バイオ・インデックスの追跡、および生体合成体『アビス・ラ』の進行予測。一秒の遅延も、一ビットの誤認も許されない。お前の明晰な知性は、この部隊の『眼』そのものだ」


博子は、極限の疲労によって霞む視界の中で、短く「了解」とだけ答えた。もはや言葉を尽くす精神的余裕はない。だが、千姫によって部隊の「眼」であると絶対的に定義されたことで、彼女の精神には、逃れられぬ運命を受け入れた者特有の、静かな、そして鋭い覚悟が宿り始めていた。


Ⅱ. ジャーナリストの再点火:生存本能から職業本能へ


続いて、千姫はベッドの上で小さく丸まっていたシホへとゆっくり向き直った。その視線は、獲物の肉の質を値踏みする飢えた鷹のように鋭く、そして冷たい。


「西野シホ。お前には、現場での一次情報収集フィールド・ワークに走ってもらう。国家の電子データベースには決して載ることのない、現場の生々しい『空気』、人々のリアルな『動揺』、そして権力が隠蔽しようとした爪痕……。泥を這いずり、真実の匂いを嗅ぎ分ける能力。それは、お前の数少ない三流記者としての得意分野だろう」


千姫の容赦ない言葉は、シホの奥底に眠るプライドを正確に適確に突き刺した。


つい数分前まで、国家最高機密に触れてしまった代償としての「消去(死)」に怯え、みっともなく生存本能に屈していた彼女の瞳に、かすかな、しかし絶対に消えないジャーナリストの火が再点火された。


シホは震える手で乱れた髪を乱暴に掻き揚げると、掠れた、しかし芯のある声で問い返した。


「……現場へ行けって言うのね。最高機密の的にされた挙げ句、今度は最前線の取材班――いえ、使い捨ての斥候になれってわけ?」


「嫌なら、ここで指をくわえて怯えて待っているがいい。だが、雷門玄一という男が起こしている神話的な奇跡を、その網膜に直接焼き付けるチャンスを自ら捨てて、お前は一生、あの薄汚れた編集部で『安全な嘘』を書き続けるつもりか?」


千姫の冷酷な挑発。それは、シホという人間の核にある「ジャーナリストのごう」を強引に抉り出すための、的確な外科手術であった。


「……いいわよ、やってやろうじゃない。でも、私に現場へ行けって言うなら、まともな足が欲しいわ。こんな、公共交通機関すら怪しいアメリカの田舎町で、どうやって移動しろって言うのよ。まさかヒッチハイクでもしろって言うんじゃないでしょうね?」


Ⅲ. 二輪の鉄馬:玄武の提供物


シホの不遜な物言いに、千姫は微かに唇の端を不敵に吊り上げた。それは人間的な笑みというよりは、実験動物が檻から自ら出ようとするのを見た、観察者の冷淡な反応に近かった。


「案ずるな。玄武げんぶが、お前のための『特別な単車バイク』を既に外に用意させている。リクトの逃走経路や、軍の包囲網を追うには、大型の四輪車両では目立ちすぎる。圧倒的な機動力、高い隠密性、そして渋滞や破壊によって麻痺した都市部を最短距離で抜ける突破力。……お前のような女が操れるものの中で、最も効率的な牙だ」


「……バイク? ニューヨークやこの東海岸の交通地獄を、バイクで駆け抜けろって言うの?」


シホは一瞬絶句したが、次の瞬間には、彼女の脳内で「カメラを抱え、現場の最前線へと飛び込む自分」のイメージが、鮮烈な極彩色の映像となって再生されていた。


一度火がついたジャーナリストの本能は、もはや恐怖さえも最高の燃料に変えて燃え上がる。


「やったろうじゃない! OKよ! 望むところだわ!」


シホは勢いよくベッドから立ち上がった。その瞳には、先ほどまでの絶望の影は微塵もなく、獲物を追う猛烈な猟犬のようなギラついた光が戻ってきていた。


「……記者としての腕が鳴るわ。見てなさい、私の有能さをその目に焼き付けてあげる。世界をひっくり返す大層なスクープは書けないかもしれない。けど、この目に焼き付けた真実だけは、誰にも、国家にだって奪わせないんだから!」


Ⅳ. 客観的分析:戦術車両と機材のスペック


ここで、博子の手元の端末に、玄武からのデータが直接転送されてきた。彼が現地で超法規的に調達した「足」の詳細なスペックシートだ。

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■ 支給機材:タクティカル・スカウト・バイク(外事三課仕様・改)

•ベース車両: 1200ccクラスの全地形対応型ヘビーデューティー・オフロードバイク。

•隠密化処理: 特殊マフラーの換装により排気音を極限まで抑制する消音サイレンサーシステム、および夜間隠密走行に適した光学的低被視認性マットブラック塗装。

•通信設備: ヘルメット一体型の量子暗号化無線インカム。秋吉博子のAI端末『IZANAGI』と常時リンクし、シールドの戦術HUDヘッドアップディスプレイへのリアルタイム・ナビゲーション転送が可能。

•電子防護: NCUやアビス・ラから放たれる微弱なEMP(電磁パルス)および異常熱線への限定的な耐性を持つ、カーボン絶縁強化フレーム構造。

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「……すごい装備ね。政府の特殊機関がバックにいなきゃ、とても個人で用意できる代物じゃないわ」


博子がその凄まじいスペックを呆れたように読み上げると、シホはヘルメットを小脇に抱えるようなジェスチャーをして、不敵に笑ってみせた。


「当然よ。この西野シホを都合よく使い倒そうなんて、それくらい高くつくんだから!」


Ⅴ. 動き出す運命:夜明けの出撃


モーテルの薄汚れた窓の外では、夜明けの地平線が、赤黒い血のような不吉な色に染まり始めていた。


これまでの「静的」なデータ解析フェーズは完全に終わりを告げ、ここからは物理的な暴力と、残酷な時間との競争がすべてを支配する「動的」な局面へと突入する。


「秋吉、接続を維持しろ。西野、3分後に回収ポイントへ降りろ。玄武が待っている」


千姫の簡潔な、しかし絶対的な命令。


博子は再びキーボードの海へと深く潜り、シホは未だ少し震える足で、しかし確かな足取りで扉へと向かった。


一人の少年を守るため。一人の天才を屠るため。


そして、自分たちがこの狂った世界で何者であるかを証明するため。


外事三課という国家の巨大な歯車が、異国の冷たい地でついに、重々しい音を立てて回り始めた。


雷門玄一の描いた「二重の狂気実験」を、物理的な破壊と情報の解体によって完全に粉砕する。


そのための、無謀で、それでいて完璧に計算された戦いが、今、静かに幕を開けた。


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7.4. 危機的報告:二者の衝突予期


Ⅰ. 静寂を切り裂くアラート:潜伏の終焉


ニュージャージーの安モーテルの室内に、夜明けの冷たい光が微かに差し込み始めた、その時だった。


玄武の完全な到着を待ち、束の間の不気味な静寂が支配していた室内に、秋吉博子のAI端末『IZANAGI』が、これまでにないほど高く、脳を刺すような鋭い警告音(緊急アラート)を鳴り響かせた。


これまでの28時間、物語は「不気味な空白」に支配されていた。


西海岸の実験施設から忽然と逃走したリクト。そして東海岸の都市部を圧倒的な力で蹂躙し続ける生体合成体、コード名『アビス・ラ』。


この二つの危険個体は、アメリカ軍の誇る最新鋭の偵察衛星(KH-11)の眼も、全米の全監視カメラを網羅する広域顔認証システム(C-TOSS)の網も、まるで子供の玩具のように嘲笑うかのように完全に回避し続けていたのだ。その超常的な潜伏能力は、単なる隠密行動の域を遥かに超え、一種の「因果律的な認識阻害」に近いものだった。


しかし、この一時間で、その「死の沈黙」は唐突に、暴力的に破られた。


「千姫さん! データネットワークの最深部、情報の沈殿層から、奴らの生存シグナルが同時に浮上してきました! 複数地点での断続的な目撃報告、および連邦警察無線の異常検知ログを確認しました!」


博子の声は、極限の精神的疲労を、興奮という名の脳内劇薬で無理やり上書きしたかのような、異様な鋭さを帯びていた。彼女の指は、もはや血の通った人間のものとは思えぬ驚異的な速度でキーボードを叩き、最新の広域戦術マップを安モーテルの壁面に投影した。


Ⅱ. リクトの軌跡:白光の弾丸


「まず、西側から猛烈な速度で移動してくる移動体。リクト君に関する最新の、そして最悪の目撃情報です」


博子が投影した地図の上、北米大陸を東西に横断する一本の赤い光線が、内陸部の放棄された広大な廃墟地帯で激しく点滅している。


「内陸部の放棄されたゴーストタウン、その工業団地に不法に潜んでいた浮浪者の目撃証言が、地元の保安官事務所の緊急ログに上がりました。証言によれば、『全身から眼を焼き潰すような凄まじい白い光を放つ少年』が、物理的な常識を完全に無視した速度で、東へ向かって一直線に駆け抜けていったとのことです。彼の通過した周囲の草木は熱風によって一瞬で枯れ果て、地表のアスファルトには焦熱の足跡がドロドロに溶け残されている……。これは、彼の脊髄に埋め込まれたNCUが、周囲の熱力学的物理法則を書き換えながら、完全な『暴走・臨界状態』を維持していることを示しています。彼はもはや、ただ走っているのではありません。熱力学的な『崩壊の津波』そのものとなって、大陸を横断しているんです」


Ⅲ. アビス・ラ:氷の処刑人


「そして……こちらが、東海岸から内陸へと向かう破壊者に関する報告です。事態はより凄惨を極めています」


博子の声が、恐怖によって微かに震える。壁面のディスプレイには、現地の警察ネットワークから流出したと思われる、凄惨極まる現場写真が、解析フィルター越しに次々と表示された。


「バージニア州近郊の、山間部にある閑散とした集落で、凄惨な一家惨殺事件が発生。現場を発見した地元警官の報告書によれば、家屋の内部は家具から壁、そして犠牲となった住人に至るまで、細胞の一つ一つが『完璧な氷の彫刻』のように一瞬で凍てついているとのこと。……超低温の急激な膨張による、物理的、生物的な全壊、完全なる細胞組織の破壊です。現場近くで『巨大な、影のような異形の怪物』を目撃した住人が錯乱状態で保護されていますが、精神状態は極めて不安定。警察の緊急通報を受け、既に付近に展開していた米軍の特殊事態対処チーム(WMD-CST)が、重武装の装甲車で現場へと向かっていますが、おそらく返り討ちに遭うでしょう」


Ⅳ. 収束の演算:46時間の猶予


「博子、直ちにリクトと生体合成体、この二つの移動ベクトルの交差点を逆算解析しろ。……設計者である雷門玄一が、一体どこでこの二つを激突させるつもりなのか、その舞台を今すぐ割り出すんだ!」


千姫せんひめの指示は、冬の夜気のように冷たく、そして鋭かった。彼は、雷門玄一という天才が、何の意味もなく自らの駒を動かすはずがないことを骨の髄まで知っているのだ。


博子は端末のIZANAGIに、二つの個体の現在の移動速度、加速曲線、および周辺の全地形データを、外事三課秘匿の演算コードと共に流し込んだ。


狭い室内に、大型CPUがフル稼働する高周波の不快な唸りが響き渡る。


数分間の、針が落ちても聞こえるほどの張り詰めた沈黙。


やがて、画面の中央、北米大陸の東寄りの地点に、死の予言のような真紅のマーカーが一つ、確定的に弾き出された。

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■ AI予測解析結果(Convergence Prediction)

•収束予測時間: 現在時刻より 46時間後

•予測激突地点: アメリカ中西部・バージニア州境界付近。

•該当詳細地名: 通称『スリー・フォークス(Three Forks)』。

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「46時間後……。場所は、スリー・フォークス……?」


千姫は、その地名を画面で確認した瞬間、深く眉間に皺を寄せた。


そこは、軍事的な戦略価値など微塵もない、歴史の忘れ形見のような寂れた古い田舎町に過ぎなかったからだ。


「なぜだ。なぜ、こんな何の本質的な関係もない、静寂だけが取り柄の田舎町なんだ? 彼らはなぜ、大陸の正反対から、まるで強力な磁石に引き寄せられるように一つの点へと向かっている?」


千姫の脳裏に、かつて雷門玄一が残した「精神エネルギーの物理的変換理論」の、不気味な論文の断片が蘇る。


あれは、単なる最新兵器の性能実験などではない。


『熱』と『冷』。


『極限の進化』と『絶対的な静止』。


対極にある二つのプロトコルを極限状態で激突させ、その瞬間に発生する「因果の特異点」を観測すること。それこそが、雷門の真の狙いだとするならば。


「これは偶然の衝突ではない。……彼らは無意識に、あるいはその魂の深淵に刻まれた『設計者の意志ロゴス』のプログラムによって、この地へと強制的に引き寄せられている。……計画された、神話的破滅の舞台だ」


千姫は、自身の背筋に走る未知の寒気に抗うように、その拳を固く握りしめた。


残された時間は、僅か46時間。


現在のニュージャージーからスリー・フォークスへと向かうには、一分一秒の無駄な猶予も残されてはいない。


「玄武はまだか! 出るぞ! この『実験』の最悪の結末を、我々の力で直接書き換えるために!」


千姫の咆哮に応えるように、モーテルの外で、大地を底から揺らすような重厚なディーゼル排気音が轟いた。


外事三課仕様の漆黒の戦術装甲車両が、夜明けの深い霧を切り裂いて、まさに到着したのだ。


三人の女、そして四神の部隊。


運命の歯車は今、人類が未だかつて経験したことのない「対極の衝突」へと向けて、猛烈な、そして不可逆的な回転を始めた。


[EOF]


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