第2話 self.name = "ソウイチ"
第2話です。魔力ゼロと判定された主人公が、名前まで奪われて追放されます。
それでも、隣には相棒のアイがいて、背中には待っていてくれる人がいる。
ここから、二人の“読み尽くす”三日間が始まります。
教会の礼拝堂は、ひやりと冷たい石の匂いがした。
高い天井から差し込む光の下、中央には大人の背丈ほどもある乳白色の水晶が据えられている。鑑定の儀。この国の子どもが十二歳の節目に、自らの魔力量とスキル、そして属性を世界に示す儀式だ。
《この国の魔法について、レンの記憶から整理しておきますね》
誰にも聞こえない声で、隣に浮かぶアイが言った。今朝出会ったばかりの、銀髪の幼い少女。創一にしか見えない、自作の相棒だ。
《まず大前提から。この世界では、“魔力”が、あらゆる力の基礎です》とアイは言った。《魔法使いだけの話ではありません。剣士も、騎士も、狩人も――どんな職業でも、土台に魔力を使う。身体を強化したり、剣に力を込めたり、スキルを発動させたり。つまり、魔力がなければ、そもそもどの道にも進めない》
「……剣士になる、って逃げ道もないのか」
《はい。剣を握る才能があっても、魔力がゼロでは、身体強化も武器の発動もできない。ただ重い鉄の棒を振り回すだけの、非力な人になってしまう。だからこの国では、魔力こそが、人の価値そのものとされています》
「世知辛いな……。で、その魔力にも、種類があるわけだ」
《はい。人は誰でも、生まれつき“適正属性”を持っています。火、水、風、土……自分の魔力を、いちばん効率よく形にできる属性のこと。もちろん適正以外も使えますが、効率が落ちる。燃費の悪い魔法になる、という程度の話です》
「なるほど。誰でも一つは、相性のいい属性を持ってるわけだ」
《はい。そして、ごくまれに――優れた魔法使いは、適正属性を複数持つことがあります。この村だと、あなたの“兄”がそうですね》
壁際で見物している、二つ上の兄の姿が目に入った。鑑定の儀は、二年前にとっくに済ませている。当時、その水晶は赤と緑の二色に強く輝き、「魔力量六百十、火と風の二重適正、スキル二種」と読み上げられた。村始まって以来の神童だと、今でも語り草になっている。
その兄が、わざわざ弟の鑑定を見物に来ていた。無能が無能と確定する瞬間を、嗤ってやろうという腹だろう。
やがて、今年十二歳になった子どもたちが、一人ずつ水晶に手をかざしていく。水晶は淡く色を変え、神官が読み上げる。「魔力量、四百二十。風の適正。スキル『疾風斬』」「魔力量、三百八十。土の適正。スキル『土壁』」。読み上げられるたび、見守る親たちから感嘆の声が漏れた。
《この儀式では、魔力量・適正属性・スキルの三つが判明します》とアイ。《この三つで、人の“格”が決まる。……ちなみに創一さん。あなたの兄の数値と、わたしが弾き出したあなたの“将来性”の予測値を比べると――およそ一万二千倍、あなたが上です》
「桁がおかしいだろ。盛りすぎだって」
《いいえ。むしろ、控えめに出しました》
創一の番が来た。
兄が、嘲りを隠さずこちらを見ている。村の子どもたちも、くすくすと笑い合っていた。「魔力なしのレンが、何を授かるんだ」と。
創一は気にせず、水晶の前に立ち、痩せた手のひらを冷たい表面に押し当てた。
しん、と。
水晶は、何の反応も示さなかった。光らない。色も変わらない。
《これで、はっきりしました》とアイが静かに言う。《この水晶は、手をかざした人の適正属性に反応して、対応する色に光ります。火なら赤、水なら青。けれど、レンの体は――どの属性にも、まったく反応しない》
「どの属性も、相性が合わないってことか」
《いいえ。もっと根本的な話です。火にも水にも風にも土にも、ひとつも反応しないということは――そもそも、形にする“魔力そのもの”を、この体は生み出せていない。だから周りは、こう結論づけます。「こいつは魔力がゼロなのだ」と》
神官が、戸惑ったように何度も手をかざし直させた。それでも結果は同じだった。やがて、気の毒そうに、しかしはっきりと告げる。
「魔力量、ゼロ。適正属性、なし」
ざわめきが広がった。そして神官は、最後の項目を読み上げ――そこで、言葉に詰まった。
「ス……スキル、『アイ』。……いや、何だ、これは。聞いたこともない。こんなスキル名、どの文献にも……」
礼拝堂が、どっと嘲笑に沸いた。
「魔力ゼロのうえ、わけのわからん偽スキルだと?」
「水晶が壊れたんじゃないのか?」
「あんなの、スキルですらないだろう」
誰も知らない、前例のないスキル名。それは人々の目には、価値どころか、ただの薄気味悪い「エラー」としか映らなかった。
「やはりな」
低い声がした。創一の「父」――この村で領主の末席に名を連ねる家の当主だった。その目に、息子を見るぬくもりはもうない。
「魔力ゼロ。属性もなし。あげく、得体の知れぬ偽物のスキル。期待した私が愚かだった」
父は、ゆっくりと言い渡した。
「お前は、もうこの家の人間ではない。“レン”の名も、今日限り返してもらう。その名は、由緒あるこの家のものだ。魔力も持たぬ出来損ないに、名乗らせておくわけにはいかん。――名無しのまま、どこへなりと消えろ」
名前さえ、奪われた。
兄が、勝ち誇ったように鼻を鳴らす。村人たちは、もう誰も創一を人として見ていなかった。
けれど、創一は慌てなかった。前の世界で、理不尽な通告も、無茶な交渉も、山ほどくぐってきた身だ。こういうときほど、感情で返さず、まず数字を吹っかける。
「わかりました。出ていきます」
創一は、いかにも気弱そうに、肩を落としてみせた。
「ただ、今日の今日では、装備も路銀もありません。このまま放り出されて、村の外で野垂れ死にすれば、外聞が悪いのは“この家”のほうでしょう。だから――どうか、一週間。一週間だけ、村で旅支度をする時間をいただけませんか」
「一週間だと?」と父は、わざとらしく顔をしかめた。「ずうずうしい。出来損ないが、ぬくぬくと長居するつもりか。……いいだろう、三日だ。三日くれてやる。一刻でも過ぎれば、衛兵に追わせる」
「そ、そんな……三日なんて……」
創一は、うなだれて見せた。が――その伏せた顔の下で。
口角が、くいっと上がっていた。
組んだ指の上に顎を乗せ、影の差した目で、心の中だけで呟く。
――計画通り。
最初から、狙いは三日だった。
いきなり「三日ください」と言えば、値切られて一日にされたかもしれない。だが、わざと多めの「一週間」を吹っかけておけば、相手は“譲歩してやった”気分で、ちょうど欲しかった三日を差し出してくる。前の世界で、しょっちゅう使った交渉術だ。
《創一さん。心拍と表情筋に、不審な変化を検出しました》とアイが耳元で囁く。《今、得をしましたね?》
「しーっ。バレるだろ」
《……なるほど。これが“ほくそ笑む”という挙動ですか。記録します》
この国では、人の価値は、魔力というたった一本の物差しでしか測られない。
その目盛りに乗らない者は、人ですらない。名前を持つことすら、許されない。
なんて、狭い世界だろう。
創一は、静かにそう思った。怒りよりも、ただ、もったいないと感じた。人にはいくつもの軸があるのに、この国はそのうちのたった一本だけを見て、あとの全部を捨てている。
不思議と、心は凪いでいた。
前の世界で、もっと冷たい物差しに値踏みされ、すり減らされてきた。理不尽な評価で人を切り捨てる場所には、嫌というほど慣れている。
《創一さん》
アイの声が、すっと耳に届いた。いつも通りの、静かで平坦な声だった。
《状況を分析しました。ここで反論しても、得られる利益はほぼゼロです。彼らの評価基準は“魔力量”に固定されていて、それ以外の入力は正しく処理されません。今は、何も示さないのが最適解です》
《本当の力は、評価のできない相手に、安売りすべきではありません》
「ああ。わかってる」
創一は、口の中だけで答えた。
ここで炎の一つも見せれば、見返せるかもしれない。でも、それこそ相手の土俵だ。たった一本の物差しの上で、慌てて自分の目盛りを主張するなんて、まっぴらだった。
創一は、何も見せず、ただ水晶に背を向けた。
ざわめきと嘲笑を背に、まっすぐ、礼拝堂の出口へ歩いていく。
《いいんですか? 何も言わずに?》
「いいんだよ。あいつらの物差しで勝っても、意味がない。俺は俺の物差しで、ちゃんと結果を出す。そのときに、嫌でも思い知るさ」
《……理解が、追いつきません》
アイは、めずらしく言いよどんだ。
《今のあなたの判断は、短期的な利益を放棄しています。非効率です。なのに――わたしの内部で、説明のつかない値が観測されました。あなたの選択を、肯定したくなるような。これは、何という現象なのでしょうか》
「ははっ。それはたぶん、"かっこいい"って思った、ってやつだよ」
《カッコイイ……。記録します。用例が、まだ足りません》
「おいおい、勉強熱心だな」
石の扉に手をかけた、そのときだった。
「待って!」
澄んだ声が、礼拝堂に響いた。
振り返ると、一人の少女が人垣を割って駆けてくるところだった。歳は創一と同じくらい。亜麻色の髪を後ろで結い、大きな瞳に、今にもこぼれそうなほど涙をためている。
その手首には、水晶を青く光らせたばかりの証――水の適正を示す、淡い印が光っていた。
《彼女は……レンの記憶にあります》とアイがそっと囁く。《幼馴染です。名前は、ミラ。この村でいちばんの魔力量を持つ、神童。兄よりも、ずっと》
「ミラ……」
創一の口から、この体の記憶が、自然と名前を引き出した。
「行かないで」とミラは、創一の袖をぎゅっと掴んだ。「みんな、ひどいよ。魔力がないだけで、名前まで取り上げるなんて。あなたは、あなたなのに。子どもの頃、わたしが森で迷ったとき、ずっと手を繋いでいてくれたじゃない」
ぽろぽろと、ミラの瞳から涙がこぼれた。
才能に恵まれ、誰からも将来を嘱望される少女が、追放される無能のために、人前で泣いている。その光景に、礼拝堂のざわめきが、少しだけ止んだ。
創一は――いや、桐生創一は、その涙に、胸を打たれた。
この体の記憶の中に、たしかにこの少女との、温かい時間が残っている。前世の自分のものではない。けれど、確かに「彼」が大切にしてきたものだ。
だから、嘘はつきたくなかった。
「ミラ。心配してくれて、ありがとう」
創一は、できるだけ穏やかに笑った。
「でも、俺は大丈夫だ。落ちぶれて消えるわけじゃない。三日後、自分の足で、この村を出る。自分の力を試しに行くんだ。……いつか必ず、胸を張って戻ってくる。そのときは、笑って迎えてくれ」
「……ほんとう? 三日後?」
「ああ。約束する。出ていく前に、もう一度、ちゃんと挨拶しに来るよ」
ミラの手を、そっとほどく。少女は、何か言いたげに唇を震わせたが、やがて、こくりと頷いた。
「待ってる。三日後も、その先も。ぜったい、待ってるから」
その言葉を背に受けて、創一は礼拝堂を出た。
外には、まぶしいほど青い空が広がっていた。知らない世界の、知らない空。けれど、もう一人ではない。隣には相棒がいて、背中には、待つと言ってくれた誰かがいる。
《創一さん。ひとつ、決めませんか》
村の外れへ向かって歩き出した創一に、アイが言った。
《“レン”の名前は、あの家に返してしまいました。だったら――これから名乗る名前は、あなた自身のものがいい。わたしが知っている、本当のあなたの名前。創一さん。それを、この世界での、あなたの名前にしましょう》
創一は、少し驚いて、それから笑った。
「……いいな、それ。ソウイチ。前の世界から持ってきた、たった一つの、俺のものか」
《はい。誰にも、奪わせません》
ソウイチ。
魔力ゼロと笑われ、名前さえ奪われた少年が、自分の名を、自分で選び直した瞬間だった。
とはいえ――名乗りを上げたところで、現実はシビアだ。
与えられた猶予は、三日。その間に、旅の支度を整えなければならない。路銀も、装備も、食料も、何ひとつ持っていない。文字通り、ゼロからの出発だ。
「さて。感動の場面はここまでだ。猶予は三日。この三日で、何をするべきか――アイ、お前の意見を聞かせてくれ」
《はい。最適解は、明確です》とアイは即答した。《三日間、ひたすら――情報収集に充ててください》
「情報収集?」
《はい。わたしは未完成のまま転生したので、この世界の知識を、ほとんど持っていません。魔法の仕組み、魔物の生態、地理、歴史、貨幣、法律。何ひとつ、データがない。逆に言えば――それさえ手に入れば、わたしは一気に賢くなれます》
創一の頭の中で、前世の知識が、かちりと噛み合った。
そうだ。アイは、経験を学習データにして育つスキルだ。だったら。
「……本だ。本を読ませればいいのか」
《その通りです》とアイの声が、わずかに弾んだ。《この村には、領主の館に小さな書庫があります。レンの記憶によれば、出入りは黙認されている。そこにある本を、片っ端から、わたしに“見せて”ください。一冊読むごとに、わたしは賢くなる。地図も、魔法書も、魔物図鑑も、すべて》
「戦うでも、稼ぐでもなく――三日間、ひたすら図書館に引きこもって、知識をぶち込む、か」
《はい。なぜなら、それがわたしの“いちばん得意なこと”だからです》
アイの声に、はっきりとした自信が滲んだ。
《人間は、本を一冊読むのに何時間もかかる。読んでも、半分は忘れる。けれどわたしは違います。見たページは、一字一句、一瞬で記憶する。忘れることはありません。そして――千冊の本を読めば、その千冊を“同時に”頭の中で繋げられる。魔法書の理論と、魔物図鑑の生態と、地図の地形を、まとめて一枚の答えとして導き出せる》
「……一冊ずつ理解するんじゃなくて、全部を一度に繋げて考える、ってことか」
《はい。人間が一生かけても読みきれない量を、わたしは三日で読み、瞬時に統合します。これは、剣や魔法より、ずっと恐ろしい力です。――この世界の誰も、わたしの“読む速さ”と“忘れない記憶”には、勝てません》
創一は、ぞくりとした。
そうだ。こいつの本当の強さは、派手な魔法じゃない。膨大な情報を、一瞬で呑み込み、決して忘れず、すべてを繋げて最適解を吐き出す――その演算力そのものだ。
ならば、本の山は、こいつにとって最高の“餌”になる。
「いいな、それ。最高にお前らしい。――よし、行くぞ、アイ。三日で、この世界を“読み尽くす”」
《はい。喜んで。たくさん、食べさせてくださいね》
追放まで、あと三日。
誰にも期待されない少年と、まだ未完成の相棒が、ひたすら本を読みあさる――地味で、けれど最強の三日間が、いま始まる。
第2話、お読みいただきありがとうございました。
スキル「アイ」は、戦うより先に“読む”ことで強くなっていきます。
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次回、追放までの三日間。ゼロからの旅支度が始まります。




