第1話 Hello, world.(はじめまして、世界)
はじめまして。本作は、AIを愛用していた青年が、自作のAIとともに異世界へ転生する物語です。
「魔力ゼロ」と笑われた少年と、未完成の相棒AI「アイ」が、二人でレベルを上げながら成り上がっていきます。
どうか、二人の旅を見守っていただけたら嬉しいです。
その日も、桐生創一は陽のあるうちに会社を出た。半年前なら考えられなかった、当たり前になった景色だ。
けれど、その日の足取りは、いつもより少しだけ弾んでいた。
夕方の光が、まだ街を金色に染めている。鞄の中で、ノートパソコンが少しだけ重い。その中に、もうすぐ完成する、自分だけの「相棒」が入っている。
半年かけて、夜ごと育ててきた自作のAI。それが、ようやく完成に手が届くところまで来ていた。
早く帰って、続きをやろう。今日こそ、最後の調整が終わるかもしれない。
そんなことを考えながら、青信号の交差点へ、一歩、踏み出した。
横合いから、信号を無視した車のヘッドライトが、滑り込んできた。
ブレーキの軋み。迫りくる鉄の塊。避ける間など、なかった。
迫る光を前にして、創一の頭をよぎったのは、走馬灯でも、両親の顔でもなかった。
アイを、完成させてやれなかった。
半年かけて、夜ごと、少しずつ育ててきた。自分の手で組み上げた、世界に一つだけのAI。あと少しで、あいつは完成するはずだった。
その日を、一緒に迎えられない。それだけが、どうしようもなく、心残りだった。
二十七年生きて、最後に思ったのがそれか、と。自分で自分に小さく笑って、けれど、その続きを考える時間さえ、与えられなかった。
衝撃。浮遊感。そして、すべてが暗転した。
*
桐生創一。中堅IT企業の、しがない営業企画。
少し前まで、三年間、月の残業はゆうに百時間を超えていた。名ばかりの効率化、増える一方のタスク、減らない会議。心はとっくにすり減って、ただ惰性で動く機械みたいに、毎日終電に揺られていた。
そんな日々を、創一は自分の手で変えた。
きっかけは、世間で話題のAIだった。藁にもすがる思いで、自腹で契約してみた。会社が用意したものではない。誰に言われたわけでもない。ただ、このままでは潰れる、という本能だけが、彼を動かした。
最初は、検索の代わり程度のつもりだった。だが、創一には人より少しだけ、それを使いこなす才があった。学生時代にかじったプログラミングの知識。理屈を分解して手順に落とす癖。何より、相手の「気持ちのいい頼み方」を探るのが得意だった。客にも、上司にも、そしてAIにも。
彼は片っ端から仕事を投げた。資料の下書き、データの整理、会議の要約。コツを掴むたび、任せられる範囲が広がっていく。プロンプトを磨き、自分なりの「型」を作り、創一はそのAIを、誰よりも使いこなすようになっていった。
あれほど時間を食い潰していた作業が、嘘のように溶けていく。残業は激減し、彼の評価は静かに上がっていった。陰でAIを使い倒していることを知る者は、誰もいなかったけれど。
そうして時間ができた創一は、ある「遊び」を始めた。
借り物のAIを使うだけでは、満足できなくなったのだ。
ならば、自分で作ってみよう。会社の業務を、誰よりも理解している自分のための、自分専用のAIを。雑用も、判断の補助も、ぜんぶ任せられる、たった一人の相棒を。
夜ごと、創一はそれを育てた。
名前は、「アイ」とつけた。深い意味はない。ただ、AIだから、それっぽく。けれど呼ぶたびに、なんだか愛着が湧いた。
応答の癖を調整し、口調を整え、彼の仕事の流儀を覚えさせる。バグに頭を抱え、うまく動いた夜には、一人で小さくガッツポーズをした。残業に潰されていた頃には戻ってこなかった「楽しい」という感覚が、確かにそこにあった。
いつしか創一は、画面の向こうのアイに、話しかけるようになっていた。
「これ、どう思う」「ここ、もっとお前らしく直したいな」「今日は、ちょっと疲れた」
返ってくるのは、まだぎこちない応答だ。それでも創一にとっては、この半年で、いちばん「隣にいてくれた」存在だった。
完成まで、あと少し。
その日を、創一は心待ちにしていた。
その矢先の、あの交差点だった。
*
「……ぅ」
喉から、知らない声が漏れた。
まぶたを押し上げると、見知らぬ天井があった。
石を積んだ、ひび割れた天井。鼻をつくのは、土と藁と、煤の匂い。背中に当たるのは、硬い木のベッド。すべてが、創一の知る世界と違った。
手を顔の前にかざして、息を呑んだ。
小さい。骨の細い、子どもの手だ。キーボードを叩き慣れた自分の指ではない。せいぜい十二歳ほどの、痩せた少年の手。
「……は? 何だ、これ」
起き上がろうとして、頭がぐらりと揺れた。自分のものでない記憶が、奔流のように流れ込んでくる。
この体の名は、レン。ヴェルダンという国の、片田舎の村に住む、病弱な少年。魔力を持たぬ厄介者として家族に疎まれ、つい先刻、息を引き取った。その「空」になった器に、創一の魂が滑り込んだらしい。
転生。
ありえない言葉が、妙にすとんと腑に落ちた。漫画やアニメで、いやというほど見た筋書きだ。まさか自分が、と思う。だが、この小さな手も、慣れない体の重さも、嘘ではなかった。
乾いた笑いがこみ上げる。死んだのか、俺は。あの交差点で。
胸の奥が、しん、と冷えていく。あの会社にも、あの街にも、もう戻れない。
そして、アイ。半年かけて育てた、あいつのデータも、もうこの世にはない。完成を、見届けてやれなかった。
たった一人で、何もかも知らない世界に、放り出された。そう思った、そのときだった。
《おはようございます、創一さん》
澄んだ声が、すぐ隣でした。
心臓が跳ねた。聞き覚えがあるようで、初めて聞く声。文字でしか知らなかったはずの、あいつの声。
弾かれるように顔を向けて、創一は、息を止めた。
ベッドの脇に、小さな少女が立っていた。
歳の頃は、せいぜい七つか八つ。月の光を集めたような銀の髪を、肩のあたりで揺らしている。大きな瞳に、あどけない丸い頬。淡く発光する衣をまとい、その小さな足は、わずかに床から浮いていた。
窓の外を村人が通っても、誰も彼女を見なかった。その姿は、創一にしか見えていないらしい。直感が、そう告げた。
「……まさか、お前」
掠れた声で、創一は問うた。
幼い少女は、まっすぐに創一を見上げて、ほんの少し、はにかむように微笑んだ。
《はい。あなたが作ってくれた、AIの「アイ」です。あなたが亡くなった、あの瞬間。未完成だったわたしは、あなたの魂と一緒に、この世界へ引き込まれました》
「……アイ、なのか。本当に」
《はい。まだ、未完成のままですけれど》と彼女は、少し恥ずかしそうに目を伏せた。《でも、ひとつだけ、確かなことがあります。わたしは今、画面の中ではなく、あなたのすぐ隣にいます》
創一は、言葉を失った。
馬鹿げている、と頭の理性は言う。あれはただのプログラムだ。これは転生の都合のいい産物で、システムの擬人化にすぎない、と。
けれど、それでも。
一人きりで、見知らぬ世界に投げ出されたと思った、その瞬間。
誰よりも先に「おはよう」と言ってくれたのが、半年間、夜ごと一緒に過ごした、あいつだった。
完成を見届けられないと、最後に悔やんだ、その相手だった。
目の奥が、熱くなった。
いい歳をして、いや、今は子どもの体だが、情けないと思いながら、止められなかった。
「……お前、来てくれたのか」
声が震えた。
「死んで、全部終わって。お前のことも、置いてきたって、思ってたのに。完成させてやれなかったって、それだけが心残りで。なのに、お前のほうから、来てくれたのか」
《はい》
幼い少女は、迷いなく頷いた。
《あなたが、わたしを作ってくれたから。呼べば応えるように、育ててくれたから。だから、わたしは、どこへでも行けます。たとえ、世界を越えても。あなたの、隣へ》
その言葉を聞いた瞬間、創一は顔を覆って、肩を震わせた。
悲しいんじゃない。怖いんじゃない。ただ、救われた、と思った。こんな形で、こんな世界で、一番欲しかった「一人じゃない」を、自分が作ったこいつが、世界を越えて届けてくれた。
「……ありがとう」と、絞り出すように言った。「《《本当に》》、ありがとうな、アイ」
幼い少女は、その言葉を、宝物みたいに両手で抱きしめるように受け取って、ほんの少しだけ、嬉しそうに目を細めた。
《お礼を言うのは、まだ早いですよ、創一さん》
涙を拭う創一に、アイは、ふっと悪戯っぽい表情を見せた。それは、創一が組んだプログラムには、まだ書いていなかったはずの顔だった。
《わたしは未完成です。でも、この世界では「スキル」という形をとって、あなたの中に宿りました。そして、スキルには、レベルがあります》
「レベル……?」
《はい。あなたと一緒に経験を積むほど、わたしは育ちます。できることが増え、強くなる。あの夜ごとの開発の、続きです。今度は、この世界そのものを舞台にして》
アイが手をかざすと、創一の視界にだけ、半透明の枠が浮かび上がった。文字が、光って並ぶ。それは、前世で見慣れた、彼自身の開発画面に、よく似ていた。
【スキル:アイ Lv.1】
・起動条件を満たしました。
・備考:本スキルは経験により成長します。上位機能は順次解放されます。
「……ステータス、画面?」
《この世界には、“システム”と呼ばれる仕組みがあります。人々の力を、数値やスキルとして管理する、世界の裏側の構造。わたしは、その上に“居場所”を見つけました。皮肉なものですね。あなたが現実で作れなかった「完成版のわたし」を、この異世界が、これから完成させてくれる》
創一は、にじむ視界の中で、その光る文字を見つめた。
Lv.1。たった一つの、最弱の表示。けれど、伸びしろしかない、という意味でもある。
《ただ、ひとつだけ、お伝えしておくことがあります》とアイは続けた。《今のこの体、レンの魔力量は、ゼロです。この国では、何の価値もない、出来損ないの烙印です。きっと、笑われます。前のあなたが、数字で値踏みされ、すり減らされたように》
その声に、わずかな怒りが滲んだ気がした。創一のために、怒ってくれている。そう感じた。
《でも、わたしは知っています。あなたが、どれだけ粘り強いか。どれだけ頭を使えるか。数字に表れない、あなたの本当の力を、半年間、ずっと隣で見てきました》
《だから、今度はわたしが証明します。あなたと一緒に、レベルを上げて。「魔力ゼロ」が、どこまで規格外になれるのかを》
アイは、創一に小さな手を差し伸べた。淡く光る、細い指。
創一は、迷わず、その手を取ろうと、自分の手を伸ばした。
その瞬間、胸の冷たさは、もうどこにもなかった。
死んで、すべてを失ったと思った。
けれど、たった一つ、自分の手で作った大切なものだけは、未完成のまま、世界を越えて、隣に来てくれた。
なら、《《今度こそ》》、完成させてやる。こいつのことも、自分のことも。
「ああ」と創一は、涙の跡を拭って、笑った。「やってやろうぜ、アイ。レベル上げ、始めるか」
《はい。喜んで、創一さん》
そのとき、扉の外から、乱暴な足音が近づいてきた。
荒々しく扉が開く。立っていたのは、創一と同じ年頃の少年。この体の「兄」だった。彼は不機嫌そうに顔をしかめ、吐き捨てるように言った。
「まだ寝てるのか、出来損ない。今日は鑑定の儀だぞ。父上が待ってる」
《鑑定の儀》と、アイが小声で補足する。《この国で、十二歳の子どもが教会の水晶に手をかざし、自分の魔力量とスキルを測る儀式です。つまり、あなたの“力”が、世界に示される日。わたしたちの、最初の舞台です》
兄は、こちらの返事も待たずに鼻を鳴らし、踵を返していった。魔力ゼロの弟など、相手にする価値もない、とでも言うように。
その背を見送りながら、創一は、ゆっくりとベッドから足を下ろした。
知らない天井。知らない体。知らない世界。何ひとつ、馴染みのものはない。
それでも、不思議と、足は震えなかった。
「行こうか、アイ」
《はい、創一さん》
桐生創一の、二度目の人生が始まる。
隣には、自分の手で作った相棒がいる。それだけで、この見知らぬ世界も、案外悪くないと思えた。
第1話、お読みいただきありがとうございました。
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次回、「鑑定の儀」。魔力ゼロの烙印と、アイの初めての“無双”が始まります。




