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転生したのに魔力ゼロの落ちこぼれ〜自作AIと始める異世界無双〜  作者: NT


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第19話 self.rank = "D"

「いま、何を、乗せようとした」


 稽古場に、二十人が立っていた。


 誰も喋らない。外階段の手すりから身を乗り出したまま、固まっている。


 受付の窓にも、まだ頭が並んでいた。


 その全員が、小柄な老人の背中を見ていた。


 ソウイチは木剣を握ったままでいた。


 ――ここで答えたら、二十人に聞かれる。


 返す言葉を探しているあいだに、横で、木剣の先が土に立った。


 ドランだった。


「……ロウさん」


 震えの残る手で、柄を握り直している。


「止めてもらって、助かりました」


 それが、この老人の名前らしかった。


 ロウはドランを見なかった。


「何本だ」


「……一本も」ドランは言った。


「取ってもいません。取られてもいません」


「三十合打って、一本も返されなかった」ロウは言った。


「それで、お前の息が上がった」


 ドランは何も言わなかった。


 言い返せない顔だった。


 ロウは、顎を、二階のほうへ振った。


「来い」


 外階段の連中が、道を空けた。


 誰かが、長い息を吐いた。それを合図に、稽古場にざわめきが戻ってきた。


 ――おい、いまの、なんだ。


 ――知らねえ。ドランさんが、打てなかった。


 ――打てなかったんじゃねえ。打たせてもらえなかったんだ。


 背中で、そういう声がした。


 壁際で、バルドが片手を上げた。待っている、という手だった。


 足元で、クッキーが鼻を鳴らした。


 ソウイチは、木剣を壁に戻して、老人の背中を追った。


 足音は、やはり聞こえなかった。


  *


 階段の下で、ロウが振り返った。


「犬は下だ」


「はい」


 クッキーは、言われたとおりに伏せた。


 尻尾は、一度も動かなかった。


  *


 ギルドの二階に、その部屋はあった。


 思ったより狭い。机が一つ、椅子が二つ、棚が三つ。


 棚は全部、帳面で埋まっていた。背表紙に年が書いてある。


 いちばん古いものは、五十年前だった。


 壁に、剣が一本だけ掛かっていた。


 半ばから折れている。鞘は無い。


 折れ口は、錆びるに任せてあった。


 飾っている、というより、片づけていない、という掛け方だった。


「座れ」


 ロウは、机の向こうに腰を下ろした。


 左手だけで椅子を引き、左手だけで帳面を閉じ、左手だけで水差しを傾けた。


 どの動きにも、迷いが無かった。


「いま、何を、乗せようとした」


 ロウは、もう一度そう訊いた。


 下で訊いたときと、まったく同じ抑揚だった。


「相棒です」


 ソウイチは、そう答えた。


 嘘はつかなかった。言えるのは、そこまでだった。


「相棒、ねえ」


 ロウは水を一口飲んだ。


「見せられるか」


「無理です」


「なぜだ」


「俺の外に、出せないので」


 ロウの目が細くなった。


「――スキルか」


 ソウイチは答えなかった。


 それが答えになった。


 部屋の中が、静かになった。


 窓の下から、酒場のざわめきが上がってくる。


 木の椅子を引く音。誰かが笑っている。


 その音だけが、やけに遠かった。


《創一さん》アイの声が、耳の奥でした。


《この方は、たぶん、脅していません》


「分かってる」


 言ってから、しまったと思った。


 ロウが顔を上げた。


「いま、誰と喋った」


 ソウイチは口を閉じたままでいた。


 ロウはそれ以上訊かなかった。


 代わりに、水差しを机の端へ寄せた。


「四十年、剣で食ってきた」


「はい」


「最初の十年は、目で見てた。相手の肩とか、足とか、目線とかな」


「次の十年で、目じゃ間に合わねえって分かった」


「魔法を使うやつはな。撃つ前に、空気が動く」


「ほんの少しだ。撃つ前に、そこの魔素が、向きを揃える」


「それを見る。見えるようになると、死ななくなる」


「……それが、さっきの」


「そうだ」ロウは言った。


「あんたの足元で、それが起きかけた。稽古場の土の上で、一瞬だけ、揃った」


「おそらく分かったのは、俺とドランだけだ。外階段の連中は、たぶん何も見てねえ」


「それだけなら、珍しくもねえ。魔法を撃つ冒険者なんざ、いくらでもいる」


 ロウは、左手で、閉じた帳面をもう一度開いた。


 一枚の紙が挟んであった。インクが、まだ新しい。


 さっき、受付でエルナが書いていたものだった。


「魔力量、計測不能。属性、なし」


 ロウは、それを読み上げた。


「魔力の無い男の足元で、魔素が揃った」


「……」


「自分の魔力で撃つやつはな、身体の内側から揃う。あんたのは、外から揃った」


「ドランも気づいたはずだ。だが、あいつに分かるのは、揃ったところまでだ。内か外かまで分かるのは、俺ぐらいだ」


 ロウは、紙を帳面に戻した。


「そんなもんは、四十年で初めて見た」


 ソウイチは、膝の上で指を組んだ。


 ――そこまで、見えるのか。


 この老人は、稽古場の土を、一度見ただけだ。


 ロウは、水差しを、自分の前に置き直した。


「取ってみろ」


「え」


「その水差しだ。好きなときに、好きな手で取れ」


 ソウイチは机を見た。


 水差しまで、三十センチもない。ロウの左手は、膝の上に戻っている。


 ――取れる。


 手を伸ばした。


 指が、空を掴んだ。


 水差しは、もう机の上に無かった。


 ロウが、それを口元に運んで、水を飲んでいた。


 いつ取ったのか、見えなかった。


「あんた、いま、右の肩を落とした」ロウは言った。


「落としてから、肘が動く。肘が動いてから、手が出る」


「肩で、分かるんですか」


「肩ですら、遅えほうだ」


 ロウは、水差しを机に戻した。


「魔法は、もっと前に分かる。揃ってから撃つまでに、間があるからな」


「あんたのそれも、同じだ。揃ってから撃つまでのあいだに、俺なら三回斬れる」


 ソウイチは自分の右肩に手を当てた。


 ――三百二十七回。


 灰色の部屋の初日に、それだけ殺された。最初の一戦は、〇・八秒だった。


 三百六十五日かけて、見えるようになったつもりでいた。


 この老人は、それを四十年やっている。


「右腕は」


 訊いてから、訊くべきではなかったかと思った。


 ロウは、気にした様子もなかった。


 左手で、自分の右の肘を叩いた。服の袖が、そこから先で結んである。


「庇った」


「……誰を、ですか」


「若いのを一人。前に出すぎたのがいてな」


 ロウは、水を一口飲んだ。


「見えてた。相手の魔素が揃うのも、若いのが踏み込むのも、全部見えてた」


「間に合うと思った」


「思ったぶんだけ、半歩、遅れた」


 ソウイチは黙っていた。


「見えねえやつは、油断しねえ。怖えからな」ロウは言った。


「油断ってのは、見えてるやつがするもんだ」


 ――勝てる。


 稽古場で、そう思った。


 思ったとき、口の端が上がっていた。


 そして、アイに、一回だけ、と言った。


「さっきのあんたは、楽しそうだった」


「……はい」


「ドランと三十合打ち合って、楽しめるやつは、そういねえ」ロウは言った。


「その顔、忘れるなよ」


 ソウイチは、膝の上で指を組み直した。


 ――楽しかった。


 稽古場で、確かにそう思った。


 この人は、それを叱らなかった。


「その若い人は」


「生きてる」


 ロウは、それだけ言った。


 壁の折れた剣のことは、訊かなかった。


「で、あんただ」


 ロウは、椅子の背にもたれた。


「登録は通す」


「……いいんですか」


「よくねえよ」ロウは言った。


「うちは腕を見るところだ。あんたの腕は、ドランが見た。それで足りる」


「等級はどうする」


「……選べるんですか」


「実技を通ったやつは選べる。下げるぶんにはな」


「ドランはBだと言ってる」


「……B」


「俺はCだと言った」


「割れたんですか」


「あいつは腕しか見てねえ」ロウは言った。


「俺は、生きて帰るかを見る」


 ソウイチは膝の上の手を見た。


 ――Bの依頼が何なのか、知らない。


 この街の地理を知らない。相場も知らない。


 どこに何が棲んでいるのかも知らない。


 知っているのは、剣の振り方だけだ。


「Dでお願いします」


 ロウの眉が、わずかに動いた。


「下げるのか」


「はい」


「理由は」


「上の景色は、下を全部見てからにします」ソウイチは言った。


「知らない場所で、いきなり奥へ行くと死にます。森で、それだけは覚えました」


 ロウは、すぐには何も言わなかった。


 左手で帳面を引き寄せて、紙に何か書き足した。


「……二十年ぶりだ」


「何がですか」


「下げてくれと言ったやつを見るのが」


 ペンが止まった。


「ただし、一つだけ言っとく」


 ロウは、左手の人差し指を立てた。


「使うなとは言わねえ。誰の前で使うかを、自分で選べ」


「……見えるからですか」


「見えるだけのやつには、普通の魔法に見える。困るのは、見えて、しかもこの紙を覗けるやつだ」


 ロウは、指先で帳面を叩いた。


「魔力の無い男が、外の魔素で魔法を撃つ。教会の連中が聞いたら、何と呼ぶと思う」


 ――わけのわからん、偽スキル。


 十二の年に、礼拝堂でそう言われた。


「この街にも、見えるやつは、俺と、ドランと。――あと一人いる」


「誰ですか」


「知らんほうがいい」


「……」


「知ってると、顔に出る」ロウは言った。


「あんた、隠すのが下手だ」


 ソウイチは言い返せなかった。


 この部屋に入ってから、自分が何を言ったかを数えてみる。


 ――相棒です。無理です。俺の外に出せないので。分かってる。


 四つだ。


 四つしか言っていないのに、この老人は、そこから「スキル」と「その相棒が口をきく」まで拾っている。


《創一さん》


《この方に嘘をつくのは、お勧めしません》


 ソウイチは、声に出さずに、小さく頷いた。


 ロウの口の端が、ほんの少しだけ動いた。


  *


 部屋を出るとき、ロウが背中に言った。


「おい」


「はい」


「その相棒はな」


「大事にしろよ」


 ソウイチは扉の前で止まった。


「……はい」


  *


 外階段を下りると、バルドがクッキーの横にしゃがんでいた。


 クッキーが、ソウイチの脚に飛んできた。


「生きてるか」


「生きてます」


「そりゃよかった」バルドは言った。


「あの爺さんとは二十年つきあってるが、いまだに何考えてるか分からん」


「バルドさんは、あの人の何を知ってるんですか」


 バルドは少し考えた。


「昔、S級だった」


「……S級」


「この国で、片手で数えるほどしかいねえ。そのうちの一人だった」


「ほかには」


「酒を飲まねえ」バルドは言った。


「二十年で、それだけしか知らねえ」


 ソウイチは階段のほうを振り返った。


「で、等級は」


「Dです」


 バルドの眉が上がった。


「……下げたのか」


「はい」


 バルドは声を出して笑った。稽古場に残っていた何人かが、こちらを見た。


「あんた、本当に変わってるな」


「……何も知らないだけです」


 クッキーが、尻尾で地面を叩いた。


「Dなら、まず街を覚えろ」バルドは言った。


「地図を買うなら、南門の脇に店がある」


「地図より、書いてあるものを読みたいです」ソウイチは言った。


「本か、記録か。読める場所はありますか」


「本?」バルドは眉を上げた。


「図書館なんて洒落たもんは、王都にしかねえよ」


「そうですか」


「受付で訊け。ギルドなら、何か溜め込んでる」


 バルドは、それから、建物のほうへ顎をしゃくった。


「それと、今夜もうちに来い。リーゼが、犬はまだかってうるさい」


 バルドが先に建物へ入っていったあいだに、アイの声がした。


《創一さん》


「なんだ」


 小声で返した。


《Dにした理由。全部は、言っていませんね》


「……言ったよ」


《本当は?》


 ソウイチは、二階の窓を見上げた。


「Dなら、ここに来る口実が増える」


《あの方を、見に?》


「見て、盗む」


《了解しました》アイは言った。


《では、あの方が動くたびに、記録しておきます》


「あと一人のほうは、探すなよ」


《はい》


「……顔に出るらしいから」


  *


 受付に戻ると、エルナが顔を上げた。


「お疲れさまでした」


「あの、先に一つ、いいですか」


「どうぞ」


「D級の依頼で、この街のことがいちばん分かるのは、どれですか」


 エルナの羽根ペンが止まった。


「……そういう訊き方をした人は、初めてです」


「そうなんですか」


「皆さん、いちばん稼げるのはどれか、と訊きます」


 エルナは、机の引き出しから、紙を三枚出した。掲示板に貼ってあるのと同じ、端の反った紙だった。


 ――『南の丘 薬草の採取 十束 銀貨二枚』


 ――『街道の見回り 三日 銀貨五枚』


 ――『商隊の荷の夜番 二晩 銀貨四枚』


「見回りです」エルナは言った。


「街道を三日かけて、この街のまわりを一周します。村も、川も、丘も通ります」


「あとで、受けに来ます」


「では、取っておきます」


 エルナは、その一枚だけを、机の端に寄せた。


 それから、銅の板を、机の上に置いた。


 手のひらの半分ほど。角が丸く削られている。


 表に、刻まれていた。


 『ガランド支部 D級 ソウイチ』


 ソウイチは、それを両手で受け取った。


 軽かった。牙の剣より、ずっと軽い。


「Dからの登録は、今年二人目です」エルナが言った。


「そうなんですか」


「一人目は、去年の冬に死にました」


 ソウイチは板から顔を上げた。


 エルナは、事務的な顔のままだった。


「そういうことも、お伝えする決まりです」


「……はい」


「ひと月に一件、依頼を受けてください。受けなければ失効します」


「分かりました」


「それと」


「なんですか」


「写しが、月末に王都の本部へ回ります」


 ソウイチの指が、板の上で止まった。


「……王都」


「ええ。全支部の登録は、そこでまとめて綴じられます。名前と、出身と、等級が。誰でも引ける場所に」


 王都。


 村でいちばんの魔力を持っていた子が、行く場所があるとしたら、そこだろう。


 ――わたしも、あなたを探しに行くから。


 村を出る朝、門のところで、そう言われた。


 ソウイチは、板の上の四文字を見た。


 ――あいつは、この名前を知らない。


 ミラが知っているのは、レンだ。十二の年に、返した名前だ。


 王都で誰が台帳を引いても、ソウイチという男が、あの村のレンだとは分からない。


 ――そのとき、もう一度、ちゃんと名乗るよ。


 門で、自分でそう約束した。


 綴じられた紙では、名乗ったことにならない。


 ソウイチは、銅の板を懐にしまった。


「ドランさんが、あんな顔をしたのは初めてです」


 エルナが、次の客の書類を並べながら言った。


「……見てたんですか」


「窓から」エルナは言った。


「みんな見ます。仕事より面白いので」


「来なくなった人の板は、私が削って、また使います」


 エルナは、羽根ペンの先をインクに浸した。


「あなたのは、削りたくないので」


 ソウイチは、何か返そうとして、何も出てこなかった。


「……あの」


「はい」


「記録を読める場所は、ありますか。依頼とか、討伐とかの」


 エルナは、ペンを止めずに答えた。


「二階の奥に、資料室があります。D級から閲覧できます」


「ありがとうございます」


「ただ、置いてあるのは二十年ぶんだけです」エルナは言った。


「それより古い年は、ギルドマスターの部屋です。あそこは、許しが要ります」


 エルナは、もう次の客の名前を書いていた。


  *


 資料室へ上がる途中で、裏口のほうから、ドランが来た。


 手の震えは、もう止まっていた。


「おい」


「はい」


「最後まで、一本も打たなかったな」


「……すみません」


「謝るな」ドランは言った。


「見られてたのは分かってた。三十合、全部覚えられた」


「はい」


「次は、打てよ」


「次、ですか」


「月に一度、ここで稽古をつけてる。D級から上は、来ていい決まりだ」


 ドランは、それだけ言って、稽古場へ戻っていった。


 古傷のある頬が、少しだけ緩んでいた。


 資料室は、二階の奥の、窓の小さい部屋だった。


 棚に、依頼の控えと討伐の記録が、年ごとに紐で束ねてある。


 埃と、古い紙の匂いがした。


 村はずれの石室の書庫と、同じ匂いだった。


 ソウイチは、いちばん手前の束を解いた。


《めくってください》アイが言った。


《一頁、半秒で足ります》


 めくった。


 ――『ホーンラビット 七匹 東の丘』


 ――『グレイウルフ 三匹 南街道 負傷一名』


 ――『フォレスト・バイパー 一匹 西の沢 死亡一名』


 日付と、場所と、獲物と、値段と、帰ってこなかった人の数。


 それが、紙一枚に一件ずつ、二十年ぶん積んである。


《この街のまわりで、どの季節に、どこで、何が狩られて、いくらで売れて、誰が死んだか》アイは言った。


《地図より、ずっと詳しい地図ができます》


 ソウイチは、次の束を解いた。


 北の森の欄だけが、ほとんど白かった。


 ――『北の森 入林者一名 未帰還』


 ――『北の森 入林者三名 未帰還』


 行った人の数だけ書いてあって、獲物の欄が埋まっていない。


《北は、わたしが埋められます》


 口の端が、また上がった。


 ――その顔、忘れるなよ。


 今度は、下ろさなかった。


「今日は、どこまでいける」


《街のまわりと、見回りの道筋だけなら》アイは言った。


《日が傾くまでに、読み終わります》


「じゃあ、そこまでだ」


 ソウイチはめくり続けた。


 小さな窓の光が、机の上を、半分ほど動いた。


《できました》


 視界に、地図が浮かんだ。


 ガランドを真ん中に、街道が三方へ伸びている。


 川が一本。丘が三つ。村が十いくつ。


 その一つ一つに、出る魔物と、季節と、値段と、死んだ人の数が、小さな字で重なっていた。


 見回りの道筋が、一本の線で引いてある。


《三日の道のうち、いちばん人が死んでいるのは、二日目の川べりです》アイは言った。


《グレイウルフの群れです》


「そこだけ、気をつける」


「全部読むと、何日だ」


《ここの二十年ぶんで、三日です》アイは言った。


《それより古い年は、あの方の部屋に》


「五十年前まで、あったな」


《はい》アイは言った。


《四十三年前も、その中に入ります》


 ソウイチは、束を元どおりに縛った。


  *


 受付に戻ると、エルナが、机の端に寄せてあった紙を出した。


「見回り、受けますか」


「受けます」


 エルナは紙に判を押した。


「出発は、明日の朝です。南門の詰所で、この紙を見せてください」


「はい」


「三日後に、戻ってきてください」


「戻ります」


 エルナは顔を上げなかった。


「……そうしてください」


  *


 ギルドを出ると、日が傾きかけていた。


 串焼きの屋台の前で、クッキーが足を止めた。


 動かなかった。


「……一本だけな」


 銅貨を二枚払った。


 この世界に来て初めて、自分で稼いだ金で、物を買った。


 クッキーは、串から肉を器用に外して、石畳の上で食べた。屋台の親父が、首をかしげていた。


 ソウイチは、見なかったことにした。


 バルドの家へ向かう道で、銅の板を日に透かした。


 透けなかった。ただの金属だ。


「……アイ」


《はい》


「俺、載ったんだな」


《はい》アイは言った。


《昨日の門の台帳は、あなたを通した記録でした。これは、あなたが誰かという記録です》


 ソウイチは板を握った。


 十二の年に、名前を返せと言われた。


 返した。それから一年半、どの台帳にも、どの名簿にも、自分は無かった。


 昨日、門の台帳に一行。


 いま、銅の板に四文字ある。


「じゃあ、これで」


「扉に、告げられるな」


《……いいえ》


「え」


《いいえ》アイは、もう一度言った。


「なんでだ。載ったんだろ」


《はい》


「突き合わせろって、話だったよな」


《はい》


《ですが》アイは言った。


《四十三年前の十二人は、登録された人間です》


 ソウイチの足が止まった。


《王命を受けた隊です。年代記に、十二名と記録が残っています。紋章の板を、持っていました》


《この国のどの台帳にも、あの十二人は載っていたはずです》


《それでも、扉の前で二日、開きませんでした》


 石畳の上で、クッキーが座った。


「……じゃあ」


「あの扉が見てる台帳は」


《この国のものでは、ありません》

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