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転生したのに魔力ゼロの落ちこぼれ〜自作AIと始める異世界無双〜  作者: NT


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20/20

第20話 new Patrol(街道, 三日).start()

《九匹です》


 アイの声は、低かった。


 川べりの葦(あし)が、風もないのに割れていく。灰色の背中が、一つ、二つ、数えるたびに増えた。


 渡し場から上がったところで、荷車が一台、車輪を泥に取られていた。


 御者台に男が一人。荷台に、子どもが二人。


 男がむちを振り上げたまま、固まっていた。


 ソウイチは荷車と葦のあいだに出た。


 牙の剣を、鞘から抜く。


《創一さん》アイが言った。


《身体強化を、通しますか》


 ソウイチは荷台の子どもを見た。


 姉と弟だろう。二人とも、こちらを見ていた。


 ――誰の前で使うかを、自分で選べ。


「いや」


 ソウイチは言った。


「剣だけでやる」


  *


 ――一昨日の晩。


 バルドの家の食卓で、リーゼが椅子の上に立っていた。


「犬!」


「座りなさい」マルタが言った。


「犬が来た!」


「見れば分かる。座りなさい」


 クッキーは戸口で鼻を一つ鳴らすと、迷わずリーゼの椅子の下にもぐりこんだ。昨日の晩、腸詰をもらった場所だった。


「覚えてる」リーゼが言った。


「ねえ、覚えてるよ、この子」


「そうだな」バルドは言った。


「腸詰の恩は、犬も忘れねえ」


「ねえ、この子の名前、なんていうの」


「クッキーです」


「くっきー?」リーゼは首をかしげた。


「くっきーって、なに?」


 ソウイチは、パンをちぎる手を止めた。


「前にいたところの言葉で」ソウイチは言った。


「一度来た相手のことを、覚えておくための仕組みです。次に来たときに、ああ、あんたか、って分かるように」


「じゃあ」リーゼは椅子の下を覗き込んだ。


「あたしのことも、覚えてる?」


 クッキーが、リーゼの靴の先をぺろりと舐めた。


「覚えてる!」


「座りなさいって」マルタが言った。


 ソウイチは、笑った。


 卓の上には、昨日ほどの皿は無かった。鍋が一つ、パンが一籠、豆と腸詰。それでも湯気が立っていて、四人と一匹ぶんの音がした。


「で、Dか」


 バルドが、匙を置いた。


「はい」


「明日から、見回りだって?」


「三日です。南門から出て、村と川と丘を回ります」


「二日目の川べりは気をつけろ」バルドは言った。


「うちの荷も、あそこで二度やられてる」


「……資料室の記録にも、ありました」


「記録?」


「ギルドの二階に、資料室があって」


 バルドは、少しのあいだソウイチを見た。


「あんた、初日に資料室に入ったのか」


「はい」


「Dに下げて、資料室に入って、見回りを取ってきた」バルドは、マルタのほうを見た。


「なあ、こいつ、たぶん長生きするぞ」


「あなたよりはね」マルタは言った。


 リーゼが笑って、クッキーの耳を引っぱった。


 クッキーは、されるがままになっていた。


 客用の部屋は、昨日と同じだった。


 寝台が一つ。窓が一つ。壁の向こうで、リーゼがまだ何か言っている。


 ソウイチは寝台に腰を下ろした。


「アイ」


《はい》


「収納の、奥のほう」


《……はい》


 アイは、それだけで分かったらしかった。


 手のひらに、小さな重みが落ちてきた。


 水色の石だった。細い紐が通してある。紐は色が抜けて、灰色になっていた。


 村を出る朝、門のところで渡されたものだった。


 焼きたてのパンと、干した果実と、この石。


 ――これ、わたしの魔力を少しだけ込めたお守り。水の加護があるって、おばあちゃんが言ってた。


 ソウイチは石を窓の明かりにかざした。


 小指の先ほどしかない。角は丸い。光にかざすと、奥のほうに、細い筋が一本通っているのが見えた。


「……一年半、出してなかったな」


《はい》アイは言った。


《森の家でも、灰色の部屋でも、ずっと収納の中でした》


「なんでだろうな」


《分かりません》


「俺も分からん」


 ソウイチは、石を握った。


 ひんやりしていた。


 石なのだから、冷たいのは当たり前だった。


《創一さん》


「ん」


《その石の中に、ほんの少しだけ、魔力が残っています》


 ソウイチは手を開いた。


《あなたのものでは、ありません》


 アイはそれ以上言わなかった。


 ソウイチも訊かなかった。


 ――わたしも、あなたを探しに行くから。


 ――そのとき、もう一度、ちゃんと名乗るよ。


 門で、そう言われて、そう言った。


 あれから一年半。あの子は、まだ一度も、ソウイチという名前を聞いていない。


 ソウイチは紐を首にかけた。


 石が、鎖骨の上で一度だけ跳ねた。


 クッキーが戸を鼻で押し開けて入ってきて、寝台の足元に丸くなった。リーゼのところから、ようやく解放されたらしかった。


「アイ。昨日の地図、出せるか」


《はい》


 視界に、資料室で作った地図が浮かんだ。ガランドを真ん中に、街道が三方へ伸びている。


 北だけが、白かった。


 記録の上では、北の森へ入った人の数だけが書いてあって、獲物の欄が空いている。帰ってこなかったからだ。


《埋めます》


 白いところに、線が入りはじめた。


 沢。尾根。獣道。森の家。畑。その奥の、真円。


 アイが一年半かけて歩いて測った森が、ギルドの二十年の記録と、一枚の地図の上でつながった。


《つながりました》アイは言った。


《街道の北の端から、あなたの家まで》


「……近いな」


《はい。歩いて三日です。森を出た日と、同じ道のりです》


 ソウイチは地図の北の端を見た。


 森の主の縄張りだったところが、地図の上で、ぽっかり丸く残っていた。


「……おやすみ」


《おやすみなさい》


  *


 翌朝、戸口でマルタが布の包みを差し出した。


「パンと、塩漬けの肉。三日ぶん」


「そんなに」


「四日ぶん入れたかったのを、三日にしたのよ」マルタは言った。


「あなた、遠慮して食べないでしょう」


 図星だった。


 リーゼは、クッキーの首に抱きついたまま離れなかった。


「三日したら、帰ってくる?」


「帰ってきます」


「クッキーも?」


「クッキーも」


 リーゼは、クッキーの耳元で何か言った。ソウイチには聞こえなかった。クッキーは、尻尾をぱたりと振った。


 バルドは、戸の柱にもたれていた。


「川べりだぞ」


「はい」


「二度やられてる。二度目は、若いのが一人、腕をやった」


「気をつけます」


「気をつけるやつは、死なねえ」バルドは言った。


「行ってこい」


  *


 南門の詰所には、見覚えのある顔がいた。


 一昨日の夕方、門の机の脇に立っていた、若いほうの衛兵だった。牙の剣を持たされて、重さが無いと言った男だ。


「あ」


 衛兵は、ソウイチを見て、それからソウイチの胸元を見た。


 銅の板が、外套の合わせ目から覗いていた。


「……登録、したのか」


「はい。昨日」


「Dか」


「はい」


 衛兵は詰所の奥を振り返った。誰もいなかった。


「台帳の隅に、印がついてるんだよ。あんたの名前の横に」衛兵は声を落とした。


「三月たっても名前があったら、ちゃんと調べるって」


「聞いてました」


「三月どころか、次の日には身元ができちまった」


 衛兵は、木の札を一枚、机に置いた。手のひら大で、三つの枠が焼き付けてある。


「見回りの札だ。東の村の村長、川の渡し守、丘の見張り小屋。三か所で印をもらって、三日後にここへ戻せ」


「分かりました」


「一人で行くのか」


「はい」


「犬と」


「犬と」


 衛兵はクッキーを見た。クッキーは、衛兵を見なかった。


「……まあ、あんたなら、いいか」


 衛兵は、札の端を指で弾いた。


「狼が出たら、渡し場の爺さんの小屋に逃げ込め。あそこは壁が厚い」


「ありがとうございます」


「礼はいい。札、なくすなよ。なくしたら、また俺が書かなきゃならねえ」


 南門を出ると、街道は乾いていた。


 畑が左右に広がって、ところどころに石垣がある。荷車のわだちが二本、ずっと先まで続いていた。


《地図を出します》


 視界の端に、昨日、資料室で作った地図が浮かんだ。


 街道が一本の線で引かれて、その上に小さな印がいくつも打ってある。どこで何が出て、いつ、何人が帰ってこなかったか。


 今日の道には、印が少なかった。


《一日目は、ほとんど何も出ません》アイは言った。


《畑の害獣と、ホーンラビットくらいです》


「歩くだけか」


《歩くだけです》


 ソウイチは歩いた。


 昼前に、ホーンラビットが二匹、畑のあぜから飛び出してきた。一匹目の角を剣の腹で払って、二匹目の首を落とした。一匹目は、そのまま麦の中へ逃げていった。


 追わなかった。


 東の村の村長は、腰の曲がった男だった。札に印を押して、それから、ソウイチの顔を下から覗き込んだ。


「見回りの若いのは、たいてい二人で来るがね」


「一人です」


「犬と」


「犬と」


 村長は、首を振りながら、井戸の水を汲ませてくれた。


 桶を引き上げる村長の腕を、ソウイチは見ていた。


 ――右の肩が落ちる。落ちてから、肘が動く。肘が動いてから、手が出る。


 ロウの言ったとおりだった。村長の手が縄にかかる前に、ソウイチには、どこを掴むかが分かった。


《創一さん》


「……見て盗むって、言っただろ」


《はい》アイの声が笑った。


《記録しておきます。一人目、村長》


「やめろ、それ」


 村を出て半刻ほど歩いたところで、向こうから二人連れが来た。


 若い男が二人。片方が、もう片方の肩を担いでいる。担がれているほうの脚に、裂いた布が巻いてあった。血がにじんでいた。


 二人とも、腰に銅の板を下げていた。


「……見回りか」


 担いでいるほうが、ソウイチの胸元を見て言った。


「はい。これから川のほうへ」


「やめとけ」


 男は、肩の上の相棒を担ぎ直した。


「渡し場で狼に囲まれた。六匹。こいつが噛まれて、札も放り出して逃げてきた」


「六匹」


「普段は三、四匹だって聞いてたんだよ」担がれているほうが、歯を食いしばったまま言った。


「話が違う」


 ソウイチは、男の脚の布を見た。


 噛み跡は、太ももの外側だった。深いが、骨までは届いていない。


「村まで、半刻です。村長の家に井戸があります」


「知ってる。そこから来たんだろ、あんた」


「はい」


 担いでいるほうが、ソウイチの後ろを見た。クッキーしかいなかった。


「……一人で行くのか」


「はい」


「犬と」


「犬と」


 男は、何か言いかけて、やめた。


「死ぬなよ」


「はい」


 二人連れは、村のほうへ遠ざかっていった。


《三、四匹のはずが、六匹》アイが言った。


《記録とも、合いません》


「明日、分かる」


 ソウイチは、川のほうを見た。


 まだ見えなかった。


 日が傾くころ、街道沿いの小さな林に入った。


 枯れ枝を集めて、火を起こした。収納から、バルドの家で包んでもらったパンと、塩漬けの肉を出した。クッキーには肉を多めにやった。


 水筒の水は、半分残った。明日、川で汲めばいい。


 火の向こうで、クッキーが前脚にあごをのせて、目を細めていた。


《創一さん》


「ん」


《歩いているだけなのに、今日は、脈が少し速いです》


「そうか」


《楽しいですか》


 ソウイチは火に枝を一本足した。


 村長の腕。麦畑。井戸の水の冷たさ。誰にも追われていない道を、一日歩いた。


「……楽しいな」


《はい》アイは言った。


《わたしもです》


 クッキーは、火が小さくなるまで起きていた。


 林の暗いほうへ耳を向けて、ときどき片方だけを動かす。物音がするたびに、目だけがそちらへ行って、また火に戻る。


 ソウイチが横になると、クッキーは立ち上がって、ソウイチの背中に自分の背中をくっつけて丸くなった。


 外套ごしに、温かかった。呼吸に合わせて、背中が小さく上下している。


 見張りをしてくれているのだと、ソウイチは思った。一年前は、ソウイチが見張る側だった。


 石が、胸元で冷たかった。


 ソウイチは、外套にくるまって、眠った。


  *


 二日目の朝は、霧だった。


 街道の脇の草が濡れていて、外套の裾がすぐに重くなった。クッキーは鼻を低くして、ソウイチの少し前を歩いた。


 道の真ん中に、木の札が一枚落ちていた。


 拾い上げると、枠の一つに、東の村の村長の印が押してあった。残りの二つは空いている。


「昨日の二人のだな」


《はい。投げ出して逃げた、と言っていました》


 ソウイチは、その札を自分の札と重ねて、懐にしまった。


「帰りに、詰所へ届ける」


《書き直さなくて済みますね》アイは言った。


《あの衛兵さんが》


 霧が晴れたのは、昼が近くなってからだった。


 昼すぎ、街道は川に下りた。


 幅は二十歩ほど。浅いが、流れは速い。渡し場には杭(くい)が並んでいて、平たい舟が一艘、岸に引き上げてあった。


 川べりは、背丈ほどの葦で埋まっていた。


 対岸から渡ってきたばかりの荷車が一台、岸に上がったところで止まっていた。車輪が、泥に半分沈んでいる。


《ここです》アイが言った。


《この街道で、いちばん人が死んでいる場所です》


 その言葉が終わる前に、葦が鳴った。


 ――そして、いま。


《九匹です》


 ソウイチは、荷車の前に立っていた。


 剣だけでやる、と言った。


 アイは、一拍だけ黙った。


《了解しました》アイは言った。


《数と位置だけ、お伝えします》


「頼む」


 葦の中から、ひときわ大きいのが一匹、ゆっくりと頭を出した。


 肩の高さが、ソウイチの腰を越えている。左の耳が半分ちぎれていた。


 その一匹は、出てこなかった。葦の際に立ったまま、黄色い目でソウイチを見ていた。


《群れの頭です》アイが言った。


《あれは、最後まで来ません。下の八匹が崩れるまで、見ています》


「……人間と同じだな」


 一匹目が、葦から出た。


 速い。


 ――〇・二八。


 ソウイチは半歩だけ前に出た。


 狼のあごが開ききる前に、牙の剣が喉の下を通った。重さが無い剣は、振り切っても身体を持っていかれない。そのまま手首を返した。


 二匹目が、右から来ていた。


《右、二》


 見えていた。


 踏み込んで、肩から当たった。狼の身体が浮いた。浮いたところを、斬った。


 三匹目と四匹目は、同時だった。


 一体目の鼻先を剣の柄で打って、軌道をずらす。ずれた一体目が、二体目の進路をふさぐ。二体目が止まった、その一瞬に斬る。戻りながら一体目を斬る。


《左の葦に、三匹。一匹が、荷車の下に回ろうとしています》


 荷車の下。


 ソウイチが振り向く前に、茶色い影が荷車の下へ滑り込んだ。


 クッキーだった。


 低い唸り声が一つ。それから、狼の悲鳴。


 荷車の下から、灰色の尻尾が引きずり出されてきた。クッキーが、その首にぶら下がっていた。


 ――あいつも、一年、鍛えた。


 葦の三匹は、出てこなかった。


 出てこないなら、こちらから入る。


 ソウイチは葦に踏み込んだ。足元は泥だった。沈む前に、次の足を出す。


 一匹は、葦の根元で身を低くしていた。跳ぶ前に、上から突いた。


《残り三匹》アイが言った。


《頭と二匹が、退きます》


 葦の際にいた大きいのが、背を向けた。二匹がそれに続いた。三匹は浅瀬に飛び込んで、跳ねるように対岸へ向かった。


 ――逃がせば、明日の見回りが噛まれる。


 昨日すれ違った二人連れの、血のにじんだ布が浮かんだ。


「アイ」


《荷台の三人は、伏せています》アイは、言われる前に言った。


《お父さんが、二人を抱えています。渡し守さんの小屋も、戸が閉まっています》


「通せ」


《通します》


 足の裏で、空気が揃った。


 一歩目で、浅瀬の中ほどにいた。


 水が、遅れて跳ね上がった。


 二歩目で、最後尾の一匹に追いついた。振り向かせる前に、背中から斬った。


 茶色い影が、ソウイチの脇を抜けた。クッキーが水を蹴って、もう一匹の後ろ脚に食らいついた。狼が水の中に倒れた。クッキーは離さなかった。


 頭が、対岸の葦の手前で振り返った。


 黄色い目が、ソウイチを見た。半分ちぎれた耳が、後ろに倒れていた。


 三歩目で、その目の前にいた。


「悪いな」


 牙の剣が、頭の首を通った。


《強化、切ります》


 足の裏の空気が、ほどけた。


 対岸の浅瀬に、狼が三匹、沈んでいた。


 ソウイチは剣を下ろした。


 息は、上がっていなかった。


《強化なしで六匹です》アイが言った。


《強化を通したのは、最後の三匹の、二秒だけです》


 ソウイチは、自分の手を見た。


 震えていなかった。


 ――〇・八秒で死んだ日から、ここまで来た。


 ソウイチは、膝まで水に浸かって、狼を三匹、こちらの岸へ引きずって戻った。


 荷車のほうを見ると、男が荷台に伏せたまま、子ども二人を腕の中に抱えていた。そろそろと、顔を上げた。


「……終わったのか」


「終わりました。怪我は、ありませんか」


 男は、何度か口を開け閉めした。


「あ、あんた、何者だ」


「見回りです」ソウイチは剣の血を払った。


「ギルドの、D級の」


 それ以上は、言わなかった。


 姉のほうが、父親の腕の下から身を乗り出した。


「その犬、すごい」


 クッキーは、狼の首を離して、ソウイチの足元へ戻ってきた。口の周りが赤かった。


「……ああ」ソウイチは言った。


「すごいんだ、こいつ」


 車輪を泥から出すのを手伝って、荷車を渡し場まで押した。


 男が、財布の紐をほどこうとした。


「いりません」ソウイチは言った。


「見回りの仕事なので」


「でも、あんた」


「ギルドから、もうもらってます」


 男は、困った顔で川べりを見た。狼が九匹、並んでいた。


「なら、せめて、その狼だ」男は言った。


「街まで運ばせてくれ。毛皮も魔石も、売れるんだろう。ガランドの市へ行く途中なんだ」


「荷台が、汚れますよ」


「構わねえ」男は荷台を叩いた。


「この荷車は、もともと泥と肥やしで汚れてる。いまさら狼の血が増えたところで、女房は気づきもしねえよ」


 ソウイチは、少し考えた。


 収納に放り込めば、一瞬で済む。だが、この人たちの前で、それはできない。


「じゃあ、お願いします。バルド商会に、ソウイチから、と言って渡してもらえますか」


「バルド商会?」男の目が丸くなった。


「あの大店のか」


「はい」


 頭の一匹からだけ、その場で魔石を抜いた。親指の先ほどあった。


 それから、九匹を荷台に積んだ。一匹ずつ、片手で持ち上げて放り込む。男が、途中から手伝うのをやめて、黙って見ていた。


 姉のほうが、荷台の袋から何かを掴んで、ソウイチの手に押しつけてきた。


 干した果実だった。三つ。


「お礼」


 ソウイチは手のひらのそれを見た。


 村を出る朝にも、同じものをもらった。焼きたてのパンと、干した果実と、水色の石。


「……ありがとう」


 胸元で、石が一度だけ揺れた。


 小屋の戸が開いて、渡し守が出てきた。白いひげの、背の低い爺さんだった。狼の気配がした時点で戸を閉めて、かんぬきをかけていたらしい。


 爺さんは、荷台の上の灰色の山を見た。


「……九匹か」


「九匹です」


 爺さんは、札に印を押した。押してから、もう一度ソウイチを見た。


「この渡しで二十年、舟を出してるがね」爺さんは言った。


「狼が九匹で来たのは、初めて見たよ」


 ソウイチは札を受け取る手を止めた。


「……前は」


「多くて四、五匹だ。それが、去年あたりから増えた。一昨日も、見回りの若いのが一人やられてる」


 爺さんは、川上のほうへあごをしゃくった。


「北から下りてくるんだよ。どういうわけか」


  *


 荷車が街のほうへ遠ざかるのを見送ってから、ソウイチは川べりに腰を下ろした。


《創一さん》


「ん」


《使いましたね》


「誰も見てなかっただろ」


《はい。荷台の三人も、渡し守さんも》


「最初から使ってたら、あの子たちに見られてた」ソウイチは言った。


「見てないのを確かめてからだ。この街には、あと一人いる。誰だか知らない。知らないなら、全員そうだと思っとく」


《……了解しました》アイは言った。


《では、わたしも、確かめてから通します》


 ソウイチは、手のひらを開いた。頭の一匹から抜いた魔石が、そこにあった。


「アイ」


《はい》


「資料室の記録で、この渡し場」


《二十年で、一度に出た狼は、多くて五匹です》アイは言った。


《九匹は、記録にありません》


「爺さんは、去年あたりから増えたって言ってた」


《はい。記録でも、同じです》


 アイは、一拍だけ間を置いた。


《この渡し場で、狼の数が増えはじめた月を、出しました》


「いつだ」


《あなたが、森の主を倒した月です》


 ソウイチは、手の中の魔石を握った。


 足元で、クッキーが顔を上げた。


 ――七日前に主が死んだから、この子は、ここまで来られた。


 あの夜、アイがそう言った。森の主の縄張りに入れなかった一匹が、主が死んで、ようやく家の近くまで下りてこられた。


 入れなかったのは、クッキーだけではなかった。


 川の上を、冷たい風が下りてきた。


 北からだった。

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