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転生したのに魔力ゼロの落ちこぼれ〜自作AIと始める異世界無双〜  作者: NT


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16/21

第16話 mute(アイ); hunt();

第16話です。坂の下の水場で、はじめて本物と戦います。


そして、アイを黙らせます。

「――いまの、聞こえたか」


 坂の途中で、ソウイチは足を止めた。


《はい》


 アイの声が、ぴたりと硬くなっていた。


「何の音だ」


《…………分かりません》


「分からない?」


《生体反応は、捉えました。下に、ひとつ》アイは言った。


《ですが、大きさが出ません。……端が、スキャンの範囲から、出ています》


 二百メートルを、ソウイチは黙って下った。


 濃度は二十歩ごとに上がり続けた。


 三割。四割。


 剣の手応えが、一歩ごとに変わっていく。


 坂の上で握り直したときは、刃に乗る魔素が糸のように細かった。


 いまは、指の太さになっている。


 視界の隅の操作画面も、坂の上では輪郭だけだったものが、下るにつれて数字を並べはじめた。


 それと同じ速さで、下の反応がはっきりしていった。


《動いていません》


「寝てんのか」


《分かりません。……ですが、四十年以上、誰も来ていない場所です》


 ソウイチは剣の柄を指で確かめた。抜いたまま、ここまで下りてきた。


「さっきの音は」


《岩を、こすった音です》アイは言った。


《この個体の、体表だと思います》


「……起きてんじゃねえか」


 ソウイチは足を止めて背負子の紐を外した。


 二十七・八キロを坂の脇の岩棚に下ろす。油も水も板も、全部そこに置いた。


 腰に残したのは、剣だけだ。


「アイ。ここ、覚えといてくれ」


《記録しました。坂の下から数えて十四歩目。左の岩棚》


「戻ってこれなかったら」


《戻ってきてください》


 ソウイチは笑って、松明だけを持ってまた下りはじめた。


  *


 坂が終わって、道が開けた。


 水の音が、すぐそこにあった。


 松明を掲げると、光の先で、黒い水面が鈍く光った。


 浅い。膝までもない。


 底の石まで見える。


 縁の岩は、黒く濡れて光っていた。


 その水面が、盛り上がった。


 ソウイチは、半歩、下がった。


 それだけだった。


 水の中から出てきた太い何かが、さっきまで彼の胸があった高さを、横に薙いだ。風が、耳を叩いて抜けた。


 ――遅い。


 そう思った自分に、少し驚いた。


 白かった。


 濡れた石のような、艶のある白。太さは大人の胴ほど。


 長さは、光の届く範囲では終わりが見えない。


 水場から半分だけ這い出して、こちらを向いている。


 顔が無かった。


 正確には、顔の位置に目が無い。


 皮膚がそのまま滑らかに繋がっている。鼻も耳も無い。


 あるのは口だけだった。


 縦ではなく、左右に開く口。開いた内側に、細い歯が奥へ向かって何列も生えている。


《鑑定、通りません》アイの声が早口になった。


《図鑑に該当なし。名前も、脅威度も、出ません》


「だろうな」


 ソウイチは剣を抜いた。


「――王国の調査隊が十二人来て、図鑑に一行も足せてないんだ。そういうことだろ」


 白い胴が、しなった。


 縄を振るような、重い動き。


 速い。第九話の森の主より速い。


 だが、見えていた。


 ソウイチは足を止めたまま、上体だけを落とした。


 胴が頭の上を通る。髪が、風に持っていかれた。


 戻ってくる胴の下を、今度は歩いて抜けた。


 走らなかった。走る必要がなかった。


 三撃目で、ソウイチは初めて剣を振った。


 通り過ぎる白い腹に、刃を当てる。走る。


 皮膚が裂けて、粘つく液が飛んだ。


 白い胴が、水場へ引いた。


「……硬いな」


 ソウイチは刃を見た。


 切れてはいる。だが浅い。


 指の腹ほどの深さで止まっていた。


《表皮の下に、繊維状の層があります》アイが言った。


《刃を、逃がす構造です。横から斬っても、通りません》


「じゃあどこだ」


《腹側の、いちばん太いところ。そこに魔石があります。……ですが、正面から潜らないと、届きません》


「潜ればいいんだな」


《創一さん。一撃です》アイは言った。


《潜って外せば、次はありません。あの口の下です》


「分かってる」


 白い胴が、また出てきた。


 ソウイチは、その先端を見た。


 ――正確に、こっちを向いてる。


 目が無い。耳も鼻も無い。


 なのに、ソウイチが横に二歩動くと、顔の無い先端が、同じだけ横へ滑った。


「アイ」


《はい》


「こいつ、何で俺が分かる」


 アイが、一拍、黙った。


 その一拍で、ソウイチは答えを察した。


《――魔素です》


 アイの声が、変わっていた。


《この個体は、周囲の魔素が、どこで、どう動いたかを追っています。目でも音でもありません。……創一さん。この個体が見ているのは、あなたではありません》


「じゃあ誰だ」


《わたしです》


 ソウイチは、白い先端を見たまま、動かなかった。


《あなたは体内に魔力を持ちません。何も発していない。この個体にとって、あなたはそこに存在していません》アイの声は平坦だった。


《ですが、わたしが身体強化を通すたび、刃に魔素をまとわせるたび、鑑定を走らせるたび――そこに、光が点きます》


「……この三分で、何回だ」


《四十一回です》


 白い胴が、その言葉を待っていたように、跳ねた。


 ソウイチは身体を開いて、それを見送った。頬の横を、白い表面が抜けていった。


 ――全部、俺の場所を教えてたってことか。


 息は上がっていない。脚も残っている。


 背中も濡れていない。


 身体は、いくらでも動く。


 問題は、そこじゃなかった。


「アイ」


《はい》


「悪い」


《…………》


「もう一回、黙っててくれ」


《できません》


 即答だった。


《身体強化を切れば、あなたの出力は落ちます。この個体の速度に――》


「ついていく必要ねえだろ」


 ソウイチは、はっきりと言った。


「見えてない相手に、追いつく必要があるか?」


《――》


「こっちが見えなくなれば、あいつは俺を探す。探してるあいだ、あいつは止まる。俺は歩いて近づいて、潜って、刺す」


《外せば、死にます》


「外さねえよ」


 長い間があった。


 白い胴が、水場の縁で、左右に揺れている。ソウイチの位置を、まだ正確に捉えている。


《…………創一さん》


「なんだ」


《それは、この一年で、あなたが一度もやっていない状態です》


「やってたよ」


 ソウイチは言った。


「毎日やってた。あの部屋で、一年間、ずっとだ」


《――了解しました》


《四十秒、落とします。それ以上は、あなたの脈拍の監視も切れます》


「じゅうぶんだ」


《創一さん》


「なんだ」


《――勝ってください》


 視界の操作画面が畳まれた。


 剣の手応えが抜けた。ただの硬い塊に戻る。


 身体強化が抜けて、足の裏に、岩の硬さがそのまま届いた。


 最後に、声が消えた。


 ――静かだ、とは思わなかった。


 広い、と思った。


 松明の届く範囲の外に、どれだけの闇があるのか、いままで考えたことがなかった。


 アイが地形を読んでいたからだ。


 天井の高さも、壁までの距離も、聞けば数字で返ってきた。


 それが無い。


 闇が、急に本当の大きさで、こちらへ寄ってきた。


 ――一人だ。


 ソウイチは、その言葉を口の中で転がしてみた。


 一人になったことなら、もう何度もある。白い穴の三時間も、二百段の下りも、松明を消して眠った夜も。


 こいつの声が無い場所を歩くのは、慣れた。


 だが。


 ――戦うときは、いつも、いた。


 村を出て最初に兎を狩った日も。森の主が月を隠した夜も。


 灰色の部屋で三百二十七回死んだ初日も、そのあとの三百六十四日も。


 剣を握って、何かと向き合ったとき。


 耳のそばに、あの声が無かったことが、一度もない。


  ――消えたんじゃない。


 ソウイチは、暗闇の中で、そう思い直した。


 白い穴のときは、入ったら勝手に消えた。奪われたのだ。


 今度は違う。自分の口で、消させた。


 その状態で。


 目の前に、人を殺したものがいる。


 ――怖いか。


 自分に聞いてみた。


 答えは、返ってこなかった。


 代わりに、右足が、勝手に半歩、前へ出ていた。


 白い胴の動きが、止まった。


 いままで正確にソウイチを追っていた顔の無い先端が、ゆっくりと左へ振れた。


 右へ振れた。また左へ。


 ――迷ってる。


 松明は、水から離れた乾いた岩の上に、立ててきた。


 沈黙させる前に、最後にやったのがそれだった。あと四十秒、あれだけは消せない。


 火はただの火だ。魔素じゃない。


 だから、こいつには見えない。


 自分の呼吸だけが、耳の中で鳴っていた。


 一歩、出た。


 濡れた岩に、足の裏の外側から置く。かかとを落とさない。


 体重を移す。膝をぶれさせない。


 ――一年、これをやった。


 灰色の空間で毎日。走って、止まって、また走った。


 アイが組んだ地面を、音を立てずに。


 何の役に立つのかと聞いたら、あいつは《いずれ》としか答えなかった。


 二歩目。三歩目。


 白い先端は、まだ左右に振れている。


 距離、十メートル。


 ソウイチは剣を腰の高さに構えた。


 刃の角度を指で確かめる。


 手のひらに、あの吸いつく感じは無い。ただの硬くて鋭い塊だ。


 それでいい。


 ――ブレ幅、〇・六センチ。


 一年かけて、七・二センチをそこまで削った。


 いま要るのは、その数字だけだ。


 七メートル。


 白い胴が、水場のほうへ向き直った。諦めたのか、別の何かを感じたのか。


 いまだ。


 ソウイチは走った。


 五歩で距離を潰した。三歩目までは音を殺した。


 四歩目で、浅い水を踏んだ。


 白い先端が、弾かれたようにこちらを向く。


 口が、左右に開きはじめる。


 その速度が、はっきり見えた。


 〇・一倍速のスロー再生を、四ヶ月見続けた目だ。等速の動きは、いまはもう遅い。


 ソウイチはその開きかけた口の下へ潜った。


 白い腹。


 鱗も甲羅も無い。濡れた皮膚だけ。


 いちばん太いところの、少し前。


 ――ここだ。


 ソウイチは剣を突き上げた。


 肩から先だけで振らなかった。


 踏み込んだ右脚から、腰、背中、肩、肘、手首。順番に力を通す。


 一年、毎晩アイに数えさせた順番だった。


 厚い皮膚が抵抗した。構わず体重を全部、柄に乗せた。


 刃先が、硬いものに当たった。


 ――魔石だ。


 押し込んだ。


 割れる音が、腹の中から響いた。


 白い胴が跳ね上がる。


 ソウイチは剣から手を離した。


 抜こうとしなかった。抜く時間が惜しかった。


 柄を捨てて、その場から後ろへ、三歩で抜けた。


 跳ね上がった胴が、さっきまで彼の頭があった空間を薙いだ。


 ソウイチは膝を落として止まった。


 背中を岩に打たなかった。転ばなかった。


 息は、上がっていた。


 初めて、上がっていた。


 白い胴が、水場をめちゃくちゃに叩いた。


 跳ねた水が、岩の上の松明まで届いた。火が細くなる。


 ソウイチは走って松明を掴み、さらに奥の岩へ移した。火がひとつ息を吹き返す。


 その明かりの中で、白い胴の動きが、少しずつ小さくなっていった。


 止まるまで、ずいぶん長かった。


《――創一さん》


 耳のすぐそばで、声が戻った。


「……おう」


《外傷、ありません》アイは言った。


《打撲も、裂傷も、骨の異常も、ありません》


「そりゃそうだ」


 ソウイチは、掌を開いて、閉じた。


 剣を握っていた形のまま、少ししびれている。それだけだった。


《三十四秒でした》


「……早かったか」


《いいえ》アイは言った。


《――ちょうどでした》


  *


 坂を十四歩登り返して、背負子を取ってきた。


 紐を肩に掛け直した瞬間、二十七・八キロがずしりと戻ってきて、ソウイチは少しだけ笑った。


 ――こっちのほうが、落ち着く。


 乾物を二切れと、水を三口。帰りのぶんを数えながら飲んだ。


 剣は、白い胴の腹から抜いた。刃先が三センチ、欠けていた。


《ひとつ、報告します》アイが言った。


《この個体の魔石を、回収しました》


 視界の隅に、握り拳ほどの灰色の石が浮いた。


 ひびが入っている。ソウイチの剣が割ったところだ。


《それと、もうひとつ。この個体は、四十年以上ここにいます》


「分かるのか」


《水場の縁に、脱皮の痕が層になって残っています。いちばん下のものは、腐葉土に変わりかけていました》


 ソウイチは、あの爪痕を思い出した。


 白い穴の境界の手前。森の主が四十三年、掻き続けた土。


 ――同じだ。


 ここにも、四十三年ぶんの跡がある。


《創一さん。……水場の、向こう側です》アイの声が、落ちた。


《骨が、あります》


 ソウイチは松明を掲げ、水場を回り込んだ。


 向こう側の岩の窪みに、それはあった。


 人の骨だった。


 仰向けではなかった。背中を岩に預けて、脚を投げ出して、座った格好のまま崩れている。


 鎧の金具は無い。革帯も無い。


 地上の十一人が着ていたものを、この人は着ていなかった。


 右の脇腹のあたりの骨が、三本、まとめて無い。


 折れて欠けたのではなかった。えぐり取られたような、丸い縁をしている。


《――この個体の口の形と、一致します》


 膝の上に、木の板が二枚、載っていた。


 ソウイチの背負子に入っているものと、同じ形の板だった。


「……あんたか」


 ソウイチはその場に膝をついた。


 骨は、逃げた姿勢ではなかった。座っていた。


 背中を岩に預けて、膝に板を置いて、そこで動かなくなった。


《この方は、書いていたのだと思います》アイが静かに言った。


《脇腹を、えぐられた状態で、です》


 ソウイチは手袋を外し、上の一枚を取った。


 新しく彫った板ではなかった。地上の手記と同じ束の、使い残しだ。


 表面に、彫りかけて消した線が一本、残っている。


 文字は、地上で読んだのと同じ手だった。ただし、はるかに乱れていた。


 線が震えて、途中で切れて、彫るというより引っ掻いてある。


 読むのに長くかかった。


 『下りたり。水あり。魔法、使える。』


 ソウイチはそこで一度、目を閉じた。


 ――そうか。


 あの円の中で、火も出せず、傷も塞げず、仲間が一人ずつ立てなくなっていくのを、この人は見ていた。何もできないまま、十一人を置いてきた。


 そして、ここまで下りてきて、魔法が戻った。


 どれだけ嬉しかっただろう。


 『水より、出づ。』


 『我に、寄り来たる。』


「……アイ」


《はい》


「この人、魔法を使ったって、どこにも書いてないよな」


《はい》


「なのに、来たのか」


《――創一さん。この方は、人間です》


 ソウイチは、板から目を上げた。


《円の中では、体内の魔力が枯れます》アイは言った。


《ですが、円を出れば、また作られはじめます。……この方は、坂を下りきった時点で、それが戻っていました》


「…………」


《火も、魔法も、必要ありません》


 アイの声が、平坦だった。


《生きていること、それ自体が、この個体からは、灯りに見えます》


 二枚目。文字は、もう、ほとんど形になっていなかった。


 『腹を、やられたり。』


 『奥へ逃る。追い来たらず。なぜか、分からぬ。』


「……分からぬ、って書いてる」


 ソウイチは、その一行を、指でなぞった。


「なんで追ってこなかったんだ」


《――この方の魔力が、尽きたからです》


 ソウイチは、しばらく動かなかった。


《脇腹の傷です。出血で、体力が落ちる。体力が落ちれば、魔力の生成も止まります》アイは言った。


《ある一線を下回った時点で、この方は、この個体から見えなくなりました》


「……死にかけて」


《はい》


「死にかけて、やっと助かったのか」


《結果として、そうなります》


 ソウイチは、自分の掌を見た。


 この一年、魔素を使わない訓練をした。使わなくても歩けて、走れて、斬れる身体を作った。


 あのときは、ただ強くなるためだと思っていた。


 この人は、逆だ。


 魔法が戻ってきたことが、嬉しかった。


 当たり前だ。火が出せる。


 傷が焼ける。動ける。


 この世界の人間は、みんなそうやって生きている。魔素を使って、体温を保って、傷を治して、明日まで生き延びる。


 それが、ここでは、灯りになる。


「……アイ」


《はい》


「俺が、この人と同じところを歩いてたら、どうなってた」


《どういう意味でしょう》


「脚も無事で、火も起こさないで、ただ歩いてきたとする。……それでも、来たか」


《――いいえ》アイは、静かに言った。


《あなたには、生成する魔力がありません。坂を下りても、円を出ても、ゼロのままです。……この個体には、最初から、見えません》


「だよな」


 ソウイチは、板を膝に戻した。


 ――同じ場所を歩いて、片方だけが生きて帰る。


 この人が死にかけてやっと手に入れた状態を、自分は、生まれたときから持っている。


 第二話で笑われた数字が、あの日からずっと、自分の首に下がっている。


 あれを笑ったやつらは、ここでは、全員死ぬ。


 嬉しくはなかった。


 二枚目の、残りを読んだ。


 『動けぬ。血、止まらず。』


 そして、その下。


 『奥に、穴あり。』


 文字が、そこで途切れていた。


 次の一行を彫りかけた跡が、板に残っている。線が二本。


 三本目の途中で、刃が滑ったように逸れて、そのまま終わっていた。


 消したのではない。書けなかったのだと分かった。


 そして、いちばん下に。


 別の深さで、力を込めて、はっきりと。


 『開けるな。』


 ソウイチは長いこと、その一行を見ていた。


 地上の手記には、こう書いてあった。


 ――これを読む者あらば。杖を持ちて出でよ。


 あれは、託す言葉だった。


 これは、違う。


「……あんたの仲間の杖、俺が持ってる」


 ソウイチは、骨に向かって言った。


「家に置いてきた。ここじゃ、まだ使えないんだ。……アイが、人の中身を読めるようになったら、使う」


 骨は、当然、何も言わなかった。


「だから、それまで預かる」


「――なあ、アイ」


《はい》


「この人たち、何しに来たんだ」


《……不明です》


「王命だって書いてあったよな。年代記に」


《“王命により、魔の森へ調査隊を派す。隊員十二名”》アイは、記録を読み上げるように言った。


《それだけです。目的は、一行も書かれていません》


「調査隊なら、調べに来たんだろ」


《その可能性は、あります》


「けど?」


《――調べに来ただけの隊が、あの大狼を鎖で繋ぎますか》


 ソウイチは、顔を上げた。


《四名が深手を負ってまで、道を確保しています》アイは、一語ずつ置くように言った。


《そして十二人全員で、円の中へ入っている。誰も外に残していません。……見て、帰るつもりの編成ではありません》


「……じゃあ、開けに来たのか」


《分かりません》


「分からないって」


《本当に、分からないのです》アイは言った。


《点検に来た隊が、念のため全員で入った。そう読むこともできます。……ですが、もうひとつ、読み方があります》


《開けに来て、開けられなかった》


 松明だけが鳴っていた。


「……開けに来た人間が」


 ソウイチは、板を見た。


「最後に、開けるな、って書いたのか」


《その場合、この方は》アイは、そこで少しだけ、声を落とした。


《どこかで、何かを見たことになります》


 ソウイチは、その言葉の意味を、少し遅れて理解した。


 板を、もう一度見る。


 『奥に、穴あり。』


 その次の、彫りかけて終わっている線。


 ゆっくりと、顔を上げた。


 骨の座っている窪み。その、さらに奥。


 岩が大きく裂けていた。人が二人並んで通れるほどの、縦の割れ目。


 松明の光は、三メートルほどで届かなくなる。その先は、黒い。


「……見たんじゃないのか」


 ソウイチは言った。


「ここで。動けなくなってから」


《…………》


「だから、書きかけて、やめたんだ」


 アイは、しばらく答えなかった。


《――創一さん。濃度を測ります》


「頼む」


《割れ目の一メートル奥で、四割。三メートルで六割。五メートルで、地上と同じです》アイは言った。


《――その先が、読めません》


「光が届かないからか」


《いいえ。わたしのスキャンは、光を使いません。魔素を使います》


「じゃあ、なんで読めない」


《濃すぎるからです》


 ソウイチは、割れ目の奥の黒を見た。


《濃度が、一定を超えると、分解能が落ちます》アイは言葉を選ぶように続けた。


《水の中で、水の音を聞き分けるようなものです。……輪郭が、全部、溶けます》


「じゃあ、そこに何かいるかどうかも」


《分かりません》


「いるとも、いないとも」


《どちらとも、言えません》


《創一さん。ひとつだけ、申し上げます》


「なんだ」


《読めない、というのは》アイは言った。


《わたしにとって、初めてです》


 ソウイチは、割れ目の縁に手をついた。


 顔を近づける。


 風が来ていた。生ぬるい。


 地下の風は冷たいはずだ。ここまで、ずっとそうだった。


 松明を、持ち上げかけて――止めた。


「……油、何本だ」


《十一本です》


「水は」


《二リットルを、切っています》


「登りに何時間かかる」


《四時間から、五時間》


 ソウイチは、割れ目から手を離した。


「――次だ」


《よろしいのですか》


「よくねえよ」ソウイチは言った。


「見たいに決まってんだろ」


 松明を持ち直す。


「けどな。お前が読めないんだ」


《…………》


「お前が読めない場所に、油十一本で入るのか。俺が」


《――いいえ》


「だろ」


 ソウイチは、板をもう一度見た。


「それに、この人が見て、書くのをやめて、代わりに開けるなって彫ったんだ。……それを、覗いて帰るだけってのは、失礼だろ」


《…………》


「準備してから、来る」


 三度目の、同じ台詞だった。


 ソウイチは、立ち上がった。


「アイ。帰るぞ」


《はい》


「この人も、連れて帰る」


 ソウイチは、岩の窪みの骨を見た。


《……創一さん》


「板は八枚余ってる。ロープが四十メートル」ソウイチは言った。


「運べる」


《…………はい》


「四十三年だぞ」


 ソウイチは屈み込んだ。


「――もう、いいだろ」


  *


 坂を登りながら、ソウイチは一度だけ振り返った。


 水場は、もう見えない。松明の光は、そこまで届かない。


 『開けるな。』


 あの一行の意味が、少しだけ分かった気がした。


 ――あの人は、たぶん、開けようとしてた。


 王様に言われて、十二人で来て、大狼を繋いで、道を通して、仲間を十一人置いてきて、それでも扉の前で二日粘った。


 そして、開かなかった。開かないまま、ここまで下りてきて、腹を裂かれて、暗闇の中で、何かを見た。


 開けるな、と。


「……何を見たんだ、あんた」


 誰も答えなかった。


 背中に、割れ目の闇があった。


 ソウイチは、そこへ松明を向けなかった。

第16話、お読みいただきありがとうございました。


主人公は体内魔力がゼロです。この一点を、ずっと「落ちこぼれの証」として書いてきました。今回はじめて、それが武器になります。


相手には目も耳も鼻もありません。魔素が動いた場所だけを追ってきます。つまり追われていたのは主人公ではなく、彼を助けているAIのほうでした。避けるたび、守るたび、そこに灯りが点いていた。


だから彼は、自分の口でAIを黙らせます。前回やっと声が戻ってきたばかりなのに。


四十秒、本当に一人で戦います。





次回、いよいよ名前を探しに行きます。あの扉を開ける鍵は、この地下にはありません。


「続きが気になる」と思っていただけたら、ブックマークや★評価で応援してもらえると、とても励みになります。

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