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転生したのに魔力ゼロの落ちこぼれ〜自作AIと始める異世界無双〜  作者: NT


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13/20

第13話 catch (Death e) { retry(); }

第13話です。亜空間の中での一年間。外では、十二日。


初日、ソウイチは〇・八秒で死にました。そこから、三百六十五日ぶんの話です。

 最初の一戦は、〇・八秒だった。


 合図と同時に、灰色の地平から、五メートルの影が跳んだ。

 ソウイチが牙の剣を構えるより早く、視界の全部が銀灰色で埋まって、前脚が胸のあたりを通り抜けた。


 実体はない。痛みもない。

 ただ、身体の芯を、氷の棒で刺し貫かれたような感覚だけが残った。


 尻もちをついたまま、ソウイチはしばらく動けなかった。


「…………今の、何」


《接敵から、〇・八秒》アイの声が淡々と告げた。


《致命箇所、胸骨。――死亡です》


「……いや、待て。見えなかったんだけど」


《はい。見えていませんでした》


「あの夜、避けれてたよな、俺!?」


《避けていたのは、わたしです》アイは容赦がなかった。


《行動予測で進路を出し、身体強化で脚を動かしていました。あのとき、あなたがやっていたのは――“やる”と決めたことだけです》


 ソウイチは天を仰いだ。

 空はなかった。ただ、均質な灰色の明るさが、どこまでも続いていた。


「……もう一回」


《どうぞ》


  *


 その日、ソウイチは三百二十七回死んだ。


 最長で一・四秒。

 最短は〇・六秒。剣を抜く前に、頭を持っていかれた。


 三百二十八回目を構えようとしたところで、アイが止めた。


《本日はここまでです》


「まだやれる」


《やれます。ですが、意味がありません》アイは静かに言った。


《同じ死に方を、三百二十七回。あなたはいま、何ひとつ、学習していません。ただ、殴られているだけです》


 ソウイチは剣を下ろした。


 息が上がっていた。手が震えていた。


「……じゃあ、どうすりゃいい」


《明日から、剣を、置いてください》


「は?」


《一ヶ月間、走ります》


  *


 ――剣を、置いた。


 最初の一ヶ月、ソウイチがやったのは、それだけだった。


 走る。歩く。止まる。しゃがむ。立つ。息を吸う。息を吐く。


 最初の三日は、ただ平らな地面を往復するだけだった。五百メートルで、膝が笑った。


 四日目の朝、灰色の平原の景色が、変わっていた。


「……おい。なんだこれ」


 目の前に倒木があった。

 その先に腰の高さの岩。さらに先には幅の狭い足場が、飛び石のように並んでいる。


 地面そのものが、うねって、傾いていた。


《魔素を固めました。重りと、同じ理屈です》アイは言った。


《実体があります。ぶつかれば、痛い。踏み外せば、落ちます》


「……平らなとこ走らせてくれよ」


《平らな地面は、この世界に、ほとんどありません》アイは言った。


《あなたが走るのは、森です。根が張り、倒木があり、斜面があり、濡れた石がある。――平らなところだけ速い人間は、森ではいちばん遅い》


 ソウイチは倒木を見て、それから、ため息をついた。


「……正しいな。くそ」


 その日から、コースは毎日組み替えられた。


 同じ配置は二度と来なかった。倒木の高さが変わる。


 足場の間隔が変わる。斜面の角度が変わる。


 前の日に覚えた足の運びは、翌朝には使えなくなっていた。


「……これ、わざとだろ」


《わざとです》アイは言った。


《覚えた道を速く走れるようになっても、意味がありません。――初めて見る地面を、初めての速さで走れるように、します》


 半月で、三キロ走れるようになった。

 ひと月の終わりには、十キロを同じペースで刻めるようになっていた。


  *


 十九日目に、アイがコースの景色を、丸ごと変えた。


 灰色の平原ではなかった。

 木があった。苔むした幹があった。


 倒れた大木があり、その向こうに、見覚えのある岩壁がそびえていた。


「…………これ」


《地形スキャンの記録です》アイは言った。


《あなたの家から、北へ二キロの範囲を、そのまま再現しました》


 ソウイチは、しばらく動けなかった。


 ――帰り道だった。


「……色が、ないな」


《魔素で、形を作っているだけですので》アイは静かに言った。


《色までは出せません》


「……いいよ。じゅうぶんだ」


 ソウイチは、その色のない森を走った。

 根を跨ぎ、倒木を跳び越え、斜面を駆け上がった。


 息が上がった。汗が出た。


 景色は灰色のままだった。

 それでも――平原を往復していたときより、ずっと走れた。


 三日目に、気づいたことがあった。


 ――自分がずっと、声に出して数えている。


「……いち、に、さん、し……」


 息の拍に合わせて、口が勝手に動いていた。誰に聞かせるでもない。


 ただ、音がないと、走っている実感が持てなかった。


「アイ。俺、独り言、増えてるか」


《本日、三百四十二回》


「数えんなよ」


《数えます》


 クッキーは、いつも横を走っていた。

 ソウイチの半分の速さで十分ついてこられるのに、わざとペースを合わせて、少し前を跳ねている。


 ソウイチが止まると、振り返って座る。走り出すと、また前に出る。


 ――こいつ、案外、ペースメーカー向きだな。


 そう思った日が、たしか九日目だった。


  *


 二ヶ月目。ようやく剣が返ってきた。


 だが、振らせてはもらえなかった。


《構えてください。……はい。そのまま、静止》


 ソウイチは白い牙の剣を、中段に構えたまま、立っていた。


 アイがその周りを、ゆっくりと回る。


《右肩、一・二度上がっています。……肩甲骨から、力を抜いて》

《親指の付け根に、力が入りすぎ。振ったとき、切っ先が外へ逃げます》

《膝、あと二センチ》

《呼吸。止めないでください》


 視界には自分の身体の輪郭が、線で表示されていた。


 理想の形が青。いまの自分が白。

 その二本の線を重ねる。ただそれだけの作業を、来る日も、来る日も、繰り返した。


 ――何も、起きない。


 走っているときはまだよかった。距離が伸びた。


 息が上がらなくなった。前へ進んでいる実感があった。

 だが、これは立っているだけだ。景色は変わらない。


 汗もかかない。日が暮れることもない。


 六日目に、ソウイチは剣を放り投げた。


 白い刃が灰色の地面を、からん、と転がった。


《創一さん》


「……なあ、アイ」


《はい》


「お前さ」


 ソウイチはその場に座り込んだ。声は思ったより、静かに出た。


「ずっと、正しいよな」


《…………》


「一回でいいから、間違えろよ」


 長い沈黙があった。


 風のない空間で、その沈黙は、どこにも流れていかなかった。ただ、二人の間に溜まって、重くなっていった。


「……悪い」


 やがて、ソウイチは額を掌で押さえた。


「悪い。今のは、八つ当たりだ。……お前は何も悪くない。全部、俺が決めて、俺が入った」


《…………創一さん》


「なんだよ」


《いま、わたしの演算に、処理できない値が、出ました》アイは静かに言った。


《あなたが「一回でいいから間違えろ」と言ったとき。わたしは――そうしたい、と思いました》


 ソウイチは顔を上げた。


《わざと数値をずらして、あなたを楽にすることが、できました。〇・三秒あれば、じゅうぶんです》アイは続けた。


《やりませんでした。やれば、あなたが死ぬからです。……ですが、やりたかった。この二つが、同時に成立しています。処理できません》


「…………」


 ソウイチはしばらく黙って、それから、剣を拾いに立ち上がった。


「……アイ。それな」


《はい》


「それも、たぶん、“やさしさ”だよ」


《……前に、教わったものと、違う形をしています》


「同じだよ。形が違うだけだ」


  *


 その日から、剣を振るようになった。


 といっても、回数の話ではなかった。


「何回振ればいい」


《回数ではありません》アイは言った。


《同じ軌道を、百回続けて描けたら、次へ進みます》


「……百回?」


《百回です。一度でも外れたら、一からです》


 視界に、青い線が浮かんだ。理想の軌道。

 そこへ白い線を重ねる。振るたびに、白がどれだけ外れたかが、数字で出た。


 ――ブレ幅、七・二センチ。


 一ヶ月目にアイが言った、あの七センチだった。


 最初の日は、四回しか続かなかった。

 三日目に十一回。八日目に三十四回。


 そして、十二日目。


 九十七回目で、切っ先が〇・四センチ外れた。


「……あ」


《一からです》


「――っ、くそ!」


 ソウイチは叫んだ。叫んで、それから、また構えた。


《いい反応です》アイは言った。


《悔しがれるということは、届いていた、ということです》


 百回に到達したのは、その四日後だった。

 ブレ幅はそのとき、一・一センチになっていた。


《次の段階に進みます》アイは言った。


《ただし、覚えておいてください。――間違ったフォームで千回振るのは、間違いを千回、覚えることです》


「……身に染みてるよ」


  *


 三ヶ月目に入る頃、訓練は四本立てになっていた。


 走る。振る。持ち上げる。見る。


 持ち上げる、というのはこうだ。


《これを、使います》


 アイがそう言うと、ソウイチの目の前の空中に、灰色の塊が現れた。

 手を伸ばす。ずしり、と重い。


 手触りは乾いた石に近い。


「……なんだこれ」


《魔素を、圧縮して固めたものです。この空間は魔素で満ちているので、いくらでも作れます》アイは言った。


《あなたは使いません。わたしが作ります。――重量、二・四キログラム。誤差、一グラム未満》


「……一グラム」


《はい。次の一週間は、二・四キロで。再来週は、二・六キロに上げます》


 ソウイチはその灰色の塊を、しばらく眺めていた。


「……なあ、これ、前の世界のジムより、正確じゃないか?」


《おそらく》


「ダンベル、二・五キロ刻みだったぞ。……お前、一グラム刻みか」


《はい。あなたの回復度合いに合わせて、毎日変えます》


 ソウイチは思わず笑った。


「……漸進性過負荷、って言ったよな。お前」


《言いました》アイの声が少し弾んだ。


《前の世界の言葉です。少しずつ負荷を上げ続ければ、身体は、それに合わせて作り替えられていく。――理屈は単純です。難しいのは、“少しずつ”を、正確に測ることだけ》


「で、お前は、それが得意だと」


《得意です》


  *


 見る、というのは最初、ただの光の点だった。


 灰色の空間を、白い点がすっと横切る。目で追う。


 追えたら速くする。追えなくなったら、そこが今の限界。


 三日で点は、目で追いきれない速さになった。


《では、次に行きます》アイは言った。


《創一さん。あの夜の映像を、出します》


 目の前に、五メートルの影が現れた。

 だが、動きが、おかしい。


 巨体が、まるで水の中にいるように、ゆっくりと沈み込む。


 後脚の筋肉がひとつずつ、順番に締まっていく。


 前脚が地面から離れる。爪の一本一本が、ゆっくりと開く。


「…………おい」


《〇・一倍速です》


「お前、スロー再生できるのか!?」


《記録ですから》アイは当たり前のように言った。


《あなたの目が追えないのは、速いからです。ならば、遅くすればいい。――前の世界の学習でも、そうしていたはずです》


 ソウイチはその、ゆっくりとした死の動きを、見つめた。


 跳ぶ前。

 欠けた三角の耳が、わずかに後ろへ倒れる。

 その〇・二秒後に、後脚が沈む。

 その〇・三秒後に、身体が浮く。


 ――そういう順番で、動いていたのか。


「……見える。ちゃんと、見える」


《はい。〇・一倍速なら》


 その日から、毎日それを見た。

 〇・一倍速で二百回。


 〇・二倍速で二百回。〇・三倍速で。


 速度が上がるたびに、また見えなくなった。そのたびに少し戻して、また上げた。

 等速で「耳が倒れた」と口に出せるようになるまで、四ヶ月かかった。


  *


 そして、鬼ごっこ。


 これがいちばんきつかった。


《クッキーを、捕まえてください》アイは言った。


《それだけです》


「……いや、簡単だろ」


 簡単ではなかった。


 琥珀色の弾丸が、灰色の平原を跳ね回る。


 手を伸ばす。届かない。回り込む。もういない。

 しかも、こちらの動きを、先に読んでいる。踏み出す前に、もう横へ跳んでいる。


 三十分追いかけ回して、一度も指先すら掠らなかった。

 ソウイチは膝に手をついて、荒く息をした。


「……こいつ、なんでこんな」


《アンバーテイルは、魔素の感知能力が非常に高い個体です》アイは言った。


《あなたが動こうとするとき、身体の周りの魔素が、わずかに乱れます。この子は、それを読んでいます。――つまり、あなたが動く前に、動いている》


「……ずるくないか」


《ずるくありません。この子が生き延びてきた方法です》アイは続けた。


《そして、創一さん。これは、あなたにとって、いちばん重要な訓練です》


「なんで」


《投影された魔物は、実体がありません。触れませんし、触れられません。――この一年、あなたが本当に触れられる相手は、この子だけです》


 ソウイチは顔を上げた。

 少し先でクッキーが、ぱたん、と尻尾を鳴らして待っていた。


「……なるほどな」


《それと、もう一つ》


「ん?」


《この子には、この子のメニューを、組んであります》


「……は?」


《アンバーテイルの、成体としての標準値を、書庫の魔物図鑑から出しました》アイは言った。


《この子はいま、そのほとんどの項目で、下回っています。……当然です。傷を負ったまま、何日も逃げ続けていましたので》


 ソウイチは足元を見た。

 クッキーがこちらを見上げて、ぱたん、と尻尾を鳴らしている。


「……お前も、鍛えられんのか」


《はい。ただし、あなたとは、逆のことをします》アイは言った。


《あなたは、魔素を使わずに強くなる。この子は――魔素を、もっと上手に使えるようになります》


 その日から、灰色の平原には二種類の訓練があった。


 ソウイチが走り、振り、持ち上げ、殺される。その隣で。

 クッキーは、アイの出した小さな光の点を、目ではなく、魔素の乱れだけで追っていた。


 視界は光の膜で塞がれている。見えない相手の気配だけを、拾う訓練だ。


 最初はまるで当たらなかった。

 三日目に十回に一回、鼻先が触れるようになった。


「……なんか、俺より覚え早くないか、こいつ」


《この子は、生き延びるために、それをやってきましたので》アイは言った。


《あなたは、生き延びるために、AIを作りました。……種類が違うだけです》


「……なるほどな」


【本日の記録】

 ■ソウイチ

  ・走行 十二キロ/障害物・地形ランダム

  ・素振り 連続四十七回で中断(ブレ幅 一・一センチ)

  ・重量 三・二キロ

  ・クッキー捕獲 〇回/試行四十七回

 ■クッキー

  ・魔素感知 半径十八メートル/予兆〇・一秒前

  ・回避成功率 一〇〇パーセント

  ・図鑑標準値との比較 七項目中、二項目が到達


  *


 そして、夜。


 訓練を終えて、椀をすすって、寝床に転がって。

 それからの時間を、ソウイチは別のことに使った。


 視界に設計盤を開く。

 家を建てたときと、同じものだ。まっさらな三次元の空間に、手を動かせば、線が引ける。


 その中央に、ソウイチは一枚の像を呼び出した。


 ――アイの、右手だった。


 手の甲までは、きちんと形になっている。その先が白くぼやけて、途切れている。


《…………創一さん》


「なんだよ」


《それは、訓練時間の外です。睡眠時間を削っています》


「削ってねえよ。三十分だ」


《非効率です》アイは言った。


《見た目の情報は、機能に影響しません。その三十分を、休息に回すほうが、明日の数値が――》


「アイ」


 ソウイチは、設計盤から目を離さずに言った。


「約束したろ。作り直すって」


《…………》


「別に、機能のためにやってんじゃない」


 アイはそれきり、何も言わなくなった。


 最初の一週間で、できたのは右手の親指、一本だけだった。

 関節の位置が合わない。爪の角度がおかしい。


 何度も消して、何度も引き直した。


「……くそ。手って、こんなに難しかったか」


《いちばん面倒だから後回しにする、と、あなたは言っていました》


「言ってねえよ。……思ってただけだ」


《同じです》


  *


 三ヶ月目の終わり。

 久しぶりに、ホーンラビットが投影された。


 真っ白な毛並み。頭に鋭い一本角。


 あの日、森で初めて狩った相手だ。

 魔素の照準も行動予測もない。あるのは自分の目と、自分の足と、白い牙の剣だけ。


 兎が、跳んだ。


 ――見えた。


 跳ぶ前に、後脚の筋肉がわずかに沈む。その〇・二秒を、ソウイチの目はたしかに捉えた。

 半歩右へ。角が頬の横を通り抜ける。


 着地して向き直る、その一瞬の空白へ、剣を差し込んだ。


 白い像がほどけて消えた。


「…………」


 ソウイチはしばらく、その場に立ち尽くしていた。

 それから、剣を持ったまま、両手を突き上げた。


「うおおおおおお!」


《おめでとうございます》アイの声も、はっきりと弾んでいた。


《魔素なしでの、初の勝利です》


 足元で、クッキーがわけも分からず、ぴょんぴょんと跳ねていた。


  *


 そこからは少しだけ楽しかった。


 四ヶ月目に、ホーンラビットを十連勝。

 五ヶ月目に、フォレスト・バイパーを落とした。


 擬態も、毒も、初撃さえ避ければいい――それは、あの日アイが言った言葉だ。


 今度は自分の目で、初撃を見た。


 六ヶ月目の頭に、ブラッドタスク。

 二メートルの巨猪。突進特化。


 直進しかできず、横に脆い。知識は全部ある。


 だが、実際にそれが真正面から突っ込んでくるのを、自分の脚だけで捌くのは、まったくの別物だった。


 三十九回死んで、四十回目に勝った。


【素の身体能力/魔素なし】

 ・エルダー・ファングに対する生存時間

  初日:〇・八秒

  三ヶ月目:四秒

  六ヶ月目:三十一秒

 ・素振りのブレ幅:七・二センチ → 〇・六センチ

 ・クッキー捕獲:試行千二百回中、二回

 ■クッキー

  ・魔素感知 半径三十四メートル/予兆〇・二秒前

  ・図鑑標準値との比較 七項目中、五項目が到達

  ・単独討伐 ホーンラビット、初成功


「……二回」


《二回です》


「あいつのほうが、伸びてないか?」


《伸びています》


  *


 半年を過ぎたあたりで、ソウイチはおかしくなり始めた。


 きっかけは些細なことだった。


 いつものように目を覚まして、いつものように干し肉をかじって、いつものように走ろうとして――ふと手が止まった。


「……なあ、アイ」


《はい》


「今日って、何日目だ」


《百八十七日目です》


「……そっか」


 ソウイチは干し肉を、口に入れたまま、しばらく座っていた。


 空はなかった。

 朝も、昼も、夜も、なかった。均質な灰色の明るさが、ずっと同じ強さで、そこにあった。

 雨も降らない。風も吹かない。


 虫の声も、鳥も、木の葉のこすれる音も、何ひとつない。


 昨日と、今日と、明日の区別がつかなかった。


「……アイ。俺、昨日、何やってた?」


《午前に走行十二キロ。午後に素振り、二千四百回。夕方、ブラッドタスクと十一回》


「……うん。今日も、それだよな」


《はい》


「明日も」


《はい》


 ソウイチは干し肉を、飲み込んだ。味はしなかった。


  *


 それから、二十日ほど。

 ソウイチの動きは、目に見えて落ちた。


 走る距離が減った。素振りの回数が減った。


 夕方の対戦を、飛ばす日が出てきた。

 夜の設計盤だけは開いた。開いて、線を一本も引けずに、閉じる日が増えた。


 寝床から起き上がらない日が、三日続いた。


 その三日間、クッキーはずっと、ソウイチの腹の上にいた。


 どこへも行かなかった。走りにも行かず、狩りの真似もせず、ただ、そこで丸くなっていた。


 ソウイチは、天井のない灰色を見上げたまま、その重みを感じていた。


 ――あたたかい。


 この空間には風がない。


 匂いもない。温度はずっと同じだ。

 寒くも暑くもない。何も肌に触れない。


 その中で、腹の上のそれだけが、たしかに熱を持っていた。

 呼吸に合わせて、ゆっくりと上下している。喉の奥で、低い音が鳴っている。


 手を置くと、硬い毛が掌を押し返してくる。


 ソウイチは、そこに手を置いたまま、目を閉じた。


「……お前、あったかいな」


 クッキーは答えなかった。ただ、少し、身体をずらして、掌の下にもぐり込んだ。


 ――アイには、触れない。


 一年、隣にいる。声も届く。


 姿も見える。細部まで、はっきり見える。

 だが、手を伸ばせば、通り抜ける。


 この場所で触れられるものは、この一匹しかいなかった。


「……ありがとな」


 ソウイチはその日、初めて、少しだけ眠れた。


  *


 四日目の朝。


《創一さん。訓練を一日、止めます》


「……いいよ、別に。やる」


《やらないでください》


 珍しく、強い声だった。


《いま、いちばん危険なのは、身体ではありません》


 その日、アイがやったのは二つだった。


 ひとつめ。


 ソウイチを、灰色の平原の端まで連れていった。


 そこにはどこまでも続く、のっぺりとした壁があった。


 触れる。硬い。


《ここに、線を引いてください》


「線?」


《一日、一本》アイは言った。


《わたしが数えていても、意味がありません。あなたの手で、刻んでください》


 ソウイチは牙の剣の切っ先で、壁を削った。

 白い線が、一本。


「……これ、二百本近く、いっぺんに引くのか」


《はい。手伝いません》


 結局、丸一日かかった。

 削って、削って、削って。十本ごとに区切りを入れて、百本目に大きな印をつけた。


 夕方――と、自分で決めた時刻に、ソウイチはその壁の前に立った。


 白い線が二百本近く、ずらりと並んでいた。


「…………」


 ――生きてきた分だけ、そこにあった。


「……アイ」


《はい》


「これ、あと百七十本くらい、あるんだよな」


《百七十八本です》


「……そっか。まだ、あるのか」


 ソウイチはその場に座り込んで、しばらく壁を見ていた。

 それから、少しだけ笑った。


「……いや。“まだある”じゃねえな。“もう二百本も引いた”だ」


《…………》


《――記録します》


  *


 ふたつめ。


 その夜、寝床に戻ったソウイチの前に、アイが何かを置いた。


 湯気の立つ、椀だった。


「……なんだこれ」


《本日の献立を、変更しました》アイは言った。


《持ち込んだ乾物の配合を、変えただけです。栄養は同じ。……ですが、味は違います》


 すすってみた。

 塩気の奥に、干した青香草の、かすかな青い香りがした。


 ――家の、味だった。


「…………」


《明日はまた、違うものにします》アイは静かに言った。


《毎日変えます。同じものは、二度出しません》


「……全部で、三百六十五回か」


《はい。全部、考えてあります》


 ソウイチは椀を、両手で持ったまま、うつむいた。


 膝の横で、クッキーが鼻先を押しつけてきた。


「……ありがとな」


《いいえ》


「……あのさ。ひとつ、頼んでいいか」


《どうぞ》


「毎晩、なんか喋ってくれ。……なんでもいい。書庫で読んだ話でも、その日の数字でも、どうでもいい話でも」


《…………》


《それは》アイは少し、間を置いた。


《それは、訓練には、何の役にも立ちません》


「知ってる」


《…………了解しました》


 その夜から、灰色の平原には毎晩、声があった。


  *


 七ヶ月目から、ソウイチはまた走り出した。


 前と同じではなかった。

 休む日を自分で決めた。一日の終わりに、線を一本引いた。


 夜には椀をすすりながら、アイの話を聞いて、それから三十分、設計盤を開いた。


 ――日々が、区切られた。


 数字がまた、伸び始めた。


【素の身体能力/魔素なし】

 ・エルダー・ファングに対する生存時間

  七ヶ月目:五十八秒

  八ヶ月目:一分四十二秒

  九ヶ月目:二分十七秒

 ・重量:二・四キロ → 十八・六キロ

 ・クッキー捕獲:三十七回に一回

 ■クッキー

  ・魔素感知 半径五十九メートル/予兆〇・三秒前

  ・図鑑標準値との比較 七項目すべて到達(うち四項目は上回る)


  *


 十ヶ月目。


 その夜、ソウイチは設計盤の前で、長く息を吐いた。


「……できた」


 視界の中で、二つの手がゆっくりと回転していた。

 指が十本。関節がそれぞれ三つずつ。


 爪の形。手のひらのしわ。


 親指の付け根の、わずかなふくらみ。


「……アイ。ちょっと、こっち来い」


《…………》


「いいから」


 アイが近づいてきた。


 ソウイチは設計盤の像をそっと、押し出すようにした。

 二つの手がふわりと離れて、アイの腕の先へ、吸い込まれるように収まった。


 しばらく何も起きなかった。


 アイは自分の腕を、じっと見ていた。

 白くぼやけて途切れていた場所に、手があった。


 ゆっくりと指が動いた。

 一本ずつ。親指から、順番に。


 何度か握って、開いた。


《…………》


「どうだ」


《…………》


「おい、なんか言えよ」


《……創一さん》


 アイの声は、いつもの平坦さをしていなかった。


《これは、なんという値ですか》


「……どんな値だ」


《説明ができません》アイは自分の手を見つめたまま、言った。


《処理が乱れています。優先度の低い演算に、リソースが勝手に配分されています。……あなたの顔を見ると、それがさらに増えます》


 ソウイチは笑った。


「それはな、“嬉しい”だよ」


《嬉しい》


《…………嬉しい》


 アイはその言葉を、二度繰り返した。


 そして――


 ソウイチは目を見開いた。


 感情の薄い、整った顔。この一年、ずっと同じ表情だった顔。

 その口の端が、ほんのわずかに上がっていた。


 一ミリにも満たない。気づかなければ、見逃す。

 だが、たしかに動いていた。


「…………お前」


《はい》


「いま、笑ったろ」


《…………記録に、ありません》アイはそっと目を伏せた。


《ですが、否定もできません》


 ソウイチは両手で顔を覆って、そのまま後ろに倒れた。


「……くそ。一年、かけた甲斐あったわ」


《まだ膝から下が、残っています》


「それは来年な」


《……来年》アイは静かに言った。


《その言葉を、記録しておきます》


  *


 十一ヶ月目。


 ソウイチは、三分保つようになった。

 そして、三分より先へは、どうしても進めなくなった。


 速さが足りないのではなかった。力でもなかった。

 届かないのだ。あと一手が、どうしても届かない。


 十日。二十日。


 数字が一秒も動かなくなった。


「……アイ。俺、何が足りない」


《…………》


「言えよ。ここでは、はっきり言うんだろ」


《――足りないものは、ありません》


「は?」


《この一年で、あなたの素の身体能力は、この世界の中堅冒険者を、明確に上回りました。反応速度は、上位級と戦える水準です》アイは言った。


《足りないのではありません。あの個体が、強すぎるのです。上位級。単独交戦は推奨されない。……あなたは魔素なしで、そこに三分、立っています》


「じゃあ、勝てないのか」


《正攻法では、勝てません》


 ソウイチは灰色の地面に、あぐらをかいた。


 正攻法では勝てない。

 ――なら、正攻法じゃなければいい。


 それはずっと、自分のやり方だったはずだ。


「……アイ。ひとつ、聞く」


《はい》


「俺、あいつと、何回戦った」


《本日までで、九千八百六十四回です》


「……九千八百六十四回」


 ソウイチは、ゆっくりと立ち上がった。


 ――九千八百六十四回、同じ相手に殺された。


 その全部を、身体が覚えている。

 左から入れば、尾が来る。正面で止まれば、前脚が上がる前に肩が沈む。


 跳ぶ〇・三秒前、欠けた耳がわずかに後ろへ倒れる。


 三度連続で右へ回ると、四度目は必ず、こちらの回り込みを読んで、逆を取る。


 あの夜、アイは言った。この個体は老獪(ろうかい)だと。


 数十年ぶんの経験で、こちらを罠にかける、と。


 ――こっちは、一万回だ。


「……アイ。あいつの癖、全部、覚えたわ」


《…………》


「もう一回。……いや、あと五十回くらい、付き合ってくれ」


  *


 三百二日目。


 合図と同時に、灰色の地平から、五メートルの影が跳んだ。


 ソウイチは動かなかった。

 構えたまま待った。


 巨体が空中で身をよじる。第一撃はフェイントだ。


 本命は着地からの、右前脚。

 ――知っている。一万回見た。


 半歩左。前脚が頬の横を通り過ぎる。

 その反動で、相手の重心がわずかに右へ流れる。


 ここで追えば、尾が来る。追わない。


 一歩、退がる。

 欠けた三角の耳が、後ろへ倒れた。跳ぶ〇・三秒前。


 跳んだ先を、ソウイチはもう見ていなかった。

 跳ぶ前にその着地点へ、自分の足を置いていた。


 白い牙が灰色の空を塞ぐ。


 その下から、下へ。潜り込む。

 顎の下、喉の側面。鎧がいちばん薄いところ。


 九千八百六十四回のうち、たった七回だけ、こちらへ晒された場所。


 ――そこへ、白い剣が根元まで沈んだ。


 巨大な像がほどけて、消えた。


 灰色の平原に、ソウイチだけが、立っていた。


 肩で息をしていた。

 剣を持つ手が震えていた。膝も笑っていた。


 全身が汗でぐしょぐしょだった。


「…………」


 声が出なかった。


《…………創一さん》


 アイの声も震えていた。


《生存時間、七分二十九秒。……勝利、確認しました》


 ソウイチは剣を落とした。

 その場にばたりと、仰向けに倒れた。


 クッキーが駆け寄ってきて、顔をべろべろと舐めた。


「……はは」


 ようやく声が出た。


「はは。……勝った」


《勝ちました》


「魔素、使ってねえよな。俺」


《一粒も》


「……はははは!」


 ソウイチは灰色の空に向かって、笑った。

 笑いながら、目のふちが熱くなった。


  *


 ――だが、そこで終わらなかった。


 次の日、ソウイチは九回死んだ。


「……なんでだよ!」


《一勝九敗です》アイは淡々と言った。


《昨日の勝利は、届いた、というだけです。“勝てる”には、まだ遠い》


「……くそ。もう一回!」


  *


 三百二十日目。五勝五敗。


 三百四十日目。九勝一敗。


 三百五十日目から、負けなくなった。


  *


 最終日。


 合図と同時に、五メートルの影が跳んだ。


 ソウイチは笑っていた。


 ――遅い。


 そう、思った。

 一年前、〇・八秒で自分を殺した一撃が、いまは、はっきりと形を持って見えていた。


 前脚が上がる。爪が開く。


 空を裂く音の始まりまで、聞こえる。


 避ける必要すら、なかった。

 半歩の位置調整だけで、その全部が、身体の横を通り過ぎていった。


 着地。振り返る動作の、その途中。

 右へ回る。相手が読んで逆を取る。


 そこへ、もう足を置いている。


 顎の下。

 白い剣が迷いなく、根元まで沈んだ。


 巨大な像がほどけて、消えた。


《……討伐時間、三十四秒》


 アイの声が灰色の平原に、静かに響いた。


《――創一さん。あの個体のデータは、練習相手として、意味を失いました》


 ソウイチは剣を鞘に納めた。

 息はほとんど、上がっていなかった。


「……三十四秒か」


《はい》


「一年前は、〇・八秒で死んだのにな」


《はい》アイは言った。


《同じ相手です。変わったのは、あなただけです》


  *


 最後の夜。


 食料は計画通り、きれいに使い切るはずだった。

 ――が、その日、ソウイチは残っていたものを全部、鍋に放り込んだ。


 干し肉。乾かした根菜。塩漬け。


 最後まで取っておいた蜂蜜まで。


「今日は、全部食う」


《栄養バランスが》


「うるさい。祝いだ」


 灰色の平原に、湯気が立った。

 匂いが広がった。この一年、初めて空気の匂いが変わった。


 クッキーが鼻をひくひくさせて、身を乗り出してきた。

 肉を放ってやると、宙で受け止めて、一息で飲み込んだ。


「……お前も、でかくなったな」


 拾ったときは脇腹が裂けて、痩せこけて、抱えると軽かった。

 いま膝に乗せると、ずしりと重い。


 毛並みには艶があって、胸のあたりに、はっきりと厚みがついている。


 琥珀色の目が迷いなく、こちらを見返してくる。


《この子も一年、生きましたので》アイは言った。


《成獣として、完成しました。……そして、魔素の感知精度が、当初の四倍以上です》


「四倍」


《この子はいま、あなたが動く〇・四秒前に、それを知ることができます》アイは続けた。


《――創一さん。家の留守は、もう任せられます》


 ソウイチはクッキーの背中を、ゆっくりと撫でた。


「……そっか。お前も、一年やったんだもんな」


 ぱたん、と尻尾が鳴った。


  *


 壁の前に立った。


 白い線が三百六十四本。びっしりと、壁を埋めていた。

 最後の一本を刻む。


 削り終えて、ソウイチはその壁に、掌を当てた。


「……終わったな」


《はい》


「なあ、アイ」


《はい》


 ソウイチは振り返った。


 銀の髪。白い服。


 薄い氷のような、色の抜けた灰色の瞳。

 そして、その腕の先に十本の指。


「外に出たら、お前、また、ぼやけるんだよな」


《……はい》


「……手も、見えなくなるのか」


《見えなくなります》アイは自分の掌を、そっと開いた。


《ですが――消えは、しません》


「…………」


《見えなくても、あります》アイは静かに言った。


《それは、あなたが、作ったからです》


 ソウイチはしばらく、何も言えなかった。


「……早いとこ、膝から下も、やんねえとな」


《来年、と言いました》


「言った」


《忘れないでください》


「忘れねえよ」


 二人はその場に、腰を下ろした。


 しばらく何も言わなかった。

 やがて、アイが口を開いた。


《創一さん。……ひとつだけ、正直に言っていいですか》


「おう」


《この一年、わたしの演算にはずっと、処理しきれない値が、残っていました》


「……また、それか」


《はい。また、それです》アイは静かに言った。


《訓練の効率とは、無関係です。あなたの生存率とも、無関係です。……ただ、一年の終わりが近づくほど、その値が大きくなりました》


「……どんな値だ」


《“この一年が、終わってほしくない”》


 ソウイチは、しばらく黙っていた。


「……アイ」


《はい》


「それ、“寂しい”って言うんだよ」


《…………寂しい》


 アイはその言葉を、そっと置いた。


《なるほど。――では、記録します。わたしはいま、寂しいです》


 ソウイチは笑った。少し、泣きそうな顔で。


「俺もだよ」


  *


 視界の中央に、縦に、線が走った。


 するすると横に開いた、その向こう側。

 そこには、あたたかい色があった。


 木の床。暖炉。東向きの窓。ふかふかのマットレス。


 クッキーが、真っ先に飛び出していった。


 ソウイチは荷物を運び出し、最後に自分がくぐった。


  *


 空気が、違った。


 むっとするような、土と、緑と、水の匂い。

 外から、鳥の声が聞こえた。風で、窓枠がかたかたと鳴った。


「…………」


 ソウイチはしばらく、立ち尽くしていた。


 そんな、当たり前のものが、全部あった。


《おかえりなさい、創一さん》


 その声は、いつもの距離に戻っていた。

 振り返る。アイはそこにいる。


 だが、輪郭はまた、光を透かした薄い影に戻っていた。


 ――それでも、ソウイチには分かった。


 その腕の先に、十本の指がある。

 見えなくても、ある。


「……ただいま」


  *


 外へ出た。


 畑は無事だった。結界が止まっていた十二日で、少し草が伸びていたが、それだけだ。

 泉の水は澄んでいた。


 ソウイチは、その縁にしゃがみ込んで――水面を覗き込んだ。


 そして、動きが止まった。


 そこに映っていたのは、知らない顔だった。


 背が伸びていた。しゃがんだ膝の高さが、前と違う。


 肩が、あきらかに広くなっていた。腕は太くはない。


 だが、皮膚の下に、縄を撚ったような筋が、はっきりと浮いている。


 動かすたびに、それが位置を変えた。

 頬の肉は落ちているのに、首は明らかに太くなっていた。顎の線が出ている。


 ――そして、目つきが変わっていた。


「……誰だ、これ」


《あなたです》アイは言った。


《身長、七センチ増。体重、十三キロ増。うち十一キロが、筋肉です。体脂肪率は、大幅に減少しました》


「七センチ……。十三キロって、お前」


《成長期に、一年ぶんの時間を、使いましたので》アイは言った。


《骨が伸び、そこへ、毎日十時間の負荷が、乗りました。持ち込んだ食料の配分も、増量に最適化してあります。一日五回に分けて、肉を先に。……当然の結果です》


 水面にもうひとつ、影が並んだ。

 クッキーが隣に来て、同じように水を覗き込んでいる。


 厚みのついた胸。艶のある琥珀色の毛並み。


 ――二人とも変わっていた。


 ソウイチは手を、水に突っ込んだ。像がぐしゃぐしゃに崩れた。


「……よし」


 立ち上がる。

 膝は笑わなかった。


「アイ。休んでろ」


《……はい。申し訳ありません。しばらく、稼働を落とします》


「謝るなよ。一年、付き合わせたのはこっちだ」ソウイチは北を向いた。


「休んでから、でいい。……そしたら、行こう」


 深い森の、そのはるか奥。

 地図に空いた、白い穴。三百二メートルの真円。


 中心の石段と、そこに整列した、十二人ぶんの何か。


 ――あそこには魔素がない。アイの声も届かない。


「今度は、四歩じゃ、終わらねえよ」


 クッキーがその足元で、ぱたん、と尻尾を鳴らした。

第13話、お読みいただきありがとうございました。


「強くなった」の中身を、省略せずに全部書きたくて、いつもより長くなりました。魔素を使わない一年。走って、振って、担いで、見る。そのあいだに彼はアイの手を作り、クッキーはクッキーで伸びていきます。


いちばん書きたかったのは、十ヶ月目の「嬉しい」と、最後の《見えなくても、あります》でした。





次回、白い穴の中心へ。十二人ぶんの装備と、地下へ続く石段。


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