54 危うい愛と、警告
「で、ついにしたの?」
教室へ着くなり、
満面の笑顔を浮かべたヴェルナが駆け寄ってきた。
ついに、した。とは?
何のことを言っているのだろうか?
ここ最近はずっとエルのお屋敷にいたので、
そこで、したこと……?
お屋敷にいる間はずっとエルが隣にいて。
愛おしいものをみるような瞳で見つめられながら、
何度も愛を囁かれたのを思い出す。
まさか、エルとのそういうこと……?
確かに「愛してる」とか「今日も可愛い」とか
恥ずかしいくらい囁かれたけど、
恥ずかしがる私をからかう甘い時間があっただけで。
そんなことまでは、してなくて。
「えっと……あの……あのね」
自然と顔が赤くなっていく。
なんて説明していいか分からず焦る私を、
その反応だけで納得したようにヴェルナは続ける。
「やっぱり、婚約の話は本当だったのね!」
「……へ?」
「え?」
急にきょとんとした顔をした私の顔を見て、
ヴェルナも同じようにきょとんとした顔になる。
「婚約……してないの?」
ヴェルナの信じられないと言った顔に、
恐る恐るこくんと頷く。
「んなっ!!一体どういうことなの?」
急に声を荒げるヴェルナに、
私のほうがどういうことなのか説明をして欲しい。
「あの、ヴェルナ。婚約ってなに?そんな噂が立っているの?」
確かに生徒からの好奇な目に晒されているような気がしないでもない。
戸惑う私を見て、大きく呼吸をしたヴェルナがゆっくりと話し始める。
「フィリアがお休みの間にアステリア公爵家で療養していたことが学園内に噂で広まってね。それで、今日久しぶりに来たかと思ったら、公爵家の馬車に乗ってきたでしょ?もうこれは婚約したんじゃないかって」
「そんなめでたい話だったら、親友の私が一番に聞きたいじゃない。そう思ったんだけど……」
その様子じゃ、本当にしていないのね。
と残念そうにため息をついている。
「あの、本当にごめんね?」
残念がるヴェルナになんだか悪いことをしたかなと、自然と謝罪の言葉が出てしまう。
「フィリアが悪いことなんて一つもないわ。私が早とちりしただけだもの」
「まぁ、しいて言うなら……」
そうフィリアの後ろの方へ目線を移すヴェルナ。
その視線を辿って振り返ると、
フィリアに甘い顔を向けているエルヴィンがいた。
「ねぇ、療養と称して私のフィリアに何かしてないでしょうね?」
じーっと疑いの目を向けるヴェルナ。
その視線を気にせずに、
フィリアの髪の毛を溶かすように撫で始めるエルヴィン。
「フィーは君のものではないよ?
僕が、僕のフィーに何をしようと、ヴェルナ嬢には関係ないことじゃないかな?」
穏やかな声の中に強い牽制が混じっているのが、
言葉の端に含まれる冷たさから感じる。
「エル?」
最近のエルには珍しい感情の起伏を感じ取って、
思わず声をかけてしまう。
ヴェルナにそんな冷たい声をかけてほしくない。
名前を呼ぶだけで、熱を帯びたような表情で見つめられる。
「フィー……どうしたの?」
吐息混じりの甘い声に、
フィリアだけを愛しているのを隠そうとしない態度。
この間までの学園での様子とまるで違う。
ーー
「いや、どうかしてるのはそっちでは?」
思わずヴェルナはツッコミを入れてしまう。
しばしの沈黙。
エルヴィンは貼り付けたような笑顔を浮かべる。
「僕としてはフィーを学園に戻したくなかったんだけどね。フィーがどうしてもって言うから仕方なく……」
深いため息をつきながら、
フィリアの頭を優しく撫でる。
そして、ゆっくりと口だけが動く。
「フィーはもう僕のものだよ?
ただ心の整理をするのに少し時間が必要なだけで」
「少しでもフィーを惑わすような言葉はいらないよ?」
風に運ばれて冷たい声がヴェルナに届く。
頬をなぞる鋭い風。
まるで鋭い刃物を突きつけられたかのような恐怖がヴェルナを襲った。
「っ!」
身体が竦む。
今までとは明らかに違う殺気。
それは“邪魔をするなら容赦しない”との警告だった。
彼を刺激してはいけない。
本能が危険だと叫ぶ。
こんな状態の彼と一緒にいて、
フィリアは本当に平気なの?
「ねぇ、エル。ヴェルナに怖い顔でもしたの?いつもみたいに仲良くしてほしいな?」
そうむくれてるフィリアに、
「そうだね……」
次はもっと上手くやるよと、
含みのある言い方をするエルヴィン。
目の前で繰り広げる光景。
ここに私がいてはいけないような空気が苦しい。
「ヴェルナ、大丈夫?顔色がすごい悪いよ」
そう言って駆け寄ってくれるフィリア。
「医務室一緒に行こう?歩ける?」
彼女のいつもと変わらない姿に安堵する。
「僕が医務室まで送っていくよ?」
にこやかな笑顔で話しかけるエルヴィンに、
「こういうのは女の子同士がいいの」
とピシャリと言うフィリア。
「フィリア、ありがとう」
そう言ってヴェルナはフィリアの手を取って歩き出す。
背後から突き刺さる視線は、
凍りつきそうなほど冷たい。
まだ足は少し震えている。
けれど、今は女の友情が勝った優越感の方が勝っていた。
……フィリアをずっと独占できなくてご愁傷様。
私だってフィリアのことが大切なんだから。
◆
「ヴェルナ、大丈夫?」
心配そうな顔で覗き込むフィリアに、
「えぇ、もう大丈夫よ」
と伝える。先程まで身体の芯まで冷えていたが、
フィリアに手を握られている間に温まったみたいだ。
「フィリアこそ大丈夫なの?療養が必要なほどの怪我って。それに、あの……エルヴィン様に本当に何かされていない?」
翠色に満たされた瞳をじっと見つめながら聞く。
少しでも揺らぐことがあれば、親友として彼から離さなければと思う。
彼の行動が以前よりも執着が強く、危険になっていると感じる。
フィリアに近づく全てへ敵意が向けられている。
まるで大切なものを取られないように、
触れられそうになると牙を向く獣のように。
いつか誤ってフィリアを傷つけてしまうのではないかと心配してしまう。
「ちょっと火傷しちゃっただけなんだけど、ゆっくりと綺麗にしてもらったから時間かかっちゃって。あと、エルはずっと優しかったよ?」
知らない間にお互い愛称呼びになってるし。
それに、エルヴィン様の話をしている時のフィリアがまとう空気もあまりにも甘くて。
……大事にはされていたみたいね。
「フィリアは、エルヴィン様といて幸せ?」
その言葉に顔を赤らめながら頷くフィリア。
「幸せで怖いくらい……幸せだよ」
その言葉に偽りはなさそう。
フィリアが幸せなら……いいか。
「前も言ったかもだけど、フィリアの幸せが一番だからね。私はいつでもフィリアの味方だから」
そう、私はいつでもフィリアの味方だから。
その言葉に嬉しそうに頷く親友は、
とても幸せそうだった。
◆
医務室の扉に貼られた案内を見上げながら、
フィリアは小さく息を吐いた。
「……クラウス先生、まだ復帰してないんだ」
医務室の扉には、クラウス先生が研修のためしばらく来られないことが書かれていた。
研修なんかじゃないことは私が一番知ってる。
あの時酷く消耗していた先生を思い出す。
……先生、大丈夫かな?
早く良くなりますように。




