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51 強引な恋人と、優しい檻

「ここ、怪我をさせてしまって、ごめんね」


申し訳なさそうなエルヴィンの声が落ちる。


フィリアの腕を包み込むように、淡い風の魔力がまとわりついた。


じわじわと焼けるような熱が引いていく。


皮膚を刺すような痛みも少しずつ和らいでいった。


「炎症と火傷の進行は止めたけど……急激な皮膚再生は身体への負担も大きいんだ」


彼の指先がそっと傷の周囲をなぞる。


「だから、その……僕の家で治療の続きをさせてくれないかな?」


控えめな言い方だった。


命令ではなく、お願い。


いつだってエルヴィンはそうだ。


私に選ばせてくれる。


私の答えを待ってくれる。


その優しさが嬉しかった。


……きっと彼の家で治療を受けた方が綺麗に治る。


それは分かっている。


だけど。


ここまで迷惑をかけてしまっていいのだろうか。


そんな風に考えていると、


「僕が」


エルヴィンが小さく言葉を続けた。


「フィーを一人にしたくないんだ」


胸がきゅっと締め付けられる。


反則だ。


そんなことを言われたら断れるわけがない。


彼はいつもそうだ。


私が欲しい言葉を知っている。


それなのに押し付けることはしない。


自分がそうしたいだけだと伝えてくれる。


だから甘えてしまう。


「……私も」


小さく呟く。


思い出したくないのに。

あの男の声が耳に残っている。


冷たい水の魔力。

絡みつくような視線。


思い出すたびに身体が震えた。


「私もまだ怖くて……エルと一緒にいたいです」


そう言うと、エルヴィンの表情が少しだけ和らいだ。


「うん」


優しく抱き寄せられる。


「一緒にいようね」


耳元で囁く声はどこまでも甘い。


「僕だけを見ていればいいから」


ふわりとシダーウッドの香りが鼻をくすぐる。


守られている。


そう感じさせる香り。


その香りに包まれるだけで、先ほど交わした言葉や温もりを思い出してしまう。


安心する。


落ち着く。


彼と一緒なら大丈夫だと思える。


怖い記憶も。


嫌な感覚も。


全部忘れられそうだった。


そっと目を閉じる。


シダーウッドの香りに身を委ねながら。


――エルのことだけを考えよう。


そうすれば、きっと大丈夫だから。


◆


震えが少し残る手を引かれながら、旧校舎を後にする。


エルヴィンの手は大きい。

私の手など簡単に包み込んでしまうほどに。


それなのに強く握り締めるわけではなく、

かといって離れてしまいそうなほど弱くもない。


安心する強さだった。


「フィーは、星巡祭は誰かと行くの?」


不意に投げかけられた問いに瞬きをする。


――星巡祭。


一年で最も大きな祭りの日。

五聖者へ感謝を捧げ、来年の安寧を祈る特別な夜だ。


幼い頃、家の窓から見上げた光景を思い出す。


王都のあちこちから打ち上げられる属性結晶のランタン。

夜空を流れる無数の光。

まるでオーロラのように空を彩る幻想的な景色。


いつか近くで見てみたい。

ずっとそう思っていた。


「誰とも約束してないです」


そう答えながら考える。

……ヴェルナを誘ってみようかな。


すると。


「今、誰のこと考えてたの?」


「わっ!?」


突然目の前にエルヴィンの顔が現れ、

思わず肩が跳ねた。


「どうせヴェルナ嬢と行こうとか考えていたんでしょう?」


図星だった。

どうして分かったのだろう。


驚いて目を見開くと、エルヴィンはじっとこちらを見つめている。


「ほら、当たりだ」


小さくため息が聞こえる。


「もう……すぐに僕以外のことを考えるんだから」


どこか拗ねたような声。


わざと膨らませた頬。


まるで怒ってると主張する子どものような仕草だった。


……公爵様なのに。

少し可愛いと思ってしまった。


「フィーも僕もお互いに愛し合っているんだから」


「これはもう恋人でいいでしょ?」


エルヴィンは当たり前のようにさらりと言った。


「こっ……恋人っ!?」


思わず声が裏返った。

心臓が一気に跳ね上がる。


心が恋人という言葉を受け入れていないと言っている。

むしろ聞くだけで恥ずかしくて逃げ出したくなる。


「なのに一番に思い浮かぶのが僕じゃないなんて……」


エルヴィンは不満そうに唇を尖らせる。


「星巡祭までにちゃんと気持ちを整理してきてね」


翠の瞳が真っ直ぐこちらを見つめる。


「僕だって、いつまでも優しいままで待てるとは限らないよ?」


にこり。


笑顔はいつも通り優しい。


なのに何故だろう。


少しだけ逃げ道を塞がれた気がした。


「ぇと……はい……」


頷くことしかできずに返事をすると、

エルヴィンは満足そうに微笑んだ。


そして、当然のように彼は伝える。


「もちろん、星巡祭は僕とずっと一緒だからね?」


決定事項だった。


その笑顔の裏にある圧力に逆らえる気がしない。


気づけば私は頷いていた。


恋人。

星巡祭。

一緒に過ごす約束。


頭の中はまだ何ひとつ整理できていないのに。


「……」


しばらく歩いてから気づく。


……あれ?

私、断るという選択肢なかったのでは?


ーー前言撤回。


エルは優しい。


とても優しい。


だけどたまに――


ものすごく強引だ。


◆


「エルっ……歩けるからっ! お願い、降ろして……っ。降ろしてください!」


必死に訴える。

けれどエルヴィンは聞く耳を持たない。


一度足をもつれさせてしまった途端、

問答無用でお姫様抱っこにされてしまったのだ。


「あのっ、重たいですから……! もう大丈夫ですし……!」


何度そう言っても。


「重たくないよ」


即答だった。


「それに僕には風魔法があるからね」


まるで当たり前のことを言うように微笑む。


「フィーの方こそ大丈夫じゃないんだから、大人しく抱っこされてて」


結局いつものように軽くかわされてしまう。


私を抱いて両手が塞がっているはずなのに。

エルヴィンの周囲を漂う風がひとりでに動き、

公爵家の門は静かに開いた。


さすが四大公爵家の次期当主。


感心すると同時に、少し悔しい。

反論の余地がない。


そのままエルヴィンはゆっくりと屋敷へ向かう。


歩幅は小さく。


まるで夜の散歩でも楽しむかのように。


庭園を彩るランタンには淡い翠の光が灯っていた。

揺れるたびに明るくなったり、ふっと弱まったり。


どこか生き物のような優しい光。

見ているだけで心が落ち着く。


「今度、庭園もゆっくり案内させて」


エルヴィンが楽しそうに言う。


「星巡祭に向けて綺麗に飾り付けてあるんだ」


そして少し考えるように視線を上げた。


「そうだね。フィーの治療には時間がかかるし、療養にはちょうどいいかもしれない」


……そんなに?


思わず首を傾げる。

腕の火傷は確かに痛む。

けれど、そこまで長引くような怪我ではないはずだ。


訝しげな視線を向けると、エルヴィンはすぐに気付いたらしい。


くすりと笑う。


「時間はかかるよ」


翠の瞳が優しく細められる。


「フィーの心の治療も必要でしょ?」


その声はどこまでも甘い。


「怖いことなんて全部忘れさせてあげるから」


そう言って。


額にそっと口づけが落ちた。


「っ……!」


熱が一気に顔へ集まる。

慌てて視線を逸らすと、

エルヴィンは満足そうに微笑んだ。


「今は両手が塞がっているから、これくらいで勘弁してあげる」


耳元で囁かれた声に、心臓が大きく跳ねる。


からかわれているのは分かる。

分かるのだけれど。

恥ずかしくて何も言い返せない。


そんな私を見て、エルヴィンはさらに楽しそうに笑った。


「せっかく恋人同士になったんだから」


その声音が少しだけ低くなる。


「覚悟してね」


どきりと胸が鳴った。

逃げ道を探すように視線を彷徨わせる。


けれど抱き上げられている以上、逃げられるはずもなく。


「ちゃんと恋人の意味が分かるまで」


エルヴィンは私を見つめたまま微笑む。


「たっぷり教えてあげるから」


その笑顔は優しい。


優しいはずなのに。


なぜだろう。


少しだけ捕まってしまったような気がした。

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