46 白い瞳と、白百合の檻
「さて……何から始めましょうか?」
糸目の男は、愉しげに口角を吊り上げながら、
檻の中のフィリアを頭の先から爪先までゆっくりと眺めている。
その視線だけで、身体が小さく震えた。
「あぁ……怖がらないでください。貴女は二千年に一人の貴重なサンプルなのですから。もちろん、壊さないよう大切に扱いますよ」
「優しくされるのは、お好きでしょう?」
柔らかな声音。
けれど、まとわりつくような気配に嫌悪感が込み上げる。
フィリアが答えないでいると、セドリックはつまらなそうに肩を竦め、研究室の奥へ声を投げた。
「クラウス先生、計測器の設定は終わりましたか?」
奥から現れたクラウスは、一度もフィリアを見ることなく、
「……全て完了いたしました」
と、感情のない声で告げる。
「先生っ! なんでこんな……。正気に戻ってください!」
ガシャン、と檻を揺らしながら叫ぶ。
クラウス先生の様子がおかしいのは、きっとこの男のせいだ。
フィリアは糸目の男を睨みつけた。
「あぁ、その反応……実にイイですね。
貴女も彼と同じようにして差し上げたかったのですが……どうにも効きが悪いようで。ですが、今の貴女の方が私としては楽しめそうです」
そう言いながら、セドリックはクラウスと共に檻の中へ入ってくる。
「クラウス先生。まずは件の魔力共有を見せてください。貴方の欲望のままに流して構いませんよ? ……まぁ、壊さない程度に」
ほどほどに、と笑う。
「先生……っ、戻ってください。クラウス先生!」
じりじりと迫るクラウスに、後ずさる。
――カシャン。
背中に冷たい鉄格子が触れた。
もう、逃げ場はない。
「……手を」
クラウスが静かに手を差し出す。
フィリアは両手を胸元へ抱き込み、首を横に振った。
抵抗が無意味だと分かっていても、
素直に従うことだけはできない。
近づいてくるクラウスに、ぎゅっと目を閉じる。
次の瞬間。
覆い被さるように抱き締められ、
耳元で苦しげな声が落ちる。
「……私を……信じて……今は、耐えて……」
その腕は、何かに抗うように微かに震えている。
白く染まった瞳の奥で、淡い水色が微かに揺らいだ。
「……すまない」
カチリ。
両手首と両足首に輪状の計測器が嵌められる。
ひやりとした感触に、身体が強張った。
「はっ……ぁ……」
その時。
クラウスの口から、押し殺したような苦しげな息が漏れる。
顔を上げると、彼は額に汗を滲ませながら必死に何かを耐えていた。
今にも崩れ落ちそうな姿に、思わず手を伸ばす。
きゅっ――
差し出した手を優しく包み込むように握られた。
そして。
普段ほとんど表情を変えない彼が、微かに微笑む。
それは儚く。
痛々しいほど苦しげで。
見ているだけで胸が締め付けられる。
身体の強張りを解くように、
その手からじんわりと熱が伝わってくる。
――大丈夫だ。
その温もりがそう語りかけているようだった。
けれど次の瞬間。
白き瞳が強く輝き、理性の綻びから本能が顔を覗かせる。
絡め取るように指を繋がれ、
そのまま両腕を頭上へ押さえ込まれる。
胸元を庇うように抱えていた腕は、
あっさりと奪われる。
胸元も腹部も無防備に晒され、
心許なさがじわりと胸に広がった。
「……流しますよ」
耳元で、クラウスの荒い呼吸が響く。
いつもの冷静さはない。
余裕を失い、何かと必死に戦っている表情。
それでも。
流れ込んでくる魔力は驚くほど優しかった。
ゆっくりと、伝うように身体へ入ってくる。
……温かい。
以前感じた冷たい水のような魔力とは違う。
身体の奥からじんわりと温められていくような感覚。
優しい熱が全身を巡るたび、計測器が明滅を繰り返す。
「ほぅ……これは興味深いですね」
セドリックがモニターを覗き、愉しそうに笑う。
「彼の魔力と、貴女の身体で変換された魔力。二種類が混ざり合って存在している」
細い指で自身の顎をなぞりながら続ける。
「では、受け止めきれないほど流した場合はどうなるのでしょうか? ……クラウス先生も気になるでしょう?」
「変換が間に合わず、彼女の身体は貴方の魔力だけで満たされてしまうのか。
……この検証は、“レオニス殿下の為”になるのですよ」
唆すような声。
ーーもっと欲望のままに魔力を注げと。
それは、貴方の一番望む人のためになるのだと。
「……くっ」
絡めた指に力がこもる。
クラウスの額から汗が滴り落ちた。
俯いたまま、必死に何かへ抗っている。
それでも、
流れ込む魔力だけは最後まで優しかった。
「はぁ……役に立たないですね」
セドリックは呆れたように額へ手を当てる。
「研究への欲望も、淡い愛も、忠誠心も全てが中途半端だ。実に残念です」
ゆっくりと糸目が開かれる。
その瞳は、哀れむように二人を見下ろしていた。
「実験用のマウスに手加減などする研究者が、どこにいるのです?」
次の瞬間には再び笑みを浮かべ、フィリアの傍へ寄る。
「……二重に魔力を注がれたら、貴女はどうなるのでしょうね?」
その言葉に、身体がびくりと震えた。
クラウスに絡められたフィリアの手。
その上から、セドリックの細い指が静かに重なる。
「クラウス先生は、そのまま流し続けてください。止めてはいけませんよ?」
絡みつくような命令。
「っ……!」
異質な魔力が、無理やり身体をこじ開けようとしてくる。
氷のように冷たい魔力。
鋭い痛みが指先から全身へ走った。
「ぃやぁぁぁっ!」
身体を必死によじる。
けれど拘束された腕は逃がしてくれない。
「……はぁ。自ら受け入れれば痛みもないというのに。もっと入らなければ検証にならないではありませんか」
理解できない、とでも言いたげにセドリックは首を傾げる。
そして、フィリアの顎をくいっと持ち上げた。
「私を見なさい」
優しく諭すような声。
「貴女へ流れる魔力を、全て受け入れなさい。
それは、貴女の愛する人を守ることになるのですよ?」
セドリックの瞳が白く怪しく輝く。
本能が逃げろと叫ぶより早く、視線が絡み合ってしまう。
眩い光。
意識が霞んでいく。
愛する人――。
その言葉に、エルヴィンの姿が浮かんだ。
「……エ……ル……」
「そう。貴女の愛する“エルヴィン・アステリア”のために。身を委ねなさい」
優しい声が、沈みゆく意識の奥深くまで染み込んでくる。
氷のように冷たい水が流れ込む。
その冷たさを包み込むように、温かな水がゆっくりと絡み合っていく。
飲み込む度に、優しい彼が微笑んでくれている気がする。
境界が曖昧になっていく。
霞んだ視界。
ふわふわと浮遊するような感覚。
何が現実で、何が夢なのかもわからない。
鼻先を掠めるのは、白百合の甘く上品な香り。
その奥に混じるミントの清涼感。
そして微かに漂う、薬品の匂い。
その香りだけが――
今起きていることが夢ではないのだと告げていた。
冷たさも。
温もりも。
香りも。
すべてが溶け合い、混ざり合っていく。
まるで――
自分自身がフラスコの中へ落とされ、
静かに撹拌されている素材になったかのようだった。
ーー
「ふふふ……はははっ! 素晴らしい!」
セドリックの肩が歓喜に震える。
「同じ水属性とはいえ、性質の異なる魔力を拒絶反応もなく受け入れるとは……!」
彼女は洗脳が効きづらい。
だが――効かないわけではない。
あとは、あれさえ確認できれば。
陛下の望む未来へと手が届く。
視線を横へ向ける。
フラスコの中では、闇の魔力が執拗に壁を叩き続けていた。
まるで、檻の中の少女を求めるかのように。
「さて……どこまで受け入れられるのか、見せていただきましょう」
フィリアの顎から手を離し、
もう片方の手をクラウスの上へと重ねる。
次の瞬間――
流れ込む魔力量を、一気に跳ね上げる。
先程まで痛みに抵抗していた少女は、
今や自ら求めるように魔力を受け入れている。
まるで甘い夢へ沈んでいくように。
止まらない。
終わらない。
注ぎ込まれた魔力が、次々と彼女の中へ消えていく。
その異常な受容量に、
ついにセドリック自身が額へ汗を滲ませた。
――研究者である私を試すというのですか。
「……実に面白い」
恍惚とした笑みが深まる。
「先に尽きるのは貴女か――それとも私か」
白い瞳が妖しく細められる。
「さあ、最果てまで辿ってみましょう」




