45 白い瞳と、黒い檻
――コンコンッ。
扉を叩く音が響く。
その音に反応して薄く目を開ける。
……いつの間にか、眠ってしまっていたみたい。
「はい、どう――っ!?」
寝ぼけたまま返事をしかけ、はっと息を呑む。
殿下と二人きりの部屋。
正式な手段でここへ来たわけではない。
しかも――右手は、まだ殿下と繋がれたまま。
肝心の殿下は、幸せそうに眠っている。
――どうぞ、なんて言えるわけがない!
カチャリ。
無情にもドアノブが回った。
も、もう遅いかもしれないけど……隠れる場所は!?
回らない頭を必死に働かせ、
咄嗟にベッドへ身を沈めるようにしゃがみ込む。
けれど。
無情にも、殿下とは手を繋いだまま。
どう見ても“誰かいる”状態だった。
「レオニス殿下……」
聞き慣れた冷たく透き通った声。
恐る恐る顔を覗かせると、
そこには殿下を静かに見下ろすクラウス先生がいた。
「先生!良かった!」
もし入ってきたのが王宮の別の人だったなら、
最悪、拘束されることも覚悟していた。
知っている人がいる。
それだけで、胸がほっと緩む。
「あの、どうして私がここにいるのかとか、二人きりで何をしていたのかとか……色々あると思うんですけど……」
どう説明すれば誤解されないのだろう。
必死に言葉を探していると、
「大丈夫です。全て知っています」
冷え切った声が返ってきた。
……冷たい。
いつもよりも。
まるで別人みたいに。
白く光を宿した瞳に、背筋がぞくりと粟立つ。
違和感を覚えながらも、
その空気に呑まれて、それ以上言葉が続かなかった。
“全て知っている”とは、一体どこまでなのだろう。
沈黙だけが流れる。
「あのっ……そろそろ寮へ戻りたくて。帰り道を教えていただけませんか?」
耐えきれずに口を開く。
「……案内しましょう」
そう答えると、クラウス先生は振り返ることなく歩き出した。
待つ様子もない。
置いていかれそうな焦りに、慌てて立ち上がる。
「殿下、早く良くなってくださいね」
小さくそう零し、
繋がれた手をそっと離した。
フィリアはクラウスの後を追って、部屋を後にした。
◆
旧校舎一階――最奥の空き部屋。
誰も使っていないはずの場所で、
なぜフィリアが魔法を使ったのか。
エルヴィンは静かに扉を開く。
その瞬間、視界いっぱいに広がったのは――
幾重にも重なった古代文字の魔法陣だった。
床も、壁も。
隙間なく描き込まれた術式で埋め尽くされている。
「これは……」
読み取れる部分を、一つずつ辿っていく。
「夢……空……叶う……」
流麗で美しい筆跡。
その中に混ざる、少し丸みを帯びた愛らしい文字。
……フィリアの字だ。
やはり彼女が、この魔法陣を起動した。
だが、これは何の術式だ?
「……自由への扉」
ふと脳裏に浮かぶ。
“自由になりたい”と笑っていた、
友人であり、未来の主君。
……レオニス殿下。
ここまで高度な古代文字術式を扱える魔導士など、そうはいない。
改めて見れば、
この流れるような筆跡は、殿下そのものだった。
フィリアは、殿下の元へ行ったのか?
残された僅かな痕跡を辿るように、
エルヴィンは静かに部屋を後にした。
◆
コツ、コツ……。
クラウス先生の歩調は異様に速い。
小走りになりながら必死に追いかける。
いつもの先生なら無愛想でも、
相手への配慮くらいはあるのに。
拭えない違和感に胸がざわつく。
「先生が来てくれて、本当に良かったです。どう帰ればいいのか分からなくて……」
「先生、お城って広いんですね……。あの……出口は遠いんですか?」
問いかけても、返事はない。
ただ一定の足音だけが続く。
やっぱり、おかしい。
「先生! あの――っ、わぷっ!?」
さらに声を掛けようとした瞬間。
突然立ち止まったクラウスの背中に、
顔をぶつけてしまった。
目の前には、重厚な黒扉。
どう見ても、出口には見えない。
「先生……? ここは……?」
そう尋ねた瞬間。
ゆっくりと振り返ったクラウスの瞳が、
白く妖しく輝いた。
その光を最後に、
フィリアの意識は途切れた。
◆
「……で……洗脳……耐性が……」
遠くで誰かの声が聞こえる。
冷たい床に寝かされていたせいか、
身体がひどく冷えていた。
「……ここは?」
ゆっくり目を開ける。
黒扉の先――そこは研究室のようだった。
無数の計測器。
積み上げられた魔石。
壁一面の術式。
ホワイトボードにびっしりと書き込まれた難解な魔術理論。
無機質な部屋には、自然な魔力や温かみを感じるものが一切なかった。
そして。
――何故か、私は檻の中にいた。
「お目覚めですか?」
声のした方を見る。
そこにいたのは、
初めて見る糸目の男だった。
「すみません……ここはどこで、私はどうしてこんなことに……?」
不安を押し隠しながら尋ねる。
しかし男は、薄く笑うだけだった。
「なるほど。その不安げな瞳は実に唆られますね」
ゆったりと計測器を弄りながら、
愉しそうに続ける。
「そうやって、様々な方と魔力共有を?
……いやはや。私も研究のために、一度試してみたいものです」
丁寧な口調。
穏やかな声音。
なのに、言葉の中身だけが酷く粘ついていた。
生理的な嫌悪感に、背筋が寒くなる。
「これをご存知ですか?」
そう言って男が見せてきたフラスコ。
その中には、小指ほどの漆黒の塊が蠢いていた。
「闇の魔力……!」
ぞくり、と身体が震える。
デートの日、
エルヴィンを拘束していた“あの闇”に似ている。
大きさは違う。
けれど、本能が恐怖を思い出していた。
その瞬間。
フラスコの中の闇が、
フィリアを見つけたように勢いよく硝子に張り付く。
ビタッ――と。
まるで、
こちらへ来たがっているみたいに。
「ご存知の通り、これは闇の魔力の一片です」
男は楽しげに目を細める。
「ふふ……貴女には随分反応していますね。それほど、貴女の魔力は“美味しい”のでしょうか?」
細められた瞳の奥で、
観察するような視線が絡みつく。
「貴女の魔力を、少しいただけますか?」
檻の隙間から手が差し入れられた。
「お断りします!」
その手から逃れるように後退り、
フィリアは強く睨み返した。
すると男は――
「っ、はははっ……!」
堪えきれないように笑い出した。
「その反応……いいですねぇ。実に……ぞくぞくします」
口元を押さえながら、
愉悦に滲んだ声で囁く。
「今の貴女に魔力が残っていないことは理解しています。ですから――」
ゆっくりと、檻を見下ろした。
「後で、たっぷりいただきますね?」




