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42 尽きゆく魔力と、自由への扉

「レインさん!殿下はこの魔法陣のこと、何か言っていませんでしたか!?」


――魔力が、持たないかもしれない。


ほんの少しでも流れを弱めれば、

たちまち魔法陣の光が揺らぎ始める。


ぎゅう、と魔力を絞り取られる感覚。

指先はじんじんと痺れ、感覚が薄れていく。


十層分の魔法陣を起動し続けているせいで、

肝心の“発動に必要な魔力”まで失いかけている。


「なんでもいいんです! 手がかりをくださいっ!」


額を伝う汗が視界に落ちる。

維持するだけで精一杯で、頭が回らない。


――Εἰπὲ τὸ ὄνομα τῆς πύλης ἣν ἀνοίγεις.

汝が開く門の名を答えよ。


この魔法陣の“名前”。


この場所を教えた人になら、

きっと――託しているはず。



カリカリ……。


蒼い瞳の中に星をきらきらと瞬かせながら、殿下は魔法陣を描いていく。

王族が地に膝をつく姿など、本来は誰にも見せてはならないものだ。


けれど――

好奇心が勝る彼には、この国の常識など関係ない。


それが好ましくもあり、同時に危うくも感じられる。


「殿下、私にこの魔法陣を見せてもよろしいのですか?」


古代文字の羅列。幾層にも重なる多重魔法陣。

言われずとも、国家機密級の代物だと分かる。


「いいの、いいの。もしもの時のために、レインには知っておいてほしいんだ」


軽い口調のまま、手は止まらない。


「安心して。君が起動することは出来ないから。何かあっても責任は問われないよ」


――そういうことを聞いているのではない。


この人は、人の心を分かっているようでいて分かっていない。

胸の奥で小さくため息をつく。


「私が起動できないのでしたら、尚更です。共同研究をしているクラウス氏の方が適任では?」


役に立てないと言わされるほど、悲しいことはない。

その思いを悟られぬよう、淡々と告げる。


すると殿下は手を止め、真っ直ぐこちらを見た。


満天の星空のように輝く瞳。

思わず胸がどきりと跳ねる。


その美しさに、目を逸らすことができない。


「すまない。言い方を間違えたみたいだね」


困ったように微笑み、そして――


「レイン。一番信頼している君だからこそ、知っていてほしいんだ」


優しく言った。


殿下が嘘を言ったことはない。

その言葉が本心だと、分かってしまう。


胸の奥に、静かに喜びが満ちていく。


「……そうですか」


にやけそうになる顔を隠すように、視線を逸らした。


「それで……これは何の魔法陣なのですか?」


知ってほしいと言われたなら、役目を果たさなければ。

話題を魔法陣へ戻す。


「転移魔法陣だよ」


殿下は再び描き始めた。


「ほら、僕を殺したいほど愛してる人がたくさんいるでしょ?

逃げ道は用意しておかないと」


「僕は愛されてるなぁ」


茶化すような口調。けれど、命を狙われているのは事実だ。


「ですが、私が起動できないのなら意味がないのでは?」


逃げ道があっても、使えなければ意味がない。


「いや、意味はあるよ。光属性で古代文字を読める者じゃないと起動できないけど――」


微笑んで言う。


「レインなら見つけてこれるだろう?」


その確信はどこから来るのだろう。

未だに王族以外の光属性をほとんど見つけることが出来ていないというのに。


「これは僕の部屋と学院を繋ぐだけのものだけど」


魔法陣をなぞりながら、静かに続ける。


「いつか、行きたいところへどこへでも行ける“自由への扉”を作りたいんだ」


深い蒼の瞳に、シャンパンゴールドの光が揺れる。


「もしかしたら異世界にも行けるかもね」


冗談めかして笑う殿下が、何よりも――眩しかった。



「自由への扉……」


懐かしい記憶の糸を辿り、思わず呟く。


「自由への扉ですね!」


フィリアが弾けるように声を上げる。


そして、古代文字を思い出しながら詠唱を始める。


残る魔力を、余すことなく全て魔法陣へと流し込む。


「Ἐγὼ δέ σοι ἀποκρινοῦμαι· τὸ ὄνομα τῆς πύλης ἐστίν—」

我、汝へ答えよう。汝が門の名は――


「Πύλη πρὸς Ἐλευθερίαν!」

“自由への扉”


十一層目の魔法陣が閃光を放つ。

すべての陣が光と光で繋がっていく。


「……綺麗」


溢れ出したのは、レオニス殿下の面影を映したような、どこまでも温かな光。


浮かび上がった魔法陣の幾何学模様の中には、

起動には直接関係のない『空』や『海』を謳う古代文字の詩が、隠し絵のように織り込まれていた。


(こんなところまで、レオニス様らしい……)


不意に、身体が光の渦へと引きずり込まれるような感覚に襲われる。

制御不能なほどの高出力。

転移の波動が、すでにフィリアの存在をこの場から削り取ろうとしていた。


「レインさん、手をっ……!」


反射的に腕を伸ばす。


けれど、指先が彼に届くよりも早く、光の粒子がフィリアの視界を白く塗り潰した。


伸ばした手は、空を掴んだ。


指先に触れたのは、温もりではなく――ほどけていく光の粒。


次の瞬間、フィリアの姿は完全に消えていた。


残された魔法陣の光も、役目を終えたかのようにゆっくりと収束していく。

眩い輝きは静かにほどけ、やがて部屋は元の薄暗さを取り戻した。


耳が痛くなるほどの静寂。


ほんの数秒前まで確かにそこにあった気配が、跡形もなく消えている。


レインは、伸ばしかけた手をゆっくりと引き戻した。


強く握り締めた拳が、かすかに震える。


「……どうか」


掠れた声が、誰に届くでもなく落ちる。


「どうか、殿下を……お願いします」


その祈りを最後に、レインの姿は闇へと溶けるように消えた。


部屋には、もう誰もいなかった。


――ただ、床に残る微かな光の残滓だけが、

ここで確かに“扉が開いた”ことを物語っていた。

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