40 紫水晶の瞳と、甘い闇
漆黒の髪の青年に従い、長い廊下をついていく。
学院が広いのは知っていたが、
どこへ行くのだろうか?
足音だけが響く廊下に、不安がじわじわと広がっていく。
「あのっ、どこまで行くんですか?」
あまりに人気もなく、
気づけば助けを求めることすらできない場所に、
今更ながら恐怖を抱き始める。
前を歩いていた青年は、
こちらにゆっくりと振り返り、目を細める。
「どうやら貴女には自分自身の尊さがわかっていないうえに、危機感が足りないようですね」
「私が殿下の使いではなかったら、どうします?」
キラリと光る紫水晶の瞳が、
口の端に小さな笑みを浮かべている。
「えっ……?」
授業後に、当たり前のように教室に来て、殿下の使いだといった青年。
周りの先生も生徒も気に留めていなかったし、部外者ではないと勝手に思っていた。
でも、胸についているピンが、王宮に所属しているものの証に見えるし……。
殿下の使いではないのだとしたら、一体だれなの?
混乱しながらも、恐る恐る尋ねる。
「……違うんですか?」
青年は微笑みを崩さないまま、逃げ場を塞ぐように、頬が触れ合う寸前まで近づいて囁かれる。
「さぁ、どうでしょう?」
くすりと笑う声が聞こえる。
ごくりと唾を飲み込み、フィリアは身を固くした。
その反応をみて、楽しげにする漆黒の青年。
「可愛い反応をしますね。桃の甘い香りも、誰かを誘っているようだ」
そう言って髪に小さく口づけをする。
「私が注いだら……何色に染まるんでしょうね?」
目と目が合う。
憂いを帯びた紫水晶の瞳が微かに揺れている。
悪い人には見えない。
だけど。
これからの状況が見えず、
不安を抱いたままフィリアは相手の反応を待つしかない。
「ふふっ。安心して下さい。正真正銘、殿下の使いです」
すっと距離をおいて微笑む。
紳士的な態度に思わずほっとする。
「貴女には殿下を助けていただきたいのです」
そう言って奥の扉を開けると、
幾重にも古代文字で描かれた魔法陣が、部屋いっぱいにびっしりと埋め尽くされていた。
「この転移魔法陣で、殿下の元に行けるのですが……」
少し困ったように目を伏せる。
「私の闇属性とは相性が悪くて。できれば、貴女の力を借りたいのです」
そう言って、フィリアの方をみる。
「光属性に変換した魔力を注いでもらえませんか?」
ーー
レオニスの星空のように輝く瞳を思い出す。
飄々としているけど、何かあれば助けてくれる優しい人。
レオニス殿下の身が危ないのならば、助けないと。
ただ、今の私には魔力がないから……。
目の前に広がる古代文字で描かれた魔法陣。
レオニス殿下はあっさりと起動させていたけど、
どのくらい魔力が必要なのだろう……。
起動させてみたい。
その神聖な魔法陣を前に、好奇心が疼いてしまう。
チラリと漆黒の彼をみる。
黒を基調としたロングコートに、
銀の懐中時計がちらりと光る。
切れ長の目ではあるが、目尻がやや下がっているため優しい印象を受ける。
目が合うと優しく微笑まれる。
焦っている様子はなく、いつでも待てますと言っているようだった。
魔法陣を起動させるなら、彼から魔力を貰わなければならない。
ーー何色に染まるんでしょうね?
先程言われた言葉が頭を掠める。
彼からはどんな魔力が流れてくるのだろうか?
ーー僕以外に魔力を満たさないで。
エルヴィンからの一方的な約束。
その言葉に胸がチクリと痛む。
約束を破ってはいけないという、
強迫観念にも似た、心を縛っている何か。
その言葉を嬉しく思っている私。
優しい彼を傷つけてしまうことへの罪悪感。
だけど。
レオニス殿下を助けるためだから……。
これは仕方のないこと。
今回だけだから。
そう自分に言い聞かせて、青年に向かって伝える。
「今私には魔力がないので、起動させるには貴方の魔力を貰わないといけないんです」
「えぇ、存じております。魔力を受ける覚悟がお決まりになりましたら、お手をどうぞ」
そう言って、まるでダンスの相手を申し込むように優雅に手を出される。
「……お名前だけ聞いてもいいですか?」
その言葉に、驚いた顔をする青年。
「失礼、私としたことが。王子直下部隊配属のレインと申します。以後お見知り置きを」
そう言って再び手を差し出される。
目が合うと、ちょっと恥ずかしそうに笑っていた。
「ふふっ。レインさん、お願いします」
つられ笑いをしながらも、フィリアはレインの手にそっと手を重ねた。
ーー
黒紫色のふわっとした靄が手を包んでいく。
ゆらゆらふわふわと蝶のように舞っている姿が、
とても幻想的で見惚れてしまう。
そして。
触れた手から、優しいけど重みのある魔力が伝ってくる。
まるで、静かな夜の海に沈んでいくような。
暗いはずなのに、どこか神秘的で。
深く沈んでしまったら、
もう抜け出せないような感覚。
フィリアの瞳が濃く深い紫色へと変わっていく。
レインが瞳をじっと見つめ呟く。
「とても……綺麗ですね」
その言葉に、顔が赤くなる。
彼の魔力の色が綺麗なだけであって、
自分ではないと言い聞かせるが、
素直な言葉に胸の高鳴りを感じてしまう。
「そんなに、見ないでください……」
恥ずかしさに顔を背ける。
目を閉じても、彼の綺麗な紫水晶の瞳が映る。
初めて会うのに、ずっと知っているような不思議な感覚。
「目を……閉じないでください」
レインの囁くような声に、自然と身体をよじらせてしまう。
目を開いたら、きっと、溺れてしまいそう。
目をつむり顔を背けたまま、魔力共有を続ける。
魔力の流れは感じるのに、
身体が何かで満たされている感じはない。
今までの魔力共有と違い、
どこまですれば溢れてしまうのかわからない。
彼が魔力を流してくれてるのか、
私が魔力を吸っているのか、
それすらも曖昧で。
身体がというよりは、
脳が蕩けるような心地よさを感じている。
彼が自分を甘く愛してくれる存在だと、
脳が錯覚し始めている。
エルよりも……?
その危険な魔力に気づいて、はっと目を開けると。
「やっと、目を開けてくださいましたね」
紫水晶の瞳が、微笑みながらじっとこちらを見つめる。
目が合った瞬間に、身体に電流が走ったようにびくんと震える。
「あっ……」
その衝撃でフィリアはレインから手を離し、大きく身体が崩れそうになる。
足に力が入らない。
そのまま倒れそうになるところを、
レインが優しく抱き止める。
目と目はずっと合ったままで。
心臓の音がうるさい。
きっと彼にも聞こえてしまっている。
暗闇に映える紫水晶の綺麗な瞳に、
どうしても目が離せない。
「貴女は、欲しがりさんなんですね」
レインがくすりと笑う。
その言葉に驚きと恥ずかしさが込み上げる。
私、また魔力を自然に吸っていたの?
違うんです。身体が勝手に。
そう弁明しようと口を開こうとするが、
言葉より先に涙が溢れてしまった。
泣き始めるフィリアの髪を優しく撫でながら、
「泣かないで。あまりにも可愛かったものですから」
「貴女は何も悪くないですよ」
そう、ぎゅっと抱きしめてくれる。
全てを分かった上で、受け止めてくれる安心感から身を委ねてしまう。
自分の感情がわからないまま、
ただひたすらに落ち着くまで彼の腕の中で泣き続けた。
その間、レインは責めることなく、ずっとよしよしと慰めてくれた。
まるで最初からそうするつもりだったかのように。




