39 染まらない瞳と、遠ざかる君
頭が冴えるような、ひんやりと澄んだ朝だった。
窓の外には、何事もなかったかのような青空が広がっている。
――まるで、あの日空が黒く染まったことなど最初からなかったみたいに。
「レオニス殿下、しばらく公務で学院をお休みするんですって。お忙しい方よね」
女学生たちが楽しげに情報交換をしている。
窓の外を見ながら、エルヴィンは物思いに耽る。
いつもは教室に早めに来るフィリアが、
今日はまだ来ていない。
雪の日のデートで、身体に負担をかけてしまったのだろうか?
それとも、また何かに襲われでもしていないだろうか?
考え出すと止まらない。
フィリアに、ずっと“僕を”満たしていてもらわないと。
どこにいるか分からない不安が、胸を苦しくさせる。
教室の扉へ視線を向けると、
何も変わらない様子のフィリアが入ってくるところだった。
「フィー、おはよう」
何事もなさそうでよかった。
愛しげな笑みを浮かべ、エルヴィンが挨拶をする。
「エルヴィン様、おはようございます」
少し恥ずかしそうに――
けれどどこかよそよそしく、あまり目線をくれないフィリア。
その様子に違和感を感じる。
ただ、恥ずかしがっているからだけではない。
その態度には何かがある。
「ねぇ、エルって呼んでくれないの?」
その言葉にびくっと身体を震わすフィリア。
「それは……あの……」
フィリアは俯きながら周りの様子をチラチラと見ている。
何かの言い訳で逃れようとしている姿に。
ずっと目を合わせてくれない姿に。
ーー苛立ちを抑えきれない。
「僕を見て」
顎に手を添えて持ち上げ、
無理やりこちらを向かせる。
教室が、しんと静まり返った。
誰も声を出さない。
それなのに、ざわめきだけが確かに広がっていく。
普段出したことのない威圧的な声に、
自分でも焦っているのがわかる。
それでも少しでも離れようとするフィリアを留めておきたい。
灰青の瞳が驚きと戸惑いで揺れている。
灰青。
――気に食わない。
愛するフィリアの瞳の色なのに。
彼女に、自分の印が何一つないことが怖い。
僕の色に染めないと。
その場で触れた指から魔力を注ぎ始める。
「……?」
いつもなら軽やかな魔力が、
ドロリとした重さを感じる。
そして。
いつもなら全てを飲み干すように、
受け止めてくれる彼女の身体が。
まるで拒絶するかのように、魔力が入っていかない。
――うまくいかない。
焦りと苛立ちが募る。
力で無理に押し流そうとすると、
「いやっ!」
フィリアに身体を押し返された。
逃げようとする彼女の腕をつかみ、
再び自分の方へ向かせようとする。
彼女が少しでも自分から離れそうになるのが恐ろしい。
側にいてほしい。
そう僕の想いは伝えたはずなのに。
そのまま彼女を自分へ引き寄せようとした瞬間、
「授業を始めますよ?席についてください」
と教員が入ってきた。
ーー
……どうにも落ち着かない。
ノクトと出会って以来、
身体の重さが抜けないでいる。
エルヴィンは少し重たい手を動かし、
ノートをとっていく。
自分の魔力が戻っているはずなのに、
ずっと満たされていない違和感を感じる。
そして。
「フィー…」
遠くに座っている彼女は、
本当に遠くに行ってしまうような気がした。
お互いの想いを確認し、
距離が縮まったと思ったのに。
お友達になった頃よりもよそよそしさを感じる。
……どうして。
彼女に真意を確かめなければ。
ーー
終業の鐘が鳴る。
「月末には期末テストを予定しております。
星巡祭があるからと言って学業を疎かにしませんように」
そう教員が締め括った。
星巡祭。
それは、世界を潤し巡らせる五聖者と魔力に感謝し、来年の安寧を祈る日。
自分の余った魔力を空に灯す祭りだ。
街は属性結晶のランタンと、魔法で浮かべられた残り火で埋め尽くされる。
夜でも色とりどりの光が灯る幻想的な祭り。
――恋人と過ごすのにもってこいの日。
今はフィリアを誘う口実がなんでも欲しい。
フィリアの方へ歩き出そうとすると、
彼女はすでに黒髪の青年と話をしていた。
誰だ?
今まで見たこともない青年。
ノクトを思わせる漆黒の髪に、
一気に身体が熱を帯びるのを感じる。
怒りのまま彼女との間に割り込もうとする前に、
ヒヤリとした手が肩を掴んだ。
「ーーっ!」
振り返ると、そこには冷たい視線を向けるクラウスがいた。
「クラウス先生、今は忙しいので」
と、肩に置かれた手を振り解こうとすると、
「闇の聖者と接触したとのこと。君の身体を調べたい。来てくれるかい?」
これは王命だと、有無を言わせない視線。
フィリアの方を向くと、すでにいなくなっていた。
クラウスに従うしかなかった。
◆
時計の音が静かになっている。
ノクトとの邂逅について話終えると、
クラウスは何か考えている様子だった。
「その後、不調はありますか?」
クラウスはエルヴィンの身体を上から下までじっと見つめる。
「そうですね……。身体が重たい感じがするのと、魔力が全て戻っていない感じがあるくらいでしょうか」
フィリアに魔力を送れなかったのは、
彼女が拒んだからで体調不良ではない。
「なるほど……実際に身体を見た方が早そうですね」
メモリのようなものが付いた魔導機を持ってくると、
目の前に置いた。
「これは魔力の出力を測る魔導機です。今回はこちらに魔力を送ってもらっている間に身体の魔力の流れを診させてもらいます」
「ここに手を置いて、ゆっくりと魔力を流してください」
指示通りに魔導機に手を置き、
魔力をゆっくりと流し込むようにする。
いつも通りの軽やかな風が踊るように流れていく。
「失礼」
そう言うと、
クラウス先生はエルヴィンのお腹にそっと手を当てる。
ひやりとした冷たい感触に、
身体がぴくっと反応する。
突然のことに魔力の流れを途切れさせてしまう。
「そのまま魔力を流していて下さい」
軽く叱咤される。
そして、クラウスは腹から伝うように胸へ手を沿わせていく。
くすぐったさと恥ずかしさに反応する身体を抑えようとするが、耳が赤くなっているだろうことは、
顔の熱が上がっていることで容易に想像できた。
……こんな、恥ずかしいこと。
検査のためとは言え、こんな恥ずかしいことを。
……?
……フィリアにも……したのか?
魔獣討伐訓練後、部屋に誰にも入れないように病院の特別室を用意したというのに。
彼は勝手にフィリアと魔力共有をしていた。
医者というだけで。
気持ちの荒ぶりが魔力にも伝わり、
先ほどまで踊るように流れていた魔力が、嵐のように荒れ始める。
「ふむ。流れも途切れも乱れもないですし。
魔力壺も壊れていない。何も異常はなさそうですね……」
魔力の高まりに対して、何も気にしていない様子のクラウス。
「これ以上は何も見つからなそうなので、診察はこれで終わります」
あっさりと終わりにしようとする。
去ろうとするクラウスに呼びかける。
「先生……フィリアにも以前このような検査を?」
クラウスは足を止めて、顔だけ振り返り
「それを聞いて、どうするのです?」
吐き捨てるように言った。
「彼女は特別です」
「今はレオニス殿下の管轄のため自由ですが、
本来なら私達が接することなく王宮で暮らしているはずです」
彼女の幸せを思って、殿下が自由にさせているだけ。
我々が彼女の人生を左右できる立場に、いないのだと。
彼女に対する嫉妬の炎など、無意味なのだと。
そう告げている。
「それをお忘れなきよう」
そう言い残し、去っていった。
残された部屋は、やけに静かだった。
時計の針の音だけが響き、
時が経っていることを告げる。
フィリアが特別なのは知っている。
それでも、彼女は“僕のもの”だ。
もう誰にも奪わせない。
……フィリアは今、誰と話している。
それを考えた瞬間、胸の奥がざわついた。
お話しをお読みいただきありがとうございます(*´꒳`*)
また、ブックマークをしてくださった方、ありがとうございます。
作品に興味を持ってもらえて、とても嬉しいです。
まだまだ未熟な部分も多いですが、フィリアたちの物語を最後まで届けられるよう、精一杯頑張りますね。




