29.4 眠る鼓動と、囁きの独占 〜フィリアとエルヴィンの夜〜
これはおまけ話です。
本編とは少し離れたお話のため、
飛ばしていただいても大丈夫です(*´꒳`*)
闇の魔力暴走事件後の帰り道のおまけエピソード。
エルヴィンとフィリアのキュンをいれてみました。
星空の下、手を繋いで歩く。
青年は嬉しそうに少女の手をぎゅっと握り、
少女は恥ずかしそうに弱く握り返しながら、されるがままに連れられていた。
(どうか手に汗が出てきませんように)
星空に向かって、そっと祈る。
夜風は涼しいはずなのに、
緊張と恥ずかしさで身体はじんわりと熱かった。
(きっと、寮の入り口まで離してくれないよね……)
ちらりと隣を見上げると、
彼はすぐに視線に気づき、優しく微笑み返してくる。
――どうして、こうなったんだっけ。
もう一度空を見上げれば、
星たちはまるでこの状況を面白がるように、きらきらと瞬いていた。
◆
「……あの、私、一人で帰れますので」
そう言って帰ろうとしたフィリアだったが、
その提案は一瞬で全員に却下された。
学院から寮まではそれほど遠くない。
これまでも何度も一人で帰っているのに。
“一人で帰る”。
その選択肢は、最初から存在しなかったかのように、
誰が送るかで揉め始めてしまう。
「フィリアは僕と帰るんです!」
指一本も触れさせるつもりはない、と言わんばかりに、
エルヴィンがフィリアを抱き寄せて牽制する。
「そもそも寮生活をしているのは僕とフィリアだけです。皆さんは帰る方向が違うでしょう?」
至極真っ当な正論を並べながら警戒は一切緩めない。
レオニス殿下やラグナ様といる時のエルヴィンは、
どこか弟のように振る舞うことがあって――それが少し可愛らしくて。
そのやりとりを見ていたい。
けれど。
抱きしめる腕の強さには、いつもの余裕がない。
(……ちょっと、苦しいかも)
「エ、エルヴィン様……あの……んんっ」
腕を軽く叩いて訴えると、
彼はハッとしたように力を緩めてくれた。
ほっと息をついた――その瞬間。
するりと手を引かれ、
気付けば今度はレオニス殿下に肩を抱かれていた。
「まったく……女の子に優しくできないなんて。これじゃエスコートは任せられないなぁ」
わざとらしくため息をつきながら、口元は楽しそうに笑っている。
「ね?」
こちらへ同意を求めてくるのが、本当に意地が悪い。
明らかにエルヴィンの反応を楽しんでいる。
「そうだな……誰とも付き合ったことがないのが問題だな」
ラグナが口の端を歪めて笑う。
(え……?)
(あんなに女学生にモテているエルヴィン様が……誰とも?)
驚いてエルヴィンを見ると、
図星だったのか、彼は顔を赤くして俯いていた。
その様子に、こちらまで恥ずかしくなる。
聞いてはいけないことを聞いてしまったのかもしれない。
(どうしよう……)
「え、えっと!……私は!
エルヴィン様と、帰りたい……です……」
助けたい一心で口にした言葉。
けれど、自分で言ってしまった“一緒に帰りたい”という響きに、
頬がどんどん熱くなる。
皆の視線が一斉に集まった気がした。
沈黙が、痛い。
「エルヴィン様! 行きましょう!」
これ以上ここにいたら、恥ずかしさで死んでしまう。
もう、なるようになれ!
エルヴィンの手を掴み、ぐっと引いて走り出す。
最初こそ驚いた顔をした彼だったが、
すぐに嬉しそうに笑って、並んで走り出した。
◆
「あの……そろそろ……手を離しませんか?」
熱に浮かされたような時間が過ぎ、
静けさが戻るにつれて、
繋いだ掌の熱が、恐ろしいほど重く感じ始めた。
指先の力をそっと緩める。
けれどエルヴィンは、いっこうに離してくれない。
私がもう繋ぐ気でいないことに、気付いているはずなのに。
「僕は、このまま繋いでいたいな」
恋焦がれるような、射抜くような視線。
真正面から受け止めるには、眩しすぎて、
跳ね上がる鼓動を止められない。
「……ん」
耐えきれず視線を伏せ、逃げるように瞬きを繰り返す。
エルヴィン様は、本当にずるい。
子どものような純粋さと、大人の色気。
その両方を混ぜた懇願なんて、拒めるはずがない。
「ねぇ、フィリア」
絡んだ手がゆっくり動く。
指を一本ずつなぞるように、深く絡め取られていく。
節が擦れ、肌が密着し、逃げ場が消える。
気付けば、完全に指を絡められていた。
「僕のこと、どこまで知りたいの?」
絡めた手を、そのまま彼の頬へと持ち上げられる。
彼は軽く目を閉じ、
私の手の甲に頬を深くすり寄せた。
「――っ」
指先に伝わる滑らかな肌と、吸い付くような熱。
陶酔したような表情に、
心臓を直接掴まれたような衝撃が走る。
ただ触れているだけなのに、
甘い香りに意識が溶けていく。
「どこまでと……言われましても……」
確かに言った。
エルヴィン様のことをもっと知りたい、と。
けれど――
この距離は、想像を遥かに超えている。
「えっと、その……」
しどろもどろになる私を見て、
エルヴィン様は小さく喉を鳴らした。
伏せていた瞼がゆっくりと上がり、
今度は私の指先へ視線が落ちる。
そして――
吸い寄せられるように、唇が触れた。
「僕は……フィリアのこと、もっと知りたい」
吐息が指を掠め、全身に細かな電流が走る。
「僕だけが知っている、君の可愛いところを……もっと教えて」
視界が白く明滅する。
限界を超えた鼓動が、鐘のように鳴り響く。
このまま彼の熱に晒され続けたら、
自分という形を保てなくなる。
(……もう、だめ……)
思考がぷつりと断線した。
遠のく意識の中で、最後に聞こえたのは――
慌てて私の名前を呼ぶ、彼の甘い声だった。
◆
優しくて大きな掌が、
ゆっくりと髪をすき上げている感覚に気づく。
指先が地肌を掠めるたび、穏やかな体温がじわりと伝わってくる。
心地よさに、思わず口元が緩んだ。
エルヴィンの香りに包まれて、
ここは安心できる場所なのだと、身体が自然に力を抜いていく。
――まだ起きたくない。
この心地よさに、もう少しだけ浸っていたい。
離れないように、彼の腹の方へきゅっと顔を埋めた。
「フィリア……可愛い……」
吐息のように零れた声は、震えるほど愛おしげで。
耳の奥から胸の深くまで、幸せが満ちていく。
――けれど。
髪を撫でていた手が、ふと止まった。
代わりに、夜の静寂を切り裂くような低い声が降ってくる。
「あの時……時計塔から落ちた時。僕は本当は、救われた気持ちだったんだ」
切なさと苦しさが滲む声。
「フィリアのためを思うなら、僕はいない方がいいって。……そう、思ったのに」
空を見上げているのだろうか。
閉じた瞼の向こうで、彼の声だけが重く響く。
「レオニス殿下といる君は、あまりにも眩しくて……お似合いに思えてしまったから」
髪に触れていた指が、今度は頬へ。
壊れ物を確かめるように、そっとなぞられる。
「狂おしいほどに君を壊してしまいそうになる自分とは違って。……光に包まれて、穏やかに笑っている方が、幸せに決まっているのだと」
再び、静寂。
「でも、フィリアは僕を選んでくれた」
頬を撫でていた指先が耳元を掠め、髪を絡め取る。
「覚悟しておいてね」
低く掠れた笑い声が、耳元でほどける。
そのまま――
髪に触れていた指が、
わざとらしくゆっくりと唇を撫でた。
まるで、眠っているはずの私の反応を確かめるように。
「……聞こえてるでしょう?」
囁きは、あまりにも確信に満ちていて。
心臓が、とくんと跳ねた。
「もう絶対に、君を離さない」
優しく、けれど逃げ場のない声。
指先が、最後に髪をひと房すくって離れる。
「逃げても、連れ戻すから」
――どくん。
胸の奥で、大きく鼓動が鳴った。
眠ったふりを続けているはずなのに、
もう隠しきれないほど心臓が騒がしい。
目を開ける勇気なんて、あるはずもなかった。




