29 取り戻した翠の瞳と、星空の下の約束
まるで――
空から流れ星が降ってきているかのように。
光の雨が、降り注ぐ。
「ぐぁぁああああっ!!」
エルヴィンが苦悶の声を上げ、身体を抱きかかえる。
その身に纏っていた闇が、
剥がされるように、零れ落ちていく。
焼かれるように、
削ぎ落とされるように。
その様を――
ラグナは、ただ静かに見下ろしていた。
「……無様だな」
吐き捨てた言葉とは裏腹に、
その黄金の瞳には、複雑な色が滲む。
一人の少女への執着ゆえに、己を保てず、
ここまで堕ちたのか。
(……闇は忌むべきものか)
(……これで、終わりだ)
ラグナはショートソードを握り直すと、
躊躇なく振り下ろした。
トドメの一撃。
それが、友としての最後の情けだと言い聞かせて。
――その、瞬間。
閃光が走る。
学院を、白が塗り潰した。
「……っ」
予期せぬ光に、ラグナは思わず目を細める。
わずかに隙を見せた、その一瞬。
エルヴィンは、剥き出しになった翠の瞳を、
空へと向けた。
そこに、愛しい少女の面影を見た気がして。
――バサァッ!!
残った闇の魔力を振り絞り、ボロボロになった黒い翼をはためかせる。
ラグナの追撃を紙一重でかわし、
エルヴィンは夜空へと一気に飛翔した。
「……逃がしたか」
エルヴィンが飛び去った時計塔の方角を見つめ、
忌々しげに剣を鞘に収めた。
その背中には、友の命を救われた安堵と、
自らの手を汚さずに済んだ複雑な想いが、
夜風と共に去来していた。
◆
光が、学院を満たす。
闇は消え、
夜空が、本来の姿を取り戻していく。
ただ――
一つだけ。
フィリアの前に。
エルヴィンが、立っていた。
「……フィリア」
かすれた声。
「やっと、見つけた」
その瞳は――
黒碧から、ゆっくりと翠へと戻っていく。
「怖い思いをさせて……ごめんね」
弱く、笑う。
今にも消えてしまいそうな、儚い笑み。
その姿は、あまりに脆く、
今にも夜風に溶けて消えてしまいそうだった。
黒い翼が、崩れる。
光の粒子が瞬き、ぼろぼろと、剥がれ落ちていく。
同時に、彼の身体が限界を迎え、ぐらりと揺らぐ。
(……僕は、フィリアの側にいてはダメだ。
彼女を傷つけるだけの、化け物だから)
己の罪を自覚し、エルヴィンはそのまま、
塔の淵から真っ逆さまに落ちていく。
その表情は、どこか安らかでさえあった。
「だめぇぇぇぇ!!」
フィリアの悲鳴が響く。
考えるより先に、彼女の身体は動いていた。
エルヴィンを追って、彼女もまた、
迷いなく夜空へと身を投げ出した。
落ちていくエルヴィンへ。
「……っ!?」
エルヴィンが目を見開く。
反射的に――
フィリアを抱き止める。
だが。
落下は止まらない。
加速していく。
「……くそっ」
抱きしめたまま、歯を食いしばる。
「――間に合わない!!」
遅れて、レオニスが飛び立つ。
光の翼を広げ、急降下する。
だが――
距離が、足りない。
衝突まで、あと数メートル。
レオニスの手が届かないと悟った、その時。
世界が、優しい風に包まれた。
柔らかく、温かい春風のような魔力が二人を包み込み、ゆっくりと地面へと降ろしたのだ。
それは、暴走から解放されたエルヴィンが、
フィリアを守るために放った――
彼本来の「風」だった。
「フィリア! 君はどうして、こんな無謀なことを……ッ!!」
地面に着くなり、エルヴィンはフィリアの肩を掴み、声を荒げた。
自分のような、彼女を苦しめた男のために、命を懸けるなんて。
だが、その怒りは、彼女の顔を見た瞬間に、喉の奥に引っ込んだ。
ぽろぽろと大粒の涙を流し、
身体を震わせているフィリア。
「え……エルヴィン様が……」
「本当に、死んじゃうかと思った……ッ」
子供のように泣きじゃくりながら、
エルヴィンの胸に顔を埋めた。
恐怖も、怒りも、全てが「彼を失うことへの怖さ」に塗りつぶされていた。
遅れて、レオニスが地面へと降り立つ。
「エルヴィン」
静かな声。
「フィリアさんに、言うことあるんじゃない?」
その声音は冷ややかで、
けれど、友を案じるような複雑な響きがあった。
エルヴィンは――言葉を探す。
ありがとう?
ごめん?
それとも――
別れの言葉?
どれも違う。
どれも、足りない。
フィリアと、目が合う。
翡翠の瞳が、涙に濡れた灰青の瞳を映す。
言葉が出ない。
何を言っていいか分からず、
エルヴィンが立ち尽くしていると、
少し落ち着いたフィリアが、今度は怒ったような顔で、口を開いた。
「……エルヴィン様が」
小さく、息を吸う。
「好きって言ってくれた時……純粋に嬉しかったんですよ」
突然の告白に、エルヴィンは目を丸くする。
でも――
言葉が詰まる。
「他の女の人の名前を叫ぶし。
優しくしてくれるけど、みんなにも、もちろん優しくて……」
「私なんて魔力ゼロで、平民で、つりあってもないし……ッ」
胸に溜まっていた、色々な思いが溢れ出す。
「でも、この『嬉しい』と感じた気持ちが、なんなのか……。私も、よくわかってないし」
「だから……っ」
真っ直ぐにエルヴィンを見つめる。
その灰青の瞳には、迷いのない意志が宿っている。
「お友達から、始めませんか?」
頬を赤らめながら。
けれど、逃げずに。
「エルヴィン様のこと……もっと知りたいんです」
――沈黙。
エルヴィンの顔が、みるみる赤くなっていく。
その言葉に、顔が真っ赤になるのを通り越して、
熱を出しそうだった。
何を言えず、顔を真っ赤にして俯いていると、
「いいねぇ、友達」
レオニスが、含み笑いをしながら割り込んできた。
「エルヴィンがフィリアさんの友達なら、
友達の友達は、友達ってことで!」
レオニスは、フィリアにニコッと笑う。
「よろしくね!」
フィリアが呆気に取られていると、さらに追撃が入る。
「友達だから、殿下じゃなくて名前で呼んでね⭐︎」
有無を言わさない、絶対的な圧を込めて。
「ほぅ、その理屈が正しいなら、俺とも友達になるな」
すっと横から、ラグナが口の端を歪ませて、フィリアを覗き込んできた。
「フィーは、私とは昔からの友達だな?」
さらに、無事を確認しにきたダリウスまで、勝ち誇ったように笑っている。
もう、何がなんだかわからないまま、
いつの間にか男たちに囲まれているフィリア。
「で、クラウスは?」
楽しそうに振るレオニス。
少し離れた場所から見ていたクラウスは、
「生徒と教員が、友人関係になることはありません」
きっぱりと切り捨てる。
――が。
「困ったことがあれば医務室へ来なさい」
「力にはなりましょう」
と、彼なりの優しさを滲ませた。
その空気に――
耐えきれなくなったのか。
エルヴィンが、動く。
すっと。
フィリアの背後から――抱きしめる。
「フィリアは……!」
声が震える。
「僕と! 友達になるって、言ったんです!」
ぎゅっと、強く。
離さないように。
牽制するように。
「……っ、エルヴィン様……!」
フィリアの顔が一気に赤くなる。
星空の下。
笑い声が、響いた。




